過去のリサイタルの記録3

ブルージュ国際古楽コンクール入賞記念演奏会
前田りり子/バロックフルートリサイタル

 2000年5月13日 宇部市緑橋教会
 5月14日 広島市エリザベト音楽大学 ザビエルホール
 5月16日 福岡市あいれふホール
 5月17日 唐津隆太窯
 5月19日 東京オペラシティ リサイタルホール

前田りり子(バロック・フルート) Liliko MAEDA (Flauto Traverso)
ロベール・コーネン(チェンバロ) Robert Kohnen (Cembalo)
平尾雅子(ヴィオラ・ダ・ガンバ) Masako HIRAO(Viola da Gamba)

 コーネン先生も平尾さんも、どちらも古楽界の大先輩ですが、私の演奏を柔軟に、しかもがっちりとささえていただき、本当に気持よく演奏することができました。「3世代、つまりおじいさんとお母さんと娘のアンサンブルね」と平尾さんに言われましたが、言葉と世代を超えて、ひとつの心で新しいなにかを生み出すことのできる音楽は、やっぱりすばらしいと実感しました。コーネン先生からも「いつか、またやりたいね」というお手紙をもらいました。


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リサイタル2000
プログラムノート           前田りり子

 1600年頃から1750年頃までのバロック時代と呼ばれる150年の間、音楽はイタリアを中心に発展していた。オペラ、コンチェルト、ソナタ、オラトリオ、カンタータなど、19世紀までの音楽に使われた形式のほとんどすべての基礎が、バロック時代のイタリアで生み出された。演奏技術も著しく向上し、名人芸を持つイタリア人歌手達がヨーロッパ中で熱狂的に迎えられ、各地でイタリア・オペラが上演された。大志を抱く若者はこぞってイタリアに留学し、留学できぬ者もイタリアの作曲家の楽譜を手に入れては独学した。コレルリ(1653−1713)のヴァイオリンソナタOp.5は、模範にすべき代表的な曲として、再版に再版を重ねた。イタリアは音楽の一大中心地となり、モーツァルトの時代にいたるまで、音楽を志す者にとって一度は訪れてみたい聖地となった。
 ところがそのイタリア至上主義に唯一不快を示す国があった。ルイ14世の率いるフランスである。ヨーロッパ中を興奮の渦に巻き込んだイタリアの名人達が奏でるダイナミックで自由奔放な演奏も、優雅で洗練されたフランス宮廷人にとっては、軽薄で粗野なものでしかなかったらしい。強力な中央集権化を推し進めていたルイ14世にとっては政治的にも、王を中心とする独自の文化を推進する必要性があったに違いない。自らもダンスの名手であった王の趣味も反映して、フランスでは、舞曲を中心とするより洗練された宮廷音楽が作曲家リュリ(1632−1687)を中心に展開した。
 しかし、ルイ14世が1715年に亡くなると事情はまた変ってくる。それまで冷遇されてきたイタリア派作曲家達の活動が、フランスでも表立ってくるようになり、イタリア趣味とフランス趣味の優劣を競っての激しい議論があちらこちらで交されるようになった。それまでは流行と権力にしたがってフランス趣味に彩られた曲を書いていた作曲家達も、18世紀が進むにつれて、次第に両者の長所を意識的に融合しようと努力するようになるのである。
 ルイ14世のオルガンニスト兼チェンバロ奏者として活躍したフランソワ・クープラン(1668−1733)は王の死後、融合派の先頭に立っていた作曲家で、コレルリ賛、リュリ賛という表題付きトリオの中で、両趣味の代表的な作曲家二人を登場させ、アポロンの口を借りて、フランスとイタリアの趣味が結び合ってこそ音楽の完成がもたらせられると説いている。彼のヴィオール組曲はリュリ賛出版の3年後、1728年に出版されており、優雅ながらも輝かしい見事な2つの趣味の和を見せている。
 ルイ14世が亡くなった時まだ18歳の若者であった、ヴァイオリンニストのジャン=マリー・ルクレール(1697−1764)は、より自由な環境の中で、コレルリの門下生であったソミスに師事し、天使のような音色と形容されるヴァイオリン演奏で大成功を収めた。クープランのヴィオール組曲と同年の1728年に出版された彼のヴァイオリンソナタ集第2巻は、イタリア的な華やかさを見せながらも、どこかにフランス的な節度とメランコリーさを漂わせる習作ぞろいの作品集で、全12曲中5曲にフルートで吹いてもよいとの但し書きがある。本日演奏するホ短調のソナタはその第1曲目にあたる。
