閉塞状況 第二景 『変身』

                 渡邊 聡

 

思い出せない。

ただただ、
全身が紙でできた細い針金のようになっていて、
たえまなくしびれていた。

下半身が、
産毛のようにやわらかな緑色の恥毛をくまなく押し付けられているようで、
その部分だけは、
温かくしびれていた。

細く絞った舌ベロのように一本のままぼくは、
しびれのなかでなすすべをしらなかった。

しばらくぼくは、
そのまま、
こうべを垂れたままにしていた。

頭をつきだしてから、
二、三度全身を振らされた。

といっても、
動いた部分は、
表に飛び出している僅かな部分だけであった。

たえまなく襲われる電気のようなしびれにぼくは、
どうしようもなくまた、
そのままなえた。

腿に押しつけられた恥毛が、
励ますように深くくぐもった下半身をしめつけるたびに、
ぼくのむきたての春芽は、
勝手に下に向かって伸びた。

はげしく伸びた刹那だけは、
しびれはおさまり、
オルガスムスが頭をふるいたたせたが、
すぐにしぼみ、
また内側から放射状に広がるしびれに、
元気なく、
ぼくはふせった。
やはり、
思い出せずにいた。

最初の日は、
目も開けられずに、
そのまま眠った。

いきなり下半身が、
二つにもげた。

間髪入れず、
おのおのから剥き出しの神経の塊の、
しかし、
鉄柱のように固い棒が、
恥毛の塊のなかに分け入った。
それも突然に。

頭の毛先まで走ったかゆい痛みに貫かれ一撃で勃起し、
津波のようなその怒涛の刺激に、
ヒルのようなもんどうりを大きく何度も打ってからまた、
しびれの海になえた。

全身がむかれたての、
性器のようであった。

ぼくだけ時間の流れに取り残されていた。
まどろみのなかで、
ようやくしびれが小波になると今度は、
それぞれの先端から、
さらに鉄柱が二つに分かれて、
たわしのような恥毛の群れに突き刺さった。

ぼくはまた、
くねりながら全身を身震いさせ続けなければならなかった。

不思議に疲れに、
限界は訪れない。

あたりが冷たくなった。
また、長く短い一日が終わった。
なにも、
思い出せない。

日に日に、
そしてどんどんと、
ぼくは乾いていった。

うすっぺらな眠りがまた、
訪れた。

夢のなかで、
紙のような月になって浮遊したぼくに、
しなだれ臥せっているぼくは、
へへへっと笑われた。

生きたまま、
神経が二つに切り裂かれた。

ぼくはなえているのに、
波が去るか去らないかの間に、
下半身が分裂し、
触手をひろげ、
その度ごとにぼくはのたうちまわりうめいた。

鉄柱はのびるごとに細くはなるが、
切っ先鋭く、
皮をむかれた男根のように敏感な神経は、
間断なく針のような恥毛達につつきまわされ、
ほとんど失神寸前になってぼくは、
あらゆる体中の水分を、
しぼりだすように失禁した。

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突然、
水の塊が降り出した。

固い被膜につつまれたぼくの数倍の直径をもつ大水魂は、
ぼくののっぺりとした後頭部辺りを、
かわるがわる容赦なく、
叩きつける。

もうぼくはどうしようもなく、
されるままになっていた。

水は勝手にぼくにしみこんできては、
性器のぼくを、
くねらせたり、
膨らませたした。

しびれが嘘の様に遠のく。

ついで、
針のようにぼくを苛んだ恥毛たちも、
恥ずかしげに身をくねらすと、
嘘のように溶けてしまう。

その下に隠れていた弾力ある襞が、
性器のぼくを、
罪滅ぼしのように力を込めて擦りだす。

やがてぼくは分裂した内に、
沸き出した脈打つ力を感じる。

柔らかなうねりの中で下半身の分化は、
速度を増す。

思い思いの襞めがけて触手をのばし、
おくられてくるエキスをぼくは、
海綿体になって吸収し、
しびれナマコ化していた上半分に、
間欠泉のような勢いで養分を送り始める。

