第6回福岡古楽音楽祭プレコンサート

 メメルスドルフとシュタイアーの演奏会は、2004年6月4日に、あいれふホールにほぼ満員の聴衆を集めて開かれました。
 約75分間、休憩を入れずに切れ目なく演奏されましたが、その間さまざまな技巧を駆使し、緊張感とイマジネーションに満ちた展開に、しばし時間が過ぎ去るのを忘れた素晴らしいコンサートでした。

東京でのコンサートが、9月15日(水)10:00〜10:55 NHK衛星第2「クラシック倶楽部」で放映されました。55分の枠ですので、一部カットされており、フルヴァージョンはいずれハイビジョンで放送される予定だそうです。

 

梅岡さんから早速下記のメールをいただきましたので、掲載いたします。

シュタイア+メメルスドルフ公演 凄かったです!
                     梅岡 俊彦

 昨夜初めて博多でシュタイア(Cem)+メメルスドルフ(R)の演奏を聴くことが出来ました。
 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私のイタリアン(スコブロネック作)はシュタイア氏から譲ってもらった楽器でして、シュタイアとメメルスドルフの唯一の共演CD「無秩序の喜び」で実際に録音で使われたものです。
 今回の来日公演はこの名演CDを忠実に再現するという画期的な企画でして、私も楽器の元の持主への恩返しのために東京からはるばる福岡までイタリアンを運んで来た次第です。(博多での夜の打ち上げが楽しいのももちろん大きな理由ですが)
 来日初日の2人の演奏は本当にエキサイティング!なものでした。プログラムの半分を即興で演奏してしまう超絶技巧のリコーダー(4本も楽器を持ち替えて演奏)と、繊細さとダイナミックさを巧みにコントロールしながらカラフルな音色を紡ぎ出すチェンバロの息を呑むやり取りには最後まで圧倒され続けました。
 先週、同じイタリアンをレオンハルトが弾いた時には、こんな高貴な音色が出るのかと驚きましたが、シュタイアのとてもカラフルでニュアンスに富んだ音色にも、わずか数日で同じ楽器とは思えない音の様変わりに大変驚きました。
 2人のコンサートは大阪(7日)東京(8日)と続きます。このエキサイティングな演奏、是非体験してみてください! 私へ素晴らしい楽器を譲ってくれたシュタイア氏へ感謝を込めて福岡の公演を報告いたしました。

メメルスドルフ&シュタイアー
「メランコリア」英国ルネサンス音楽の愉しみ
Delight in disorder

  

2004年6月4日(金)19時開演
福岡市 あいれふホール
一般 4000円 会員 3500円

【プログラム】

「エア AYRES」
作曲者不明: ジョン・プレイフォード《ダンシング・マスター》からの3曲
冷たい土の上で(1665)女王の喜び(1665)キャサリン・オウグル(1687)
ウィリアム・ローズ(1602-1645):何故そんなに青ざめて
ヘンリー・ローズ(1596-1662):生きよと告げて
作曲者不明: 《ダンシング・マスター》からの2曲;ジグのリズムによる旋律、ケンプのジグ(1651)
「バトル BATTLES」
ニコラ・マティス(17世紀):トランペットを真似たパッセージ、エアと小品 第4番(1685)
作曲者不明:ジョン・プレイフォードの《ニュー・テューン》から5曲のマーチと旋律;
イザークの気紛れ、ウォルハム寺院、マールボロ将軍、擲弾兵のマーチ、太陽の栄光
ニコラ・マティスによるシャコンヌ、プラント(嘆き)、エコー
「組曲 SUITES」
マシュー・ロック(1630頃-1677):ファンタジー&イ調の組曲:
パヴァン、アルマンド、クーラント、エア、サラバンド、ジグ、終曲
「バレット BALLETS」
作曲者不明〜ジョヴァンニ・コペラリオ(1575頃-1626)〜ウィリアム・ローズ:
1640-1665年のチャールズ1世と2世の治世下における宮廷マスク;魔女の踊り、半獣神のマスク、シンフォニー、
アドソンのマスク、酌人またはグレイ法学院、サラバンドとスコットランドの旋律
「グラウンド GROUNDS」
ウィリアム・バード:プレリュード イ短調 / ファンタジア イ短調
作曲者不明:ダブリンで演奏されたように、ニ調のグラウンドに基づくブラックジョーク(1660頃)
ヘンリー・パーセル(1659-1695):ニ調のグラウンド