 クープランの次世代にあたるオペラ作曲家、ジャン・フィリップ・ラモー(1683-1764)の作品の中にはもう、一昔前に見られたような、2つの趣味の融合への努力や葛藤はない。イタリアの強い影響をうけながらもそれを乗り越え、色彩豊かで軽妙な、フランス独自の世界を開くことに成功している。
 ラモーのコンセール第5番は、遅咲きの作曲家(彼は50歳でやっとオペラデビューをはたし、それから死ぬまでの間に30曲にのぼるオペラを書いている!)のもっとも油ののりきっていた時期、1741年に出版された作品で、華やかなチェンバロソロの上でただ色を添えるためだけかのように演奏されるガンバと、フルートの旋律は、バロック時代の典型的なトリオソナタとは一味違い、古典派のシンフォニーへの予感を感じさせる。各楽章についている題は当時活躍していた音楽家やダンサーの名前であり、おそらくラモーの親しい友人でもあったに違いない。
 一方、同時代のドイツでは、どのような音楽が好まれていたのだろうか?16世紀のルターによる宗教改革以来、ドイツは激動の時を迎えていた。17世紀の初めにはプロテスタントの教会音楽を中心にかなり高い質の音楽が行われていたが、1618年に始まった、30年に及ぶ悲惨な宗教戦争で、人口の約3分の1を失い、17世紀の間にすっかり文化後進国へと落ち込んでしまっていた。戦後、遅れを取り戻すために多くの若者が先進国であるイタリアやフランスへ留学し、また多くのイタリア人やフランス人の音楽家もドイツへ呼びよせられた。積極的に外国の文化を取り入れることによって、文化の向上が図られ、様々な音楽活動が各都市や宮廷で展開することとなった。そのような国際的な影響のもとで育ったバッハやテレマンなどのドイツ盛期バロックの作曲家達は、輝かしいイタリアと優雅なフランスの二つの趣味をほどよく混ぜ合わせた上に、理論的で構築性に優れるドイツのスパイスをふりかけるという、後に国際様式、もしくは混合様式と呼ばれるようになる新たなドイツ独自の音楽を切り開いていった。
 輸入過剰気味だったドイツ音楽界も、18世紀半ばになってくると、ヘンデル(1685−1759)や、テレマン(1681−1767)など、国際的に名前の知られる作曲家が出るほどまでに回復する。サービス精神が旺盛なテレマンは、だれにでも分かりやすい旋律と構成を持つ作品を書き、精力的に楽譜出版も行ったため、ドイツ随一の作曲家として当時バッハをはるかにしのぐ名声を全ヨーロッパで得ていた。無伴奏フルートのためのファンタジアはそのような市民向けに出版された曲集の一つで、フルートのよさと当時流行っていたギャラント様式をうまく結び付けた傑作である。
 ヨハン・セバスチアン・バッハの「最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ」は、彼のすぐ上の兄が、スウェーデン王の軍楽隊のオーボエ奏者に採用されて、軍隊に同行してポーランド戦線に赴くことになった時に、18歳のバッハによって書かれた微笑ましい曲である。
 コンサートの最後に演奏されるバッハのフルートソナタホ短調は、非常に技巧的なコンチェルト様式を用いて書かれているため、ドレスデン宮廷で活躍していたフランス人の天才フルーティスト、ビュッフェルダンのために書かれたのではないかといわれているが残念ながら確証はない。
 「バッハは小川(ドイツ語でバッハ)ではない、大海である」とはべートヴェンの言葉であるが、バロック音楽の流れをたどってみると、様々な流れはすべてバッハで終結している。バッハの音楽の中で、ルネッサンス以前の対位法という横糸と、バロックで発展した複雑なハーモニーという縦糸が見事に絡み合い、独、仏、伊のそれぞれの趣味が、その存在を主張しながらも見事な調和を見せている。今年はバッハの没後250年にあたる。1600年のイタリアオペラの誕生と共に華々しく始まり、全ヨーロッパへと広がっていったバロック音楽は、1750年のバッハの死と共にその幕を閉じたのである。