はちきれてはじけそうだ!
ぼくはいきちたち、
その勢いで二つに裂けた・・・。
それは暑い、
夏の日であった。

それからもうぼくは、
水にまけることはなくなった。
大水魂をぼくは切り裂き、
全身でゴクゴク飲んだ。
そしてしゃにむに伸びた。

その時だけは、
下半身をくるむ恥毛達は血眼な襞になって、
猛烈にぼくをさすり続けた。

天井知らずの絶頂で、
なにも思い出せぬままぼくは、
日に二百回はイった。

下半身は、
襞に挑み絡み付いては分け入り、
なおひたすら下に向かって触手を広げていった。
ただし雨の降らない日は、
拷問に等しい。

日照りの強い日があまり長くつづくと、
恥毛たちは固く意固地な針になってぼくをいたぶった。

ぼくは、
あえぎ、
垂れ流し、
されるままになっていた。

やがてわき腹あたりが、
削げ落ち、
腐っていくのがわかった。

雨はなかなか降らなくなり、
恥毛たちは、
踊りくるう。

雨が長く続けば…、
やはり、
端から、
ぼくは腐っていく。

繰り返しだった。

時間と空間は分裂し、
照りと暗黒の劇的なうねりだった。

夜は眠るだけで精一杯だ。

朝の気配は、
勝手にぼくを奮い立たせ、
吐き出し続けさすが、
照りが弱くなる頃には疲れきって、
虫の息のままだった。
ひと夏がすぎ、
ぼくは狂えず、自我を喪失できずにいた。

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もうわかってくれただろうか…?

成長を続けるある日。
現実がそのままぼくの在り様を、
ぼくに知らしめた。

そう、
ぼくは、
雑草だった。

そうして、
団地に挟まれた、
僅かな隙間の芝生の間に、
生えていた。

もうすこし横であれば、
団地のベランダの影の恩恵をこうむることができていた。
はじめは恨めしく思ったが、
そこに生えているイヌガラシやナズナ達は、
茶色く壊死した葉以外は、虫達に食われつっぷし、
いつまでも全身を震わせていたので、
ぼくはもうそちらを見ないようにしていた。

時は、風だった。
東から綻びがやってきて、
西に伝染した・・・、
残念ながら、
時間より速く、
記憶の喪失が進行した。

すぐにまた、
干ばつになり、
記憶はむしりとられ、
コトバを蝕んだ。

既に何も思い出せなかった。

ただぼくは、
ここで一夏を過ごしたのだと思った。


時々、
土壌が脈打ち、
津波のような振動の音源がもぐらのように移動した。

それは、
入道雲のように巨大な、
こどもたちであった。

その体躯に踏みつけられた同僚達は、
・・・スカシタゴボウは、
綿のような回復力で踏まれたそばから復活することが多かったが、
ハハコグサは一撃で致命傷をおい、
体液まみれになりながら、
またあるものは首を折り、
虫の息をしていた。

子供の手を引いた大人達の歩みは、
重く、
しかしソフトで、
なんとか受け止めることができた。

が、
なんといっても、
虫たちが、
ぼくらにとっては脅威だった。

横に生えて、
気持よさそうにたなびいていた奴が、
生きながらにして、よってたかって丁重に剥かれ、
食われていく時ぼくは、
ただ輪廻を恨みながらじっと見守るしかなかった。

最初は恨めしそうにこちらを見つめ、
救いを求めてきた輩も、
そのうち生きたまま食い散らかされて垂れ流し続け、
ぼくも背中を、
食われた。

ぼくを食う奴は、
緑色の固い、
甲羅をまとった丸い、
足の多いアブラムシで、
長い時間をかけてそいつに何本か、
太い緑の血管を食われぼくの、
肩あたりは、
茶色く腐ったままだ。