シュタイアー氏が弾くチェンバロについて

 梅岡 俊彦(チェンバロ調律師)

 今回、メメルスドルフ氏とシュタイアー氏の来日公演で彼らが使うチェンバロはレオンハルトの録音などで有名なドイツの名工スコブロネック氏が1980年に 製作したイタリアンモデルです。
  実はこの楽器は4年前に今回演奏するシュタイアー氏から私が譲り受けたものでして、その時のエピソードなどを少し紹介させていただきます。
 ある日シュタイアー氏の友人でもあるマネージャー武田浩之氏から「こんなFAX来たけど興味ある?」といってシュタイア氏からのFAXが送られてきました。そこには長年愛用していたスコブロネックのイタリアンを手放したいという内容が書かれていたのです。注文しても十数年!も待たせるという伝説の名工の楽器、それもシュタイア氏がCD録音で使っていた楽器を入手出来るかも・・・
 しかし見たことも聞いたこともないチェンバロを買うのは心配だし・・・と1日悩みましたが、こんなチャンスはもう来ないかもとばかり、次の日思い切って
 「私に売ってください!」とシュタイアー氏に連絡を入れました。すると何とシュタイア氏から「あなたに売ります」という嬉しい返事が返ってきました。
 彼は世界中に売りますというFAXを送っていたようで、正直言いますと激しい争奪戦を予想していたのですが、すぐに名乗りを上げたおかげ?で無事入手することが出来た次第なのですが、後日ヨーロッパに行った際、各地で「あのイタリアンを買ったのはお前か!私も欲しかったのだが」と何人からも言われました。
 日本に来てからのこのイタリアンの活躍は皆さんご存知の通り、新進チェンバリスト水永牧子さんのデビュー「スカルラッティ・ソナタ集」や渡邊順生氏の「チェンバロの歴史と名器」などのCD録音や、数多くの国内外の演奏家のコンサートで素晴らしい音色を披露しています。
 しかし今回のメメルスドルフ+シュタイアーのコンサートはこの楽器にとっては特別な意味があります。今回の来日公演のプログラムを録音したCD「無秩序の喜び」で使用されたチェンバロこそ私のイタリアンなのです。
 今回はあの名盤「無秩序の喜び」のサウンドをそっくり日本で再現する画期的なコンサートになるに違いありません。何しろ演奏するのはその楽器の魅力は知り尽くしたシュタイア氏なのですから!(個人的にはシュタイアのコンサートの直後に来日するレオンハルトも東京と 京都で2回、このイタリアンを使いますので2人の音色の違いも興味深いですね)

シュタイアーの演奏は、とにかく主張がはっきりしていて、迷いがない。そして唯一無二のオリジナリティがある。

伊藤 深雪(フォルテピアノ奏者)

