新・福岡古楽音楽祭 室内楽コンサート

テレマン in パリ
〜大人気作家が旅先で見たもの〜

2016年10月8日(土)16:00開演
 あいれふホール(福岡市中央区舞鶴2-5-1福岡市健康づくりセンター10F)

出演 前田りり子(フルート)、寺神戸亮・小池ユキ(ヴァイオリン)
 上村かおり(ヴィオラ・ダ・ガンバ)曽根麻矢子(チェンバロ)

 

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あいれふホールでの公演の様子

東京公演(上野学園・古楽 21世紀シリーズ II)
新福岡古楽音楽祭に先だって、東京でもより拡大したメンバーで公演します。

テレマン in パリ
〜大人気作家が旅先で見たもの〜

2016年10月2日(日) 14:00開演
上野学園石橋メモリアルホール(東京都)

出演: 前田りり子(フルート)
寺神戸亮、小池ユキ、出口美折(ヴァイオリン)
 上村かおり(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
佐藤駿太(ヴィオラ)、櫻井茂(コントラバス)
曽根麻矢子(チェンバロ)

 

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テレマンの見たパリ

上村かおり  

 もう随分前のことになりますが、パリに住んでいるチェンバリストのクリストフ・ルセの家で、テレマンのパリ四重奏曲をリハーサルしたことがあります。その時「テレマンはパリに滞在中この辺に泊まっていたんだよね、もしかしたらこのアパートだったかも!?」と話してくれてちょっと興奮しました。パリ四重奏の楽譜の最初に、テレマン自身はテンプル広場(Place du temple)の役所の向かい側にあるチェンバロ製作家の家に滞在、と書いてあります。

クリストフのアパートは、ちょうどその位置にありました。ギシギシいう木造の階段を上がりながら、テレマンもここを歩いたのかも!と思いました。フランス音楽を愛し、パリに来る何年も前からフランス様式を勉強していたテレマンが、現在の私たちもそうすることがあるのと同じように、見知らぬ土地でチェンバロの工房を尋ね、そこに泊めてもらい、わくわくしながら携えてきたパリ四重奏をブラヴェやフォルクレの息子と一緒に弾いた、という事実がとても身近に思えます。

そこからそう遠くはないパリ市役所の近くに、パリ4区のサン=ジェルヴェ教会があり、フランソワ・クープランはそこのオルガニストでした。現在でもその裏の方にリセ・クープランという高校があり、わたしはそこで生徒達に公開リハーサルをしたことがあります。

 さて今回、このコンサートのプログラムのアイディアを練っていたころ、わたしたちのテレマンのパリ四重奏のCDが発売されることが決まりました。さらに、タイミングのよいことに、長年その存在を知られながらも失われたと思われていた『ガンバのための12曲のファンタジー』が発見され、今年新しく楽譜が出版されたのです!

 まさに私たちにとっては、テレマン・イヤーとなったわけです。この『ガンバのためのファンタジー』が書かれたのが、テレマンがジャン・バティスト・フォルクレに会う10年前。もしパリでそれをこのガンバの名手に献呈したとしたら、その影響を受けてフォルクレが自分の曲集を、父であるアントワーヌ・フォルクレの名の下に出版した可能性もあり、ガンバ奏者にとって宝のようなフォルクレの5つの組曲が、父と息子のどちらの作曲によるものなのかも含めて、わたしたちガンバ奏者の間では特にわくわくするホットな話題となっています。

 さて、あこがれのパリに滞在したテレマンが共演したのは、その息子の方のフォルクレ、それからトラヴェルソ奏者のミッシェル・ブラヴェ、ヴァイオリン奏者のジャン−ピエール・ギニョン、チェロ奏者のプリンス・エドワルド。コンセール・スピリチェルというコンサートのシリーズに出演していたメンバーです。

