イントロダクション

というわけで、なんの前触れもなく『科学する麻雀』の著者である、とつげき東北君にお話をうかがうことになった。今日は普段は聞けないようなことも含めて、いろいろと質問していきたい。なお、会話中の具体的な本の名前などは「AMAZON」にリンクしとるよ。

本当に来ていただいてるのね…。はじめは冗談かと思ったけど。

ちょっとビックリしましたよ! いまだに信じられないですし。 いろいろと麻雀サイトはあるのに…。

間違ったこといったら、即座にツッコミ入れますヨ。 とはいえ、人間的にいう「ヤバイくらい嬉しい」状態です。

いろいろ不思議に思うかもしれんが、あまり深く考えないように…。非常に光栄なことじゃよ。本日は遠いところからお越しいただき、ありがとう。あらためて、よろしくお願いします。ご出身は神戸みたいなんじゃが、大阪はあまり馴染みがないんじゃろうか?

博士のくせに情報収集がぬるいわっ! といったいつもの毒舌は控えて、今回は紳士な感じでいきたいと思います。どうもよろしくお願いします。出身は神戸ではなく、兵庫県と大阪府のほぼ県境、伊丹市の近辺なんですよ

いきなりですまんが、何を思ったか著者紹介にある「兵庫」を「神戸」と勘違いしてしまったわ…。ちょっと緊張してるかもしれん。 伊丹のご出身だったんじゃな。最近はダイヤモンドシティみたいなものもできて、にぎやかになってきておる場所じゃ。

いきなりテンパってるんじゃ、先が思いやられるな。

気をとりなおして、さっそくお話をうかがいたいんじゃがネット麻雀のデータをベースにした『科学する麻雀』という本が生まれるまでの過程を考えると3つぐらい条件があると思うんじゃよ。とつげき東北君が

「統計学といった理数系の知識があった」
「麻雀を知っていた、好きであった」
「ネット麻雀の環境」

ざっと考えても、このどれか1つが欠けても「科学する麻雀」はなかったかもしれん。まずお聞きしたいのは「理数系のバックボーン」に関してなんじゃよ。世の中の比率は知らんが、理数系の人材が圧倒的に少ない気がするんじゃ。わしの周りなんか特にそうなんじゃし、麻雀の世界もそうかもしれん。

子どもの頃から数学とかは得意だったのかな? それとも何か切っ掛けになるようなことがあって統計学をはじめとする数理の世界にのめりこんだんじゃろうか? まずは、そのへんのルーツみたいなことをうかがいたいんじゃ。

いちおう、物心がついたときから算数は得意でしたよ。とは言っても、小さい頃に『神童』と呼ばれた多くの他の凡人と同じで、大学受験くらいになると『普通よりはできる』程度に成り下がっていましたが。しかも、統計学なんてサッパリわからない。大学に入ってしばらくも似たようなものです。

実は統計学は比較的専門性が低く、統計学を教えている大学の先生なども、研究上の必要にせまられて初めて覚えたという方が少なくないんです。

自分が統計学を学んだのは麻雀研究をするのに必要だったから。ですから、今でも難しい計算式や、計算機統計学会で発表されているような議論はほとんどわかりません。ただ、コンピュータプログラムだけは人よりできました。小学校の頃からゲームを作ったり、市販ゲームの改造をしていました。で、コンピュータシミュレーションを使えば、数式の解析的な変形ができなくても、問題が解けてしまう。コンピュータでしか解けない数学の問題はいくらでもありますしね。それで、自分の身の丈と趣味とがぴたりと合致した場所に、ちょうど麻雀研究があったわけです。

まさにそのとき、ネット麻雀が盛んになった頃で、『3つの条件』という指摘はその通りですね。とはいえ、その条件はそれほど強いものではないです。現状の麻雀研究に必要とされる統計学・プログラムなどの知識は、誰でもその気になって勉強すればできる程度のものだと思いますし、ネット麻雀がなくても、コンピュータ上にデータ化してあれば、かなりの程度の研究が可能だったでしょう。

4つ目の条件を挙げて良いなら、麻雀の『真理』への探究心こそが必須だったのではないでしょうかね。

「真理への探究心」とは、なかなか重い言葉じゃな。

気になるのは、とつげき東北君は普段の生活においても、いわゆるオカルト的なものに関しては、いっさい興味がないんじゃろうか? ジンクスを守ったり「縁起が悪い」という発想はなくなってしまうのかな? 