 アンドレアス・シュタイアーの演奏を初めて聴いたのは、1980年代半ばのことだった。当時、私はドイツのケルンの音楽大学でモダン・ピアノの勉強を終えたばかりで、フォルテピアノを始めたいと思い、オランダへ行こうかどうしようかと迷っていた。ちょうどその頃、ケルンのフィルハーモニーホールで、ムジカ・アンティクワ・ケルンのコンサートがあって、アンドレアスのチェンバロを聴いたのだった。その夜、ブランデンブルク協奏曲の第5番が演奏されたのだが、第一楽章のカデンツァになって、2000人を収容する大ホールを埋め尽くす満場の聴衆が彼のソロに釘づけになった。よく知っているはずの曲なのに、まるで初めて聴いたような新鮮さを感じ、シュタイアーの内面から湧き上がるパッションとともに生み出される、霊感に満ちた、「凄み」のある演奏に衝撃を受けた。
 「この人に習いたい」「この人と知り合いになる!」そのとき、私は心に決めた。アンドレアス・シュタイアーという音楽家との出会いは、私にとってそれほど運命的なものだった。でも、彼が弾いているのはチェンバロだし、習いに行くといっても‥、と思っていたら、ほどなくして彼がフォルテピアノのリサイタルを開いた。アンドレアスはフォルテピアノを始めたばかりで、そのリサイタルは彼の事実上のフォルテピアノ奏者デビューだったのだ。そのときに弟子入りを申し込み、以来、アンドレアスとの付き合いもかれこれ10数年になる。その間、彼はムジカ・アンティクワ・ケルンからレザデューのメンバーに変わり、その後独立してソロの活動をたくさん行なうようになった。フォルテピアノ奏者としても、ドイツ歌曲の伴奏も含めて、めきめき頭角を現し、今ではヨーロッパで最も人気の高いチェンバロ奏者、フォルテピアノ奏者であり、日々多忙をきわめている。
 アンドレアスの演奏は、とにかく主張がはっきりしていて、迷いがない。そして唯一無二のオリジナリティがある。曲のすみずみまで熟知していて(楽譜の表面上のことに加えて、感情的な側面まで)、なおかつその上にきらりとしたひらめきがある。つまり、知情意のバランスがものすごくいいのだ。それが確固としたテクニックの上に成り立っている。フォルテピアノでいえば、その変幻自在の音色の多彩さは定評のあるところだが、それがいつも感情表現と直接つながっているから、すごく説得力がある。これは彼の演奏がとてもドイツ的だということなのかもしれない。
 人となりについていえば、なによりもその精神の活発さ!ドイツ語にノイギーリヒ(好奇心旺盛、興味津々、といったような意味)という言葉があるが、まさに彼は良い意味で「ノイギーリヒな人」である。文学から歴史、建築物にいたるさまざまなことに興味があり、実際よく知っている。それから、ユーモアのセンスがあって、チャーミングで、神経がこまやかで、ものすごく真摯(マジ)なところがある。そんな人となりと彼の音楽が直結しているのも、彼の演奏の魅力である。だから、アンドレアスの演奏はユーモアがあって、神経がこまやかで、ものすごくマジなのだ。
 実をいうと、私自身ここしばらく彼のライヴに接していないが、最近のCDを聴くと、ますます円熟味を増してきたように思える。久しぶりの来日に、今からわくわくしている。

ペドロ・メメルスドルフ(リコーダー)
指揮者そしてアルス・ノヴァのスペシャリストであるペドロ・メメルスドルフは、1959年にブエノス・アイレスで生まれ、1977年以来ヨーロッパに在住している。バーゼルのスコラ・カントゥールムとアムステルダムのスウェーリンク音楽院を卒業。1980年からはサヴァールのエスペリオンで演奏し、1982年からはチェンバロ奏者アンドレアス・シュタイアーとともにデュオで活動している。1987年にマーラ・プニカを結成し、以来彼の主要な関心は14世紀とアルス・スブティリオールの音楽に向けられ、同時にこれまではほとんど無視されていたこれらのレパートリーの新しい解釈を提唱している。エスペリオンとアンドレアス・シュタイアー、そしてなによりもマーラ・プニカとともにほとんどのヨーロッパ諸国、イスラエルそして南米で演奏活動を行うとともに、数多くの録音を行ってきたが、それらの録音の多くがヨーロッパの批評家から賞賛されている。メメルスドルフは、音楽学者としてもローマの音楽雑誌「レチェルカーレ」、パーヴィア大学が刊行するアルス・ノヴァ関連の出版物の寄稿者として活動している。またミラノの市立音楽院で教えているほか、ルーヴァン、マースリヒト、ティルブルク、ブレーメン、コペンハーゲン等ヨーロッパ各地の教育・研究機関で定期的に講座を開講している。

