「おくりびと」 (2008/09/13)
 



 今日封切りの映画「おくりびと」を午前中の第一回目の上映で、観ました。

 時折、場内にこだまする笑い声の中心にいながらにして、鳥肌が締め付けられる瞬間を何度も味わい、映画館を後にしてもなお、その極めて長い余韻に浸りながら、どうしようもなくピノ・ノワールが飲みたい気持ちを抑えつつ、パソコンに向かっています。

 私は、チェリストになったことも、納棺師になったことも、またそれらを目指したこともありませんが、極めて等身大に、登場人物の言葉を借りれば、「困ったことに」、感情移入してしまい、それはもう大変な騒ぎを肌身で感じてしまいました。この映画の風景と背景と人間模様は、この映画と一見なんら関係ないような、私の今までの歴史というか出来事にもスルリとリンクして、こういう感覚は、今まで体感していそうで、していなかったような、そんな不思議な気持ちになります。

 所作の美しさ。そして空気が響くチェロの音色。

 そこにピノ・ノワールの赤を重ねたいと思いながら、映画の余韻を思い出します。

 ちょうど11年前の今頃。この映画の舞台である山形に、当時住んでいた秋田から何度も通った日々を思い出しながら、あの頃と同じ山形の風景を、ふと思い出しては、当時を懐かしみ、あの時お世話になった方々の笑顔も容易に思い出されたりします。あれからいろいろありました・・・。

 ところで、映画では、何度も鳥肌がたち、そしてそれらがきゅっと締め付けられました。

 余貴美子が、モックンに切願するところ。

 広末涼子が、業者に夫を紹介するところ。

 うーん。いい感じです。

 そして今回の脚本が、小山薫堂ということで、食事のシーンも楽しみにしつつ、以前観た「いのちの食べ方」にも共通する感情を覚えたりします。おそるべし、小山薫堂・・・。昔はメールでやり取りしていましたが、最近ご無沙汰しています(笑)

 今回の映画を機に納棺師という仕事が正しく認識されることと思いますが、しかし一方で、モックンの極めて美しい所作が、その仕事の基準なってしまったことに気が付くと、納棺師の仕事へのプレッシャーもすごそうで、人生最後の旅たちの瞬間を、美しい所作で送られたいと思えば思うほど、その仕事に求められるレベルの高さに、今まで意識したことのなかった感慨を思ったりします。

 「食」においては、六月の銀座小十の鮎の塩焼きを、「飲」においてはロブマイヤーを、最高にして、基準にしてしまった私に、モックンの所作が、美しく語りかけてきます。後ずさりしながら、荷物を踵で蹴った動作に、思わず立ち上がったモックンの憤りに共感しつつ、あの所作の美しさを日常生活に取り入れたいと思います。そして、なんとなくもう一度映画館に足を運びたくなったりするから不思議です。

 「崖の上のポニョ」の観客とは、あきらかに平均年齢が60歳近く跳ね上がっているであろう映画館を後にして、私は、こんな夜こそピノ・ノワールを飲みたくてしょうがなくなるのです。
 

おしまい

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