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零戦は、あまりにも速く、あまりにも効果的で、米軍戦闘機はたいしたことはできなかった。二七機の米軍戦闘機のうち、少なくとも一七機はたちまち空から姿を消し(米軍もその損失を認めている)、そのほか七機以上が大破、生き残った大部分のパイロットも負傷していた。【機種解説】堀越二郎を中心に設計され、1939年4月1日に原型機の十二試艦上戦闘機が初飛行しました。パイロットは志摩勝三でした。トータルで10123機が生産された飛行機です ゼロ戦、零戦と呼ばれ、日本では最も知名度の高い飛行機のひとつです。デビュー当時の零戦は、あらゆる性能がトップクラスで、長大な航続距離をもつ、文字通り世界最高の戦闘機でした。 海軍から出された信じがたいほどの高性能な要求仕様を、開発陣は徹底的な空力的洗練と軽量化によって実現した飛行機です。また、海軍で着陸脚が引き込み式となった初の飛行機でもあります。操縦装置から操舵翼面までのリンクの剛性を落とすことによって、速度が変わっても操縦桿の引き具合があまり変わらないという画期的な仕組みを持っていました(昇降舵のみだったようです)。 零戦にはさまざまな改良が施されましたが、重量の増加に比べて、エンジンの改造や換装による出力の増加が遅々としていたため、飛行性能は速度と急降下制限速度が若干向上した以外は悪化の一途をたどりました。 緒戦では神秘的なまでの強さを誇り、連合軍では零戦と遭遇したら戦闘をせずに離脱するようにという指示が出るほどでしたが、後継機の開発が間に合わず、日本海軍は結局、零戦のみで太平洋戦争を戦うことになり、次第に旧式化していき、最後には特攻(体当たり攻撃)機として悲劇的な最期を迎えることになります。 日本の開発した戦闘機で、世界が超一流と認めるのはこの零戦のみであり、この飛行機が存在しなければ日本は開戦に踏み切らなかっただろうとまで言われ、その運命は日本の興亡と重なり合っていました。連合軍ではジーク(Zeke)またはゼロ(Zero)というコードネームで呼ばれました。 4394,484/2-No18-8 2005.07.13 |
最初の量産型で、正式採用時には零式一号艦上戦闘機一型と呼ばれていましたが、1942年に零式艦上戦闘機一一型に改められました。略符号は当初A6Mでしたが、二一型が派生したときにA6M2aと改称されています。 エンジンは中島の栄12型(950hp)を装備、武装は7.7mmX2(680発X2),99式1号1型改1 20mmX2(60発X2)でした。数機を除いて陸上機型で、着艦フックなどは装備されていません。45号機より風防最後部のガラス部分を金属に変更しています。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 12m | 全長 | 9.05m | 全高 | 3.509m | 翼面積 | 22.44m2 | 自重 | 1671kg | 全備重量 | 2389kg |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
エンジン | 「栄」12型 | 最大出力 | 950hp | ||||||||
武装 | 20mmX2, 7.7mmX2, 30/60kg爆弾X2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 533km/h (高度4550m) | 上昇時間 | 6000mまで7m27s | 実用上昇限度 | 10080m | 航続距離 | 3502km |
正式採用時には零式一号艦上戦闘機二型と呼ばれていましたが、1942年に零式艦上戦闘機二一型に改称されました。一一型をベースに、着艦フックや航路計などを装備し、翼端を50cm折りたためるようにした艦上戦闘機型です。 零戦は三菱重工と中島飛行機の2社で生産されており、中島製のプロペラスピナーは三菱製のものより少し長かったとのことです。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 12m | 全長 | 9.05m | 全高 | 3.509m | 翼面積 | 22.44m2 | 自重 | 1680kg | 全備重量 | 2410kg |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
エンジン | 「栄」12型 | 最大出力 | 950hp | ||||||||
武装 | 20mmX2, 7.7mmX2, 30/60kg爆弾X2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 533km/h (高度4550m) | 上昇時間 | 6000mまで7m27s | 実用上昇限度 | 10300m | 航続距離 | 3502km |
高高度性能改善のために、エンジンを2速過給器付の栄21に換装し、横(ローリング)性能改善と製造コスト削減、空母運用の簡便さをはかるために主翼の折りたたみ部分をカットして翼端を角型に整形した飛行機です。最高速度も若干速くなり、急降下制限速度が667km/hに増加しました。4号機より20mm機銃は99式1号2型に換装されています。エンジンカウルの形状も変更されました。 燃料消費量が増加し、搭載燃料が減ったため航続距離が短くなり、パイロットには不評だったようです。やはり主翼の平面形で印象が変わるようで、この飛行機は連合軍では零戦とは別の飛行機だと思ったらしく、ハップ(Hap)、ハンプ(Hamp)と呼ばれました。零戦の系列と判明してからはジーク32(Zeke 32)等とも呼ばれたようです。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 11m | 全長 | 9.06m | 全高 | 3.509m | 翼面積 | 21.44m2 | 自重 | 1807kg | 全備重量 | 2544kg |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
エンジン | 「栄」21型 | 最大出力 | 1100hp | ||||||||