アンドレアス・シュタイアー(チェンバロ)
ドイツ楽界は、往年のバックハウスやケンプ以来、永らく自分たちの音楽を代弁するピアニストをもたなかった、と言ったら過言だろうか。アンドレアス・シュタイアーの颯爽とした登場は「ついにドイツを代表するに足るピアニストが現れた」という期待と感慨をもって受け入れられた。この注目すべき新鋭はもっぱらチェンバロとフォルテピアノを弾くというのに!かつてイタリアと同様、「古楽」の分野ではイギリス、オランダから遥かに遅れをとっていたドイツ楽壇が、自分たちの代弁者として「古楽」の音楽家を選んだという事実こそ画期的なことであり、シュタイアーの大いなる才能の証明と言えるだろう。その演奏では、ドイツ語のメリハリのあるイントネーション、懐かしい語感が最良の姿で再現されており、幻想的なファンタジー、(ドイツ語の)ちょっと皮肉の入ったフモール、滋味溢れるメルヘンを聴く趣がある。1955年ゲッティンゲン生まれ。ハノーヴァーとアムステルダムでピアノとチェンバロを学び、1983年から1986年まで〈ムジカ・アンティクァ・ケルン〉のチェンバロ奏者として活躍した。その後ソロ活動に専念、フォルテピアノとチェンバロのスペシャリストとして国際的に活躍している。CD録音も活発で、ドイツ・ハルモニアムンディ、フランス・ハルモニアムンディ、テルデック・クラシックに多数。

