ブルゴーニュを歩こう2

<マルサネ>
 マルサネ・ラ・コート村はディジョンから歩いて2時間ほどのところにある。つまりは8kmぐらい。正直この村までは交通機関を利用しよう。日常生活で通勤以外にほとんど歩かないものとして2時間の歩行はかなりしんどいさ。このくらいなら体力的にはヘッチャラと思っていても、これから続くグランクリュ街道には偉大な畑が待ち受けている。コート・ド・ニュイ地区の終りであるニュイ・サン・ジョルジュ村までの道のりは長い。単純にこの2倍はある。10余kmだ。白ワインの大名醸地コート・ド・ボーヌ地区は更に南に続いている。歳のせいか貴重な体力は温存したい。アスファルトで舗装された道を背後の車にビクビクしながら、ようやく辿り着くのがマルサネである。マルサネの看板を右に曲がって、ここで国道74号線を離れ村の中心部へ。両側に畑と民家。いよいよブルゴーニュにきたことを実感できる。さあブルゴーニュの畑にようこそである。個人的にはマルサネの畑を見て心ときめく人は珍しい部類だろう。特級畑も一級畑もないのだから。普通はシャンベルタンやロマネコンティを目指すのが真っ当であるように思えてならない。しかし、私はマルサネ村まで辿り着いた。平地に植えられた葡萄畑のへりを歩きながら、思わずほくそえむのだった。しかし疲れが顔に出てもいた。

 マルサネのワインはそんなに血眼になって探されるワインではなく、日常生活に欲しいワインである。しかし私はドメーヌ・ドニ・モルテの1996年マルサネ・ロンジュロワ(畑指定)を飲んでしまっていた。低く見られがちなワインで衝撃が走ったのは、このワインが初めてかもしれない。圧倒的な存在感を知って、この村の畑に興味が湧いた。しかし現場はただの畑であった。どこからがロンジュロワ名の畑なのかついぞ知りえない。道の両脇に広がる平らな畑は、歩きやすく、国道から離れていることもあり閑静だった。発芽したばかりのピノ・ノワール種は鶉か何かの野鳥がうんこ座りしているような格好で規則正しく並んでいる。丸くごつい幹から一本だけが針金に沿って水平に伸び、芽が3,4つばかりあるのみだ。この選別された枝からあのマルサネが生まれる。うんうん。いい感じだ。

 村の中心地には観光案内所があり、すぐ脇の看板には主なドメーヌが紹介されている。ドメーヌ・ブリュノ・クレールの場所くらいは知っておきたいところだが、アポなしで行っても門の写真をとるのが精一杯だ。ドニ・モルテはジュブレ・シャンベルタン村の造り手だ。この村には彼はいないだろう。畑さえ歩いてしまえば、この村には特に用はない。しいて言えば水分補給がしたいところだが、フランスにコンビ二はない。雑貨屋も日曜のためか店舗を閉めている。しかたがない先を急ごう。

 町外れにシャトー・ド・マルサネがありセラーの見学もしたくなるが、ここで貴重な時間を潰すのも気が引ける。これから先、すごい造り手とすごい畑が待ち受けているからだ。ブルゴーニュに二泊しかしない者には優先順位が必要だ。ここは次回のお楽しみということで先を目指すことにした。まずはジュブレ・シャンベルタンまで一気に行きたい。しかしバスはない。小雨も降ってきた。なんだか雨にぬれると疲れが倍増する。ここはヒッチハイクで時間を稼ごう。たまにしか通らない車に右手の親指を立てて止めようとするが、一向に止まる気配はない。立つ位置が悪いのかな。一人乗りは少なく、家族ずれが多いからなのかな。勇気が足りないからかな。いろんなことを思いつつ、少しずつ場所を変えてヒッチハイクするもうまくいかない。しばらく歩くと一台のトラックが路肩に止まっている。チャンスだ。私は駆け寄ってドアをノックした。運転席から不機嫌そうなニイチャンが顔を出し、仕事の邪魔すんなという露骨な表情が、言葉より前にこちらに伝わってきた。こいつは失礼した。そんなあからさまな拒否は分かりやすい。しかたない。歩こう。そもそも畑を歩きに来ているのだ。ジュブレまでの小一時間雨に打たれるのも悪くなかろう。

※ちょっと寄り道※
 AOCマルサネは1987年5月19日に単独のアペラシオン(原産地統制のある呼称)に格上げされた新しいAOCである。隣村のプロションがコート・ド・ニュイ・ヴィラージュという単独の村名が名乗れない村名格ワインなのに対し、マルサネが単独の村名AOCを勝ち得たのはまったく面白い決定である。マルサネはロゼワインとしては、マルサネ・ロゼとして単独のAOCを名乗る権利を有するが、赤ワインとしてはACブルゴーニュしか名乗れなかった。そこで隣村と同じく、より高値で商売できるコート・ド・ニュイ・ヴィラージュのAOC昇格を目指していたが、このAOCを名乗れるほかの5村から反対され、なぜか単独のAOCを勝ち得たのだ。フィサンが単独AOCと同AOCを名乗れるのに対し、マルサネはAOCマルサネのみを名乗れる。ちなみにAOCマルサネ・AOCマルサネ・ロゼを名乗れるのは、マルサネ・ラ・コート村と隣接する二村であり、行政区画と畑のアペラシオンは一致していない。
 マルサネはなんと言ってもロゼで有名である。フランスの三大ロゼワインには生産量の少なさゆえランクインしないが、食中酒としてレパートリーに入れておきたいワインである。その名を全世界に轟かせたのは、ルイ・ジャド社に買収される前のドメーヌ・クレール・ダユである。かのロマネコンティと比較されるほどの名声を得たワインとしても有名である。相続の問題からルイ・ジャド社とドメーヌ・ブリュノ・クレールに分割されてしまったが、今日もなお両社は偉大なロゼを造り続けている。日本国内では某三越でよく見かける。


