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・・ルネッサンス
ギリシャ文化を手本としたルネッサンス時代は、中世までの神と教会を中心とした社会から脱出し、人間性に再び着目した時代です。祭壇画や教会音楽だけでなく、ギリシャ神話や愛をテーマにした世俗作品が多く作られるようになり、均整がとれた美しさが芸術には求められました。登場人物の表情や動作は豊かになり、官能的な歌詞を持つ世俗歌曲が作られました。
また、ルネッサンス芸術の合言葉は、「調和と秩序」でした。当時の人たちは人間と宇宙の間には数学的な比率による調和があると考えていました。「調和」を英語で言えばハーモニーですが、音程、つまり音楽の中の音と音との高さの関係は振動数の比率によって作られます。そのため、ルネッサンスの音楽では複数の旋律が点と点の関係で調和を作る対位法の音楽が多く作られました。そして、模倣の手法によって作品に統一感を生み出しました。一方絵画では、人間の肉体に宇宙の美的な法則が宿ると考えられ、理想的な身体描写に関心が寄せられました。そして幾何学的な法則に従って遠近法が開発され、空間は論理的な数比に基づいて整然と構成されました。
今日は、ボッティチェリ(1444/45-1510)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452−1519)やラファエロ(1483−1520)などの巨匠の絵を見ながら、チプリアーノ・デ・ローレが書いた当時のヒット曲「またも旅立つことを」をお聴き下さい。
・・マニエリスム
バロックのさきがけとなったマニエリスムは英語で言えば「マンネリズム」で、手法や様式を意味します。マニエリストの画家たちはルネッサンスの三大巨匠の絵を、この世の中で最高に完成された絵だと考えました。そして、自然そのものではなく、三大巨匠の絵を土台に、その上に際立った独創性を付け加えようとしました。その方向性はさまざまですが、完全な調和からの脱出を求めて、不自然なポーズやゆがんだ形、必要以上に凝った構図が特徴的です。しかし、手法や技巧にこだわったそれらの作品は、自然が持つ生命力を失い、彼らの絵は不自然で空虚で、生命を失っているかのように見えます。
音楽におけるマニエリズムはクロマティックを多用するマドリガルの中に見つけることができます。ミーントーンを用いていた当時の半音階は、不均等で歪みに満ちていました。マドリガルはルネッサンスから引き継いだ対位法技術を用いながら、より自由なリズム不協和音、半音階などわざと調和をみだす要素を取り入れ、独特な世界を作り出しています。
マドリガルは声楽曲ですが、器楽においては、既存の曲に極めて技巧的な即興的による装飾をつける、ディミヌーションという技法において、マニエリスムの精神を見出すことができます。ルネッサンスの巨匠が書いた既存の曲の音を細かく分割していくこの装飾法は、一見華やかに見えながらも、絵画と同じく不自然で空虚な空間を演出します。
ポントルモ(1494−1556/57)、パルミジャーノ(1503−40)やブロンツィーノ(1506−72)の奇妙な絵を見ながら、ラッスス(1532?-1594)
の書いた当時のヒットソング「スザンナはある日」にセルマ(16世紀後半−17世紀前半)がつけたディミヌーションをお聴き下さい。
・・バロックの光と陰
日本では関が原の戦いがあった1600年ごろを境に、ヨーロッパはバロック時代に入ります。バロック様式も、ルネッサンスやマニエリスムと同様に、まずイタリアで起こりました。美術ではカラヴァッジョ(1573−1610)、音楽ではモンテヴェルディによって、光と陰のバロックが衝撃的に始まります。その特徴はなんと言っても強烈なコントラスト、躍動感、ドラマ性、装飾性などにあります。
ルネッサンスにおいても明暗や陰影の技法はもちろんありましたが、光は間接照明のように画面全体を照らすのが普通でした。カラヴァッジョは、光を強烈なスポットライトとして扱い、明暗のコントラストを劇的な表現に利用しました。