リコーダー奏者メメルスドルフについて

向江昭雅

 1987年夏、私はリコーダーでイタリア留学をするためにミラノにやって来ました。まだ会ったこともない、写真も見たことがない、年も知らない、しかも演奏も聴いたことがない!ペドロ・メメルスドルフというリコーダー奏者に師事するために。ただイタリアで古楽を勉強したいということと、ある在ヨーロッパのリュート奏者から、イタリアにはペドロ・メメルスドルフという天才リコーダー奏者がいると聞いてイタリア留学を決めたのです。
 1986年暮れ、私の演奏テープを彼に送ったところ、幸運にもすぐに生徒にしてくれるという返事を頂きました。当時(今でもそうかもしれませんが)イタリア留学するには、東京のイタリア文化会館で必要書類を作成し、イタリア大使館で仮ビザの交付を受け、イタリア入国の後、留学先の学校の入学許可証を警察に提出して、正式の滞在ビザと滞在許可証を受け取らなくてはなりませんでした。この話は長くなるのでここでは詳しくしませんが、年明けから留学のための準備を始めたのに、全ての書類が揃い手続きが終了してイタリア大使館から仮ビザの交付を受けたのが、出発予定の1週間前だったのです。いきなり留学前から、何事にも時間がかかるイタリアの洗礼を受けたわけです。
 無事に仮ビザも受け取り、イタリアへ出国しミラノへと到着しました。ホテルにチェックインし、早速、ペドロ・メメルスドルフに電話。彼は大変な早口で、しかも電話なのでよく聞き取れなかったのですが、大変歓迎しているということと、明日、ボローニャでブロック"Block"というレッスンをやっているので、私にも来るようにと言っていることを何とか聞き取りました。
 翌日、ミラノから列車に乗ってボローニャの街へ。街の中心の聖ペテロニオ聖堂の近くの小さな教会が"Block"レッスンの会場でした。扉を開けると、すでにペドロ・メメルスドルフから聞いていたのか、たくさんの生徒たちから歓迎を受けました。握手をしてくれる人、キスをしてくれる人、その中に、身体が大きくヒゲ面で年長、人一倍偉そうに見える男がいます。彼こそペドロ・メメルスドルフに違いないと思い挨拶すると、なんと彼も生徒の一人でした。初っぱなから勘違いでみんなに笑われていると、みんなの後ろから微笑みながら近づいてくる、目の青いブロンドの髪の毛の青年がいます。その彼がペドロ・メメルスドルフでした。身長も私とあまり変わらず、その人懐っこい笑顔に何だかほっとしたことが昨日のことのように思い出されます。しかしレッスンになるとその笑顔が一転して、真剣そのものの厳しい顔つきになり、生徒たちも次々と彼に質問を投げかけるのです。今まで経験したことのないとても充実した濃い時間でした。
 その後、ミラノの学校 Sucola Civica di Milano di Musicaでの毎週1回のレッスン、ボローニャで毎月行われる3日間連続の"Block"レッスンと大変ハードなレッスンが始まりました。何がハードかというと、彼のレッスンでは、ただ曲をリコーダーで吹けるようにして行っただけでは何もアドヴァイスもしてくれません。自分なりに曲を十分読んで、自分の演奏をし、その上で、何か問題点、疑問点がある場合のみ、とても熱心にレッスンしてくれるのです。それが毎週ですからレストランなんぞで優雅に食事なんかしてる暇も本当はないのです(してましたが)。こちらの準備が不足していると、彼にはなぜか分かるらしく、その時の目がとても厳しくて怖いのです。今回の来日のチラシの彼の写真を見た瞬間、その時の目が蘇ってきて、なんとその夜は彼に準備不足でレッスンを受けている夢まで見てしまいました。レッスンの内容は、もちろん基本的なテクニックについてのレッスンもありますが、音楽を表現することに関して多くの時間がとられます。ここできちんと、その曲をよく読み、自分なりの表現ができないことにはレッスンにはならないのです。彼とその曲でぶつかり合うことで多くのことを学び取れるわけです。今思えば、まるで戦闘のようなレッスンでした。
 ボローニャでのブロック"Block"レッスンは、一つのテーマが決められ(例えば「ランディーニとその周辺」)個人レッスンやアンサンブル・レッスン、彼のレクチャー等盛りだくさんの内容で、ヨーロッパ中から生徒が集まり、朝の9時から夜の8時過ぎまで途中食事休憩を挟み、延々と3日間行われ、最後には生徒の発表会が行われます。毎日、終わりの頃になると生徒の方は疲れも出て、頭もぼうっとなり、だんだんと目もうつろになってくるのですが、彼は逆で、頭はさらに冴え渡り、目も爛々と輝いてくるのです。その集中力は本当にただならないものでした。生徒のどんな質問にも、生徒の求めているもの以上に回答し、音楽だけでなく、美術や文学、色々な分野への造詣も深く、その知識の深さと情報量にはただ驚くばかりでした。
 留学して半年後、始めて彼の演奏を聴くチャンスがやってきました。ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会での、J.サヴァル指揮エスペリオンXXによる、C.モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》にリコーダー奏者として彼が出演したのです。レッスン中に横で演奏してくれる彼の音は、色彩感に富み、きっちりとコントロールされたタンギングや息遣いで大変魅力的でしたが、実際の演奏では、さらに色彩が豊かで、音色が大変魅力的、しかも、主張がしっかりしていて、抜群の存在感があるのです。
 私が日本へ帰国する直前に聴いた、ボローニャの国立絵画館で行われた演奏会は、今回の来日と同じチェンバロ奏者アンドレアス・シュタイアーとのデュオでした。プログラムは、16世紀イタリアの音楽でしたが、フォンターナやメルラ、カッツァーティ、ヴィルジリアーノ等を彼の即興も交え、まるで何かに取り憑かれたように物凄い集中力で吹き続けるのです。美しい歌はとても美しく、怒りの部分では激しく激昂し、愛の歌は悩ましく官能的。そして神秘的な響き。3年間も彼のレッスンを受け続けていたにもかかわらず、彼の凄さにはあらためて驚かされました。
 それから十数年たち、彼の演奏は数少ないCDでしか聴くことができませんでしたが、CDで聴く限りでも、彼の演奏は年を追うごとにさらに叙情的になり、その音楽には凄みさえも感じられます。何度も何度も来日の噂が立っては消え、彼の演奏を生で聴きたかった人には幻とまで言われたペドロ・メメルスドルフがついに日本にやって来ます。この演奏会、聴き逃したら一生後悔する演奏会になるかもしれません。
(この文章は、協会会誌「古楽第15号」に寄稿していただいたものを、転載しました)

ペドロ・メメルスドルフ氏の「名言集」

太田光子

 ペドロ・メメルスドルフの演奏家として、先生としての魅力は前回の向江昭雅さんの紹介にて十分伝わったことと思いますので、私はペドロの人柄について少し触れてみたいと思います。
 ペドロのところでリコーダーの勉強をしていたという話になると、日本でもヨーロッパでも決まってこう言われます。「ペドロって厳しいのでしょう?どうやって4年間も耐えたの」?と。厳しい先生として、音楽に対して真剣で情熱的なリコーダー奏者として知られるペドロ・メメルスドルフですが、ただ厳しくてコワイだけでは私だって何年もいられません。そこにはそれだけではない、時々見せてくれるお兄さん的面倒見の良さ、やさしさがあったのです!!そこで今回はペドロ・メメルスドルフの「いいところ」&「名言集」(?)をいくつかご紹介していきたいと思います。これを機に彼にさらに親しみを持っていただけたら、と思っております。

