ブルゴーニュを歩こう3

<ジュブレ・シャンベルタン>
 さあいよいよグランクリュ街道本番である。比較的大きなこの村で情報を集めよう。ところが観光案内所は案の定閉まっていた。日曜日は午前中のみ。私はその情報はインターネット経由で入手していたものの、その時間までには辿り着けなかったのだ。徒歩の限界を感じつつ、閉まっているならしょうがないと開き直ることにした。

 ジュブレ村ホームページ http://www.ot-gevreychambertin.fr/

 時刻はちょうど一時。案内所の隣にはロバート・パーカー絶賛のドメーヌ・フィッリップ・ルクレールの店舗がある。どうやら無料試飲会をやっているらしく、扉の小さな呼び鈴を押してみた。中から青年が現れ、私はやおらフランス語で試飲の要求を伝えた。おっと通じるじゃないか。いいぞと思いきや、いまから昼食なので2時以降に来てねと軽くあしらわれてしまった。なんだ、タイミング悪いな。飯でも食べよう。
 この村にはレストランが多い。どこか手ごろな店をと思っていたが、2時からの試飲に備えアルコール類は飲まないほうがいいだろう。いくら無料とはいえ真っ赤な顔で試飲するのは失礼にあたるだろうから。私はレストランでワインを注文しないで食事ができるのかと自問してみた。ここはジュブレ・シャンベルタン。赤ワインの大名醸地。ソフトドリンクでお茶は濁せない。ワインを飲まずに、何を飲むのだ。何しに来たの。あかん。ワイン抜きの食事は考えられない。しかたがない試飲後にたらふく飲むことにしよう。ここに一泊してもいいじゃないか。旅は行き当たりばったりさ。

 疲れた足を引きずって、村の散策が始まった。近くにはフィリップ兄弟ドメーヌ・ルネ・ルクレールの店もある。店内には誰もいないようだ。ここも昼休みなのだろう。適当に歩いているとドメーヌ・フェブレの横にレストラン・ミレジムの門が見えた。このレストランはルロワの極上が飲めることで知られている。メニューを拝見。なかなかうまそうだ。ここで持参したジャケットを羽織りネクタイ締めれば、入れなくもなさそう。近所から電話で予約すれば失礼にもあたらないだろう。私は旅の予定を確かめた。ここで豪華な食事も悪くない。しかし、ここに長居をすると辛口白ワインの最高峰たるコート・ド・ボーヌの銘醸地が疎かになる。特級畑のある最後の村・シャサーニュ・モンラッシェ村まではここから30余キロほどある。往復するとなると自転車や徒歩では厳しい距離だ。電車やバスも余りあてにならない。平日ですら予想以上に数が少ないからだ。今日中になんとかニュイ・サン・ジョルジュまでは着いておきたい。あす一日かけてコート・ド・ボーヌを歩きたい。そのためにはボーヌ村まで午前の早い時間に着く必要もある。今日一日でニュイ地区は回るべきだ。しかも、明日は平日だからいいが、あさっては祝日(メーデー)である。またバスがない一日が予想された。目指せニュイ・サン・ジョルジュ、に決定である。

 おいしい料理を前にしてこのまま立ち去るには忍びない。ここはドメーヌ・フィリップ・ルクレールでの試飲を成功させて、景気づけといこう。フィリップでのテイスティングはドリンキングレポートを参照してもらうとして、ワンポイントアドバイスを。
 まずはそのお店がやっているかどうかは次のフランス語を探そう。玄関や門に次の文句の看板があるはずなので、この二つさえ知っていれば大丈夫です。

 営業中 = OUVRIR / 準備中 = FERME 

 ただしOUVRIRと書いてあっても、相手はワインを売るための商売をしていることを忘れてはいけない。デパートの試食と一緒で、ワインを買ってもらうための試飲ということを肝に銘じなければならない。デパートの地下食で食べたが最後、なにか買わずにはその場を立ち去れない人は近寄らないほうがいいかもしれない。基本的な心構えとしては世界を代表するドメーヌは最低一ヶ月前からアポイントが必要で、しかも一般客の訪問は基本的に(ここが重要・世の中例外はたくさんあるぞ)、受け付けていない。そのためフィリップが一般観光客に門戸を開けていることは不思議でもある。
 とにかくアポなしでは入れる店は商売のお店と思っておこう。

