平成17(2005)年 雑記帳
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6月
7月
8月以降
5月7日(土)
違和感と自戒
尼崎事故を巡る一連の報道、自分も片棒を担いでいるのであまり大きなことは言えないのですが、違和感を感じています。特にテレビでですが、民放のワイドショー的な番組は最初から見る気がしないので、問題外。
まず、オーバーラン(長いので「過走」と表記して押しきった事あり)について。事故後、過走そのものが悪であるかのように(まぁ、誉められたことではないですが)ささいなものまで取り上げられています。
個人的には「ホームに入っていればOK」。100m超はともかく、数m程度のものまで連日全国ニュースで取り上げられるのには辟易しています。
今回、過走が問題となったのは、(1)遅れの原因となり速度超過を招いた(2)過走したこと自体が「過酷な日勤教育」の対象となり、運転士に重圧を与えた という2点のはず。
現状は、「メディアによる公開日勤教育」が行われているのに等しいのではないだろうか。
つぎにATS。「新型ATS」すなわちATS―Pが万能であるかのような論調が大勢ですが、一言でATSと言っても、かなりの種類がある上に、信号設備の変更は簡単にはできない。
まぁ、偉そうな事言いましたが、「ならお前書け」といわれても、他人に分かるように書く自信はありません。我ながら情けないですが、ATSの話は書き始めて「あぁ、ドツボにはまった」と思っています
最後に伝える側の姿勢。JR西の記者会見で声を荒げる記者の姿をテレビでご覧になった方もいるかと思います。どこの社の記者かは知りませんが、取材と糾弾を取り違えているのではと思いました。(追記:読売でした)自分の抱いたのと同じ違和感をほかの人も感じていたんだなぁと思うとともに、日ごろの立ち居振舞いには気をつけねば。
瀬戸で元岐阜勢と再会
3連休の最終日。初日は散髪、2日目は雨の中部屋の掃除だったため、「どこへ行こうか」と思案し、瀬戸へ向かった。
要は元名鉄揖斐・谷汲線廃線後に「瀬戸蔵」で展示されているモ754を見に行こうという話なわけです。
出発が午後3時で、瀬戸電尾張瀬戸駅に降り立ったのは午後5時過ぎ。西日がまぶしい。万博長久手会場へ向かうシャトルバスやその他の路線車を観察。「せとやきもの世界大交流」のイベント期間中運行される市内回遊バス(無料)の北ルートもやってくる。名鉄バスの路線車だが、よく見ると…4045。かつて岐阜自営にいた車だった。
瀬戸蔵へは歩いて数分で着く。入場口を入ると、目の前にモ754が鎮座していた。色は最末期の赤から瀬戸電時代の緑になっていた。展示の都合で3分の1が切り落とされてしまったのが残念だが、車内はかつてのまま。座席に座り揖斐・谷汲線の記憶を呼び起こす。運転台にも入れたので、マスコンとブレーキハンドルを握ってみる。
しかし、モ754を降りると、そこは昭和40年代の尾張瀬戸駅だった。駅舎が復元されており、ポスターや掲示など往時の雰囲気が再現されていた。
このまま帰るのはもったいない。瀬戸物の歴史や技術にまつわる展示を見学。外に出るころには空は薄暗くなっていた。瀬戸蔵の目の前には「瀬戸記念橋」バス停。かつてはバスの駅だった所だ。川沿いの空き地が跡地の一部だったはずだ。
5月1日(日)
VS深夜バス第2弾 ドリームなごや岐阜1号
東京で行われたイベント帰り。2月19日に乗ったパピヨン号に続き、ドリーム号にも挑む。