子供が、
ベランダに出ようとした。
足を踏み外し、
ゆっくりと突っ伏す。
口を台形に歪め一文字に結んだ目じりに、
皺ができる。
涙をスポイトで飛ばすように、
ぴゅっぴゅっと出して、
抑圧気味に泣き出す。

歯が上下に四本ずつ、
そろって生えているのが見える。
ベランダの手すりに両手をかけ、
ゆっくり立ちあがる。

しばらくまだ顔に、
皺をつくって、
ぐずっている。

「どうしたの、だいじょうぶ?」

母親らしき声が、
カーテンの奥から聞こえる。

流しっぱなしの水の音が、
響いてくる。

子供は、
いったん、
動きを止めるが、
また動き出す。

やがて、
涙も乾く頃、
子供は素足のまま、
手すりに両手でつかまって立ち、
ゆらゆら揺れている。

まっすぐこっちを見ている。

ふしぎそうに、
こっちを見ている。
そして続けざまに言葉らしきものを二三度発した。

とおちゃん
雑草は身悶えた。

大きくなった。

子供は確かに雑草を見ていた。

雑草は子供の目に自分がどう映るか、
狂わんばかりに身悶え、
想像した。

もう二三度、
同じ発音を繰り返した。

突然カーテンが引かれると、
母親も素足のままベランダに踊り出した。

そうして、
雑草をこえた遥か遠くに、
視線を泳がした。

雑草の絶叫が、
辺りに
“おおん”
とコダマした。

痩せた。

あれ程豊満だった身体は、
見る影もない・・・。

そしてすこし、
窪んだ目をしていた。
子供の頭を抱きしめる。
そうしてまた、
名残惜しそうに、視
線を宙に泳がせる。

そしてゆっくり、
しゃがみ、
子供のズボンを、
力なくはたいき、
いつまでも頭をなでていた。

そのたびに、
山のように盛り上がったワレメを覆う綿の薄い布からはみ出た、
薄毛が震える。

「まってよーねー」

一拍おいて雑草は、
張りさけんばかりに力をこめて、
身体を揺すろうとした。

だが雑草は、
風にたなびいてかすかに、
力を入れた方向と反対に傾いだだけであった。

母親は子供の脇に両手をもぐらせ、
子供を抱き上げた。
子供は手をのばし、
一瞬からだをねじって雑草を見た。
雑草はいつまでも聞こえない声で、
絶叫し続けた…。

夜がだいぶ冷えこんできた。
土は、固くなったり柔らかく湿り気を帯びたりし、
天気によっては暴君となって雑草を、
こずきまわしたり、
くるんだりしていた。

暑さが過ぎると、
忙しくこき使われた。
けれど、
雑草は萎えているときも隆起しているときも、
絶叫しつづけた。

子供と母親の姿を見たときだけ、
叫びをわすれ、
食われる痛みも忘れて、
身もだえした。

洗濯物を入れるときなど、
よく子供は母のまわりをまとわりついていた。

足がだいぶしっかりしてきた。
そして子供はもう余り雑草を気にしなくなってきた。
そして母も、
あまり遅くまでベランダで夕焼けを見なくなってきた。
それでも、
雑草は身体を揺すろうと、
時々は全力を尽くした。

