[箱 男

 

作品紹介

箱男ほど、誤解されやすい作品はない。

その多くは“意味”を手がかりにしたり、

“意味”を媒介にしたり、

終局的に“意味”に到達しようとする、

読み手に原因がある。

“箱”は“箱”だ。

だが、“箱”は“きっかけ”である。

“箱”を“きっかけ”にして、箱は変質し

“箱”を超える。

“箱”の誘いに導かれ、

読み手は、ねじれ、

軽々と時空を超えさせられるのだ。

この目眩の、めくるめく圧倒的な体験感覚。

シューベルトの未完成のように、箱男は脱皮し

読者だけが名残惜しく永遠の物語の終焉をむかえる・・・。

このベストセラーは発表当時、全盛期の安部が

世界に与えた、正にセンセイションであった。

今読むと尚その輝きを増しているのがわかる。

前衛芸術の天才は、あらゆる人称、あらゆる文体、

あらゆるレトリックを、この短い長編に呵責なく凝縮し

紡ぎ出した。

この作品の読後感を聞くだけで、脳の拘縮度が

解るほど、シビアに読み手の能力を問う作品でもある。

他の作家にとってこの作品は、襟をただし座して対峙するバイブル

以外のなにものでもない。

本人をして世界ではじめて、“書くという行為”を追及した作品

と言わしめた程、の曲芸は、

≪書いているぼくと、書かれているぼくとの不機嫌な関係をめぐって≫

でカタストロフをむかえる。

それが緊張を持続したままものすごい力業で、

ドラマが急転直下高みへ、読者を連れ去るのである。

≪ぼくの場合≫

≪たとえばAの場合≫

≪それから何度かぼくは居眠りをした≫

≪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・≫

≪別紙による三ページ半の挿入文≫

≪書いているぼくと、書かれているぼくと

の不機嫌な関係をめぐって≫

≪供述書≫

≪Cの場合≫

≪続供述書≫

≪死刑執行人に罪はない≫

≪Dの場合≫

≪開幕5分前≫

人称および文体はこれだけ変化する。

寓話と変身抄、詩以外の因果は在って、無い、

絶ち切れているが、無いはずの糸で結ばれている。

それは次元の変化ともいえる。

あと一年、師が生きていたら、ノーベル文学賞は

この作品に与えられたはずだった。