武装 | 20mmX2, 7.7mmX2, 30/60kg爆弾X2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 545km/h (高度6000m) | 上昇時間 | 6000mまで7m19s | 実用上昇限度 | 11050m | 航続距離 | 2378km |
三二型と同様に翼幅は11mですが翼端が丸く整形され、エルロン(補助翼)の翼単部分が延長されています。エンジンも栄21型のままですが、集合排気管から、排気が推力を生み出す単排気管に変更されました。また、エンジンカウルが再設計され、20mm機銃は99式2号3型に換装されています。 性能的には着陸速度が128km/hとやや大きくなり、急降下制限速度は三二型と同じ667km/hでした。五二型は最も大量に生産された型です。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 11m | 全長 | 9.12m | 全高 | 3.509m | 翼面積 | 21.30m2 | 自重 | 1876kg | 全備重量 | 2733kg |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
エンジン | 「栄」21型 | 最大出力 | 1100hp | ||||||||
武装 | 20mmX2, 7.7mmX2, 30/60kg爆弾X2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 565km/h (高度6000m) | 上昇時間 | 6000mまで7m01s | 実用上昇限度 | 11740m | 航続距離 | 1922km |
五二型とほぼ同じですが、20mm機銃がベルト給弾式の99式2号4型に換装されているほか、機体各部の形状が小変更され、主翼が強化されています。性能的には五二型とほぼ同等ですが、急降下制限速度が748km/hまで引き上げられました。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 11m | 全長 | 9.121m | 全高 | 3.57m | 翼面積 | 21.3m2 | 自重 | 1894kg | 全備重量 | 2743kg |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
エンジン | 「栄」21型 | 最大出力 | 1130hp | ||||||||
武装 | 20mmX2, 7.7mmX2, 30/60kg爆弾X2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 565km/h (高度6000m) | 上昇時間 | 6000mまで7m01s | 実用上昇限度 | 11740m | 航続距離 | -km |
胴体右舷の7.7mm機銃を3式 13mm銃(230発)に換装して、主翼を補強した型です。重量増加により若干性能が低下したと伝えられています。風防前面に厚さ45mmの防弾ガラスを装備した機体もあったようです。 ゲーム中のコクピットでは左の7.7mmが取り外されているように見えます。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 11m | 全長 | 9.121m | 全高 | 3.57m | 翼面積 | 21.3m2 | 自重 | 1872kg | 全備重量 | 2743kg |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
エンジン | 「栄」21型 | 最大出力 | 1130hp | ||||||||
武装 | 20mmX2, 13mmX1, 7.7mmX1, 30/60kg爆弾X2または250kgX1 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | -km/h (高度6000m) | 上昇時間 | -mまで-分 | 実用上昇限度 | -m | 航続距離 | -km |
操縦席や燃料タンクの防弾を強化し、両主翼に13mmをそれぞれ1挺ずつ追加した武装強化型です。胴体左側の7.7mm機銃は廃止され、ロケット弾を装備することができました。エンジンは水・メタノール噴射で短時間の出力増強をはかった栄31型を搭載する予定でしたが間に合わず、栄21型のままだったため、性能はきわめて劣化したということです。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 11m | 全長 | 9.121m | 全高 | 3.57m | 翼面積 | 21.3m2 | 自重 | 1970kg | 全備重量 | 2955kg |
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エンジン | 「栄」21型 | 最大出力 | 1130hp | ||||||||
武装 | 20mmX2, 13mmX3, 30/60kg爆弾X2, 小型ロケット弾 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 541km/h (高度6000m) | 上昇時間 | 5000mまで5m40s | 実用上昇限度 | 11050m | 航続距離 | -km |
A6M7には六二型と六三型があったとする資料と、六三型または六二型片方のみの資料とあります。零戦の設計主務者の堀越二郎氏と奥宮正武氏の共著「零戦」には六三型のみで、六二型の記述はありませんが、ゲーム中には六二型と六三型が設定されています。 A6M7は五二丙型をベースに、250kg爆弾を搭載し、左右の主翼下にひとつずつ増槽を搭載可能とした戦闘爆撃機です。 六二型と六三型あったとする場合には、六二型はエンジンが栄21型であったとするの通説ようです。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