23時。東京駅八重洲口。バスで名古屋や大阪,盛岡などに向かう人々でごった返す。ほとんどが2階建てバス、続々と発車する様は圧巻。自分が乗るドリームなごや岐阜1号は、前のバスの発車が遅れたため若干遅れての着車。指定の席に座る。今日の席は1階席。頭が天井に当たりそう。しかも、座席は1+2列で、2列の窓側。隣の人を起こさなければトイレに行けない。万一を考え、ビニール袋と下痢止めを用意。先日発生した高速バスの事故では、シートベルトをしていなかった乗客が犠牲になっていた。きっちりベルトを締める。
過日のパピヨン号とは異なり、途中休憩はあったものの、隣の人が起きないため我慢。寝たのか寝てないのかよくわからないまま、気がつけばバスは早朝の名古屋市内を走っていた。星ヶ丘、千種駅と停車。6時、ほぼ定刻通り名古屋駅に到着。ここで大半の乗客が降りる。ここから約1時間。国道22号を通り、7時過ぎにJR岐阜駅前に到着した。
尻が痛い。やられた。
4月25日(月)
尼崎JR脱線事故
尼崎で起きたJR福知山線の脱線事故。7両の快速電車がマンションに激突、死者50人以上という、近年まれに見る大惨事となった。
まだ車内などに死傷者が取り残されている状況で、原因がどうこうといいうのは、まだ早い気がするものの、触れないわけにはいかないか。ただ、ミスリードしないようにだけはしなければ。
しかし、テレビに出てくる評論家はいい加減なのが多いなぁ。あれでカネ貰えるなら、楽な商売だ。「軽量ステンレスは弱い」と言われても、普通鋼製で丈夫そうな国鉄型でも大破した例はいくらでもある。煽るのも大概に。
見た目市バス、実は岐阜バス―岐阜市営移籍車
先月末限りで姿を消した岐阜市営バス。岐阜バスへの路線移譲は3年計画で、車両も対象だったため、「衣替え」したバスが町中を走ることになる。過去の例からすると、5月ごろにデビューするが、今年も順次、工場から出てきた模様。
岐阜22き・493。岐阜西に配属された模様。ご覧の通り「リースキン」の広告車だが、岐阜市営の塗装のまま、「岐阜バス」と書きこんだだけ。ついに前面も塗装省略…
行き先表示機はLEDに交換されている。
いずれも大仏前のバス停付近で撮影。
4月24日(日)
ヤミ更新
ブロードバンド環境必須の岐阜バスの写真と名鉄バスの名古屋空港の両ページ、および当ページをこそっと書きかけのまま上げてみました。
4月21日(木)
ぴちぴちボイスでライブスタート
4月18日(月)
樽見鉄道 桜ダイヤ
4月2日(土)
「祭りで大荒れ」
4月1日(金)
【市ノ坪観察、市バス引き継ぎ】

長良線=写真左=は岐阜営業所担当。方向幕も用意された。加納南線=同右=は岐阜北営業所が岐阜市交通事業部部庁舎跡に移転した柿ケ瀬営業所が担当。
3月31日(木)
最終日
岐阜地区の名鉄3線最終日。勤務だったが、早朝から沿線に貼りついた。
朝、6時ごろ自宅を出発。市民会館・裁判所前からバスで旦ノ島へ。尻毛橋で揖斐線のモ780の3重連を撮影。
忠節に移動し、岐阜市内線を朝のみ走るモ570に乗車。友人と会ったので合流。新岐阜駅前まで往復。忠節に戻ると、昨日まではそのまま構内に留置となったが、この日は回送で市ノ坪に引き上げられたため、徹明町まで移動、後続のもう1両のモ570の回送を撮影。
再び新岐阜に戻る。揖斐線沿線の実家に戻るという友人と一旦別れ、自分は美濃町線へ。車内は込んでおり、座れず。実は徹夜して出てきたため、体力のピークに。関で電車から降りるのに10分かかり、折り返しも座れなかったため、新関でバスに乗り換え。岐阜バス岐阜上之保線の新岐阜行きに乗り、仮眠。小屋名で先ほど乗った電車を追いぬく。
