Watch 7 〜 教科書

 

不勉強な学生だった。

特に高校生時代。

つまらない授業中は、

見ず聞かずに寝ているか、

弁当を食っているか、

本を読んでいた。

ただ学年代わりの時期になると、

国語の教科書だけは、

楽しみに授業が始まる前に、

目を通すのが通例だった。

収録されている小説はまず、

ハズレがなかった。



小僧と神様

山月記

走れメロス



等々。



いわゆるレトリック。

今でもぼくのそれは、

現代国語の教科書体験が、

ベースの一つになっている気がする。



中でも、時々、強烈に思い出す、

小作品がある。

 

数ある教科書体験のなかでも、

最も印象深い小昨品は?

と問われれば、その小昨品がダントツだ。



ただ残念ながら、題名がどうしても思い出せない。

今では、題名を思い出す努力はもう、放棄してしまっているが。



それは、アメリカのFRONTIER時代。

開拓者の、生活を紹介したものだった。



星が瞬きを失う前に起きる。

外は強烈な冷気。


時折風と、

鶏の声と、

牛の気配を背に、

火のそばで、

座りまどろみからゆっくりと身体が、

起き上がってくるのを待つ。

夜露をしのぐ天幕のはためき。



女衆が鍋の蓋をあけ、整然と並ぶ蒸したポテトに、

チーズを振りかける。

ホクホクのポテトの香りがます、眠気を払う。



天幕の下から、コーヒーの香りが、四方に発散される。

パンが焼けてきた。

すると女衆が、火にフライパンをかざしラードを落とす。



この頃には身体は目覚め、視線はフライパンに釘付けになる。

そして…。



鍋にベーコンが放られる。

ジャーと鳴り、飛び散る飛沫と、香り。

隣に卵が落とされる。



腹が必ずグウと鳴る。

そして…。

バターがタップリ染み込んだパンに焼きたてのベーコンを乗せ、かぶりつく。

咀嚼が終わる頃、コーヒーをすすり、芋に塩を振ってかじりつく…。

このシーンを迎えるたびに、溢れる唾液を抑えられない。



実はその後、どんなコトバが紡がれ、

何が書いてあったか?

覚えてはいない。



ありふれた一日が、

書いてあったような気がする。



ただぼくには、

その朝食が、

この上なく魅惑的で、

この上なくぜいたくなものに、

感じられたのだ。



ベーコンという、

サシの多いバラ肉の燻製を、

食べるに最もふさわしい、

シュチエーションと、

この上ないロケーション。



いつしか…



いつしか、記憶には香りが付与され、

風にハタメク天幕には緑の色が、

平原の先に見える山から吹きおろされる風が、

鍋からは焼けたベーコンの香りが、鼻腔をくすぐるようになった。

実体験を超えてしまった読書体験。



それらの感触を、

さらに確かめたくて今、

ぼくはコロラドにいる。


Watch 6 〜 胎動

 

疲れた・・・。

 

しきりに彼が言い出した。

それはそうだよね。

帰宅は毎晩、24時を過ぎてるもの。

 

帰るとフロに飛び込んで、

ザーッと湯が溢れる音が、銭湯のように反響してくる。



その音は、日増しに大きく長く、いつまでも続く。

 

おかしいな〜

お湯の量はいつも一定のはずなんだけど…



空に近い湯船に足し湯して入ると、固い茶色い剛毛が浮くようになるし。

ベランダへ出るドアに平行して寄せたベッド。



寝入った彼のイビキは、長くゴウとうなり、持ち上がる布団は小山のようだ。



部屋の電気を消して、ワタシは床からその小山を眺めた。

月明かりがすごくキレイだ。

「いおう、いあえあぁぁ〜」

「なに?」

「におうって言われた」

「ねえ、コトバが不明瞭だよ」

「グルルゥゥ〜、スカピィ〜〜」

「ダレに言われたの?におうって」

「となりに座っているオンナの子」

「で、どうしたの」

「たべようかとおもった」

「ダメだよ、たべちゃ!」

「…」

「休むの?」

「う〜」


そしてふとんがゆっくり盛り上がる。



しばらくしたら、小山が裏返った。

目の前に足が突き出される。



くっさ〜〜



酸っぱい尿の臭いっていうの?

そしてキノコが生えてきそうな臭いがまじって。



見ると、風呂に浮いていた剛毛が、ところどころのすね毛に、生え代わってる。



なんかヘンだわ。

彼、ヘン。



さっきは、肉、焼かずに食べちゃったのよ。

お腹減ったんだね。

お箸も使わずにさ〜

ガブリって、

飲んじゃった。



そういえば…

そういえば彼、最近まったく出かけなくなった。

寝ては起きて、グルルゥゥ〜と歩き回る。



なんかね〜

もう無理なんじゃないかな〜?

