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10.第4回福岡古楽音楽祭はいかがでしたか?(2002年10月)

福岡古楽音楽祭はいかがでしたか?

 去る9月20日より4日間、第4回福岡古楽音楽祭が開かれました。この音楽祭の事務局は私の実家で、「おぐに」時代から数えるともう十数年間、毎年この時期には一月あまり、我が家は「疾風怒濤」の状態になります。回を重ねるとだんだん仕事が楽なっていくという気配はぜんぜんないようで、その間、事務局長をしている母の仕事ぶりは脇で見ていても大変なものです。
 私自身も、今回は大変忙しい音楽祭でした。初日には「にぎわいプラザ・コンサート」というのに出て音楽祭の前座を務めた後、2日目と3日目はダン・ラウリンの公開レッスンの通訳をみっちりやらされました。その後、「フランス・バロックの室内楽」と最終日の「フランス・バロック -- イタリアの影響を受けたヴィルトゥオーゾたち」というコンサートに出ました。
 今村さん達のフォンス・ムジケのメンバーは、普段はヨーロッパの各地に離ればなれに住んでいる上に、今回は日本人のメンバーと合同の室内楽が中心だったので、リハーサルはすべて東京に集まってから始めました。そのため音楽祭の前のリハーサルは、かなりタイトなスケジュールでした。「フランス・バロックの室内楽」では、有田先生と並んで私は2番フルートで、フェルナンデスと若松さんのヴァイオリンと共演しました。これらのそうそうたる先輩方にまじって、私も気持ちよくふくよかなフランス音楽の調べに浸ることが出来た、大変楽しいコンサートでした。
 一方「フランス・バロック -- イタリアの影響を受けたヴィルトゥオーゾたち」という長いタイトルを持ったコンサートは、休憩なしで1時間で終わってくれという主催者の注文で、前夜の「フランス・バロックの室内楽」と何か違いを出さないといけないので、曲目の選定に苦労しました。結局、全員のアンサンブルはルクレールだけにして、ソロの曲が中心となり、私はブラヴェのソナタを吹きました。
 音楽祭を終わって振り返ると、「イタリアとフランスの2大様式」というテーマも鮮明に出て、フォンス・ムジケのメンバーやラウリンの活躍もあって、なかなかまとまりのよい、高いレベルの音楽祭になったのではないかと思うのですが、皆さんのご感想はいかがでしたか?

9月22日、「フランス・バロックの室内楽」で有田夫妻、フェルナンデス、若松さん達と共演。

9月23日、「フランス・バロック -- イタリアの影響を受けたヴィルトゥオーゾたち」でのブラヴェのフルートソナタ。ガンバは中野哲也先生、チェンバロは上尾直毅さん。

   11.バッハのフルーティストは?
     
〜1724年のカンタータとフルートの超絶技巧  BCJプログラム(2002年11月)

バッハのフルーティストは?
 ー1724年のカンタータとフルートの超絶技巧

 J.S. バッハは現存するだけでも200曲以上のカンタータを残していますが、その中でフルートが登場するのはたったの50数曲程度です。ほとんどのカンタータで使われているオーボエと比べれば、けっして多いとはいえませんが、約20曲しかないリコーダー、5曲しかないガンバなどと比べれば、まずまずの数といったところでしょうか。
 バッハはいったい何を基準に使用楽器を決めたのでしょうか?カンタータの歌詞の内容とそれぞれの楽器の音色、特徴に合わせて選んだことはまず間違いありません。しかし、それだけではなかったはずです。18世紀の音楽は、誰が、いつ、どこで、何のために演奏するのかがはっきりした状態で作曲されるのが常でした。そのため、作曲家は演奏予定メンバーの顔ぶれに合わせて、楽器編成と演奏に必要な技術レベルを決めなければなりませんでした。
 フルート入りカンタータの作曲時期を見ていくと面白い事実にぶつかります。バッハはケーテン時代に2曲、フルート入りカンタータを書いていますが、いずれの曲も他の楽器とのユニゾンが多く、フルートにはほとんど重要な役割は与えられていません。きっとケーテンにはたいしたフルート奏者がいなかったのでしょう。1723年にライプツィッヒのトーマス・カントルとなったバッハは猛然とカンタータを作曲し始め、約1年の間に40曲ほどのカンタータが初演されましたが、その中にフルートが入った曲はまったく見当たりません。
 ところが、1724年の4月を皮切りに、フルートの使用頻度は一気に加速していきます。7月までの間に5曲、さらに8月から11月までの間はほぼ毎週、12曲ものフルートが入ったカンタータが演奏されています。この12曲のカンタータの中で、フルートは初めてアリアのオブリガードという重要な役割を与えられています。いずれの曲も当時の常識を完全に打ち破るほどに技巧的で難易度が高いため、ハイレベルなフルートの名手がこの時期ライプツィッヒを訪れていたと考えられます。
 可能性として一番高いのは、当時最高のフルーティストとして名高かったビュッファルダンです。彼は、ライプツィッヒからそう遠くないドレスデンの宮廷楽団に所属していました。休暇を取ったビュッファルダンが、かつてから交流のあったバッハのために、数ヶ月間ライプツィッヒに滞在したというのは十分に考えられ得ることです。バッハは1725年以降も時々フルート入りカンタータを書いていますが、この時期の曲ほど独創的で技巧的な曲はありません。
 ビュッファルダンという名手がいたからこそ、数々の素晴らしいフルートパートが生まれたわけで、これらの名曲を吹く機会を与えてくれた彼に、フルーティストとして私は多いに感謝しています。でも、これらの曲の常軌を逸した難しさは、まったくフルーティスト泣かせでして、ときどき恨みたくなったりもしていますが・・・
 

