仙台駄菓子の歴史

仙台駄菓子とは

仙台駄菓子とは、宮城県仙台市で作られる伝統的な和菓子の一種です。仙台の数ある名産品のひとつでもあります。水飴や黒砂糖、穀物を使い、昔ながらの手作りで作られています。

仙台駄菓子の起源

駄菓子は江戸時代に作られ始めたとされています。
当時庶民は幕府の抑圧のため、菓子に白砂糖を使用することを一切禁止され、黒砂糖を使用した雑菓子(当時の駄菓子)しか口にすることを許されませんでした。

また、当時の菓子屋の序列は、上菓子(白砂糖を使用した貴族の菓子)司、干菓子(「ひがし」水分の少ない和菓子)屋、飴屋、そして駄菓子屋という並びでした。駄菓子屋の地位はあまり高くなかったのです。
しかしそれは逆に、駄菓子が庶民に親しまれる理由となりました。

その駄菓子がなぜ仙台で発達したのか。
その背景として、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した「伊達政宗」が関係しています。 茶の湯が流行した江戸時代、伊達政宗も茶の湯を好み、仙台に広めたとされています。
また、当時から米の産地であった仙台では、余った米を利用してたくさんの駄菓子が作られたようです。それが理由で、仙台の駄菓子は豊富な種類があるのです。

そして茶の湯の発展とともに和菓子の技術や文化が庶民の間にも浸透し、仙台駄菓子ができあがりました。


しかし当時、仙台駄菓子は子供向けの駄菓子と考えれられていて、「仙台駄菓子」という名称で呼ばれてはおらず、また名物としても扱われてはいませんでした。
「仙台駄菓子」と呼ばれるようになったのは昭和30年代以降のことだそうです。
駄菓子が衰退していったこの年代に、種類の豊富な仙台の駄菓子が評価され、「仙台駄菓子」と呼ばれるようになったといわれています。


現在の仙台駄菓子

現在は、ささら飴、うさぎ玉、ネジリ、オコシなどの商品を中心に、職人の手作りの商品が店頭に並んでいます。 また、手作りのため、各店の職人によって味も異っています。

仙台駄菓子の店舗は、仙台駅周辺の小田原や河原町、上杉の路地裏に多くあり、店舗によっては駅構内のお土産売り場で販売しているところもあります。

お土産として、お茶請けとして、仙台駄菓子は現在も親しまれるお菓子として親しまれています。