何がって?



う〜ん



全て!



この狭さ

この距離とか

この家。

この空間が。



ほら起きた。

と思ったら、

意を決したように、こちらを向いた。



あれ、

目が、

血走ってる。

 


Watch 5 〜肘打ち男

 

大きな音がした。

 

女は、誰かまた倒れたのかと思い、前かがみになって、車両を見渡した。

割と混んでいる。

誰も倒れてないし。

特に変わりも、ないし。

視線を戻す瞬間、ドアを挟んで右斜め前に座る若い男と目があった。



一駅が過ぎ、女に睡魔がにじり寄ってきた。

瞼を閉じる瞬間、また音がした。



女はそれを目の端で、はっきり見ていた。

先ほど目が合った男が、座席の端に据え付けてあるアクリル板に、すごい勢いで肘打ちを入れるところを。

見たにも関わらす、女は閉じかけていた瞼を開け、反射的に男を見てしまった。



また、目が合った。

血走った、コワい目だった。



そのまま女は、硬く瞼を閉じた。



眠れない。

鼓動が鼓膜の下あたりで、小太鼓を叩いている。

眠気がとんだ頭で、女の思考は勝手に駆け出した。



おかしい。

ヘン。

危ないよ。

きけーん。

前の乳母車、赤ちゃん入ってるじゃない。

若夫婦、固まっちゃってるよ。

って、きけーん。

これ、

"君子危うきに近寄らず"だよね。

あたしだけは、そんな目には、合わないって皆、思ってるんだよね。

それで、やられちゃうんだ。

これ、カンが働いたってやつだよね。

よし、動こう。

逃げようっと。



女は次の駅で、ドアが開き乗降が終わった瞬間、立ち上がって電車を降りた。

女は小走りにホームをかけると、後ろ車両の扉が閉まる瞬間、また電車に乗った。



割と空いていた。

隣の車両に続くドアに、おそるおそる目をやる。

男の姿は見えない。

座るとすぐ女は瞼を閉じた。



電車が新小平のトンネルに入った、

「ガシャン」

ヘンな音が混じった気がして女の意識が湖面に浮上する。

「ダン」

肘打ちの音が、すぐ前から響き、女の身体が踊った。

 

もう、わかったようだね。

ぼくはわかるよ。

そう、

彼のマトは、

ほかならぬ、

きみ。


 

Watch 4 〜人もどき

 

楢原の交差点にさしかかって、

クルマの流れが突然、

挙動不審に。

 

前を走る赤いビッツのテールランプが突如光って迫り、

あわててブレーキを踏む。



「おいおい!」



彼の声にもおどろかされ、

ハンドルにしがみつく。



急発進に急ブレーキ。

なんだかおかしいよ。

止まって様子を見た。



「なんだ、なんだ」



ダッシュボードに乗せた足をほどき、

身を乗り出す彼。



突如、

上半身裸のオトコが、

クルマの間を縫って前方から駆け寄ってきた。



「もどきだ」



悲鳴をあげて、身をよじった時にはもうオトコは、

車のまん前から運転席側にまわりこみ、

フロントガラスを握った拳の平でドンドン窓をたたいた。



見開いた、血走った目が、

クルマのなかに入ってきそう。

口びるの端に泡を吹いて、

なにか、口走っている。



クラクションが大きな音をたてた。

反動で飛び上がった。



「もどきだよ、もどき!」



彼がクラクションを叩いたのだ。

ようやく意味がわかり、

こわばりから少し開放された。



「ほんと?」



だって、たんなるオヤジじゃん。

変だけど。



「もどきだ」



そうなんだ。



「はじめてみた〜」



彼は、ダッシュボードに足を乗せ、

つまんなそうに、

ほおづえを付いてつぶやく。



「ひいちゃえば」



無視してそろそろとクルマを発進させると、

もどきは目で、

じっと私を見送った。



ガタンと振動が伝わった。

足の甲をひいたかもしれない。



「ヒュ〜」



口笛を吹き、

彼が笑う。



ピラーの横に、

油まみれの手の跡が、

二つ残った。

交差点をこえ、

クルマの流れは普段どおりに戻った。



心臓の鼓動だけはまだ早く、

喉元でトクトクいっている。



白バイとパトカーが、

猛スピードですれ違った。



もどきの目が、

焼きついたように、

はなれない。

 

それに・・・



なんか、変だ。

あれは誰かに似てる・・・。

それに私は、

なにか大切なことを、

忘れている。



思い出せないイライラ。


アクセルを踏んだ。


Watch 3 〜そこに寝ているぼく

 

