2004

第6回

有元利夫「音楽の部屋(1978)」(c)Yoko Arimoto

インターネットアルバム
写真撮影:蘇馬外二良・梅野 健

日時

午 前

午 後

午 後

10月8日(金)

オープニング
ヘンデル/ガラコンサート

交歓パーティ

10月9日(土)

古楽セミナー
第1部

古楽セミナー
第2部

講演会

ダウランド
リュートソング

10月10日(日)

古楽セミナー
第3部

古楽コンサート
第1部

ヘンデル室内楽
コンサート

10月11日(月祭)

古楽コンサート
第2部

ピノック
リサイタル

〜第6回福岡古楽音楽祭プレイベント〜

有田正広/フルート・ミニコンサート 
フルート:有田正広・井上良子
2004年3月30日 福岡市市役所1階ロビー

メメルスドルフ&シュタイアー
「メランコリア」英国ルネサンス音楽の愉しみ
ペドロ・メメルスドルフ(リコーダー)アンドレアス・シュタイアー(チェンバロ)
2004年6月4日 あいれふホール

「九州の女」祭り
2004年
8月20日〜22日 福岡市天神にて

福岡在住演奏家によるプレコンサート
2004年9月26日 福岡アジア美術館7階 彫刻ラウンジ

アクロス福岡/フロアコンサート
出演:山岡重治(リコーダー)向江昭雅(リコーダー)山崎万理子(リコーダー)野田よう子(リコーダー)
2004年10月7日アクロス福岡1階 コミュニケーションエリアにて  

音楽祭のおもてなし

18世紀音楽祭協会会長  中里 隆 

 音楽会といえばチケットを買ってコンサートホールに聴きに行くものという習慣が定着したのはいつの頃からでしょうか。特にクラシックのコンサートでは、演奏家はもっぱらステージ上で自分の演奏を立派に披露することだけに専念し、主催者は聴衆にそれを「正しい」マナーで聴くことを要求します。しかしこの音楽祭で演奏される曲の多くは、貴族や金持ちが自分のサロンに客を呼んで演奏されたものです。その際には、酒やご馳走と同様に、音楽はもてなしの手段の一つでした。同時に長い間、音楽はダンスとともに社交の手段として大きな役目を果たしてきました。教会音楽もまた庶民の間で同様の役目をもっていました。
 最近クラシックのコンサートが一般的に退潮気味になってきているのは、演奏する人と聴く人の関係が固定してあまりに大きな溝ができてしまい、聴く側がそれに飽き足らなくなってしまったためではないでしょうか。
 この音楽祭の大きな特徴は、プロの演奏家と聴き手の他に、もうひとつ自分自身で古楽をたしなむ愛好家の層が存在していることです。そういった方々がだんだん全国からこの音楽祭に集まっていただけるようになってきたことは、大変ありがたいことで、その3者が協力して音楽祭を支えていく構図は、当初から我々が意図してきたものです。そういった人たちに演奏者と聴衆の間の溝を埋めていただくことを期待しています。
 古い記録をたどると、拙宅に堀さんのチェンバロが入り、東京から演奏家を招いていわゆる隆太窯コンサートを始めたのが、1978年のはじめ。その年の10月には有田正広さん夫妻らにおいでいただいて、コンサートをしています。早いものでそれからもう26年がたちました。当時オランダ留学から帰ったばかりの新鋭演奏家だった有田さんの髪にも、このごろは白髪が目立ちます。福岡古楽音楽祭がこのように大きく発展したのは結構なことですが、聴衆が会場に足を運んで聴くだけのコンサートに終わらせないよう、初心に返って、「音楽祭でのおもてなし」について主催者も演奏者も、また参加される皆さん方ももう一度よく考えるべき時かもしれません。

