二十一世紀に伝わる熊延鉄道の証し
「追憶の汽車みち」

熊延鉄道探検隊(最寄打越、えいきち、You−enてっど : 敬称略)

きくち電車クラブの掲示板で知り合った者たちによって、熊延鉄道跡をたどりました。
調査は、まだ途中で、現場も時とともに変化していますが、現状報告の意味を込めてこのページをUPしました。
新しい情報が入り次第、逐次UPするつもりでです。
また、情報をお持ちの方からの連絡もお待ちしております。


良町〜中の瀬間(向南熊本) 
道路に転用されている。
(撮影:You−enてっど 2000/5/3)


良町〜中の瀬間(向砥用) 
線路跡が残っている。
この先、線路跡は、住宅地に取り込まれたり、
浜線バイパス(鯰駅の先まで)に取り込まれたりしている。
   (撮影:You−enてっど 2000/5/3)

良町〜中の瀬間
 狭い水路を渡っていた橋梁の橋台が残っている。
(撮影:You−enてっど 2000/5/3)



鯰〜上島間(向砥用)
 線路跡が未舗装の道路となっている。
(撮影:You−enてっど 2000/5/3)


鯰〜上島間

鯰〜上島間
 水路にかかる鉄橋が残存している。
(撮影:You−enてっど 2000/5/3)
水路にかかっていた橋梁の橋脚が残存している。
     (撮影:You−enてっど 2000/5/3)


浅井駅跡を示す記念碑 

浅井駅前商店の「本田食料品店」
(平成十年三月甲佐町教育委員会によって設置〉
「熊本市と砥用を結ぶ熊延鉄道の駅。竜野地区
から熊本へ通う輸送路として重要であった。
大正5年から昭和三十九年まで、住民の足として
大活躍したが、トラックの普及、道路の整備が進み、
しだいにさびれ、三十九年三月に廃止された。」
        <記念碑文面を転記>
       (撮影:最寄打越 2000/8/14)
ここの店主が浅井駅の駅名表を保存されている。
駅名表を持っているのは、えいきち氏
      (撮影:最寄打越 2000/8/14)


浅井駅の駅名表
(撮影:最寄打越 2000/8/14)


甲佐駅跡を示す記念碑
〈平成十年三月甲佐町教育委員会によって設置〉
「大正5年から昭和三十九年まで甲佐地区や砥用
地区と熊本市を結ぶ重要な交通路だった。通学や
通勤、買い物や荷物の運搬に大活躍し、木材や石
炭、穀物や野菜の移出、各種消耗品の移入など、
甲佐の駅前は商店が並びとてもにぎやかだった。」
<記念碑文面を転記>
(撮影:最寄打越 2000/8/14)


甲佐駅跡(向砥用)
熊本バスの車庫や道路になっている。
鉄道を感じられるものは何も無い。
(撮影:最寄打越 2000/8/14)

南甲佐〜佐俣間
小川島集落に残る砥用側の橋台。
(撮影:えいきち 2000/8/14)

南甲佐〜佐俣間
築堤が残っているがこのすぐ先でなくなる。
(撮影:えいきち 2000/8/14)

佐俣〜釈迦院間
馬門橋横に橋脚が残っている。
(撮影:えいきち 2000/8/14)

佐俣〜釈迦院間
築堤らしきものがあるが?。
(撮影:えいきち 2000/8/14)

釈迦院駅跡
駅が在ったことを示すものはなにもない。
(撮影:えいきち 2000/8/14)

釈迦院〜砥用
線路跡は道路になっている。。
(撮影:えいきち 2000/8/14)

釈迦院〜砥用間(右が砥用側)
鉄橋も道路に転用されており、橋の名前は
「しもながとみばし」(昭和56年3月竣工)
この鉄橋には、製造銘盤が残っている。
「熊延鉄道株式会社 昭和六年八月」
「福岡県若松市今村製作所製作」(原文は右から)
(撮影:You−enてっど 1996/5/1)

砥用駅跡
砥用駅の駅舎が熊本バスの乗務員休憩所として使用されているが、人気がない。                 
(撮影:You−enてっど 1996/5/1)
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