|
リコーダー奏者メメルスドルフについて
向江昭雅
1987年夏、私はリコーダーでイタリア留学をするためにミラノにやって来ました。まだ会ったこともない、写真も見たことがない、年も知らない、しかも演奏も聴いたことがない!ペドロ・メメルスドルフというリコーダー奏者に師事するために。ただイタリアで古楽を勉強したいということと、ある在ヨーロッパのリュート奏者から、イタリアにはペドロ・メメルスドルフという天才リコーダー奏者がいると聞いてイタリア留学を決めたのです。
1986年暮れ、私の演奏テープを彼に送ったところ、幸運にもすぐに生徒にしてくれるという返事を頂きました。当時(今でもそうかもしれませんが)イタリア留学するには、東京のイタリア文化会館で必要書類を作成し、イタリア大使館で仮ビザの交付を受け、イタリア入国の後、留学先の学校の入学許可証を警察に提出して、正式の滞在ビザと滞在許可証を受け取らなくてはなりませんでした。この話は長くなるのでここでは詳しくしませんが、年明けから留学のための準備を始めたのに、全ての書類が揃い手続きが終了してイタリア大使館から仮ビザの交付を受けたのが、出発予定の1週間前だったのです。いきなり留学前から、何事にも時間がかかるイタリアの洗礼を受けたわけです。
無事に仮ビザも受け取り、イタリアへ出国しミラノへと到着しました。ホテルにチェックインし、早速、ペドロ・メメルスドルフに電話。彼は大変な早口で、しかも電話なのでよく聞き取れなかったのですが、大変歓迎しているということと、明日、ボローニャでブロック"Block"というレッスンをやっているので、私にも来るようにと言っていることを何とか聞き取りました。
翌日、ミラノから列車に乗ってボローニャの街へ。街の中心の聖ペテロニオ聖堂の近くの小さな教会が"Block"レッスンの会場でした。扉を開けると、すでにペドロ・メメルスドルフから聞いていたのか、たくさんの生徒たちから歓迎を受けました。握手をしてくれる人、キスをしてくれる人、その中に、身体が大きくヒゲ面で年長、人一倍偉そうに見える男がいます。彼こそペドロ・メメルスドルフに違いないと思い挨拶すると、なんと彼も生徒の一人でした。初っぱなから勘違いでみんなに笑われていると、みんなの後ろから微笑みながら近づいてくる、目の青いブロンドの髪の毛の青年がいます。その彼がペドロ・メメルスドルフでした。身長も私とあまり変わらず、その人懐っこい笑顔に何だかほっとしたことが昨日のことのように思い出されます。しかしレッスンになるとその笑顔が一転して、真剣そのものの厳しい顔つきになり、生徒たちも次々と彼に質問を投げかけるのです。今まで経験したことのないとても充実した濃い時間でした。
その後、ミラノの学校 Sucola Civica di Milano di Musicaでの毎週1回のレッスン、ボローニャで毎月行われる3日間連続の"Block"レッスンと大変ハードなレッスンが始まりました。何がハードかというと、彼のレッスンでは、ただ曲をリコーダーで吹けるようにして行っただけでは何もアドヴァイスもしてくれません。自分なりに曲を十分読んで、自分の演奏をし、その上で、何か問題点、疑問点がある場合のみ、とても熱心にレッスンしてくれるのです。それが毎週ですからレストランなんぞで優雅に食事なんかしてる暇も本当はないのです(してましたが)。こちらの準備が不足していると、彼にはなぜか分かるらしく、その時の目がとても厳しくて怖いのです。今回の来日のチラシの彼の写真を見た瞬間、その時の目が蘇ってきて、なんとその夜は彼に準備不足でレッスンを受けている夢まで見てしまいました。レッスンの内容は、もちろん基本的なテクニックについてのレッスンもありますが、音楽を表現することに関して多くの時間がとられます。ここできちんと、その曲をよく読み、自分なりの表現ができないことにはレッスンにはならないのです。彼とその曲でぶつかり合うことで多くのことを学び取れるわけです。今思えば、まるで戦闘のようなレッスンでした。