面倒見の良いペドロ
 普段のレッスンではよく意地わる〜い感じで「質問は」?などと言うことのあるペドロですが、本番が迫っている曲のレッスンや本番前のリハーサルに付き合ってくれる時はペドロの方からビシバシと指摘してくれ、もう完璧を目指しているという感じの迫力です。
 アンサンブルで「やった!ほとんどぴったり合った」と思っていると「今ほとんど合っていたけど完璧じゃなかったよ」と言われ、ちょっとミスしただけでも「君はプロなんだから間違えるな」!!と怒られ、音程が合わなかったりしようものなら「そんな音程じゃ客席からトマトが飛んでくぞ」!!!!と舞台の下から怒鳴られ…。演奏はもちろん、プログラムの組み方、舞台での振舞い方、曲と曲の間はどうするか等、本番でどの面からでもできるだけ良く見えるように細かく細かく注意してくれました。これだけ丁寧に教えてくれた分、本番では戸惑うことなく安心して演奏することができるのです。そしてうまくいった演奏会の後では思い切り誉めてくれました。自分の生徒が外に出て演奏する時はできるだけうまくいくように、と心から願ってくれているようでした。あるオーディションを受けた時も、後でペドロから推薦の電話がかかってきたと主催者側から聞いた事もありました。また私のディプロマ試験の前夜、ロンドンにいたペドロが電話をくれました。「今日家にいなかったみたいだけどリハーサルしていたの?疲れてない?明日絶対うまくいくからね、朝早い飛行機でミラノに行くからね…」等々とてもあたたかく励ましてくれ、当日は飛行機が遅れても試験には遅れないようにと本当に朝早い便で時間の余裕をたくさんとって飛んできてくれました。
 自分の生徒に対する面倒見の良さは音楽面だけではありません。私の留学1年目、冬の終わりのこと、まだ言葉が不安で友達もほとんどできない、レッスンでは必死になって教わってはいるけれどペドロのことがなんだか怖くて近寄れないと思っていた頃、一人ぼっちでいた私に近寄ってこう言ってくれたことがありました。「なんだか君はあまり人の輪に入っていかないけれど、どんどん積極的に入っていかないとだめだよ。そういう時にちょっとでも言葉が通じないことがあるとやはりコミュニケーションがそこで止まってしまう、表面的には仲良くしているように見えてもそこでどうしても壁ができてしまって、ある一定以上は近寄れなくなる。だから、とにかく言葉をがんばって人の輪の中に積極的に入っていって知り合いになってどんどん仕事なり何なりやっていってごらん」と。私に見えていたペドロといえば、いつも楽譜見て休み時間にご飯も食べないで勉強ばかりしていて周りのことには何にも興味がなさそう…というかんじだったので、レッスン以外の生徒の様子もきちんと見て気がついていたことを知り、「わ、いいお兄さんみたいな面もあるんだ」と、とてもうれしくなりました。
 またある時ペドロがペトラルカのカンツォニエーレの本を持ってきて私を呼び、この本を知っているか訊いたことがありました。私は知らなかったのでそう答えると、毎日ひとつずつ読むように言い、「普通ヨーロッパの子は子供の頃にこういうの勉強するんだけど、君は日本で育ったから違う勉強をしてきたよね。ヨーロッパの音楽を勉強するには文化を知らなくちゃ」と、ペトラルカの説明、カンツォニエーレの説明等いろいろしてくれました。そして当時の文学や歴史等、音楽の時代背景を調べるとき、ひとつの興味深い事を見つけるとそこからどんどん想像が広がっていってとても楽しいよと言っていました。
 ときどき厳しく怒られましたが必要なこと(リコーダーのことでも物の考え方でも)、していくべきこと気をつけなければならないことはいろいろと容赦なく言ってくれ、面倒をみると決めたら徹底的に面倒を見てくれる彼の先生ぶりはとても真摯であたたかいものでした。