12時30分、再び徹明町。今度は美濃町線沿線在住の友人も加わる。市ノ坪構内で屋台が出ているというので、昼食ついでに向かう。線路以外の構内が「最後の大開放」状態。構内には20日の団体列車で運用を離脱した「丸窓」モ510や、午前中に回送を見送ったモ570が。
再び新岐阜に戻ると、市内線が大幅遅れに。加えて乗客が集中、あの狭い"非安全地帯"からあふれんばかりになっていた。思わず20分ほど観察してしまう。
おなじく31日限りで姿を消す岐阜市営バス。JR岐阜駅前案内所でペーパークラフトを配布していた。このあたりで、自分は時間切れ。「ぼちぼち歩いて出勤するか…」と思い、新岐阜駅前に行くと、さきほどよりも客数が少なめ。「乗れる」と思い、徹明町まで乗車。これが岐阜市内線の乗り納めとなった。
仕事を終えた午前1時。美濃町線の最終が終わった後の回送を見ようと競輪場前へ。若干出遅れたため、クルマの中からしか見られなかったが、電車3本が回送で続行するのを見届け、家路についた。…まさか、ここでも友人2人に出くわすとは。
3月27日(日)
ラストサンデー
今月末に廃止となる名鉄3線の「ラストサンデー」となった27日、沿線各地は名残を惜しむ沿線住民や鉄道愛好者らでにぎわった。
自分は休みだったが、職場の野球チームの開幕戦。しかし、球場が市ノ坪の工場のすぐ南。この好機を逃す手はないと、集合時間の1時間以上前に到着、カメラを持って線路際へ一目散。
この日のポイントは、田神線が専用軌道から併用軌道に出る所。ここでは、岐阜城をバックに併用軌道を行く電車という構図が撮れる。すでに“同業者”が20人ほど出ていた。30分間隔の時間帯だったため、上下3本ほど撮り退散。球場へ戻る。
試合後は高校時代からの友人(揖斐線沿線出身)と連れ立って、尻毛橋や上芥見などの定番ポイントでの撮影を絡めつつ、3線全線に乗車した。
3月22日(火)
冷たい雨
休みなので美濃町線を撮りに行こうと意気込むものの雨。仕方がないので関までの1往復で引き上げる。傘をさしての撮影。やはり濡れた…
3月20日(日)
ニアミス多発?
大学の先輩に誘われ揖斐線へ。新岐阜駅前に着くと、黒山の人だかり。丸窓電車として知られるモ510の団体列車だった。
ここで、職場の別部署の先輩と遭遇。向こうは(一応)仕事中。こちらは仕事前。その後、黒野でも別の先輩が仕事中だった。さらに、東京在住の高校の後輩ともバタリ。
3月18日(金)
揖斐線 撮影行
休みだったので、揖斐線で撮影。忠節、尻毛橋、黒野、下方と回る。平日だというのに、そこそこの人出。あすからの3連休が思いやられる。
昼過ぎ、市内区間で電車と車の接触事故が発生した模様。一時は10分程度の遅れが出たが、夕方には平常に戻った。黒野で見たところ、事故車は多分、モ784。損傷は軽微か。新岐阜方ヘッドライトが外されていた。
3月15日(火)
青春の西野町
出勤前に西野町へ電車の撮影に。母校の最寄り停留所、10年前の思い出が浮かんでくる。当時通学の足にしていた市営バスも電車も今月限りと思うと感慨深いものがある。写真は、名鉄岐阜地区3線の廃線追悼企画に1枚。思い出話を書き始めると延々と続くので、また別の機会に。
3月13日(火)
廃線間際、ファンら殺到
穴水から蛸島まで往復。3両でも満員、普段からこれだけ(以下略) 北國の1面にも出てたし。
道中、雪。ダイヤ乱れを心配したが、ほぼ平常運行。
帰りは友人のクルマ便乗。雪に阻まれ、午後11時に自宅着。北陸道で時速50キロ… いや、だから、前が見えないんだって。