見ると、

岩棚の突端に

ぼくが寝ている。



雷鳴と横殴りの雨が、

ぼくに降り注ぐ。



ぼくの身体からは澱が、

透明の液体となって、

ゴフッっと湧いては、

雨におされ、

ダラダラと流れ落ち岩をつたう。



荒削りの岩の上に、

仰向けによこたわる、

ぼく。



と、

頸を、

一筋の水が流れ落ちた。



伝わりつつあるんだ。

見ているぼくに、

今。



雷鳴の振動。

雨の痛み。



頸を伝う水筋は加速度的に増え、

手で拭っても拭いきれない。



とうとう、

ぼくはぼくになって、

岩棚の突端に、

よこたわっていた。



鼻腔から侵入する水滴は、

喉に溢れ、

咳き込みながら息継ぎする。
 

呼吸を確保しながら、

少しずつぼくは、

受け入れを開始した。



痛みを、

温度を、

感触を、

肌ざわりを。



ついにはぼくは、

根のように硬く充血し、

膨張し空を指す性器を残し、

完全に脱力した。



その瞬間、

最後の澱が、

ブフッと出て、

ヌルっと全身を伝い落ちた。



雲間から強烈な陽射しが刺し、

ぼくが暖まり乾いていく。



そしてぼくは、

あらたにぼくのコーティングを

開始する。



家をつくろう。


Watch 2 〜終章

 

ずいぶんの間、
まどろんでいたようだ。

意識がゆっくりとたちあがって、
身体もゆるりとあとに続いた。
が、
瞼が重い。
開かない。
まるで上の瞼と下の瞼が、
磁石で引き合っているよう。

からだ型にくぼんだ、
ぬくいフトン。
頬を撫でるやさしい風。
突っ立った、
棒のような、
ゴワゴワの髪の毛。
春の焦げた香り。

少しばっかり磁力が弱まる。
よいしょと瞼をもちあげると、
しばらく視野はどこを向いても春霞。

ようやく窓枠に、
ゆっくりと焦点が結び始める。
窓枠が、
きっちりと空を切り取っている、
そこに。

窓の四角い枠内は、
藍一色。

ちょうど真ん中を飛んでいる銀色のジェット機が、
乱反射し高いところの光を届けてくる。

ああ、
澄み渡る藍。

ーーーーーーーーーーーー

はて、
誰だろう?

ベットサイドに、
ぼくを覗き込む、ひと。

子どものようにも見えるし、
大人のようにも見える。
オトコといえばオトコに見えるし、
オンナのようにも見える。

声に出すまえに、
瞼が垂れ下がる。
ああ、
重い。

こちらを向いていたしわくちゃな顔が緩み、
口が動いた。

「やすらかに、めされんことを」

あれ、
そうなの。

これは、
そういうことなの。
これは、夢?
ちょっと、待てる?
こんなに眠るように、
いくわけ?

少し思考が動いた。
でも、
この眠気と、
瞼の重さに、
抗う術をぼくは今、
持っていない。

瞼が閉じた。


 

Watch 1 〜崩落

 

雨模様の鬱陶しい夕刻。



北の空が、

丁度地面と接してきれるあたり。

西日を浴び、

視野の横一杯に拡がる、

白を頂いた連山が、

目の端で一斉に崩れたように見えた。



はっと目を凝らすと、

どうも崩れたようでなく、

山に白くかかっている雪の飛沫が、

流れつづけているように見える。



しかし遠景すぎて、

なにが起きているのか、

まったく判らない。



今は丁度山並みが見えるあたり、

白く厚い雲のようなものが垂れこみ、

山並みを覆って、

その帯がやはり、

時々回転してるように見える。



なんだろうな〜と思った矢先、

白いうねりの帯びが膨らむと、

上下動を繰り返しながら、

あっという間に識別可能になった時には、

地平線一杯に拡がった白い大波の第一波が、

眼下の街を埋め尽くした。

陸の山際でこれだ。

この規模は南極の崩落か。



第二波の盛り上がりは視線の高さと同じ位。

厳冬期の濁流に身をさらわれるビジョンが、

薄っぺらになった命の期待を、

微塵に消し去る。

一分と持たないだろう。

出来るだけ苦しまずに逝きたいと、

そう思った。

携帯で最後に声が聞きたいと掛けると、

まだ時々電波が生き返る状態。

声が聴けた。

生存だけは確認できたのち、

圏外となる。

そうか、

それならまだ、

私も…。



その、

吹き消される寸前の、

新たな小さな灯火を頼りに、

何を持って出るか、

行動を開始する。

一瞬目の端に、

窓の下を流れる濁流が映る。



非常用具が入っている大きめのアタックザックに、

シュラフとシート、防寒着を持って外に出る。



となりの住人に、

団地の屋上に出る事を告げ、

しかし波が到達するかしないか、

振り子のように予想が振られる。



波に乗れる板のようなもの、

目と頭で探しつづけるが、

浮かばない。



波が来た。


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