全力投球のペドロ
 ディプロマ試験の準備をしていた時期、演奏会などが忙しくて思うようにアンサンブルの練習がはかどらず、日程も難しくレッスンをキャンセルしようとしたことがありました。そして「何が何でもリハーサルしてこの日のレッスンに持って来い」と言い張るペドロと「他の子の都合もあるし無理だ」と言う私の意見が合わず、私にはペドロが無茶を言っているように見えて、その日一日中彼の顔見ても私は「フンっ」としていました。次の日の夕方、私が友達といるところにペドロが来ました。そして「ディプロマ試験ほど大事なものが一生のうち何度もあると思う?そういう大切なものに取り組む時、良さを最大限に出すためにできることを全て全力でやる必要があるよ。あの時僕だって君に無理を言っていたことくらい分かっていたよ、でもそのくらいの気持ちで取り組まなくてはならない時もあるっていうことを分かってほしかったんだ」。
 本当にペドロは彼の仕事に熱心に取り組み、いつでも勉強しています。例えば、一緒にタクシーに乗った時、ペドロは運転手さんにラジオを消すよう頼み、楽譜を取り出して勉強し始めました。タクシーを降りた時、タクシーの中で楽譜読んだりして気持ち悪くならないのか訊いてみたところ、「気持ち悪くなることもあるが、それは慣れでなんとかなるもの、この時間に勉強したいと思ったらそのくらい鍛えないと」と言っていました。勉強する時間を増やすために車酔いしないように鍛えるなんて!!また、寝ないで学校にやってきてお昼ごはんも食べないでレッスンや勉強をし続けるなんてこともよくありました。
 ペドロには他にもたくさん、いろいろなことを教えてもらいましたが、一番心に残って私に強い影響を与えた事柄をお話します。ある日、レッスンに持っていった曲がうまくいかなくて、みんなの前でひどく怒られてしまい、その曲について分かっていることや自分が勉強したこと、レッスンでやったことをレポートに書いて出すように言われたことがありました。そして曲のアナリーゼ等、うまく説明しきれないところは絵や図も使って自分の分かっている事全てを一週間かけて書き、ペドロに出しました。彼がコーヒーを飲みながらそれをじーっと読んでいる間、私はハラハラして隣に座っていました。そして読み終わってニコニコしてこう言いました。「こんなにたくさんの事を君はちゃんと見て分かっていたのにそれを演奏で表に出せなかったね。それは自分の中でsintassi(自分で構成すること)ができていないからだよ。自分の中にある材料をうまく組み立てられるようになるといい。こういう材料は従うべきものではなく自分でそれを組み立てるためにあると思うよ。真実に従おうという考え方をする人もいるけれど、従うべき真実なんてないんだよ。だってこんなに昔の600年も前にどう演奏していたかなんて当時の演奏が聴けないから本当のところは誰にも分からないんだから。だからきちんと勉強するだけ勉強したら後はそれらを使って自分の好きなようにやればいい、時には作曲家を超えちゃってもいいんだよ。演奏するのは君自身なのだから」。そしていろいろ話し合い、その後この事についてよく考え、なんだかとても楽になり、それから2回後のレッスンではペドロがニコニコと「進歩したね」と言ってくれました。
 彼の演奏は情熱もテクニックもそうですが、深い研究とこのsintassiの賜物と思わずにいられません。今回の彼のプログラムの中でプレイフォードのダンシングマスターからいくつか選ばれていますが、この曲集では数小節のメロディーのみがたくさん収められています。そのほんのちょっとのメロディーを見てそれをここまで組み立てるに至った研究と想像力とsintassiは本当にすごいな〜と思ってしまいます。
 この魅力的な物凄い人物、ペドロ・メメルスドルフがとうとう日本にやってきます。私は今から本当に楽しみにしています。あの名盤「無秩序の喜び」を生で聴けるチャンスはあまりありません。皆様どうぞお聴き逃しなく!!
(この文章は、アルケミスタのホームページより、許可を得て転載しました)


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