3月12日(土)
能登遠いよ能登
3月限りで穴水―蛸島間が廃線となる、のと鉄道を訪れた。
しらさぎ5号で金沢へ。途中、福井まで満員だったものの、まとまった降車が。何かイベントでもあったんか(知らないフリ)
昼食後、サンダーバードで和倉温泉へ。これも満員。バスで温泉街へ。七尾バスのUD+西工ノンステ新車。
のと鉄道残存区間となる穴水までNT100。直角クロスシートが腰に来る。友人に予約してもらった民宿で牡蠣づくし。
3月10日(木)
リニモ試乗
3月6日、愛知万博(愛・地球博)へのアクセス路線となる「リニモ」(愛知高速交通東部丘陵線)が開業した。同線は、HSST式浮上式リニアモーターカーを採用、藤が丘(名古屋市)―万博八草(やくさ・愛知県豊田市)間8.9kmを約17分で結ぶ。
開業日に行こうと思っていたが、起きたら午後1時だったため断念、この日が初乗車となった。
午前中の晴天がウソのような雲行き。わずかに雨が降り若干肌寒い。地下鉄東山線に乗り藤が丘までやってきた。地下鉄は高架だが、リニモの藤が丘駅は地下にある。
駅前には、万博開催時にリニモ利用者を滞留させるためのテント付き広場が。リニモ開業と同時に名鉄バスも路線の改廃を行い、以前来たときに比べバスの数が激減していた。
リニモ乗り場へ。改札機にユリカを通す。同線は「トランパス」に対応している。ホームは1面2線の構造。到着列車から乗客が吐き出されてきた。
乗った列車に、T海テレビの報道クルーご一行様も同乗。極力映り込まないよう外を見る… 地下だった。はなみずき通り駅で地上へ。長久手の町を見るのは初めて。直角カーブを曲がり、鞍ヶ池公園駅。アピタ長久手店に直結していた。T海取材班、車内でインタビュー。家族連れが多かったため、そちらを攻めていた模様。
列車は長久手古戦場駅へ向け、直線区間を一気に加速。しかし、電気系統の音以外は聞こえず、揺れも少ない。リニモの本領発揮といったところか。トヨタ博物館や名鉄バス名古屋営業所が見えると芸大通駅だ。公園西駅に近付くと、万博会場が前方に見えてくる。
ここから急勾配。しかし難なく上る。高低差に強いのもHSSTの特徴だ。パビリオンを右に眺め万博会場駅。同駅は4面3線と、リニモ最大の規模の駅だ。万博観客の動線が交錯しないよう、降車ホームと乗車ホームが分離されていた。
陶磁資料館南駅からは一気に下り勾配。左手に万博会場間を結ぶゴンドラを見ながら万博八草駅に着いた。
同駅は万博協会お勧めの乗換駅。愛知環状鉄道の駅も、10連対応のホームに延長された。ここも乗降客が交錯しないよう分離されていた。一旦地上に降りる。
再びリニモ乗車。万博会場駅へ。当然、会場内へは行けないものの、パビリオンなどの外観はのぞく事ができた。また、燃料電池バスも試運転を繰り返しており、撮影した。しかし、雨の午後5時。見事にブレていた。
再び万博八草へ=写真=。乗り場は「0番線」。ホームの造りは仮設のよう。屋根もテント張りだった。
万博八草からはJR直通の「エキスポシャトル」。211系5000番台の7連。さすがに空いていた。愛知環状鉄道内はノンストップ、高蔵寺からの中央線内は各駅停車だった。
3月2日(火)
日野車が運行開始
ふそう車がメインの岐阜バス。近年は岐阜市営バスから引き継いだいすゞ車や日産デ車も目立ってきたが、とうとう日野車も入った。中型ノンステップ車で、岐阜北営業所に配属された模様。
日野車そのものは、柳バスやみずほバスなどのコミュニティバスとして以前から入っていたが、純然たる路線車としては、近年はなかった。