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A6M7は五二丙型をベースに、250kg爆弾を搭載し、左右の主翼下にひとつずつ増槽を搭載可能とした戦闘爆撃機です。 六二型と六三型あったとする場合には、六三型はエンジンが栄31甲型(栄31型の水・メタノール噴射装置を取り除いたもの)であったとするのが通説のようです。急降下制限速度を向上するため、水平尾翼が強化されています。 重量の増加により性能はさらに低下し、着陸速度は138km/hまで引き上げられました。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 11m | 全長 | 9.121m | 全高 | 3.57m | 翼面積 | 21.3m2 | 自重 | 2155kg | 全備重量 | 3150kg |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
エンジン | 「栄」21型 | 最大出力 | 1130hp | ||||||||
武装 | 20mmX2, 13mmX3, 30/60kg爆弾X2, 小型ロケット弾 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 543km/h (高度6000m) | 上昇時間 | 6000mまで7m58s | 実用上昇限度 | 10180m | 航続距離 | 1519km |
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【機種解説】三竹忍を中心に設計され、1941年12月8日に原型機が初飛行しました。トータルで327機が生産された飛行機です 一五試水上戦闘機(後の「強風」)が開発されるまでのつなぎとして、零戦一一型をベースとし、車輪の代わりにフロート(浮舟)を装備した世界初の実用水上飛行機です。改造は、水上飛行機の開発に慣れており、零戦のライセンス生産を行っていた中島飛行機が担当しました。 中央の大きなフロートは九五式水上偵察機と同形状で、内部には320lの燃料タンクを装備し、増槽が無くとも零戦並みの航続力を持っていました。主翼下の補助フロートは1本の支柱で支えられるという斬新な構造でした。 オイルクーラーが主フロートの支柱に移動したのに伴いカウリング形状が変更されたり、垂直尾翼の増積、機体下部のフィンなどが追加されましたが、大部分は零戦の部品が流用できるよう考慮されていました。武装は零戦一一型と同じ7.7mmX2+20mmX2でした。速度は100km/h近く低下しましたが、水上戦闘機としては優秀な性能であり、緒戦では敵の単発戦闘機を撃墜したこともあったようです。 しかし、いつまでも通常の形体の戦闘機と互角に渡り合えるはずがありませんでした。当時、各国も水上戦闘機の試作を行いましたが、実戦配備には至っていません。日本は、飛行場の建設能力が劣っていたために、仕方なくこのような飛行機を必要としたと言うことができます。 とはいえ、ゲーム中でも水上を漂うのはなかなか良い気分です。連合軍のコードネームはルーフェ(Rufe)でした。 |
二式水戦にはバリエーションはありませんでした。飛行機については機種解説を参照して下さい。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 12m | 全長 | 10.13m | 全高 | 4.305m | 翼面積 | 22.4m2 | 自重 | 1921kg | 全備重量 | 2460kg |
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エンジン | 「栄」12型 | 最大出力 | 950hp | ||||||||
武装 | 20mmX2, 7.7mmX2, 30/60kg爆弾X2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 436km/h (高度4300m) | 上昇時間 | 5000mまで6.43分 | 実用上昇限度 | 9760m | 航続距離 | 1778km |
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堀越二郎を中心に設計され、1942年3月20日に原型機の十四試局地戦闘機(J2M1)が初飛行しました。パイロットは志摩勝三でした。三菱重工では各型トータルで476機が生産されています(三菱以外でも若干の生産があった模様)。 「局地戦闘機」は防衛に機能特化した戦闘機で、敵の爆撃機や攻撃機の侵攻に対して、これを迎撃するため、速力、上昇力に重点が置かれた迎撃機を指します。 開発時に、爆撃機用の大直径の「火星」エンジンを選定するしかなく、胴体の抵抗減少を期すために、風洞試験で良いとされた機首を絞った紡錘系の胴体を採用しました。このため、エンジンを若干後方に配置する必要があり、プロペラ軸を延長しました。この結果、エンジンとプロペラによる激しい振動が発生し、この対策に苦慮することになり、実戦配備が遅れました。 また、紡錘形状の胴体と、プレキシガラスの局面の歪みにより視界が悪く、パイロットには不評でした。主翼断面は胴体付近で層流翼に近く、翼端では通常の翼形に近いものが採用されました。また、ファウラーフラップは1/3位を展開して空戦フラップとして使用することができました。紡錘形の胴体は特徴的ですが、プロペラ後流の影響などにより、考えていたほど空力に有効ではなかったことが判明しています。 生産機数も少なく、戦力として大きな成果を上げることはありませんでしたが、優れた上昇力により、B-29爆撃機に対する日本の迎撃機としては第一の働きをしたと評価されています。 連合軍のコードネームはジャック(Jack)でした。 4421/-No158-25 2006.02.29 |
雷電一一型(J2M2)から、胴体の7.7mm機銃を廃止して、主翼に九九式20mm二号銃と一号銃をそれぞれ2門ずつ装備した飛行機です。生産された雷電の大部分がこのモデルでした。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 10.80m | 全長 | 9.695m | 全高 | 3.875m | 翼面積 | 20.05m2 | 自重 | 2348kg | 全備重量 | 3440kg |
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エンジン | 「火星」23型甲 | 最大出力 | 1800hp | ||||||||
武装 | 20mmX4,爆弾60kgX2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 596km/h (高度5450m) | 上昇時間 | 6000mまで5分40秒 | 実用上昇限度 | 11700m | 航続距離 | 2520km |