ボローニャでのブロック"Block"レッスンは、一つのテーマが決められ(例えば「ランディーニとその周辺」)個人レッスンやアンサンブル・レッスン、彼のレクチャー等盛りだくさんの内容で、ヨーロッパ中から生徒が集まり、朝の9時から夜の8時過ぎまで途中食事休憩を挟み、延々と3日間行われ、最後には生徒の発表会が行われます。毎日、終わりの頃になると生徒の方は疲れも出て、頭もぼうっとなり、だんだんと目もうつろになってくるのですが、彼は逆で、頭はさらに冴え渡り、目も爛々と輝いてくるのです。その集中力は本当にただならないものでした。生徒のどんな質問にも、生徒の求めているもの以上に回答し、音楽だけでなく、美術や文学、色々な分野への造詣も深く、その知識の深さと情報量にはただ驚くばかりでした。
留学して半年後、始めて彼の演奏を聴くチャンスがやってきました。ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会での、J.サヴァル指揮エスペリオンXXによる、C.モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》にリコーダー奏者として彼が出演したのです。レッスン中に横で演奏してくれる彼の音は、色彩感に富み、きっちりとコントロールされたタンギングや息遣いで大変魅力的でしたが、実際の演奏では、さらに色彩が豊かで、音色が大変魅力的、しかも、主張がしっかりしていて、抜群の存在感があるのです。
私が日本へ帰国する直前に聴いた、ボローニャの国立絵画館で行われた演奏会は、今回の来日と同じチェンバロ奏者アンドレアス・シュタイアーとのデュオでした。プログラムは、16世紀イタリアの音楽でしたが、フォンターナやメルラ、カッツァーティ、ヴィルジリアーノ等を彼の即興も交え、まるで何かに取り憑かれたように物凄い集中力で吹き続けるのです。美しい歌はとても美しく、怒りの部分では激しく激昂し、愛の歌は悩ましく官能的。そして神秘的な響き。3年間も彼のレッスンを受け続けていたにもかかわらず、彼の凄さにはあらためて驚かされました。
それから十数年たち、彼の演奏は数少ないCDでしか聴くことができませんでしたが、CDで聴く限りでも、彼の演奏は年を追うごとにさらに叙情的になり、その音楽には凄みさえも感じられます。何度も何度も来日の噂が立っては消え、彼の演奏を生で聴きたかった人には幻とまで言われたペドロ・メメルスドルフがついに日本にやって来ます。この演奏会、聴き逃したら一生後悔する演奏会になるかもしれません。
(この文章は、協会会誌「古楽第15号」に寄稿していただいたものを、転載しました)
ペドロ・メメルスドルフ氏の「名言集」
太田光子
ペドロ・メメルスドルフの演奏家として、先生としての魅力は前回の向江昭雅さんの紹介にて十分伝わったことと思いますので、私はペドロの人柄について少し触れてみたいと思います。
ペドロのところでリコーダーの勉強をしていたという話になると、日本でもヨーロッパでも決まってこう言われます。「ペドロって厳しいのでしょう?どうやって4年間も耐えたの」?と。厳しい先生として、音楽に対して真剣で情熱的なリコーダー奏者として知られるペドロ・メメルスドルフですが、ただ厳しくてコワイだけでは私だって何年もいられません。そこにはそれだけではない、時々見せてくれるお兄さん的面倒見の良さ、やさしさがあったのです!!そこで今回はペドロ・メメルスドルフの「いいところ」&「名言集」(?)をいくつかご紹介していきたいと思います。これを機に彼にさらに親しみを持っていただけたら、と思っております。
面倒見の良いペドロ
