絵心
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パソコン画 :上手く描くには工夫と根気

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先ず、敢えて「絵心」について(2013年6月)
自然の花鳥をスケッチして「貼り絵の手法」で絵にしているうちは
よく観察しさえすれば、自然のままがうつせるので絵は綺麗にできる。
処が、複数の絵を組み合わせて、独自の絵を作る時、組合わせ方に個人差が出る。
部品画の「組合わせ方」、即ち部品画や色の「配置」によって印象が変わると人は感じ
これを人は「心」・「絵心」と言っているようだ。センスとも云うらしい。
花の生け方、料理の盛付けと味わう順序、着物の着こなし、
音楽のリズムとメロディー、機器類のデザイン
はたまた 家での家具や額等々
部品や色彩の「配置」で印象が大きく変わる。

「心」は「配」(配置・配分)で、目に見える形になる。
空間では「配置」「配色」、時間ではその「配分」・「間」、「気配」が大切なのだ。
何に付けても、「心がある」と云う事は
五感を刺激する強・弱に、空間的・時間的順序と配分を
対象者向けにコントロールすることだ

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上手く描くには工夫と根気(2010年)
絵心なんて育つもの
パソコンで絵を描くことを勧めると 「絵心」が無いからだめだ、と言う
そんな事を言いながら 化粧をしたり オシャレをしたり 
或いは コスモスだの芝桜だのと 写真に写して 「奇麗でしょう!」と
時には 拡大して 額に入れて自慢している

綺麗なものを観て 写真にするか 絵にするか の違いだ
絵に描く方が絵心が「ある」、そして写真にする方が「ない」ということか?
それとも 写真には「心」が要らないとでも言うのか?

よく解らないが
普通いう所の「絵心」というのは 「絵の心得」がある ということか?
「お茶の心得」とか「お花の心得」「お琴の心得」、更には「柔道の心得」のような
「心得」があること
と言うと 花嫁修業のように「手習をした」
即ち「基礎的なことを 一通りお勉強した」ということだ
更に勘ぐると 「心得が無いのに はしたない」というような
「教育至上」的考えが 潜在的にあるのではなかろうか?

写真は「新参」で 手習いのコースが無かった
だから 由緒正しき花嫁修業で「心得」る必要がなかった
それが幸いして 猫も杓子も「不作法」にパチパチやって
綺麗なものを 各自の感性に素直に沿って記録している

絵だって 写真と同様 変な「謙遜」なしに
幼稚園の子供のように 天真爛漫に描いて なんら憚ることはないはずだ
特に パソコン画は 由緒正しき修行のコースにはないので
ジイジイやバアバア だって「やる気」さえあれば 
3歳の孫に負けず劣らない「落書きの絵」のような 趣のある芸術が楽しめる

新しいことに挑戦する時は 最初から「心得」など有る筈がない
だから 心得などなくて当然で 必要なのはただやる気だけ
だから 「絵心が無い」と言うのは「やる気がない」ことの言い訳だ

ただ 巧く描けるかどうかとなると 少し事情が違う
これには 「工夫」と「根気」が要る だから時間もかかる
私は 絵心など持ち合わせていないが 「現役時代」に叩き込まれた
日本人特有の感性に依る「KAIZEN」志向が 上達を支えてくれた

例えば 梅の花を描いた時
最初は正面から見た絵だけを沢山描いて並べた
兎に角描けたことが嬉しかったが どう見ても「絵になっていない」
梅を観察して考えた。「横から見た絵」がない
これを描いて 並べ替えてみた。花の数を減らしても絵らしくなった。
かなりの進歩だ。これがこの時点では嬉しい。
暫くして見直すと 少し物足りない。また観察して考えた。
蕾が欲しい
蕾が加わり 更には 裏側から観た絵もできた
こうして出来た「部品画」を 大きくしたり 小さくしたりして
枝に貼り付けると  梅らしく見えるようになった。

良い気になると、やり過ぎる。
あれもこれも描いたものを全部盛り付ける
うるさいばかりで「見るもの」が無い。
一度喜んで、暫くしてつまらなくなり、そこで一工夫してまた喜ぶ。
単純な 喜怒哀楽の繰り返しだが 達成感がでる。
さらに 背景の配色にも工夫をこらして見る。と・・・
「俺もひとかどの画伯だな」と・・勝手に喜ぶのだ。

このように書けば 簡単だが 実際には時間がかかった
要するに 巧く見えるということは 時間をかけて
何回も工夫を重ねて やり直した結果だということだ
懐かしい言い方をすれば「PDCA」だ

結局 「絵心」と言われるものは 「試行錯誤の回数」のことで
「よくも飽きずに『シツコク』やりました」の「ご褒美」と言うことか・・・
でもね この「シツコサ」を 日本人がみんなで発揮した結果が
「品質の日本」と言う経済大国を築き上げたのです
足りないところを探して 補い、更に不足を探す と言う「シツコサ」
どこまで行っても「『これでよい』等有り得ない」と言う 心構え

「絵心」のルーツは「物造り」と同じで、日本人には幼少の時から備わっているのだ
これを失くしたら 日本人は日本人でなくなってしまうでしょうから
「シツコク」根気よく 自分で納得して「美しいと感じる」まで 繰り返す
こんな風にして、「私の絵心は育っている」のでしょう。

実際 データで言うと 1点の絵の容量が
初期の頃(7〜8年前)の絵は 100KB未満だった
それが 現在は 10MBを超えている
「石の上にも3年」と言うが 
私は「パソコンで10年だ」から 3倍以上経った
だから 3桁近く進歩して当たり前だが 2桁ちょっとで
標準からすると 出来が悪い・・・と言うことか

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私の意見(堀内辰男)