ピノックさんによるヘンデルの総て

音楽監督・フルーティスト 有田正広  

 トレバー・ピノックさんと初めて知り合ったのは、1980年代に彼がイングリッシュ・コンサートを率いて来日したときで、その時いっしょに仕事をして音楽的にも共鳴し、以来長いおつきあいをしています。人柄はたいへん気さくで、親しみやすい方ですが、音楽に対しては真摯で深い情熱を持った人です。福岡古楽音楽祭に来ていただけないかとお願いしたところ、気軽に引き受けていただき、自らコンサートの入念な企画までやってもらいました。
 ヘンデルはJ.S.バッハと並んで昔からバロック音楽の2大巨匠と言われていますが、いまだにその全貌を捉えるのがたいへん困難な作曲家です。同じドイツ生まれでも、終生ドイツを離れることがなかったバッハに比べるとずっと国際的な作曲家で、若い頃イタリアで学んだ後、高い給料で迎えてくれたイギリスに帰化しました。ヘンデルが最も情熱をつぎ込んだジャンルは、何といっても40曲以上もあるといわれるオペラですが、残念ながら今日、ヘンデル・オペラの全貌を聴くことはできません。
 初日のガラコンサートではピノックさんの指揮により、野心的にオペラやオラトリオの創造に力を注いだヘンデルの壮麗な音楽の一端を味わっていただきたいと思います。また、ピノックさんと日本人演奏家との共演による室内楽コンサートや、彼のチェンバロリサイタルでは、簡素な中に深い味わいを秘めたヘンデル音楽の本質を味わえるでしょう。いずれにしろ、これまで日本でヘンデルがこんな風にまとめて取り上げられるのは珍しいことで、ピノックさんならではの音楽祭になりました。
 ご承知のように、ピノックさんは演奏会にレコーディングにと長年エネルギッシュな活動を続けてこられ、これまで音楽教育に割く時間があまりありませんでした。この音楽祭では特別にお願いして、チェンバロのマスタークラスを担当されます。これは滅多にないことで、チェンバリストにとっては、貴重なレッスンとなるでしょう。

福岡市文化芸術振興財団機関誌「わ wa」第22号「ボランティアがつくる音楽祭」

 (財)福岡市文化芸術振興財団が出している「わ」という機関誌に「ボランティアがつくる音楽祭」という特集が組まれ、武生音楽祭とともに、福岡古楽音楽祭の活動が詳しく紹介されました。

 この雑誌は福岡市内の各種施設や地下鉄などで沢山無料配布されていますが、左のロゴマークをクリックすると、全文をホームページ上で見ることができます。是非ご覧下さい。(クリックした後、さらに第22号をクリックしてください)

 またこの雑誌の第20号〜第22号には、バロックフルートの前田りり子さんが下記の文章を寄稿していますので、併せてご覧下さい。

第1回目 第20号(2004年 6+7月号)掲載  西洋の横笛 「フラウト・トラヴェルソ」

第2回目 第21号(2004年 8+9月号)掲載  「なぜ西洋の古典音楽を演奏するの?」

第3回目 第22号(2004年 10+11月号)掲載 「福岡古楽音楽祭 − 古楽の先進の地福岡」

日本経済新聞に下記の記事が出ました。著者の了解を得て、掲載いたします。

◆ 成長続ける福岡古楽音楽祭
        ピノック、特別音楽監督に

 今夏のゆふいん音楽祭ではバッハのチェンバロ協奏曲を総員5人で演奏した。30年近く前のバロック合奏団なら10数人、半世紀前ならピアニストが3―40人の弦をバックに弾くのが常識だった。この半世紀、古楽研究が進み、曲が生まれたころの姿に復元する努力が重ねられている。
 実は、九州は古楽演奏のメッカである。日本最初の本格的な古楽器の楽団、東京バッハ・モーツァルト・オーケストラは福岡市で1989年、3晩の演奏で産声をあげた。福岡古楽音楽祭は欧米の精鋭も加わる祭典だが、聴衆はもとよりセミナー受講生も日本全国から駆けつける。
 特に今年の音楽祭はテーマが「ヘンデルとイギリス音楽」。特別音楽監督にトレバー・ピノック、かの世界最高の権威を迎えた。だから旅行社が東京・大阪から入場券込みのツアーさえ用意するほどだ。
 何で九州? 「ひと」である。唐津に中里 隆という高名な陶芸家が居る。無類の音楽好きで、自宅にチェンバロまで備えている。ここで演奏した人は不思議な魅力にとらえられて仲間を誘う。有田正広もその一人である。人が人を呼んで、世界の一流までが次々に来演するようになった。
 聴衆の常連が、唐津だけでは惜しいと、福岡でもこの演奏会を企画する。東京バッハ・モーツァルト・オーケストラの旗揚げも東京より九州が先だ。こうして十八世紀音楽祭協会が生まれたのだ。音楽祭を始めよう。音楽監督は有田正広に限る。自然が美しく、木造のホール群に恵まれた熊本県小国町がいい。小国町も主催に加わった。
 国内外から参集者が増え年々規模が拡大すると、小国では無理である。町も発展に伴う移転を祝福してくれた。かくて通算10回目から福岡古楽音楽祭に生まれ変わったのだ。そして福岡での6回目、ピノックが東京バッハ・モーツァルト・オーケストラを指揮するまでに成長したのである。
 今年は10月8日から4日間、演奏会、交歓会、講演会などさまざまだ。入場券のご手配だけは、ぜひお早めに。(田中 孝)
     日本経済新聞  2004年8月26日夕刊(アプローチ九州文化)より転載