八幡大神、一般に八幡様と呼ばれる神社は全国に3万社はあるといわれており、日本全国に鎮座する神社の1/3は八幡宮、八幡神社であります。これ程までに日本国中にお祀りされ、勧請された八幡神とは。


1.御祭神について

誉田別命(ほんだわけのみこと)を柱に、玉依姫神(単に比売神とも)、息長帯姫神(母神)、又仲哀天皇(父神)をもって八幡大神と称します。 誉田別命(応神天皇)は八幡大菩薩とも称され、日本の神々の中で最初に仏名を持った神様でもあります。誉田別命(品陀別命とも称す)は、何よりも外国の文明を取り入れた、大和朝廷の傑出した文化人指導者であった。 玉依姫命(たまよりひめのみこと)は、宗像三女神のことと言われており(一説には卑弥呼)、八幡信仰を語る上で最も古い神様であると言われております。 息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)は、神功皇后さまで応神天皇の母神様であります。 本宮は、九州宇佐神宮(宇佐八幡宮)であり、そこから各地に勧請お祀りされてゆきました。 八幡信仰は、時代時代で色々な変化、変容を見せて各地に伝播してゆきます。

2.信仰の変遷

先ず、八幡を(はちまん)と呼んだのか(やはた)と呼んだのかも容易に伺い知ることはできません。 朝鮮半島との関係も指摘されています。海上安全や鉱業の神であり五穀豊穣、家内安全の神様であったが、早くから仏教と習合していたことが八幡神の大きな特徴でもあります。特に奈良東大寺(総国分寺)の大仏建立に協力したとされ、仏の守り神として崇敬され、大寺建立の折りには八幡神がお祀りされました。時代劇などでお侍が「南無八幡大菩薩」と云いますが、八幡大神の仏称であります。 次に、国の行く末を案じた時には、九州宇佐神宮にお伺いをたてるのが古い習わしであったようで、弓削道鏡事件は有名です。僧位で皇位につこうとした弓削道鏡が八幡大神の御託宣により失脚、左遷されます。左遷された寺が下野薬師寺です。 当社はこの頃に勧請されたのではないかとの見方が有力でありますが、確たる証拠はありません。又、母子神信仰もあって安産や成長健全の信仰も顕著であります。特に源義家公が石清水八幡宮で元服し八幡太郎と称したのは有名です。 後に源氏の氏神として確立されてゆくと、武神として各地の武将達が領地にお祀りします。そうして、現在では、何処にいっても八幡様がある(鎮座している)ということになるのです。 一口に八幡様といっても、どのような時代に、どんな経緯で勧請されたのかは各社とも一様ではありません。地元の氏神様について少しでも興味を持って頂ければ幸いです。

2.御 利 益

そういった経歴の神様ですから、御利益は無限大です。特に国家鎮護、家内安全、交通安全、厄除け、災難除、成長健全、安産があげられます。

薬師寺八幡宮社務所