雷電の視界はパイロットに不評だったらしく、二一型に対して風防の高さを80mm、幅を50mm増加し、機首上部左右を削り落とした改善を実施し、雷電三一型(J2M6)としました。この三一型のエンジンを、全開高度を高めた火星26型に換装したのが三三型です。生産機数は30〜40機程度だったとの事です。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 10.80m | 全長 | 9.470m | 全高 | 3.975m | 翼面積 | 20.05m2 | 自重 | 2540kg | 全備重量 | 3507kg |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
エンジン | 「火星」26型甲 | 最大出力 | 1800hp | ||||||||
武装 | 20mmX4,爆弾60kgX2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 615km/h (高度6585m) | 上昇時間 | 6000mまで6分20秒 | 実用上昇限度 | 11250m | 航続距離 | -km |
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【機種解説】菊原静男を中心に設計され、1943年12月31日に原型機の仮称一号局地戦闘機改(試製紫電改)が初飛行しました。パイロットは乙訓輪助でした。トータルで400機強が生産された飛行機です 水上戦闘機「強風」を陸上戦闘機に改造した局地戦闘機「紫電」ですが、一一型から二一型にかけて大改造が行われたため、二一型以降は通称「紫電改」と呼ばれ、「紫電」とは別物扱いされることが多く、本稿もこれに倣っています。 紫電改の特徴である層流翼、自動空戦フラップ、腕比変更等の新技術は、強風で確立されました。まず、日本で開発されたLB翼形は層流翼形です。層流翼は、ある適切な迎え角の範囲で抗力が少なくなる特性を持っています。 自動空戦フラップは日本独自の技術でした。飛行機の翼の抗力係数は、その時の揚力係数によって決まりますが、その関係はフラップ開度によって変わってきて、揚力係数の高い時(翼が風圧・翼面積に対して大きな揚力を発生している時)にはフラップを開いている方が抵抗係数が低く、揚力係数の低い時(翼が風圧・翼面積に対してそれほど揚力を発生しなくてもいい場合)にはフラップを閉じている方が抵抗係数が低くなります。 このように、揚力係数が分かれば、その時の最適なフラップ展開角度が分かります。揚力係数は揚力を動圧(全圧と静圧の差;風圧と思ってください)で割った値に比例しますから、揚力によって起きるGによって水銀の高さが低くなり、全圧と静圧の差が大きくなると水銀の高さが高くなるような特殊な形状の水銀柱を作成して、その水銀をスイッチとしてフラップを無段階で自動制御する装置が開発されました。フラップの展開角度はカムによって検知されました。 この装置は、上の説明にあるように、現在必要な揚力に対して、常に飛行機の抵抗が最小になるように動作し、また、フラップを展開することによって最大揚力係数も増加しますから、失速を防ぐようにも作動します。 この自動空戦フラップに連動して、操縦桿の操作量と実際の舵角の作動量のギヤ比を変えて、同じ操縦桿の操作に対して、低速時(離着陸時)には舵面が大きく動き、高速時には小さく動くような装置が装備されました。これが腕比変更装置です(昇降舵と方向舵のみで補助翼には装備されていません)。 終戦間際に多勢の米軍戦闘機に対して一矢報いたといわれている戦闘機でもあります。 連合軍のコードネームはジョージ(George)でした。 XXXX/XX-NoXXX-XX 2007.03.12 【諸元(実機)】 |
全幅 | 11.99m | 全長 | 9.346m | 全高 | 3.96m | 翼面積 | 23.5m2 | 自重 | 2710kg | 全備重量 | 4032kg |
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エンジン | 「誉」21型 | 最大出力 | 1990hp | ||||||||
武装 | 20mmX4,60kg爆弾X4または250kg爆弾X2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 596km/h (5600m) | 上昇時間 | 6000mまで7分22秒 | 実用上昇限度 | 10760m | 航続距離 | 2392km |
爆弾の懸架装置を増やして250kg爆弾を4発装備できるように改修した飛行機です。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
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不敵な江草少佐はその収束弾幕の筒にそうてダイヴにはいった。さがるにしたがって発砲中の艦船がはっきり見えてきた。照準を修正して爆弾を投下した。【機種解説】1937年12月25日に原型機の一一試艦上爆撃機が初飛行しました。トータルで1512機が生産された飛行機です 現在の用語の意味とは異なり、日本海軍では、急降下爆撃の可能な飛行機を爆撃機と呼び、水平爆撃しかできない飛行機は攻撃機と呼ばれていました。九九艦爆は現代の標準的なカテゴリでは急降下爆撃機です。 九四式艦上爆撃機、九六式艦上爆撃機に引き続き、愛知航空機が開発しました。愛知航空機はドイツのハインケル社と技術提携しており、ハインケルのHe70を参考にして九九艦爆をデザインしました。主翼、尾翼の平面形は楕円翼を採用しており、均整の取れた形に思えるのですが、試作機には急旋回時に不測の急横転傾向があり、また方向安定性も悪く開発は難航したようです。車輪は引き込み式ではありませんでした。 量産型では垂直尾翼前にドーサルフィンが追加され、方向安定性は改善されました。太平洋戦争の緒戦では十分な性能を有しており、パイロットのレベルも高かったため活躍しました。ハワイ攻撃、インド洋海戦での急降下爆撃の命中率は80%もあったそうです。 しかし、後継機「彗星」の開発が遅れ、配備後も不具合が続出したことから、結局終戦まで運用され、後期には生還率の低い飛行機となり、パイロットから「九九棺桶」等と呼ばれるまでになってしまいました。連合軍のコードネームはバル(Val)でした。 196/1-No7-28 2004.07.17 |