ビュッファルダン(1690-1768)とJ.S.バッハ:カンタータ第8番のトラヴェルソ自筆パート譜

(バッハ・コレギウム・ジャパン「第56回定期演奏会」プログラムより転載)

12.音楽の楽しみ  山口文化情報誌「any」(2002年10月)

音楽の楽しみ

 子供の頃、私はフルート教師をしていた母に連れられて、よくコンサートを聴きに行きました。しかし、コンサートに行くたびに私のなぞは深まるばかりでした。尊敬する両親が口をそろえて「素晴らしい」というのだから、音楽とはきっといいものに違いないのだけど、一体これの何が楽しいのだろうか・・・と、小さな頭で一生懸命悩みながらあくびをかみ殺すというのが、私のコンサート鑑賞法でした。

 ある時私は退屈を抜け出すための一つの方法を思いつきました。それは音楽に合わせてお話を考えるという鑑賞法です。楽しい曲にはかわいらしい動物達が跳ね廻るようなお話を、悲しい曲には意地悪な姉にいじめられるかわいそうな少女の話を考えるというこのやり方は、空想癖があり、昼間でも夢ばかり見ていた私には実にぴったりした方法だったようで、それ以来、永遠に続くかと思われた長い長いコンサートは、あっという間に過ぎていく楽しい時間となりました。たまには本当の夢となって寝てしまうこともありましたが・・・。しかしそれでも、私にとって楽しいのは「音楽を聴くこと」ではなく「お話を空想すること」だったのであり、他の人が音楽を聴いて何を面白いと思っているのか、私にとっては長い間なぞでした。

 一方で、音楽の良さがよく分からぬままに、両親の勧めに従って習い始めたピアノとフルートでしたが、自分で音楽を「演奏する」ことは、私にとって「聴く」ことよりもはるかに楽しいことでした。毎日練習するのは大変だけれど、ちゃんと練習すればそれまでできなかったことができるようになること、人前で演奏すれば、不器用で他に何の取り柄もない自分をみんなが注目し、ほめてくれるということ、音楽にあわせてお話を作るだけでなく、お話にあわせて音楽が作れるということなど、そんなたわいもないことがうれしくって練習に精を出しているうちに、気がついてみれば人よりちょっと上手に笛が吹けるようになっており、他に特技もないし・・・と、いつの間にかプロの演奏家を目指す道へと進んでいまた。でもいつも心のどこかで、笛を吹くのは好きだけど、音楽ってどうやって聴いたらいいのかよくわかんないし、こんな私がプロになっていいのだろうかと問いかけていました。

 そしてそんなもやもやとした悩みを抱えながら高校生になった時、私は「古楽」と出会います。「古楽」とは、時代や社会の変化とともに忘れ去られた、ヨーロッパの古い音楽を、作曲家が生きていた当時の楽器を使い、当時の演奏習慣に従って現代によみがえらせようという試みです。「古楽」を学ぶことを通じて、私は捜し求めていた「音楽の楽しさ」に初めて出会えたような気がします。

 たとえば、ある劇団がロミオとジュリエットを上演することになり、あなたがロミオ役に抜擢されたとしましょう。あなたはロミオになりきるために何をしますか?まず、脚本を何度も読んでロミオがどんな人間であったかを知ろうとするでしょう。しかし、それだけではうすっぺらなロミオしか出来上がりません。脚本が与えてくれる情報はほんのわずかです。愛し合う二人がなぜ引き裂かれなければならなかったのか、その本当の理由は二人が生きた中世イタリアの封建制度を知らなければ理解できませんし、当時の生活、風習を知らなければ仮面舞踏会で踊ることすらできません。音楽も演劇と同じです。ただ練習するのではなく、曲が作られた時代や背景、その用途や作曲家の意図など、より広い視野で音楽を眺めたとき、私には新しい音楽の世界が開けてきました。

 その時、それまで理解しようとしてもどうしても「分からなかった」音楽が「分かった」ような気がしたのです。歴史、語学、音楽理論、歌、ダンスなど、それまで学校の授業として仕方なくやってきたことでしたが、それらが実際の音楽と結びついた時、急に生き生きと輝きだしたのです。私は古楽の盛んなオランダに留学し、夢中になって勉強しました。それまで自分の感覚に頼るしかなかった演奏に、理論という後押しがついたことは、私に自信と希望をも与えてくれました。

 しかし、だからといって、コンサート中に時代背景が・・・などと考えながら吹いているわけではもちろんありません。ロミオを演じる役者が、お芝居の中ではロミオになりきって自分の人格を忘れてしまうように、コンサートで笛を吹いているとき、私は私であって私でないものになります。音楽そのものになりきっているといえるかもしれません。音楽は言葉のないドラマです。言葉がないからこそ、微妙であいまいな感情を表現することができ、音楽を通じて喜びや悲しみ、そして宇宙の広がりすら感じることができるのです。

 「人は音楽を聴いて何を楽しむのか?」という子供の頃からのなぞの答えを私は長い間探し求めていました。そして、最近になってようやく気がついたのです。音楽には数学のような答えはないということに・・・。心を無にして五感のすべてをじっと音楽に傾ける時、聞き手は奏者の内面に渦巻く思いを音楽を通じて受け取ります。でもそこから広がるイメージは人によって様々です。分からなくたって、他の人と違ったっていいのです。音楽の楽しみ方は千差万別なのだから!あなたはコンサートで何を楽しみますか?音楽と奏者と聴衆の無限なイメージが織りなす花火のような瞬間の連続、それが目下のところ私の最大の楽しみです。

 (山口文化情報誌「any」vol.35, 2002.9.10、山口市文化振興財団より転載)