前田りり子著 発売中
定価 3000円(税別)
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本文:296ページ、サイズ:19×13cm、カラー口絵8ページ、図版多数

「フルートの肖像」の書評が、11月13日毎日新聞(夕刊)、1月7日産経新聞、2月15日日本経済新聞(九州版)に出ました。こちら

 これまでこのホームページに掲載していた「フルートの歴史」は、2001年2月より2004年6月まで3年半にわたって、日本フルート協会の会報に連載してきたものですが、この度、東京書籍から「フルートの肖像〜その歴史的変遷〜」という単行本で出版することになりました。出版に当たっては内容を改訂し、楽器の写真を中心に図版を一新いたしました。口絵カラー8ページつきで、ワシントン国立図書館所蔵のフルートの写真なども新たに加わりました。
 それに伴いまして、ホームページの「フルートの歴史」は掲載を終了させていただきます。長い間ご愛読ありがとうございました。続きは「フルートの肖像」の方でお読みください。以下に目次とまえがきの部分をご紹介します。
(前田りり子)

フルートの肖像
〜 その歴史的変遷 〜

前田りり子著(東京書籍)

 第1章 古代から中世まで

 第2章 ルネッサンス社会とフルート

 第3章 ルネッサンス・フルートの構造

 第4章 ルネッサンス時代のフルート奏法

 第5章 17世紀の音楽とフルート
       〜 バロック様式の誕生 〜

 第6章 バロックの二大様式とフルート音楽

 第7章 ルター派の音楽とバッハ

 第8章 18世紀のあるフルート奏者の生涯

 第9章 クヴァンツのフルート奏法

 第10章 啓蒙思想とフルート

 第11章 18世紀後半のフルート音楽

 第12章 バロック・フルートの変遷
       〜 楽器の変遷 〜

 第13章 バロック時代のピッチと4分割フルート

 第14章 フランスのバロック・フルート

 第15章 フルートの産業革命
       〜 多鍵式フルートの誕生 〜

 第16章 ベーム・フルートへの道と批判者たち

はじめに

 「フルートってどんな楽器か知ってる?」といえば、音楽に詳しくない人でも「ああ、あの銀色の横に長い楽器でしょう?」と答えるに違いません。ところが、ほんの300年ほど前のヨーロッパ人に同じ質問をしたら、「ああ、木の縦笛でしょう」という返事が返ってきたことでしょう。そう、バッハが生きていた18世紀まで「フルート」といえば私たちが小中学校で習う縦笛、つまりリコーダーのことを指していたのです。いわゆる「フルート」は縦笛と区別するために「フラウト(フルート)・トラベルソ(横の)」または「フルート・アルマンド(ドイツの)」などと呼ばれ、木の筒に歌口、7つの指穴とたった1つのキーがつき、リコーダーを横にしたような非常に単純な構造の楽器でした。
 現代フルートの原型となる金属フルートが誕生したのは19世紀のことです。18世紀後半に始まった産業革命と共に科学技術は目覚しい発達を遂げ、楽器にも技術革新の波が押し寄せました。フルートには複雑なキーシステムがつけられて誰でもが簡単に演奏できる楽器へと生まれ変わり、シンプルな木製フルートは原始的で時代遅れとして忘れられていきました。しかし、バッハやモーツァルト時代に使われたフルートは本当に、歴史の彼方に追いやられるべき不完全な楽器だったのでしょうか?
 私が初めて1鍵式木製フルートに出会ったのは、高校2年生の時でした。親の勧めで子供の頃から音楽に親しんでいた私は、フルート奏者になるのだという漠然とした夢は持っていたものの、どんな音楽を作り、どんな音楽家になりたいのか、なぜ音楽をしたいのかという将来の目標がなかなか見えず、取り敢えずは音大受験という目の前の試練に向かってひたすら練習を積み重ねる日々を送っていました。
 そしてそんな疑問の答えを見つけたくて、国内外の有名な先生方のレッスンを片端から受けてまわっていたのですが、諸先生方が口をそろえておっしゃるのは「大きな音で間違えずに吹きなさい」ということばかり。確かに音が聞こえなければどんな素晴らしい表現もお客さんに伝えることはできないし、音を間違えないのは当たり前のことです。でも大きな音で、楽譜に書き込まれた音符、強弱、テンポに忠実に吹けば、それでいいの?では音楽の面白さって何?と、悶々としていた時に出会ったのが、恩師有田正広先生でした。