1939年に正式採用された最初の量産型です。試作機よりドーサルフィンが追加され、エンジンが金星44型に換装されています。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 14.365m | 全長 | 10.195m | 全高 | 3.847m | 翼面積 | 34.90m2 | 自重 | 2408kg | 全備重量 | 3650kg |
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エンジン | 「金星」44型 | 最大出力 | 1071hp | ||||||||
武装 | 前方射撃用7.7X2, 7.7mm旋回銃X2, 250kg爆弾X2, 60kg爆弾X2 | 乗員 | 2名 | ||||||||
最大速度 | 385km/h (高度3000m) | 上昇時間 | 3000mまで6m25s | 実用上昇限度 | 9300m | 航続距離 | 1470km |
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【機種解説】本庄季郎を設計主任として設計され、1939年10月23日に原型機の十二試陸上攻撃機が初飛行しました。パイロットは志摩勝三でした。トータルで約2416機が生産された飛行機です 現在の用語の意味とは異なり、日本海軍では、急降下爆撃の可能な飛行機を爆撃機と呼び、水平爆撃しかできない飛行機は攻撃機と呼ばれていました。一式陸攻は現在の基準では双発爆撃機というカテゴリの飛行機です。また、魚雷(動力を持ち水中を走っていく爆弾)攻撃も可能な雷撃機でもあります。 尾部に20mm機関砲銃座を装備する必要性から、葉巻と親しまれた前後同じような形状の太い胴体が採用されました。尾部を細くした通常の形状に比べて、空気抵抗は殆ど悪化しなかったといわれています。また、主翼を水密構造として直に燃料を入れるインテグラルタンクと呼ばれる構造の燃料タンクが採用されました。これは通常の仕組みの燃料タンクに比べて2倍近く燃料を多く搭載することができ、この飛行機に長大な航続力を持たせることを可能としました。 1941年12月10日に英国海軍最大の戦艦「プリンス・オブ・ウエールズ」と巡洋艦「レパルス」を雷撃によって撃沈するなど、緒戦では活躍しましたが、防弾装備が皆無だったため、後半では苦戦し、連合軍からはワンショットライター(一度で火が付くライター)と呼ばれました。 発火し易かったのは、インテグラルタンクという構造自体に問題があるわけではなく、当時の日本ではタンクの中に入れる防弾用の天然ゴムと合成ゴムの多層の袋を量産できず、搭載できなかったためであると開発者は語っています。連合軍のコードネームはベティ(Betty)でした。 916/3-No33-20 2005.07.17 |
九六式陸上攻撃機が中国で苦戦していたため、まず最初に十二試陸上攻撃機の武装を強化した編隊外端援護戦闘機型が30機製造され、その後に最初の量産型である一式陸上攻撃機一一型が生産されました。 一一型は1941年に配備が開始され、約1200機が生産されました。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 24.88m | 全長 | 19.97m | 全高 | 6m | 翼面積 | 78.125m2 | 自重 | 6800kg | 全備重量 | 12500kg |
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エンジン | 「火星」11型X2 | 最大出力 | 1530hp X2 | ||||||||
武装 | 20mmX1, 7.7mm旋回銃X4, 800kg魚雷X1または爆弾max800kg | 乗員 | 7名 | ||||||||
最大速度 | 428km/h (高度4200m) | 上昇時間 | 7000mまで18分 | 実用上昇限度 | 8500m | 航続距離 | 6033km |
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【機種解説】小山悌、太田稔を中心に設計され、1936年10月15日に原型機が初飛行しました。トータルで3386機が生産された飛行機です 日本陸軍発の片持式低翼単葉の戦闘機です。重量増加とのトレードオフから引き込み式の降着装置は見送られましたが、空気抵抗を少しでも減らすように流線型の整形覆いで全面がカバーされています。 速度向上を目指したPAと呼ばれる試作機の経験を元に、衝撃的な高性能を見せた三菱の九試単座戦闘機を徹底的に研究し、設計陣は徹底的な軽量化をはかってこれを実現しました。その結果、傑出した運動性と、他の性能のバランスとれた傑作戦闘機となりました。翼単失速を防ぐ主翼の捻り下げも採用されています。 中国でソ連のI-15、I-16といった戦闘機と対戦し、圧倒的な強さを発揮しました。しかし、この圧倒的な勝利と、後半でソ連がI-16の防弾を強化し重武装で一撃離脱戦法に切り替えてからは以前ほど圧倒的に勝利できなくなったという戦訓を軽視したことで、以降も無理な旋回性能を要求し、戦闘機開発が時流に乗るのを遅らせました。 武装についても7.7mm機関銃2挺しかなく、武装強化することもできない構造になっていましたが、この問題点も見過ごし、武装は7.7mm2挺で十分という誤った認識が、後継機「隼」の致命的な弱点となっていきます。 この飛行機は太平洋戦争が始まった頃にもまだ陸軍の主力戦闘機として運用されていました。活躍が局所的だったこともあり、世界的に有名ではないようですが、零戦に匹敵する名戦闘機であったと思われます。信頼性も非常に高かったようです。 連合軍のコードネームはネイト(Nate)でした。 XXXX/XX-NoXXX-XX 2007.08.12 |
生産前期型です。風防の後部が金属となっています。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 11.31m | 全長 | 7.53m | 全高 | 3.28m | 翼面積 | 18.56m2 | 自重 | 1110kg | 全備重量 | 1547kg |
