「一日江戸人」 (2005/10/01)

 
 最近、江戸に住みたいと思う。

 それはもちろん東京のことではなく、徳川政権時代の江戸の町という意味で・・・。それは、先日亡くなられた杉浦日向子先生の「一日江戸人」新潮文庫を読みながら、江戸時代に生きた人々の小粋な生き方に憧れを持つからである。最近は、スローフードを楽しもうという傾向が強いが、江戸自体の食べ物はみなスローフード。江戸時代には、そもそも食品流通にいう「四定の法則」(定価・定量・定品質・定時)の四条件とは無縁で、ブロイラーの鳥や無調整3.8牛乳なる不思議な飲み物も存在しなかった。化学調味料ももちろんない。食べ物が育つ速度で「食」を楽しもうというのがスローフードであるならば、江戸時代はまさに理想郷のように写ったりする。

 パソコンも携帯電話も電車もバスもなかった江戸時代。その時代に生きることは、一見不便かもしれないが、そこには素朴な生活が、あるような気がしてならない。江戸の町には、素朴ながらも風情があった。長い江戸時代を通して、色男といい女の流行が違っていたりで、妙に親近感を覚え、また現代にも通じる色恋沙汰があり、そのロマンスの末に私の生があるとするならば、なんだか面映ゆくもあり、エアコンもなかった時代の夏の「涼」のとり方の妙にも共感し、本書には素朴ながら毎日を楽しむ江戸人の生活が綴れていて、なかなかによい読み物だと思ったりする。

 たとえば江戸時代のお風呂は混浴。言葉だけを鵜呑みにすれば、さらに理想郷に近づくが(笑)、実際は、若い娘さんには、おっかない婆やが常に護衛し、また湯気むんむんで何も見えないことも多く、湯船には照明もなく真っ暗闇だったというから、そんなお風呂場風景を想像すると、思わずほくそえんだりする。

 大奥・・・。その実態は本編に譲りつつ、将軍様の寝室事情も想像とは違ったもの。うら若き女性と布団を同じにしながらも、その両隣には常に記録係と監視役も同室して、さらに別室には数名が寝ずの番で待機していたというから、将軍様にそういう趣味がなければ厳しかろう、かもしれない。将軍様の夜のご努力に余計な心配をしたくなるのも、また一興だったりする。

 そして「江戸の三白」。白米、豆腐、大根の淡白でデリケートな味わいを楽しむことは、江戸人の風流を楽しむことにも通じている。そのためには、化学調味料、スパイス、ソースの類を一切使ってはいけないようで、そんな生活を一週間も続ければ、お米の銘柄違いや、豆腐の豆の香、大根の産地までわかるようになるというから、そんな繊細な味わいを大いに楽しむために、日々の食事に気を配りたくもなる。その微妙なうまみが、和の心をくすぐり、ほっと安らぎを覚えるのは、私だけだろうか。

 江戸時代と、今に共通するのは、一応、戦争がないということ。平和という概念を共有していたかどうかはわからないが、同じ戦争のない時代に生きた人々の生活に、親しみやすさも覚えつつ、江戸開城から130年以上もたった今日、人々の生活がケミカルに染まり、なんだか味気ない生活に思えてしまうこの頃を打破するために、ご先祖様の粋や風情、風流、侘び、寂びの世界を改めて堪能したいと思ったりするのであった。それは「食」を三次元で捉えることと思うが、それはまた別の機会に・・・。
 
 とりあえず、杉浦さんの著書をかた端から読み漁りたい症候群である。

おしまい


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