 私が吹いたモーツァルトのコンチェルトに対して先生は、「モーツァルトの時代のフルートはね、キーが一つしかついてないから半音階を吹くのがとっても難しかったんだ。だからね、半音階は特別なときしか使われていないし、出てきたらかなりの緊張感を持って吹かなければいけないんだよ」「そこは上行型だからクレッシェンドでね。この頃の演奏習慣では、昇っていく音型は期待と喜びを表すのでクレッシェンドなんだよ」などとおっしゃいました。モーツァルト時代の楽器?演奏習慣?これまで聞いたことも考えたこともない言葉の数々に、私は捜していた答えの糸口を見つけたような気がしました。
 例えば邦楽のように師から弟子へと口承で音楽を受け継いでいく伝統に対し、西洋では「楽譜」という媒体に頼って音の再現を図ります。しかし楽譜自体に書き込むことができる情報量は極めて限られており、音の高さ、長さ、大まかな強弱や速度は記されていても、一つ一つの音をどのような音色、アーティキレーション、雰囲気で演奏すべきかは音符を眺めているだけでは分かりません。ではどのようにしてそのギャップを埋めればいいのでしょうか?
 バッハやモーツァルトの音楽を現代に蘇らせるためには、まず彼らが生きた社会をよく知る必要があります。どの様な場所、状況、楽器で、どの様な人々を対象に音楽は演奏されていたのか。いかなる教材を使って音楽を学んだのか?人々は何に悩み、何に喜びを見出していたのか、そして彼らにとって音楽とはなんだったのか?文化は社会を映す鏡です。彼らが生きた時代をよく観察し、彼らと同じように感じることができれば、自ずと当時の演奏習慣、つまり暗黙の了解として記譜されなかった音楽上の慣習が見えてきます。楽譜に書かれた音符ばかりに気をとられ、「きちんと吹く」為の技術向上こそが上達への道という強迫観念にとらわれていた私にとって、社会や文化、思想といった大きな視点で音楽を捉える発想は実に新鮮でした。それまで何となくやってきた音楽の本当のおもしろさと奥深さを、その時初めて心から味わうことができたように感じました。
 そして先生が吹いて下さったモーツァルト時代のフルートも、現代のパワフルで華やかなフルートしか知らなかった私にとって実に衝撃的でした。縁日の道端で売っていてもおかしくない単純な形をした楽器から紡ぎだされる、甘く優雅で色彩ゆたかな音色、軽妙で饒舌なアーティキレーション。こんなモーツァルトの世界があったのかと興奮して夜も眠れないほどでした。18世紀のフルートは現代の楽器と比べて音程は悪いし、音色の粒は揃わず、大きな音は出ず、改良を必要とする楽器に見えなくありません。しかし18世紀の思想や文化を知れば、それは決して欠陥ではなく、その時代が必要とした一つの完成した形なのであり、作曲家はこのシンプルな楽器の良さが最大限に引き出されるように作曲をしていたことが分かります。18世紀のフルートで、現代の巨大ホールいっぱいに無調性の現代音楽を響き渡らせることは不可能です。しかし響きのよい、例えば貴族の館の一室でバッハやモーツァルトを演奏するならば、昔のフルートが現代の楽器が失ってしまった素朴な優しさと気品を、持っていたことに気がつくことでしょう。
 本書では、ヨーロッパにおける音楽、文化、思想、社会の変遷をたどりながら、その影響をうけてフルートを取り巻く世界がどのように変化していったのか、古代からモダンフルート誕生までのフルート史を考察してみたいと思います。
 笛は古代エジプトやバビロニアにも既に存在しており、人類の歴史と同様の長い歴史をもっています。ルネッサンス時代のフルートは一見きわめて単純ですが、その背景にはかのレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロを生んだ偉大な精神が流れているのを感じることができますし、17世紀に始まる壮麗で彫りの深い陰影を持つバロックは、よりニュアンスがより細やかで上品な円錐型フルートを誕生させました。それぞれの時代の音楽と人々の心情を表現する道具であるフルートは、文化や社会思想を反映しながらその時代に一番ふさわしい形を求めて、絶えず改作が試みられてきました。
 現在の私は各々の時代に即した楽器を使って、つまり16世紀の音楽は明るく素直な円筒管ルネッサンス・フルート、バッハは渋めの1鍵式円錐管のバロック・フルート、モーツァルトは軽やかなクラシック・フルート、そして十九世紀の音楽は艶やかな8鍵式円錐管のロマンティック・フルートで演奏する、いわゆる「古楽器奏者」として演奏活動を行っています。社会史や芸術史の専門家でもない私が「フルートの歴史」を書くというのは大それたことだと思いますが、実際に古い楽器や楽譜と格闘する日々の体験を通じて得た実感を交え、本書をまとめてみました。気楽にお読みいただければ幸いです。