普段のレッスンではよく意地わる〜い感じで「質問は」?などと言うことのあるペドロですが、本番が迫っている曲のレッスンや本番前のリハーサルに付き合ってくれる時はペドロの方からビシバシと指摘してくれ、もう完璧を目指しているという感じの迫力です。
アンサンブルで「やった!ほとんどぴったり合った」と思っていると「今ほとんど合っていたけど完璧じゃなかったよ」と言われ、ちょっとミスしただけでも「君はプロなんだから間違えるな」!!と怒られ、音程が合わなかったりしようものなら「そんな音程じゃ客席からトマトが飛んでくぞ」!!!!と舞台の下から怒鳴られ…。演奏はもちろん、プログラムの組み方、舞台での振舞い方、曲と曲の間はどうするか等、本番でどの面からでもできるだけ良く見えるように細かく細かく注意してくれました。これだけ丁寧に教えてくれた分、本番では戸惑うことなく安心して演奏することができるのです。そしてうまくいった演奏会の後では思い切り誉めてくれました。自分の生徒が外に出て演奏する時はできるだけうまくいくように、と心から願ってくれているようでした。あるオーディションを受けた時も、後でペドロから推薦の電話がかかってきたと主催者側から聞いた事もありました。また私のディプロマ試験の前夜、ロンドンにいたペドロが電話をくれました。「今日家にいなかったみたいだけどリハーサルしていたの?疲れてない?明日絶対うまくいくからね、朝早い飛行機でミラノに行くからね…」等々とてもあたたかく励ましてくれ、当日は飛行機が遅れても試験には遅れないようにと本当に朝早い便で時間の余裕をたくさんとって飛んできてくれました。
自分の生徒に対する面倒見の良さは音楽面だけではありません。私の留学1年目、冬の終わりのこと、まだ言葉が不安で友達もほとんどできない、レッスンでは必死になって教わってはいるけれどペドロのことがなんだか怖くて近寄れないと思っていた頃、一人ぼっちでいた私に近寄ってこう言ってくれたことがありました。「なんだか君はあまり人の輪に入っていかないけれど、どんどん積極的に入っていかないとだめだよ。そういう時にちょっとでも言葉が通じないことがあるとやはりコミュニケーションがそこで止まってしまう、表面的には仲良くしているように見えてもそこでどうしても壁ができてしまって、ある一定以上は近寄れなくなる。だから、とにかく言葉をがんばって人の輪の中に積極的に入っていって知り合いになってどんどん仕事なり何なりやっていってごらん」と。私に見えていたペドロといえば、いつも楽譜見て休み時間にご飯も食べないで勉強ばかりしていて周りのことには何にも興味がなさそう…というかんじだったので、レッスン以外の生徒の様子もきちんと見て気がついていたことを知り、「わ、いいお兄さんみたいな面もあるんだ」と、とてもうれしくなりました。
またある時ペドロがペトラルカのカンツォニエーレの本を持ってきて私を呼び、この本を知っているか訊いたことがありました。私は知らなかったのでそう答えると、毎日ひとつずつ読むように言い、「普通ヨーロッパの子は子供の頃にこういうの勉強するんだけど、君は日本で育ったから違う勉強をしてきたよね。ヨーロッパの音楽を勉強するには文化を知らなくちゃ」と、ペトラルカの説明、カンツォニエーレの説明等いろいろしてくれました。そして当時の文学や歴史等、音楽の時代背景を調べるとき、ひとつの興味深い事を見つけるとそこからどんどん想像が広がっていってとても楽しいよと言っていました。
ときどき厳しく怒られましたが必要なこと(リコーダーのことでも物の考え方でも)、していくべきこと気をつけなければならないことはいろいろと容赦なく言ってくれ、面倒をみると決めたら徹底的に面倒を見てくれる彼の先生ぶりはとても真摯であたたかいものでした。
全力投球のペドロ