マドリガルなどのポリフォニー音楽には、どんなに歌詞と音楽を結びつけて凝った表現をしても、お互いの声部に邪魔されて、歌詞がほとんど聞き取れないという弱点がありました。モンテヴェルディはポリフォニーを捨て、メロディーと通奏低音の二極化というコントラストを作りました。語るように歌う、この歌詞と音楽が一体となったモノディ様式は、歌詞の内容が分かるだけでなく、通奏低音という土台の上で自由自在に動くことによって、幅の広い劇的な表現を可能にしました。
カラヴァッジョやレンブラントの光と陰が作り出す新しい世界を見るながら、劇的なモンテヴェルディのオペラ「アリアンナの嘆き」の一節をお聴き下さい。
・・歪んだ真珠
バロックとはポルトガル語で歪んだ真珠という意味です。マニエリスムの絵と同様にバロックの人物像もひねりを加えた不自然なものが多く見られます。しかし、マニエリスムのものと比べてみるならバロックの絵ははるかに現実味を帯び、見るものを圧倒するようなドラマがそこにはあります。
ルネッサンスの絵は輪郭線がはっきりしていて「線的」であるのに対して、バロックの絵は色彩重視の「絵画的」です。音楽においても、ポリフォニーのルネッサンス音楽は「線的」で、何本もの線が平行して横に流れているのに対し、和声という色彩を重視する通奏低音は「絵画的」といえます。バロック音楽のメロディーは、主導権を握っているかのように見えますが、実際に曲全体のカラーを作っているのは通奏低音なのです。
ルーベンス(1577−1640)の躍動感ある豊かな色彩を見ながら、フレスコバルディの軽やかな通奏低音つきアリアをお楽しみください。
・・バロックの装飾性とダイナミズム
過剰なまでの装飾とダイナミズムはバロックの大きな特色ですが、建築と彫刻においてその特色はよりいっそう強調されています。ベルニーニは、カトリック教会の総本山、ローマの壮大なサン・ピエトロ寺院の設計を手がけた建築家兼彫刻家ですが、彼の作品はどれも上昇していくようなダイナミズムにあふれています。柱はねじられ、天高くに昇っていくようですし、彫刻は今にも動き出しそうです。
音楽におけるダイナミズムは、祝祭的なオペラに最も強く現れていますが、器楽の中ではヴァイオリン音楽が突出した効果を上げています。17世紀はアマティ、ストラディバリなどの名器が作られたヴァイオリン製作の黄金期です。広い音域、豊かな表現力、幅の広いダイナミックと機敏な機能性をあわせ持つヴァイオリンは、躍動感あふれるイタリア・バロックにまさにうってつけの楽器で、たくさんの華やかで装飾豊かな曲がヴァイオリンのために書かれました。
今日は豪奢なベルニーニの祭壇や彫刻を見ながら、華麗なフォンターナのヴァイオリンソナタをお聴き下さい。
・・オランダの市民絵画
ルネッサンスでは人間が中心で「もの」は背景でした。しかし、16世紀に地動説が唱えられると、人々の興味は次第に、人間を取り巻く「もの」や「自然」にうつっていきます。バロックでは自然を、ルネッサンスのように理想化するのではなく、あるがままに描こうとしました。静物画、風俗画、風景画などの人間を主人公としない絵画が、この時代にはじめて誕生します。この新しいジャンルは、現実的な貿易商人を母胎とする新興国オランダの市民に特に好まれ、手軽に買える絵画がたくさん作られました。
一方で「もの」が残らない音楽は、絵のようにはオランダ市民の投機熱を誘わなかったようですが、日常を描いた絵画の中に楽器がでてくる割合はかなり高く、音楽がオランダ市民の生活の中に自然にとけ込んでいたことを感じることができます。寓意を持つ静物画の中で時々、感覚の喜びを表すリュートが、ほこりをかぶったりふせられたりして書かれていることがあります。これは快楽に身を任すことを戒める意味がありましたので、音楽を楽しむ人はかなりいたに違いありません。
フェルメール(1632−75)、ステーン(1626−79)、バシェニス(1617−1677)の日常の一コマを眺めながら、オランダが誇るオルガンの大家、スウェーリンクの涙のパヴァーヌをお聴き下さい。
・・フランスの古典主義