 で、OUVRIRのお店に入ったら次のフランス語で自分の意思を伝えてみよう。私の心構えはただでワインを飲ませてもらって、何も買わずに出てくる、である。一軒一軒立ち寄る店ごとにワインを買っていては、お金も続かないし、第一ワインのビンは重い。世界の銘醸はロンドン・ニューヨーク・東京にあるというのも重要な事実である。ブルゴーニュには畑を歩くためにやって来た。ほしいワインは神奈川県某所や都内デパートにきっとある。失礼のないように、それでいてワインは飲めますように。

 こんにちは   Bonjour (ボンジュール) 
 試飲したいっす De'guster s'il vous plai^t (デギュステ・シィルブプレ)
 おいしい    C'est bon (セ・ボン)
 楽しかったっす J'ai passe' un bon moment(ジェ・パッセ・アン・ボン・モモン)
 ありがとう   Merci beaucoup (メルシィー・ボク)
 買わないっすよ Non merci (ノン・メルシィ)
 さようなら   Au revoir (オーボワー)

 ボンジュールのあとに男性にはムシュ、女性にはマダムと続けよう。丁寧語の完成だ。明らかに若い女性にはマドモワゼルだ。つづいてデギュステと言えばいいが、詰ってしまったら英語で続けたくなる。フリー・ドリンキング OK ? 。これで多分通じると思う。ワイン・シルブプレは「買いたい」と誤解されそうで、私は使えなかった。無事試飲もできたら、店員はワインの価格リストなどを提示してくる。いよいよ相手の本題だ。ここは、心を鬼にしてノン・メルシー攻撃だ。一本ぐらいという甘い言葉はフランスでは必要ないと自分に言い聞かせよう。試飲できたことで私の目的は達成された。あとは誠意ある撤退である。しかし、恩を仇で返しやしないか。自問自答はしばらく続く。
 例えばフィリップ・ルクレールのワインでみてみよう。日本では彼の一級ワインは7000円位で買える。渋谷・新宿の某店には山積みされていたりする。しかしここでなら4000円ちょっと位である。安いといえば安いが、重いといえば重い。例えば今宵ホテルの部屋で飲むならフィリップの銘醸ワインは素敵な夜を約束してくれる。日本に持ち帰るなら、結構重い。郵送してもかなりコストはかるし、途中の扱われ方は未知の世界だ。あとは個人の問題かな。まあ話を畑に戻そう。

 ジュブレ・シャンベルタン村には偉大な畑と共に、すばらしい造り手が目白押しである。いとしのドニ・モルテ、王者アルマン・ルソー、トップワインは徹夜してでも買いたくなるらしいクロード・デュガ、かたや燻し銀的なワインを造るベルナール・デュガ・ピィ、あのクレーユ・ダウのあとを告ぐドメーヌ・ルイ・ジャド、さらにクリスチャン・セラファン、フェブレ、ジョセフ・ロティ、デュジャーク・・・枚挙に暇がない。かれらの本拠地を探すのも楽しいひと時だ。アルバムを眺めると彼らの門と表札ばかりの写真がたくさん出てくるが、まあまあご愛嬌というものだ。