<フィサン>
 マルサネを歩き切り、プロション村に。ここから生産されるワインはコート・ド・ニュイ・ヴィラージュを名乗る権利を有している。このアペラシオンは5つの村から形成されている。コード・ド・ニュイ地区の北側にこの村とフィサンがあり、南側のニュイ・サン・ジョルジュ村周辺の3村とあわせて、村名格のワインを造り出している。プロションは単独の村名としては名乗れないが、偉大なコート・ド・ニュイを名乗ることができるのだ。知名度の高さから商売もしやすいのだろう。

 本当はこの村の畑は車窓から眺めたかった。小雨降る街道は、心細い。時間も12時を回って足の疲れも顕わになってきている。この調子だとヴォーヌ・ロマネ村につく頃にはへとへとになっていること間違いなしだ。やばい。体力の衰えもひしひしと感じつつ、先を急げない状況に地団駄を踏む思いだ。出発直前に友人から借りたリックにカッパがあるときいていたので、お尻の部分のファスナーを開けてみた。なかには真っ赤な生地が折りたたまれている。このカッパを着て急ごう。んん。なんか変だ。ありゃ。これは。
 それはカッパではなく、リュックの雨よけカバーだった。リュックをぐるりと覆うだけのものだった。なんだ。私はリュックを仕舞いこみ。普通のバックを肩にしょいながら旅を続けることになった。そもそも雨は想定していなかったので、傘は持っていない。雨が降れば傘を買えばいいと思いつつ、店舗は閉まっていて、なおかつ畑の真中にはそんな店すらなかった。計画の甘さが早くも露呈しているぞ。

 しっぽりと濡れながら、ようやくフィサン村まで辿り着いた。フィサンを示す看板は木々のふもとにひっそりとしている。木陰でしばしの雨宿り。地面は適度に濡れていて腰をおろすわけにはいかない。ここは看板だけ写真にとって素通りしよう。あと少しで御飯にありつける。昼食はジュブレ・シャンベルタン村でとりたい。雨も凌ぎたい。あと少しで御飯にありつける。この村の畑を散策したい欲望は既になく、私は舗装された道をただひたすらに歩きつづけた。

※ちょっと寄り道※
 フィサンはジュブレ・シャンベルタンの一級と接するだけあって、味わいには共通するものがある。しかしメゾン・ルロワ以外には触手が伸びないのもまた事実だ。コート・ド・ニュイ・ヴィラージュを名乗ってもいいし、単独のフィサン名を名乗ってもいい。要は高値で売れる名前を選択できるのだ。ジュブレ・シャンベルタンの隣村を強調するならフィサン。コート・ド・ニュイを強調するならコート・ド・ニュイ・ヴィラージュを、なのだろう。ちなみにフィクサンと読む人もいる。FIXIN。

※さらに寄り道※
 コート・ド・ニュイ・ヴィラージュとオート・コート・ド・ニュイについて
 この二つのアペラシオンは名前こそ似ているが全く別のAOCである。コート・ド・ニュイ・ヴィラージュは単独の村名を名乗れないコート・ド・ニュイ地区の村名格ワインなのに対し、オート・コート・ド・ニュイはコート・ド・ニュイとは丘をひとつふたつ隔てた東側の場所にあり、地方名ワイン(ACブルゴーニュ)の場所指定ワインである。村名と地方名の差があり、素性の違いははっきりしている。
 コート・ド・ニュイ・ヴィラージュが何らかの事情によりワンランク下のACブルゴーニュとして販売される時、両者は同ランクになる(当然名称はブルゴーニュとなり、ヴィラージュは名乗れない)。しかしブルゴーニュはシャブリ地区からボジョレー地区まで南北に長い。ただ単にブルゴーニュと名乗るワインは場所の特定が難しく、味のイメージが掴みにくい。このクラスでランク落しをする必要もないだろうから、実際にはどうなのだろうか。机上の理屈に留まるのかな。
 かたやオート・コート・ド・ニュイはACブルゴーニュと同列ながら場所ははっきりしている。このアペラシオンは広いといえなくもないが、ブルゴーニュ地方の一部と特定できるだけに飲む前から味の印象を想像しやすく、あとは生産者の個性や予算を考慮すればイメージ通りの食卓を造ることもできる。ジャイエ・ジルやレシノーなどがお奨めかな。彼らのグランクリュは高くて手も出しにくいが、このワインなら食卓を大いに盛り上げてくれるだろう。ちなみにコート・ド・ボーヌ・ヴィラージュとオート・コート・ド・ヴィラージュも違うがそこらへんの話はその村に辿り着いた時にしようと思う。

つづく


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