温度のある料理 (2006/08/20)

 
 最近は、和・洋・中を問わず、レストランで食事をするときに、お料理の温度が気になってしょうがない。熱いものが冷めた状態で出されたり、冷たいものがぬるくなっていたりすると、それがどんなにすばらしい食材を使っていても、まったくおいしいとは感じられなくなっているのだ。おいしいものには、温度がある。熱々がおいしいものは、熱いうちに食べたい・・・。それだけのことなのだが、世の中にはこの温度に関心を寄せない料理人やサービスマンも多いようで、なんだかそんなお店で食事をするたびに、がっかりしたりする。

 そんなことは、どうやら当たり前すぎて、「お前何言ってんだ、もっとほかの事に感性を磨け」と、銀座のフレンチの某巨匠に怒られたことがある。白金にある中国料理店のお皿は、手に持つには厳しいほど温められていて、出来立ての熱い料理を、熱いままに食べることが出来る。銀座の和食店のお刺身の皿は冷たく、お刺身が生ぬるくならないように配慮され、焼き物のお皿は、常に熱い。平塚の某ブラッスリーのエスプレッソのカップも温度が維持され、デザート皿は冷たかったりする。

 お皿は普通、お皿から湯気は出ていないし、水滴が出るほどには冷やされていないので、気がつかないことが多いが、何かのタイミングで、そのお皿に触れることが出来たなら、お料理の温度を失わないように、お皿に見えない配慮が施されていることに気づかされる。

 一流の料理店は、温度を演出してくれる。

 高級店から大衆店で、レストランの価格設定によって、食材のレベルはいろいろあるだろう。また器の世界もピンきりなので、そのお店に調和する器も選ばれていることだろう。しかし、器の温度への配慮は、それらを超越していて、某シェフいわくの当たり前のこと。当たり前のことが当たり前にされる安心感とうれしさ。逆に配慮されない戸惑い・・・。

 食材の良し悪しや、調理方法、見た目のサービスの好みに、気をとられずに、お皿の温度に気を止めてみると、料理人が、そのお料理にどんな思いを託しているのか、おのずと伝わってくるから不思議だ。魂のお料理は、温度への配慮から始まっていると思うと、その思いはお皿を通じて、分かり合えると信じている。

 「このお料理、おいしいね」

 そう発せられた言葉の裏には、料理人がこだわる最適の温度が演出されている。今度レストランに行ったら、お皿の端っこに触れてみよう。今までとは違った視線から、そのお料理を楽しむことが出来るかもしれません。


おしまい
目次へ    HOME

Copyright (C) 2006 Yuji Nishikata All Rights Reserved.