【おことわり】例の事件に関して、当ページでは「是々非々」、「あれはあれ、これはこれ」という立場で対応します。
3月1日(月)
廃線まで1ヶ月
名鉄岐阜地区3線廃止まで1ヶ月。美濃町線の上芥見へ行ってみた。
新岐阜…もとい、名鉄岐阜から乗ったのはモ880。車内には「その筋」の方々もちらほら。
上芥見。おそらく、何も知らない人をつれていくと激しく衝撃を受けるのではないか。路地にいきなり現れる軌道=写真=、斜面にへばり付く狭いホーム… 撮影者の間でも、近くの津保川橋りょうとセットで知られた存在だ。
30分ほど留まり撮影。この日は「ロケハン」のつもりで、200万画素のデジカメしか持って行かなかった。望遠レンズがあれば面白い絵が撮れるだろう。
2月25日(金)
岐阜バスが酒気帯び事故
【概要】
25日朝、岐阜市内で岐阜バスの路線バス(り・岐南町線、岐阜駅前発岐阜大学病院行き、岐阜200か・385=写真、2004年3月1日撮影=)が接触事故、運転士からアルコールが検出された
【コメント】
この事故に関して、名古屋 四線会 掲示板に投稿した文章は次の通り。
ひさびさの書き込みが地元事業者の事故がらみというのが、何ともやりきれません。
なんだぃ様、あかはる様
>>ヘッドライトが付かないにもかかわらず、未交換でそのまま走った。
>このケースの原因は「発電機の故障」と聞いています。
手元にある新聞の切り抜き(03年12月12日付け読売)によると
発電機故障>エンジンかからず>バッテリー交換>エンジンかかる>片道30分なら行けると判断>30分遅れで発車
という流れだったようです。
まぁ、この程度なら「動きゃいいんでないの? まあ、岐阜バスだし」で済ませたのですが…
さすがに、今回は酒気帯びでの事故で、語弊はあるかもしれませんが、かばいきれません。
3月限りで廃止となる名鉄揖斐線の代替バスに影響が出ないかが心配です。
(まだ申請していなかった気が)
2月19日(土)
川崎でバスを追う
【編注:TOPから転記。さしかえる】
川崎へ行ってきました。訪れたのは同市市民ミュージアム。現地までは東急バス利用。同社川崎営業所のKA456も何とか見られ、何より。横浜駅や東京駅にも寄り“さくら”尽くし。
帰りは新宿から夜行バス。パピヨン号さんです。
2月18日(金)
名古屋空港
とりあえず写真だけ。特記以外は15日名古屋空港で撮影
2月16日限りで運行を終えた岐阜バス名古屋空港線
名鉄バスの空港バスも運行を終えた
高速バス車が空港バス運用に
国内線と国際線の両ターミナルを結んでいた無料シャトルバス。ノンステップ
国内線と国際線の両ターミナルを結んでいた無料シャトルバス。ノンステップ
西春駅からの路線バスは県営化後も運行継続
岐阜バスの05年2月新車。大型ワンステップ。ふそう車=5日、岐阜市の徹明町交差点
2月10日(木)
「南セントレア」白紙に
愛知県南知多町と美浜町の法定合併協が新市名を「南セントレア市」にした問題で、両町や同協議会に苦情が殺到。結局、「南セントレア」は撤回、合併の賛否を問う住民投票と同時に新市名に関する住民アンケートを行うことになった模様。
…「遷都麗空」にはならないよね?w
1月29日(土)
名鉄空港線が開業
2月17日開港の中部国際空港(愛称セントレア)へのアクセス路線となる名鉄空港線が開業した。肝心の空港はまだ開港しておらず、空港島内は中部国際空港駅とコンビニなどしか立ち寄れなかったが、廃線の続く名鉄で久々の新線開業に、ファンらが押し寄せた。