極端な話、誰もいない8つぐらい便器がある大きなトイレで小便をしていて、後から来たおっさんがなぜか真横の便器を使う。普通はツッコミたくなる状況じゃが、数学の知識があったりすると「おっさんは残り7つのうち1つを選んだにすぎない」と冷静な判断をしてしまうもんなんじゃろうか?

うわ~ トイレのおっさんって…。バカな質問ですね。

興味がないというより、もっと根本的なところで興味があります。両親が宗教をやっていて、オカルトグッズを買いあさっていますからね! 自分がオカルトに反対するのは、両親の姿を見てきたからです。反面教師のおかげで、『真理』への強い欲求が生まれました。両親は、偶然の成功や失敗をすぐに宗教に結びつける。まるで麻雀での成功や失敗が『流れ』などのばかげた概念を生むようにです。

ところで、トイレのおっさんは既にオカルト入ってますよ! 

もともとの『7分の1で隣に来る』という先験的な事前確率がおかしいんです! 麻雀をしていて、不運に唇を噛む思いもします。『この程度の偏りがあることはわかっている』のにもかかわらず、『なんでこんなにツイてないんだっ!』と八つ当たりすることはありますよ。ただし、それによって打牌が乱れないようにだけは注意しますけれどね。当然、目の前を黒猫が横切っても、恋人の血液型が何であっても、自分のアパートで過去に何人の人が自殺していようと、まったく気にしません。

ごめんなさい。トイレのおっさんの話がすでにオカルト入っているのはどういうことかしら? 残りの便器が7つだったら、7分の1じゃないのかしら…。

とつげき東北氏が先にどこの便器を使っているのか? という問題もありますヨ。端っこの便器を先に使用してる場合は、それこそトイレのおっさんペンチャン待ちですし、真ん中を使ってる場合はトイレのおっさん両面待ちなのです。残りの便器は7つですが、単純に横におっさんが来る確率は7分の1というわけではないですヨ。トイレのおっさんのカンチャン待ちはですね……

いや、お前はちょっとだまってるんじゃ。ここはとつげき東北君の意見を聞こうじゃないか。しょうもない質問で申し訳ないが、どうオカルトなのか、ちょっとフォローをお願いしよう。

だって質問自体がおかしいでしょう。『普通はツッコミたくなる状況』であるとわかっている以上、『普通ではない』状況のはずなんですよ。それは単なる『7分の1』の偶然を明らかに超えている。博士が『無意識に』それに気づいているからこそ、そういう質問が出るわけでしょう。男が小用を足すとき、他が空いているのにわざわざ隣に行くことはない、これはもうほとんど確実にそうです。あえて隣に来られたら、何か因縁でもつけられるのかとドキドキしてもいいくらいです。

つまり設定された状況の本来的な発生確率が、きわめて低いのですよ。ペンチャンやリャンメンの比喩は面白いですが、それとは無関係に、そもそも7分の1というのが似非デジタル的な思考なのです。まるで、『リャンメンはカンチャンの2倍アガリやすい』といったのと同じようなね。

うむ、しばらしい回答じゃな。論理的で立て板に水をなんちゃら…。わしがあえて道化のふりをした質問にすばらしい答えを返してくれた。

おっさん、せっかく来てもらってるならもうちょっとましな質問しろよ。

まだまだ序の口じゃ。ここから「徹子の部屋」も真っ青なエグい質問が出る。 インタビューはまだまだ続くぞ!


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