あるオフ会 (2005/04/19)

 
 先日、都内某所で秘密裏に行われた某サイトのオフ会に潜入してみた。潜入といっても、そのサイトに参加している友人に誘われて、その友人に会って一緒に神奈川に帰るためが99%の目的だったが、彼がどんな会に参加しているのかも興味があったりした。そのサイトは会員制で、パスワードがないと閲覧できないため、私はまだ見たことはなく、友人によれば個性的な人たちの集まりのようだった。

 都内某所で開かれていた会に、かなり遅れて到着し、私は車だったのでお酒は飲めず、ミネラルウォーターを頼んで、ちょこっと、そのテーブルに参加させていただいた。そこはテーブル席に女性3名男性3名(私と入れ違いに別の男性一名は退室)という構成で、いわゆる自然派ワインを何本か飲みつつ、フランスで修業されたシェフの料理を居酒屋風に楽しんでいた。友人に私を紹介していただき、一緒の料理を食べたりしたが、食べながら私はとても不思議な感覚を覚えたのだった。まずは、私は挨拶したつもりでいたが、彼らの多くは挨拶どころか会釈すらせず、彼らは彼らの話題に夢中になっていたのだ。まあ、それはそれでそういう会なのだから、別にいいかなと思いつつも、遅れてやってきたメンバーではない人間に少しくらい興味は持たないのかなあと、素朴に思った。

 私はお手拭で手を拭きつつ、彼らの話題にそば耳を立ててみると、話題は近代フランス文学やらある画家の芸術的センスなどに及んでいて、とても私が中途半端な知識で参入できるほどのレベルではなく、それはあたかも何の拍子か紛れ込んでしまったパソコン上のチャット状態だった。

 チャットの延長線にこの会は開かれているようで、隣に誰が座ろうが、ひとつのお皿を共有しようがお構いなしで、自分たちだけの話題に専念していたのだった。そこには社交性はなく、ある意味においての村社会。私は水を飲み干すとやることもなくなって、友人の話題に耳を傾けるのが精一杯だった。明らかに、ここに私の居場所はなく、私は場違いな空間にいる気まずさを感じながら、それでもこの異様なテーブルの雰囲気を楽しもうと試みていた。

 そしてふと思った。彼らの視界はパソコンが面より大きくはならない、ということを。話題はパソコンで展開されていることをそのまま継承し、楽しんでいるようなのだ。視界はたかだか何インチしかなく、隣に誰がいようが、アウトオブ眼中。しかし、そこは途方もないほどの奥行きがあり、いわばディープな世界の共有状態が展開されていた。その世界を満喫するには、会員登録が必要で、それが済まなければ、パスワードは教えてもらえない。パスワードがないと話題についていけないし、話題に入ってもいけない。ここは現実の居酒屋風バーだが、隣の人と会話をするにもどうやらパスワードが必要な、極めて閉鎖的な世界だった。うーん。同じ趣味嗜好をさらに共有するために集まったオフ会に、第三者が参入しても、彼らはそんな出会いを期待していないので、第三者にとっては、何ともチグハグな、当事者にとってはとても楽しい空間が展開されているのだった。

 ネットの可能性。それは新たなる出会いも可能にしたが、友達の友達はみんな友達と思えた時代を少しばかり過去のものにした感もあり、これが今世紀の人との出会い方のひとつなのかと思うと、なんとも不思議な感じがするのだった。お互いの関心のある情報を共有する者たちが、出会うことができるネットの可能性に興味を持ちつつ、何の情報をも共有しない人とは、なかなか出会えず、予想もつかない新しい出会いはそうやってくるものではないんだなあと思ったりする。

 インターネット社会・・・。

 私も特級ボンヌ・マールの二つの土壌の個性と、それをブレンドするルーミエの哲学に専念した会員制のサイトを開設してみようかな。パスワードは何にしようかな。会員は、どれくらい集まるかな・・・(笑)。

おしまい


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