娯楽作品の問題点

わしばっかり質問してもしかたないので、みんなからの質問を聞いてみよう。 誰かおらんかな?

じゃあ、僕から質問させてください。阿佐田哲也さんの麻雀小説とは読んだりしないんですか? とつげき東北さんの考えとは正反対の「流れ」や「ツキ」といった概念が多いですが、物語としてはすごい面白いと思うんですよね。

アカギ―闇に降り立った天才 』とかの漫画でもいいんですが、ああいうのを読む時は、純粋に娯楽として楽しんでいるんでしょうか? それとも別の視点で読みがちですか? 好きな麻雀漫画とかないんですかね?

難しい質問だと感じます。たとえば映画を観ると、悪のハッカーがコンピュータに侵入しようとしてくる場面が出てくることがあるじゃないですか。単純に侵入を防ぎたければ、回線を引っこ抜けば物理的に守れるわけですが、どうしても映画上ではコンピュータ上で『追いかけっこ』を演じざるをえない。

刑事ものだって、警察庁や警視庁の組織体系等について知識のある人から見れば『ギャハハ』という場面が頻出する。数学を主題に扱った作品の大半も、数学への冒涜かと思うほど、数学的に間違いだらけです。

時にはそれでゲンナリすることもありますけれど、もともと映画監督だの小説家だのといった素人が作るフィクションとは、そういうものなのです。でも、誰も『魔法使い』の存在など信じていませんが、映画に魔法使いが登場したからと即座に『バカバカしい』と思いはしません。最初から『そういう世界観なのだ』という風に観れば、楽しめるんです。

途中から行き詰ってしまって、あとづけでフィクション性を導入してしまうような失敗作はガックリきますが。これが自分のフィクションの楽しみ方ですね。西原理恵子先生や片山まさゆき先生のギャグ系統は好きです。

一方で、シリアスな麻雀マンガはあまり好きではないですが、それはフィクション性の問題というより、完成度の問題に思えます。凡庸なドラマツルギーが多すぎる。ちなみに不勉強で申し訳ないですが、阿佐田哲也先生の小説は未読です。

とつげき東北さんは普段は小説とか読んだりはしないのかしら? 

あんまり村上春樹とか読んでいる姿は想像できないんだけも…。麻雀本でもいいんだけど、最近読んだ本や映画とかで、おすすめできるような面白いものはあるのかしら?

基本的に自由に使える時間が少ないというか、やりたいことが山ほどあるので、小説や映画のように、『時間をかけてみなければ面白いかどうかわからない』ものはなかなか手が出しにくいですね。どうせ面白さを求めるなら、気軽に漫才を見たり、さらっとマンガを読んだり、おいしい食事を楽しむ方が理にかなっています。

そんな中で、最近読んだ本で良かったのは……福岡伸一著『生物と無生物のあいだ 』(講談社現代新書)です。生物学関係のカタイ本のように思われるかもしれませんが、知識のインプットとしてだけでなく、純粋に『物語』としても面白かった。表現豊かで小説のようでもありました。映画ならディズニーの『レミーのおいしいレストラン 』。これは泣きましたよ。最高でした。

「レミーのおいしいレストラン」は意外な感じがするわね。今度、見てみようかしら。『生物と無生物のあいだ』ね。覚えておくわ。ありがとう。

せっかくの機会だから俺からも質問させてもらうぜ。

あんた、麻雀でもなんでもいいんだが、ギャンブルそのものには興味はないのか? 例えば、休みの日にパチンコ行ったり、宝くじを買ったり。確率うんぬんの専門家のあんたなら、馬鹿げているのはよくわかると思うが、大金が動く刹那的な勝負に憧れたりするようなことはないのか? 

人間なら多かれ少なかれ、そういう欲望は持ち合わせていると思うんだがな。

口が悪くてすまんのぅ

ただ『超・入門 科学する麻雀 (洋泉社MOOK) 』なんかを読んで見ると、マウスを投げつけた話とかあるし、性格としてはけっこう熱くなりやすいほうじゃと思うのじゃが、どうじゃろうか?

小学校の頃、ビックリマンシールを賭けてクラス中でずっとゲームが流行していたのを思い出しました。100枚くらいあったのが、10枚くらいにまで取られてしまい、その後120枚まで挽回しました。一時期は300枚くらい集めたでしょうか。『スーパーゼウス』を取られた時は悲鳴をあげましたよ。

あれはやはり『痺れる』経験ですよね。だから根本的にギャンブルが嫌いということはないと思います。

ただ、パチンコ・競馬等はやりません。昔かわいい女性に『遊びにいこう』と誘われて、うきうき気分ででかけていったらパチンコ屋だった、という悲しい体験があるからというだけではないです。一般的なギャンブルはそもそも不利な勝負なうえ、時間もかかるし、仮に『大穴』で500万円当てたとしても、それほど人生は変わらないでしょう。子供にとってのビックリマンは『無限の価値』ですが、500万はそれに比べたらクソみたいなものなのです。

ただ、意外かもしれませんが、宝くじはよく買います。貴重な『時間』を失わないし、もしも3億当たったら、公務員なんて瞬間やめて自分の好きな研究とか著作活動に専念できますからね。まさにビックリマン的なスーパーさがあります。対価も無視できるほど安い。ありがちな話で恐縮ですが、100%の確率で10億円もらうのか、10%の確率で120億円もらうのかどちらがいいか、と言われたら、普通の庶民は前者でしょう。

金額の期待値は後者の方が高いですけど、自分もやはり10億円を取ります。経済学の効用関数と呼ばれる概念で説明可能かと思いますが、金額と幸福に『比例関係』を見いだすのは不合理です。だって『生命保険』なんて、期待値的にこちら側が損するからこそ、保険会社が儲かるわけじゃないですか。でも生命保険に入ることが愚かというわけではない。おかしな変数を取ると、期待値計算と実際の損得勘定との関係に、不整合が生じるんです。

ところで、ギャンブルの楽しさは、表現上の劣化を無視すれば『熱くなれる』ことにその本質があるのだと思いますが、一般的なギャンブルによる『熱さ』は自分にとってまだまだぬるいです。今の自分にとっての『熱さ』は、パチンコや競馬や、小遣いを賭ける程度の『麻雀』にはなくて、麻雀を研究していて新しい発見をしたときや、新しい研究手法を思いついたときのあの興奮こそを意味しています。まさに『痺れる』体験ですからね。

随分と論理的な回答だな…。 いちおう答えてもらったんで「ありがとう」と言っておくよ。 ギャンブルの熱さがぬるいってのは同意するぜ。

さて、質問はまだまだ続くわけじゃ。お楽しみにじゃな。

モリアガッテマイリマシタヨ!


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