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エンジン | ハ1乙型 | 最大出力 | 710hp | ||||||||
武装 | 7.7mmX2,25kg爆弾X4 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 468km/h (4000m) | 上昇時間 | 5000mまで5分22秒 | 実用上昇限度 | 12250m | 航続距離 | 627km |
生産後期型で、後方視界向上のために風防の後部がガラスに変更されています。一部の機体にはバックミラーが取り付けられていました。また、ドロップタンクによる航続距離の延長が可能になっています。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
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【機種解説】小山悌、太田稔を中心に設計され、1938年12月12日に原型機が初飛行しました。パイロットは四ノ宮清でした。トータルで5751機が生産された飛行機です パイロットから絶大な信頼を寄せられた九七式戦闘機(キ27)の後継機として開発された飛行機で、海軍の零式艦上戦闘機一一型の栄12型とほぼ同じエンジンを装備し、機体のサイズなどもほぼ同じで、零戦と同じような性質の飛行機でしたが、性能的には全般に零戦よりやや劣っていました。 当時の中島の戦闘機の主翼の平面形は、前縁の後退角が0度になっているのが特徴で、これは翼を流れる気流が翼端方向にそれないようにし、翼端失速の発生を防ぐ狙いがあります。また、蝶型フラップという独自の形式のフラップを装備していました。引込脚を採用したにもかかわらず、九七戦に比べて30km/hそこそこしか速度が向上しませんでした。また、水平面の旋回性能では九七戦に全く敵わず、当時は格闘戦至上主義の風潮が強かったため、全く評価されること無く不採用となりました。 その後、長距離戦闘機が戦略上必要となり、戦術を含め再検討され、その結果1941年4月に制式採用されました。性能的にはバッファローを圧倒し、パイロットの技量にもよると思われますが、ハリケーンMkUに対しても優勢を保ったといわれています。当初の不評に反して、外国の戦闘機に対する実績から評価は急に高まり、大量生産され主力戦闘機として運用されるようになりました。 開発当時の基準から見ても武装が貧弱だったにも関わらず、主翼に武装を装備できない構造のため、満足のいくように増強することが出来ませんでした。海軍の零戦とは異なり、陸軍の隼は後継機への転換が比較的早い段階で行なわれましたが、故障の少ない隼へのパイロットの信頼は高く、改良が続けられて終戦まで生産されました。連合軍のコードネームはオスカー(Oscar)でした。 606/2-No22-18 2005.07.17 |
T型は最初の量産型でハ25エンジンを装備しています。T型甲は武装が7.7mmX2のバリエーションです。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 11.437m | 全長 | 8.832m | 全高 | 3.27m | 翼面積 | 22m2 | 自重 | 1580kg | 全備重量 | 2243kg |
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エンジン | ハ25 | 最大出力 | 980hp | ||||||||
武装 | 7.7mmX2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 495km/h (高度4000m) | 上昇時間 | 5000mまで5分30秒 | 実用上昇限度 | 11750m | 航続距離 | 1200km |
T型で、機首左舷の7.7mm機関銃を12.7mmに換装(右舷の7.7mmはそのまま)したバリエーションです。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
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T型で、武装を12.7mmX2に換装したバリエーションです。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
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離昇出力1130HPのハ115エンジンに換装した飛行機です。この換装により機首が60mm延長されています。気化器が降流式になったため空気取り入れ口の位置が上に移動し、これに伴ってキャノピー前部も50mmも上に上げられています。プロペラも3翅に換装され、照準器は望遠鏡式から光像式の一式照準器に変えられています。また、燃料タンク内部は13mm厚のゴムで覆われ防御力が高められています。 主翼が左右それぞれ30cmずつ切り詰められましたが、テーパー翼の直線部分の長さを変えずに翼端部が縦長の曲線で整形され、主翼平面形のイメージはかなり変わりました。風防もフレームの少ない曲面的な形状のものに変更されています。 隼U型はさらに時期により、排気管、ラジエターの形状など小改修によるバリエーションがあります。ゲーム中の飛行機は集合排気管が推力式でなく、環状冷却器が廃されているようですのでU型甲後期型と通称されているバリエーションだと思われます。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 10.837m | 全長 | 8.92m | 全高 | 3.273m | 翼面積 | 21.4m2 | 自重 | 1975kg | 全備重量 | 2642kg |
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エンジン | ハ115 | 最大出力 | 1130hp | ||||||||
武装 | 12.7mmX2,250kg爆弾X2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 515km/h (高度6000m) | 上昇時間 | 5000mまで6分20秒 | 実用上昇限度 | 10900m | 航続距離 | 1900km |