前日、ろくに睡眠をとらなかったのが祟り、起きたのが昼ごろ。普段と変わらない。
直前に、友人に「きょう行くからね」と知らせておいたところ、うち1人から「14:35の快速特急で名古屋までなら」と連絡が。列車はこれで決まった。
中部国際空港行きの快速特急は全車特別車。専用の新型車両2000系「ミュースカイ」=写真、中部国際空港駅で撮影=もこの日がデビュー。今までの名鉄電車のイメージを覆す、白地に青の塗装だ。
新岐阜改め名鉄岐阜駅で友人と合流。乗ってみると、内装も一味ちがう雰囲気。友人曰く「JR東日本の特急車の雰囲気」。なるほど。
車内には大型のモニター。停車駅の案内などが表示されるほか、先頭車で撮影した前面展望も時速とともに映し出される。
名鉄名古屋で友人と分かれ、空港まで乗りとおす。金山、神宮前と停車し常滑線へ。神宮前からは中部国際空港までノンストップだ。
常滑線は、比較的曲線の多い路線だ。名古屋―空港間を30分以内という目標のもと、2000系は車体傾斜装置を備え、他車よりも速く曲線を通過できるほか、曲線自体の緩和など設備の改良も行われた。柴田付近では連続立体化も進行中で、空港方面行きの線路だけが高架になっている。
太田川を通過。空港めざしひた走る。待避線や留置線が整備された西ノ口、常滑駅高架工事の際、代行バス乗り継ぎ駅となっていた榎戸もあっという間。常滑を過ぎるといよいよ新線区間。右手に駅前広場や競艇場を眺め、まだ何も無い埋立地へ。駅だけしかないりんくう常滑を過ぎると、そこは海。連絡橋を渡る。前方に空港島が近付く。いつのまにか車内にBGMも流れ、気分を盛り上げる。
中部国際空港駅に到着。駅には多数のファンが。列車が付くたびに撮影会状態だった。ホームはガラスの仕切りがあり、夏や冬でも快適に過ごせるようになっている。ちょうど記念式典の後片付けの最中だった。
駅名標=写真=を見れば分かるが、「セントレア」と大きく書かれている。英訳もご覧の通り“CENTRAL JAPAN INTERNATIONAL AIRPORT”。そういえばJR東海の英語名は「Central Japan(以下略)」だったなと思う。
しかし、電車の行き先表示は「中部国際空港」にする必要があったのかと思う。というのは、車両の行き先表示の大きさが、名鉄の在来車の場合小さく、また英語表記も入れるとかなり倍数文字の大きさが小さくなり見づらい。職業柄、文字数を削り文字サイズを上げたくなる。「中部空港」でいいのでは。以上、独り言。
改札を出て一通り見学…とはいっても、コンビニぐらいしか行くところがない。しかも、食料はあらかた売り切れ。皆考えることは同じか。
ターミナルビルは入り口からのぞくだけしかできなかった。開港後、落ち着いてから来ようと思う。
再び改札内へ。岐阜からの特急(一部特別車)が到着したので撮る。
こちらも空港線開業に合わせデビューした新型特急車で、一部特別車仕様の2200系。外観は2000系「ミュースカイ」を赤くしたもの。はい、そこ。JR東日本の「成田エクスプレス」のパクリと言わない様に。私もそう見えるけど
【おまけ】岐阜からの隠れた中部国際空港行き。犬山経由。各務原線は普通、犬山線内では準急で、常滑線は急行。所要時間は2時間ぐらい。素人にはお勧めできない。
写真のとおり、7000系「パノラマカー」も中部国際空港へ乗り入れる。どこの香具師だ?P車は空港に入らないとガゼネタ流したのは
ただし、この行き先板、上から紙が貼ってあるだけなのが、いや何とも。
1月28日(金)
正気ですか?