ディプロマ試験の準備をしていた時期、演奏会などが忙しくて思うようにアンサンブルの練習がはかどらず、日程も難しくレッスンをキャンセルしようとしたことがありました。そして「何が何でもリハーサルしてこの日のレッスンに持って来い」と言い張るペドロと「他の子の都合もあるし無理だ」と言う私の意見が合わず、私にはペドロが無茶を言っているように見えて、その日一日中彼の顔見ても私は「フンっ」としていました。次の日の夕方、私が友達といるところにペドロが来ました。そして「ディプロマ試験ほど大事なものが一生のうち何度もあると思う?そういう大切なものに取り組む時、良さを最大限に出すためにできることを全て全力でやる必要があるよ。あの時僕だって君に無理を言っていたことくらい分かっていたよ、でもそのくらいの気持ちで取り組まなくてはならない時もあるっていうことを分かってほしかったんだ」。
本当にペドロは彼の仕事に熱心に取り組み、いつでも勉強しています。例えば、一緒にタクシーに乗った時、ペドロは運転手さんにラジオを消すよう頼み、楽譜を取り出して勉強し始めました。タクシーを降りた時、タクシーの中で楽譜読んだりして気持ち悪くならないのか訊いてみたところ、「気持ち悪くなることもあるが、それは慣れでなんとかなるもの、この時間に勉強したいと思ったらそのくらい鍛えないと」と言っていました。勉強する時間を増やすために車酔いしないように鍛えるなんて!!また、寝ないで学校にやってきてお昼ごはんも食べないでレッスンや勉強をし続けるなんてこともよくありました。
ペドロには他にもたくさん、いろいろなことを教えてもらいましたが、一番心に残って私に強い影響を与えた事柄をお話します。ある日、レッスンに持っていった曲がうまくいかなくて、みんなの前でひどく怒られてしまい、その曲について分かっていることや自分が勉強したこと、レッスンでやったことをレポートに書いて出すように言われたことがありました。そして曲のアナリーゼ等、うまく説明しきれないところは絵や図も使って自分の分かっている事全てを一週間かけて書き、ペドロに出しました。彼がコーヒーを飲みながらそれをじーっと読んでいる間、私はハラハラして隣に座っていました。そして読み終わってニコニコしてこう言いました。「こんなにたくさんの事を君はちゃんと見て分かっていたのにそれを演奏で表に出せなかったね。それは自分の中でsintassi(自分で構成すること)ができていないからだよ。自分の中にある材料をうまく組み立てられるようになるといい。こういう材料は従うべきものではなく自分でそれを組み立てるためにあると思うよ。真実に従おうという考え方をする人もいるけれど、従うべき真実なんてないんだよ。だってこんなに昔の600年も前にどう演奏していたかなんて当時の演奏が聴けないから本当のところは誰にも分からないんだから。だからきちんと勉強するだけ勉強したら後はそれらを使って自分の好きなようにやればいい、時には作曲家を超えちゃってもいいんだよ。演奏するのは君自身なのだから」。そしていろいろ話し合い、その後この事についてよく考え、なんだかとても楽になり、それから2回後のレッスンではペドロがニコニコと「進歩したね」と言ってくれました。
彼の演奏は情熱もテクニックもそうですが、深い研究とこのsintassiの賜物と思わずにいられません。今回の彼のプログラムの中でプレイフォードのダンシングマスターからいくつか選ばれていますが、この曲集では数小節のメロディーのみがたくさん収められています。そのほんのちょっとのメロディーを見てそれをここまで組み立てるに至った研究と想像力とsintassiは本当にすごいな〜と思ってしまいます。
この魅力的な物凄い人物、ペドロ・メメルスドルフがとうとう日本にやってきます。私は今から本当に楽しみにしています。あの名盤「無秩序の喜び」を生で聴けるチャンスはあまりありません。皆様どうぞお聴き逃しなく!!
(この文章は、アルケミスタのホームページより、許可を得て転載しました)
|