排気管を集合排気管から推力式単排気管に変更したもので、現地改造キットにより改修されたと伝えられています。V型の単排気管の配列とは異なり、上から1本、3本、1本だったとのことですが、ゲーム中の飛行機はV型と同じ2本、3本、2本の形状になっています。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
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これは一大事、と注意深く後ろ上方から単縦陣最後尾のP40に急降下攻撃をかけた。三式戦の加速は素晴らしい。たちまち敵機との距離を百メートルぐらいにつめたところで十二・七ミリ2門を発射した。【機種解説】土井武夫、大和田信を中心に設計され、1941年12月12日に原型機が初飛行しました。パイロットは片岡載三郎でした。トータルで3159機が生産された飛行機です 液冷エンジンを装備して制式採用された日本で唯一の戦闘機です。エンジンは、メッサーシュミットMe109に装備されたのと同じダイムラーベンツDB601Aをライセンス生産したハ40でした。誘導抗力(揚力の発生に伴って発生する空気抵抗)を低減する為にアスペクト比7.2という細長い平面形の主翼を採用しています。 縦に細長い液冷エンジンを装備したことにより、胴体は角型断面で側面はほぼ平面となり、方向安定に大きく寄与したようです。当時の日本では、翼面荷重(機体重量を翼面積で割った値)を小さくして旋回性能を良くした軽戦と、翼面荷重を大きくして速度性能を良くした重戦のどちらを開発すべきかという議論が行なわれていましたが、飛燕はどちらの派閥をも納得させる高性能を持っていました。また操縦性や安定性でも高い評価を得ています。 実戦配備されると、850km/hという速い急降下制限速度を効果的に活用して活躍しますが、最高速度自体は連合軍の戦闘機に比べて優越しているわけではなく、敵機を捕捉出来ないという状況はやはりあったようです。それでもP-40やP-39は急降下で三式戦を振り切ることは出来ませんでした。 高性能にもかかわらず、戦局に寄与するような活躍をすることは出来なかった最大の理由はエンジンの不調でした。ハ40エンジンは当時の日本の工業レベルでは量産が難しいエンジンで品質が悪く、また、南方の高温多湿の環境で運用された為、エンジンの不調により可動率が非常に低かったそうです。 のちに、ハ40エンジンの圧縮率を高め、水・メタノール噴射装置を装備したハ140に換装した三式戦闘機U型を開発しますが、ハ140エンジン自身に不具合が頻発し量産も順調でなかった為、結局生産中止となってしまい、エンジンの無い機体が大量に残されてしまいました。 連合軍のコードネームはトニー(Tony)でした。 550/2-No20-18 2005.07.18 |
T型は最初の量産型でハ40エンジンを装備しています。T型甲は、機首にホ103 12.7mmX2、主翼に八九式7.7mmX2を装備した飛行機です。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
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T型乙は、翼内の機銃を7.7mmから12.7mmに換装した飛行機です。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 12m | 全長 | 8.74m | 全高 | 3.7m | 翼面積 | 20m2 | 自重 | 2380kg | 全備重量 | 3130kg |
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エンジン | ハ40 | 最大出力 | 1175hp | ||||||||
武装 | 12.7mmX4, 100〜250kg爆弾X2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 590km/h (高度4760m) | 上昇時間 | 5000mまで5分31秒 | 実用上昇限度 | 11600m | 航続距離 | 1100km |
T型丙は、翼内の武装を、ドイツから輸入したマウザー(モーゼル)MG151/20 20mmX2に換装した機体です。この20mm機関砲の威力は素晴らしく、マウザー機関砲の在庫がなくなってからも20mmの武装が望まれました。以降の型ではその声が反映されていくことになります。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
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「ああ、そうか・・・・・・」と言って、ちょっとにこりとし、軍刀を手に戦隊長機に向って行かれた。やがて第二十二戦隊のキ84は、いっせいに始動、つぎつぎと砂塵を上げて離陸、上空を旋回して編隊をととのえ、やがて南西の夏雲の彼方に飛び去ったのであった。【機種解説】小山悌、飯野優を中心に設計され、1943年4月上旬に原型機が初飛行しました。パイロットは吉沢鶴寿でした。トータルで約3514機が生産された飛行機です 九七式戦闘機(キ27)という傑作機を開発した中島飛行機が、一式戦闘機「隼」(キ43)、二式単座戦闘機「鐘馗」(キ44)の開発経験を活かし、総力を結集して開発した戦闘機です。1900hpのハ45エンジン(海軍では「誉」と呼称されました)を搭載して高性能を狙いましたが、電動でピッチ角を変更するプロペラが装備された以外には、技術上の新機軸は特に無く、層流翼も採用されていません。 しかし、調和の良いデザインにより、試作機の試験飛行では最高速度624km/h、上昇力は5000mまで6分26秒、実用上昇限度は12400mという、当時の陸軍の飛行機の最高記録を達成しました。ファウラー式のフラップは半分ほど展開して空戦フラップとして使用することができ、運動性も良好でした。陸軍は戦局の挽回を託す大東亜決戦機としてキ84の開発に注力しました。増加試作機の製造は100機に及び、その間にも集合排気管を単排気管に変えるなどの性能向上がなされています。 