ルイ14世が収めていた17世紀のフランスは、絶対王政の絶頂期にありました。ルイ14世は芸術を保護し、奨励したため、豊かな文化がこの時代に花開きました。当時最先端の芸術といえばなんと言ってもイタリアでした。何人ものイタリア人画家がフランスに呼ばれ、若く優秀なフランス人が、イタリアへ留学に行きました。しかし、フランス人が手本として選んだのは、マニエリスムの奇妙な魅力や、バロックのエネルギッシュで斬新な絵ではなく、ラファエロを初めとするルネッサンスの巨匠たちの作品でした。そのため、フランスでは17世紀になっても、抑制のきいた古典主義の作品が好んで描かれました。蝋燭の光を使ったラ・トゥールのように、バロック的なドラマ性を持つ画家もいましたが、節度と抑制を失うことはなく、フランス独自のバロックの世界が作られました。
音楽でも、17世紀のフランスは古典主義の傾向を強く見せています。ルイ14世はダンスが大好きで、毎日何時間もダンスの稽古をしていたほどです。絶対王朝のフランスではすべてにおいて王の好みが最優先されたため、フランスでは舞曲が大人気となりました。踊るためだけでなく、聴いて楽しむための音楽にもダンスの特徴的なリズムが好んで使われました。リズムという枠がしっかりしていたフランス音楽は自由奔放なイタリア音楽に比べると、絵画と同じく抑制が程良くきいており、「荘重趣味」と呼ばれています。
プッサン(1549−1665)、ラ・トゥール(1593−1652)の繊細で静かな絵を見ながら、ヴェルサイユ宮殿で奏でられた、クープランの王宮のコンセールをお聴き下さい。
・・ロココ
1715年にルイ14世が没すると、宮廷の雰囲気は一変します。重々しい雰囲気は一掃され、洗練された軽やかで繊細な趣味に取って代わられます。宮廷はヴェルサイユからパリへ移り、サロン全盛の時代が始まります。芸術はもはや宮廷だけのものではありませんでした。中産階級の人でさえ、自宅に絵を飾ったり、自ら楽器を演奏したりして生活を楽しみました。
ヴァトーに代表されるロココの画家は、美しい田園風景の中で貴族の男女が優雅に戯れる絵を好んで描きました。このような絵はラ・フェート・ギャラント(雅宴画)と呼ばれますが、私達のグループの名前の由来になった言葉でもあります。感傷的で官能的な「雅なる宴」は当時の貴族の爛熟しきった快楽主義を映す鏡のようです。
音楽においても、重々しい舞曲より、耳に心地よく響く、軽やかなギャラント様式が好まれました。パリでは公開演奏会が開かれ、天才たちはアイドルに祭り上げられました。アマチュア奏者が急増し、簡単で親しみやすい曲が大量生産されるようになります。
ヴァトーやランクレの絵を見て優雅な気分に浸りながら、天才フルーティスト、ブラヴェがアマチュアのために作曲した、ちょっとメランコリックな曲をお聴き下さい。
・・総合芸術バロック
17、18世紀のヨーロッパは絶対王政の絶頂期にあたりますが、一方では市民が力をつけ、近代化への一歩を踏み始めた時期でもあります。芸術は教養ある一部の貴族や宮廷の専有物ではなくなり、より多くの人が楽しめるものが求められるようになりました。そのため芸術の大衆化が起こります。いつの時代も大衆は、より派手なもの、より分かりやすく親しみやすいものを好むものです。
現代人の大衆娯楽の一番人気と言えばハリウッド映画でしょうか?バロックではオペラでした。音楽、演劇、文学、舞踏、美術、ファッション、機械技術などのコラボレーションによってはじめて存在するオペラは、スペクタクルなドラマ性を好む大衆にはうってつけの娯楽でした。オペラこそがバロック芸術の頂点だと言っても過言ではないでしょう。
とはいえ、大作オペラはいつでも誰でも楽しめるほどお手軽なものではありません。画家はオペラのドラマティックな世界を絵の中に閉じ込め、作曲家は、オペラの縮小版とも言えるカンタータを作りました。
最後に、モンテクレールのカンタータ「ディドンの死」を聴きながら、登場人物のエネ(アイネイアス)とディドン(ディドー)にまつわる絵画をご覧下さい。
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