愛知県南知多町と美浜町の合併協議会が決めた新市名…
「南セントレア市」
中部空港の南側だからって… 思いとどまるなら今のうち。
岐阜県内では、海津郡3町が合併し3月28日に誕生する海津市が、一旦新市名を「ひらなみ市」としたものの、住民からの反発で見なおした例がある。
パノラマDXを追う きょう最終日
・二ツ杁で8800系6連撮影
・枇杷島分岐では3本
・佐屋―吉良吉田で乗車
・東笠松は有名撮影地 【業務連絡】28日「最終」で正解、現地で看板確認
・新名古屋20時20分、悲しげなミュージックホーン
【編注】写真は2〜3枚程度、いずれもヨコ
1月25日(火)
パノラマDXと5500系を追う
1月29日に中部新空港輸送を柱とする名鉄のダイヤ改定が行われる。その一方、東笠松駅(名古屋本線・羽島郡笠松町)と学校前駅(広見線・可児市)が廃止されるのに加え、8800系「パノラマDX」と5500系が引退する。廃止2駅は昨年12月に訪れたため、今回は車両中心に回ることにした。
朝8時30分、名古屋本線須ヶ口駅。蒲郡発津島行きの特急を待ち構える。同列車は8800系で、須ヶ口まで6両で運転される。
いざ、駅に着いて撮影準備… 逆光。しかも「6両編成」らしい写真は撮れず。
気を取り直し、新鵜沼駅に移動。今度は同駅行きの8800系特急を待ち構える。かつて併用軌道だった犬山橋は、隣に道路専用橋ができた後、改良工事が行われ鉄道専用となった。また、パノラマDXは登場時、新鵜沼―内海間の特急に使われていた。晩年は佐屋―吉良吉田間が主な仕事場になり、犬山線に乗り入れる運用は1本のみとなっていた。
しかし、各務原市側から犬山橋は逆光だったため計画を変更、犬山市側に歩いて移動、8800系の到着を待つ。「鉄」の姿もちらほら。皆考えることは同じか。
列車接近、シャッターを切る。しばらくすると回送となって折り返してくる。これも撮影するが、警笛を鳴らされる。「柵外なのに?」と思うと、犬山遊園のホーム端で撮るたわけの姿が。しかも、後ろから対向列車が接近中。あー驚いた。
犬山遊園から犬山へ戻ろうとホームで電車を待っていると、試運転で2000系「ミュウミュースカイ」が通過。時代の移り変わりが近いことを感じさせられた。
犬山に戻り「次はどうしよう」と思い隣のホームを見ると、地下鉄上飯田線の7000形が停まっていた。同車は、名古屋市交通局所有だが名鉄犬山検車場に常駐、しかも、ほとんど運用に入らないというレアさ。営業車は初めて見た。
「さて、小牧線に行こうか」とさらに隣のホームを見ると、今度は5500系が新可児行きの普通で出てきた。あわてて行き先変更。新可児へ。改めて5500系を見てみると、古さを感じずにはいられなかった。しかも色が昭和34年のデビュー時のもの。さすがに懐かしさは感じないが。
新可児で折り返し、日本ライン今渡で下車。駅舎の規模の割りに人気がない。必要以上に寂びれている感がある駅だ。眠くなってきたところに7500系の常滑行き急行がやってきたので、睡眠を兼ね常滑行き決定。
常滑。空港線開業を目前に控え… とはいっても、空港従業員輸送で電車そのものは走っている。ただし身分証や許可が必要なため、ホームの一角が仕切られている。数日後にはこの仕切りは役目を終える。
前回、常滑まで来たときは、駅高架工事で電車を運休させ榎戸からバス代行となっていた。駅は高架になり空港線も完成、風景が変わっていた。
【編注】写真はのちほど。よこ2〜3枚を予定
1月12日(水)
非日常と日常の境
金沢で迎えた朝。夜中、雷は鳴るは雹(ひょう)が窓に激しく当たるはで、途中起きたものの、おおむねすがすがしい朝。
続々とやってくる北鉄バスで金沢駅へ。狭い道ながら、バスレーンが確保されておりスムーズに走る。実はこの道、国道157号。死ぬ気で行けば岐阜まで行ける道。冬なので温見峠(岐阜・福井県境)は通行止め、通れても「落ちたら死ぬ」酷道、素人にはお勧めできない。というか、無謀。社会面ネタになるのがオチ。対向か3社で星かもしれないが。