四式戦闘機「疾風」は連合軍側の最も強力な戦闘機であるP-38J/Lライトニング、P-47Dサンダーボルト、F4Uコルセア、P-51Dムスタングと性能面においては匹敵し、主力の艦載機であるF6Fヘルキャットに対しては明らかに勝っていました。しかし、絶対的な戦力差、エンジンや機体、燃料の品質の劣化による性能や可動率の低下、優秀なパイロットが失われていくという状況の中では、最早戦局に寄与するような活躍をすることはできませんでした。 戦後に米軍が、徴収した四式戦闘機をオクタン価140の燃料、良質の潤滑油や点火プラグを使用して性能試験を行ない、高度6100mで最高速度689km/h、6100mまでの上昇時間5分48秒、実用上昇限度11800m、航続距離1650〜2920kmという高性能をマークしました。操縦性もP-51やP-47に勝ると評価されており、日本の最高性能の戦闘機です。 連合軍のコードネームはフランク(Frank)でした。 746/X-No27-18 2005.07.18 |
T型は四式戦闘機の量産型です(諸説のあるのですが、U型は翼端形状を変更し後部胴体や尾翼に木材を使用したもの、以降の性能向上型は試作または計画までで量産されていないようです)。T型甲は標準武装型で、機首にホ103 12.7mmX2、主翼にホ5 20mmX2を装備した飛行機です。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 11.24m | 全長 | 9.92m | 全高 | 3.39m | 翼面積 | 21m2 | 自重 | 2698kg | 全備重量 | 3890kg |
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エンジン | 四式1850hp(ハ45-21) | 最大出力 | 1800hp | ||||||||
武装 | 20mmX2, 12.7mmX2, 30〜250kg爆弾X2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 624km/h (高度6000m) | 上昇時間 | 5000mまで5分54秒 | 実用上昇限度 | 11000m | 航続距離 | 2500km |
T型乙は機首の武装をホ5 20mm機関砲に換装し、武装を20mmX4としたバリエーションです。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
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T型丙については諸説あるのですが、B29を迎撃する為に両翼の20mm機関砲をホ155U 30mm機関砲に換装し、20mmX2+30mmX2とした武装強化型で、2機試作され、実際に迎撃実験が行われたとするのが通説ではないかと思います。 【1946の航空機ガイドの機体解説】
【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
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翌二十五日、準備を終えた戦隊員たちが張り切って待機しているところへ、警戒警報が発令された。たちまち飛行場全体に殺気がみなぎり、快調なエンジン音をあとに五式戦がつぎつぎに空にあがった。【機種解説】1945年2月1日に原型機が初飛行しました。トータルで390機が生産された飛行機です 三式戦闘機U型改は、主翼にホ5 20mm機関砲を装備した三式戦闘機T型改(T型丁)のエンジンをハ140に換装して涙滴型の風防を装備した飛行機です。しかし、相次ぐ不具合によりハ140が生産中止となってしまい、また、T型のハ40エンジンも生産が遅れたため、首なし飛燕と呼ばれたエンジンの無い三式戦闘機がT型U型と合わせて大量に出来てしまいました。 ダイムラーDB601エンジンを海軍がライセンス生産していた「熱田」エンジンには余剰の生産力が無く、ハ140の代替にはなりませんでした。そこで、生産に余裕のあった三菱の「金星」系列ハ112Uエンジン(1500hp)を首なし飛燕に搭載した飛行機がキ100です。前方投影面積の増加により速度は三式戦U型改より30km/h低下しましたが、重量の軽減により、上昇力や運動性は大幅に向上しました。また、急降下制限速度は飛燕と変わらず850km/hで、連合軍の戦闘機に急降下で振り切られることはありませんでした。 試験で好成績をおさめたキ100は直ちに五式戦闘機T型として制式採用されました。同じ五式戦T型でも改造前の機体によって、涙滴型の風防をもつものと後方視界の悪いファストバック型の風防を持つものがあります。 エンジン不調に悩まされた三式戦や四式戦を運用してきた陸軍航空隊にとって、故障のきわめて少ない五式戦は非常に歓迎され、評価も高いのですが、性能的には第二次世界大戦末期に一流の戦闘機であったとは言えないのではないかと思います。生産数も少なく、連合軍も特に注目してなかったようです。 連合軍のコードネームは三式戦と同じトニー(Tony)でした。 2005.07.18 |
T型は量産型です(排気タービンを装備したU型は試作2機のみで量産されませんでした)。首なしの三式戦から改造された機体の主翼には主翼に12.7mmを装備していましたが、実戦部隊では取り外されることもあったようです。最初から五式戦として生産された機体には主翼の12.7mmは装備されなかったとされています。 【1946の航空機ガイドのパイロット・ノート】
【諸元(実機)】 |
全幅 | 12m | 全長 | 8.92m | 全高 | 3.75m | 翼面積 | 20m2 | 自重 | 2525kg | 全備重量 | 3495kg |
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エンジン | 四式1500hp(ハ112-U) | 最大出力 | 1500hp | ||||||||
武装 | 20mmX2, 12.7mmX2, 250kg爆弾X2 | 乗員 | 1名 | ||||||||
最大速度 | 580km/h (高度6000m) | 上昇時間 | 5000mまで6分 | 実用上昇限度 | 11000m | 航続距離 | 1400km |
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