けれども雑草はやはり、
風にゆれるただの雑草だった。

身体の変色がだいぶ進んだ。
雨がいつまでも降らない時などは、
痛みが全身を揺すった。
在る夜、
めずらしく遅くまで灯りがともっていた。

中からは艶のある笑い声と、
応じるくぐもった男の声が、
いつまでも聞こえた

やがてこどものはしゃぎ声が、
やんだ。
灯りが消える。
しばらくすると、
押し殺した喘ぎが破れ、
歓喜がこだました。

粘り気を含んだ水気の強弱の和音と、
母音の連呼が秋の夜を、
いつまでも振るわせ続けた。

この晩を境にして、
急速に「言葉」が、
雑草の頭から、
溶け出した。

日が陰る。
刺激が意識を、
取り戻す。

ぼくは鳥の襲撃と諦め、
身体をすこしでも堅くした。
扇は行って、又帰ってきた。
それは芝の上に案外軽やかに着地した。
こうもり傘であった。

柄の部分は、
もう少しでとどく位置にある。
あ〜あぁ・・・、
女が子供を軽く咎めている声が聞こえる。

開いた傘の影に隠れて見えないが、
干してあった傘を子供が落としたに違いない。
悪戯ができるほど知恵がついた証拠だろう。

女がベランダで、
待っているように、
諭している。

一旦はあきらめかけた子供が、
女が玄関のドアを開けた途端わめいて後を追う。

仕方なく、女は戻ってきて抱き上げ、
二人ともまた、
奥に消える。

傘をとりにくる!

手が届くほどの距離だ!

せめて二人の空気だけでも、
吸いこんでおきたい。

ようやく団地の影から、
二人そろって顔を出す。

そうだあの女は妻だ!

妻が手を引いて、
まっすぐこちらにやってくる。

いきなり子供がしゃがんで手を振り解き、
急に左に方向を転じ、
杉の幹めがけて走り出した。

思ったより速い。
妻は、見ているままである。
その辺りに、
悪戯坊主が残していった、
瓶の破片が散らばっているはずだ。

妻は気付かず、
笑ってみている。
子供は根元辺りまで走って行くと、
一旦しゃがんでから、
お尻に体重をかけて腰をおろす。
妻の歩みが小走りにかわる。

破片にようやく気付いたらしい。
子供の尻を叩きながら、
しきりに小言を繰り返している。

そしてこちらを妻は指差し、
子供を誘導する。

こんどこそ子供は、
一直線によたよたと歩いてこちらにやってきた。
大きくなった。

足を突っ張って傘の柄を持とうとする。
腰が座らず、うまく届かない。
ぼくは子供の顔に向かって大きく息を吐いた。

一瞬視線がぼくをかすめるとくるりと反転し、
バランスを崩した子供は、
いきなりその場に倒れこんだ。
足がぼくを横に払う。

痛みをしびれが歓喜の震えとなって、
ぼくの全身を貫く。
妻が追いついた。

スカートがぼくに被る。
輝きを存分に取り戻し、手入れされた下肢。
薄くアブラの乗ったふくらはぎから、
太ももへの白くうねる曲線。
その奥の、
かきまわされ、
味合われ続けている春のビワの、
むせかえる放香を放つ、潤い、今は固く閉じられテラテラ光る密所を覆う、
見たこともない細い黒い下着。

下着からテリのあるベロの片方と巻き毛が、
元気にはみだしている。

こんなに身近にあったぼくの全てを、
なぜ気付かずにぼくは、
手放してしまったのだろう?

傘と子供を抱き起こす。
ぼくはあらん限りに、
絶叫した。
子供は、改めてぼくを、
見下ろす。
本当に大きくなった。

しゃがむ。

顔が目の前に落ちてくる。
芽吹く甘い息ずかい。
夜空に照り輝く、
巨大な満月。

今度こそ、
ぼくは巨人のような子供の顔に、
限りなくこころを込めて新鮮な息吹を吹きかけた。
こどもはキラキラ反射するまなこで、
じっとぼくを見る。
眉間が歪み、
僅かに顔をしかめた。
妻もしゃがむ。

「やめなさい」

妻が声をかけた瞬間。
子供は手を伸ばし。
ぼくをつかむ。
ぼくを無造作につかむといきなり真横に引き千切った。

体液が飛び散る。
視野が霞む。
繊維一枚のこして、
ぼくは垂れ下がった。
なんとか呼吸を再開しようと、
ぼくはもがく。
妻が何か言う。
子供は無造作に、
今度こそしっかりと、
ぼくを握りなおす。

旅立ちの時だ。


(了)