列車の時間まで間があるので、30分ほど「自由行動」ということにして母と別行動。駅前バスターミナルで撮影=写真=。
一言で北鉄バスといっても、近年のバス分社化で事業者が林立、北陸鉄道の直営に北鉄金沢中央バス、加賀白山バスなどが入り乱れる。
午前10時27分、特急「しらさぎ」乗車。雪深い福井、滋賀を抜け、岐阜県内へ。関ヶ原では降っていた雪は、垂井では完全に消えていた。
大垣で乗り換え穂積へ。昼食ののち出勤。休みは1日だけなのに連休だったような気分。再び普段通りの生活がやってきた。
1月11日(火)
金沢で1泊
母を連れて金沢へ。
事の発端は、「1月中旬に3日間空きができるから、どこか行きたい」というだけの話。思案した結果、寒ブリ食べたさに行き先を金沢に決定。運良く11日は自分が休み、翌日も昼過ぎまでに帰れば通常通り出勤できるということで1泊決定。
午前中の特急「しらさぎ」=写真(資料)=に乗車、昼ごろ金沢着。雪を心配していたが、雨とあられが混ざる何ともいえない天気。昼食は寿司だ! と、バスに乗り駅西地区へ。寒風がふきつける中、国道8号沿いの有名回転寿司店に着くと… 「本日臨時休業」。ほえー。こんな店、二度と行かない。
やむを得ず、別の店へ… とはいっても、マイカーで動くことが前提のバイパス沿い。流しのタクシーすら居やしない。近くの総合庁舎まで寒空の中歩いて戻る。何が何でも寿司だ、どこへ行く? メジャーな所で、“金沢市民の台所”近江町市場へ。カニやブリが並ぶ店を一通り眺め、回転寿司店へ。別に他業態の店で食べてもよかったが、ここまで来るとただの意地。
結果オーライでこれが大当たり。安くおいしいブリやウニを堪能できた。あら汁で冷えた身体も温まり、次は兼六園へ。「北国さん、ビル大きいなぁ(謎)」などと思いながら延々と歩き続ける。
実は、金沢には数回来たが、兼六園に来たのは初めて。いつも鶴来か内灘に行くからなぁ。
枝振りの見事な松に見入る=写真=。一回り見学し、片町のホテルへ。このころには雨が降りだしていた。傘を置いてきたことを2人で後悔。
部屋で身体を拭き、夕方の街へ。武家屋敷跡などを散策、地酒と料理を味わい、ホテルに戻る。
最上階の温泉で暖まったあと、宿泊プランに付けておいたマッサージでくつろぐ。母はエステを選んだようだ。
1月2日(日)
初夢でも仕事?
今年の初夢、断片的にしか覚えていないものの、仕事をしていた気が…
正月三が日とも休みだというのに。orz
1月1日(土)
2005年もよろしくお願いします
2005(平成17)年になった瞬間、誰と、どこで迎えたでしょうか。私は、職場の上司や先輩に囲まれ、職場近くの居酒屋で迎えました。
家ではそんなに飲まないのですが、こういった席ではついつい酒量が増えてしまいます。何か変なこと言ったかもしれん
初乗りは313系
3時ごろまで飲み続け、お開きに。電車が動き出すまでまだ時間があったので、伊奈波神社へ。まぁ、いつもの帰り道なんですが。この日はクルマで来られないです。いわゆる“人大杉”状態。いつも、仕事がえりには人が歩いていません。あんたら、どっから沸いた? という感じ。DQN多いし…
露店を眺めながら参道を往復。いつも自分が車を停めている場所は当然空いているわけですが、完全に足元は完全に凍結。しかも出口は屋台でふさがれてます。
歩いて岐阜駅へ。駅に着くころには午前5時。大阪行きの寝台急行「銀河」に続き、初詣客を見込んで走っていた臨時列車が到着。313系4連の大垣行き=写真=。これが2005年の乗り始めとなった。
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