 ブラヴェは詩人のヴォルテールにも絶賛されていましたし、トラヴェルソは音程が不安定という常識を覆し、完璧な音程で演奏したと言われています。(その生まれ変わりなのか、私たちの共演者前田りり子さんも、ヴィルトゥオーゾ、かつリリック(詩的)な奏者です)左利きだったチャーリー・チャップリンが右にヴァイオリンを持ち,左手で弓を持って弾いた話は有名ですが、ブラヴェも左利きで,左側にフルートを持って吹いたことも知られています。ドイツのクヴァンツとも親交がありましたし、ヨーロッパ中のフルート奏者の模範となったと言われていますから、テレマンもブラヴェとの出会いを心待ちにしていたに違いありません。

 一方ヴァイオリンを担当したギニヨンも相当なヴィルティオーゾでしたが、今回のプログラムではこのギニョンではなく、同じくコンセール・スピリチュエルの仲間であり、ヴァイオリン学派の創始者と言われる先輩、ジャン−マリー・ルクレールの曲を選びました。圧倒的な技巧で「悪魔のように弾く」と称された同世代のイタリアのヴァイオリンの名手ロカテッリに対し、ルクレールはそのリズムの自由さや、音色の美しさが聴衆の心を打つところから、「天使のように弾く」と賞賛されていました。これはガンバの名手マラン・マレが「天使のように弾く」、そしてアントワーヌ・フォルクレが「悪魔のように弾く」と称されたのと同じですね。

 ルクレールの音楽は、ヴァイオリンの魅力を存分に発揮し、常に技巧的ですが、それだけではなく美しいメロディーと豊かで斬新なハーモニーに彩られ、バスの旋律も緻密に書き込まれていて芸術性の高いものです。イタリアのヴィヴァルディが協奏曲の様式を確立し、コレッリがソナタの様式を確立して以来ヨーロッパ中の作曲家が彼らの様式を模倣し、さらによい作品を作ろうと試みましたが、ルクレールはその中で彼らのイタリア様式にフランス的エスプリを加え独自のスタイルを生み出した数少ない例と言えるでしょう。その名声は彼の演奏や作品だけにとどまらず、持っていたヴァイオリンまでもルクレールのストラディヴァリウス!として賞賛されたものですが、その人生の最後は悲しいかな、2度目の離婚の後、何者かによって暗殺されてしまったのです!

 さてテレマンは、パリの奏者達に尊敬の念を現わすためでしょうか、それぞれの楽器のためには、存分にその技術の見せ場を作っていますが、自分が担当したチェンバロパートだけは、実に地味に伴奏する役割に徹しています。テレマンは、音楽家になることを家族に反対され続けたにもかかわらず、音楽家であることを止められなかった、音楽の申し子です。あこがれのパリで、フランスのヴィルティオーゾな奏者達の伴奏で満足していた、なんとなく人のいい顔が浮かびますが、実際はどんな人柄だったのでしょうか。ちなみにブラヴェは礼儀正しく謙虚な好人物だったことが知られています。

 そしてテレマンがパリに着いた時にはすでに亡くなっていましたが、その滞在先の近所に住んでいたフランソワ・クープランの作品からは、『リュリ賛』を選びました。テレマンは先に書きましたように、パリに来る何年も前からフランス音楽、特にリュリの音楽をじっくり勉強し、フランス様式の歌曲もたくさん作曲していました。さらに、パリ四重奏曲を、F.クープランの’Go?t r?uni’(趣味の統合)に影響を受けて作曲したとも言われています。

 クープラン自身もリュリとコレッリを大変尊敬し,フランス様式とイタリア様式の融合を試みました。控えめで謙虚だった人柄のせいか、作曲家の頂点とされたオペラの作曲家にはなれませんでしたが、バッハと並ぶ大作曲家でといって過言ではないでしょう。

 パリの空に毎日響いていた教会の鐘の音、そしてテレマンが影響を受けた、また出会ったフランスの音楽家達。今でも魅力的な街パリは、テレマンの時と同じ風景をここそこに残し、当時の景色を垣間見ることができます。

 では、テレマンの視線を通して、フランス音楽を存分にお楽しみください。

(プログラムより)

主催:ムジカ・リリカ(044-411-3890) 
上野学園石橋メモ
リアルホール

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