前田りり子「バロック・フルート・リサイタル」についての日本経済新聞の批評が掲載されましたので、転載します。(2000年5月25日夕刊より転載)
素朴で優雅、確実な表現

 日本の若い古楽器奏者たちの水準の向上には、まさに目を見張るばかりである。そのひとり、バロック・フルートの前田りり子のリサイタルを19日、東京オペラシティ・リサイタルホールで聴いた。
 前田は昨年、ブリュージュ国際古楽コンクールで2位入賞(フルートでは最高位)、現在はバルトルド・クイケンに師事してオランダのハーグ王立音楽院大学院で学んでいる。
 リサイタルはルクレールの「フルート・ソナタ ホ短調」で幕が開けられた。チェンバロにベルギーを代表する大家ロベール・コーネン、ヴィオラ・ダ・ガンバに平尾雅子と、すばらしい共演者を得た前田は、イタリアで学んだフランス人ヴァイオリニストであるルクレールの混合形式を、趣味の良い演奏で表現していた。続いてはF・クープランの「ヴィオール組曲第2番イ長調」コーネンのみごとなチェンバロに支えられた平尾のヴィオラ・ダ・ガンバは、正確な音程感と達者な技術で聴き応え充分。ラモーの「コンセール第5番」は、すでに前古典的な響きを備える佳品だが、ここでは三者の合奏力の確かさが遺憾なく発揮された。
 休憩をはさんでの後半はフルート独奏で始まった。曲はテレマンの「12の幻想曲」から第11番ト長調と第8番ホ短調。前田のバロック・フルートの素朴で優雅な響きが、良い意味で日本的な情感をたたえているのが好ましい。コーネンの独奏によるバッハのカプリッチョ「最愛の兄の旅立ちに寄せて」BWV992は、内省的な表現の中に人間的な暖かみを感じさせるしみじみとした演奏。
 この夜の最後はバッハの「フルート・ソナタ ホ短調」BWV1035で堂々と締めくくられた。バッハならではの複雑なリズム構造を、前田は充分に意識して確実な表現を見出す。その全力投球が可能なのも、コーネンのチェンバロの、深い思索に支えられた雄弁な音楽があればこそ。この大家の胸を借りてみごとな合奏を繰り広げた2人の日本女性に、聴衆は惜しみない拍手を捧げた。
(音楽評論家 樋口 隆一、写真は林 喜代種)

■ロベール・コーネン(Robert KOHNEN チェンバロ)
1932年ベルギー生まれの名チェンバリスト、オルガニスト。メヘレンとブリュッセルの音楽院でオルガンを学ぶ。チェンバロ奏法は独学でマスター。1958年アラリウス・アンサンブルの創立メンバーで、レオンハルト、ブリュッヘン、ヤコブスなどと協力して、今日の古楽の隆盛を築き上げた巨匠の一人である。とくにクイケン兄弟のアンサンブルやラ・プティット・バンドの有力メンバーとして活躍し、日本でもその精妙な演奏は大きな感動を呼んだ。特にその通奏低音奏法の美しさは高く評価されており、ブリュッヘンやクイケン兄弟等と協演した多数のCDがある。現在ブリュッセル王立音楽院の教授。日本からの留学生も多く、これまでに有田千代子氏をはじめ多くの優れたチェンバロ奏者を育てた。
■平尾雅子 (Masako HIRAO ヴィオラ・ダ・ガンバ)
国立音楽大学楽理科卒業。在学中より大橋敏成氏にヴィオラ・ダ・ガンバの手ほどきを受ける。スイスのバーゼル・スコラ・カントルムにてジョルジュ・サヴァルに師事。ソリストディプロマを得て同校を卒業後、オランダのハーグ王立音楽院にてヴィーラント・クイケンに師事した。在欧中は「エスペリオンXX」のメンバーとしても活躍。帰国後、日本を代表するヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の一人として、内外の名手と共演、全国各地にて多数のコンサートやレコーディング等に出演している。ALM(コジマ録音)よりCD「マラン・マレの横顔 I& II」「J. S.バッハ:ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ全3曲他」をリリース。京都市立芸術大学講師。「チェリス」メンバー。