にっぽんハッピーワイン



 むにゃむにゃなソムリエよ、さらば。

 あるソムリエが、あるワイン醸造家に質問しました。

 「日本のワインの品質を上げるなら、収穫量を減らせばいいのでは。」

 ある醸造家は、そのソムリエに対して答えました。「はい。その通りです。」



 この一見何の問題もないようなやり取りは、私をとても苛立たせています。

 なぜでしょう。

 それは、机上の論理をぶちまけているだけで、現場を知らない人の考え方だからです。日本のワイナリーのほとんどは、近隣のぶどう栽培農家との契約によってワインの原料となるぶどうを確保しています。これは農地法の関係に由来し、詳細はここでは触れませんが、要は契約農家が育てたぶどうを、ワイナリーで働く醸造家がワインを仕込んでいるのです。

 例えば山梨のぶどう栽培農家の平均年齢は、一説には70歳とも言われるほど高齢化が進み、かたや醸造家は30歳代前後の若手がその大役を担っています。農家にとってぶどうは、わが子と同じくらいの愛着があり、グリーンハーベストなどをして、収穫量を減らすということは、例えば10人の子供を全員育てても栄養が行き届かないから、4人ほどコケシして6人だけ育ててくださいと言っているようなもののようです。

 手塩に育てたぶどうを、外見上は問題ないのに、捨てるということは、農家にとっては大変な作業であり、しかし、それはぶどうのエキスを集中させて発酵させるワイン造りにとってはとても大事なこと。農家は、ぶどうを育てあげることで仕事は完成しますが、ワイナリーでは、そのぶどうを醸造してワインにすることを仕事としています。農家とワイナリーでは完成品のイメージが違うために、ぶどう栽培においてそんなギャップが生じてしまうのですが、そのギャップは、人生の大先輩で、かつ食用ぶどうやさくらんぼ、桃などを作らせたら天下一品の果実をつくりあげる農家に、大学出て数年の、まさに孫ほどのワイナリーのスタッフが、机上の論理でもって意見してもなかなか通用しないようです。

 醸造家は、農家を一軒一軒廻っては、ワイン用のぶどう栽培についての説明をするのですが、そこは大都会の会議室とは違って、農家の軒先での会話になります。そこでは、おばあちゃんが蒸かしてくれたトウモロコシや、近所の森で見つけたキノコを料理してくれたものを食べながら、お茶を飲みつつ、お互いの思いの違いを擦り合わしていくわけです。お茶を飲み、トウモロコシを食べ、東京で生活する孫の話などを織り交ぜつつ、日が暮れていきます。

 軒先でお茶を飲むということは、どういうことでしょうか。お茶を一杯だけいだくことは意外に難しく、早く飲み干してしまってはお代わりをもらい、口をつけなければ、好意に背きかねなかったりします。しかしお茶は、そうそう何杯も飲めません。一日に何件もの農家を廻り、そのたびに、ぶどう栽培の理想と、孫の話を繰り返しながら、おなかはお茶で膨れていきます。

 一見花形にみえるワイン造りの現場では、こんなお茶飲み会議が軒先で繰り広げられ、お互いの理解が深まったところで収穫量の話になり、実際のワインのおいしさに繋がっていくのです。特にぶどう栽培の歴史が古い山梨県では、向こう三軒両隣的な結びつきとしがらみが多く、新興の長野県では、それほどでもないと聞き及びます。これって、なんだかとても人間臭く、とても生活チックな話だと思いませんか。

 「収穫量を減らせば、ワインの質は向上する」

 醸造家なら誰でも知っていいる、そんなテキストに載っているような「おりこうさん」的な説明をするよりも、農家と醸造家の輪に入って、一緒にお茶を飲んでみれば、収穫量を減らすことの舞台裏が、いかに大変なことかがわかります。ワインは一日にしてならず、されど一杯のお茶の上に立つ・・・。ソムリエがレストランでワインの説明をするとき、そんな裏舞台のお茶を巡る冒険を知っているのといないのとでは、ワインのおいしさへの説得力が違ってくると思うのは、私だけでしょうか。

 冒頭の質問・・・。

 そんなわけで、そんなソムリエのサービスは、ちょっと御免なさいなのです。



2005/11/14記

つづく





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