 ジュブレ・シャンベルタン村から畑に歩き出そう。この村はなんと言ってもシャンベルタンである。ナポレオンが愛したワインとしても有名である。シャンベルタンへはグランクリュ街道をそのまま南下すればいい。モレサンドニ村を目指せば自ずとこの道に出てくるので、看板を確認しつつ歩を進めよう。国道74号線に出てしまうとグランクリュからは遠ざかるので、その看板は無視するのがいい。また特級畑の手前に輝く一級畑も深入りは禁物かもしれない。時間にゆとりがあれば、カズティエやクロ・サン・ジャークといった特級に匹敵する一級畑は歩くべきである。しかし時間的制約を抱えているなら遠目で我慢しよう。私のように欲張って歩き回ろうとすると、迷子になること必至である。畑の斜面に感動していると、ようこそオート・コート・ド・ニュイへなどという看板に遭遇してしまう。ううう。完全に道を間違えた。オート・コート・ド・ニュイにはシャンベルタンはない。シャンベルタンはシャンベルタンにある。やってしまった。30分以上も歩いて、来た道を戻ることほど寂しいものはない。雨も降ってきやがった。合計1時間のロスは体力的にも時間的にも痛手であった。午後3時過ぎてまだジュブレ・シャンベルタン村にいる焦燥感。日が暮れるまでにはニュイ・サン・ジョルジュのホテルに着きたい。一時間に4キロ進むとして単純に3時間は歩かなければならない。車ならあっという間の距離でも徒歩は、歩いた分しか進まないぞ。

 グランクリュ街道に戻ってからは雨も止んだ。マジ・シャンベルタンの看板をカメラに収めここからが本番だと気合を入れなおす。不思議と足の痛みもへっちゃらさ。シャンベルタン・クロ・ド・ベズが右手にあり、左手にはシャペル・シャンベルタンそしてグリヨット・シャンベルタン。いいぞ。このグリヨットは曰く付のワインである。アメリカと日本で大ブレークしているクロード・デュガがこのグリヨット・シャンベルタンからワインを造ると某渋谷の本店には徹夜組が60人以上もでるという。わずか数本のワインをめがけて凄い気合である。私にはとてもできない芸当である。なぜならば徹夜しなくてもそのグリヨット・シャンベルタンを持っている人を何人も知っているからだ。行列ができるワインでも、あるところにはちゃんとあるから不思議である。

 左手(国道側)の畑がシャルム・シャンベルタンに変る頃、右手の斜面はシャンベルタンになっていく。遠くに国道を走る車が見える。菜の花畑の黄色い絨毯が国道の向こうにいくつも広がっていて、なんだか空気もうまい。すがすがしい。いい斜面である。グランクリュ街道は舗装されているので歩きやすくもあり、日曜の畑の真中は車の往来も少なく、絶好の散策日和である。この村の特級畑には随所に看板が立ち、それはあたかも住所の案内板のようでもあるが、初めて訪れるものにてとっては自分の場所も把握できて重宝である。看板がラトリシエール・シャンベルタンに変ると、ようやくこの村ともお別れで、隣のモレ・サン・ドニ村に到着である。そうはいっても遠くに村の中心を知らせる教会と集落があり、いまだに畑の真中にいることには違いないが。


※ちょっと寄り道※
 この村の特徴は、赤系の果実味果実香も黒系の果実味果実香の両方があり、濃くって強い偉大なワインが多い。特級畑は9つあり、それぞれに立場や飲み頃を変えるから楽しい。


<シャンベルタン>
 世界にその名を轟かせる大名醸。農夫ベルタンの畑という意味という説が有力。ナポレオンが愛し、いつのまにやら本家シャンベルタン・クロ・ド・ベズをも取り込むブルゴーニュを代表する畑。アルマン・ルソーの古酒は感激の極みである。


<シャンベルタン・クロ・ド・ベズ>
 かつてベズ修道院所有の大名醸地。歴史があり由緒も正しい。この地に葡萄が植えられて、修道院によって受け継がれてきた伝統ある畑である。隣のシャンベルタンはクロ・ド・ベズ耕作からから200年の後、農夫ベルタンさんが耕作したもので、由緒はこちらに軍配が上がる。しかしシャンベルタンの知名度のためか、ここの畑のワインもシャンベルタンを名乗っていいことになっている。逆にいえば、シャンベルタン・クロ・ド・ベズはシャンベルタンの畑からは名乗れない。クロ・ド・ベズほ名乗ることは、より畑の素性を明確にしているのだ。しかしワインはピンきり。トップ評価はクレーユ・ダウの流れをくむドメーヌ・ルイ・ジャドやフェブレ、ルソー、グロフィエなどだろう。


<ラトリシエール・シャンベルタン>
 この村の南側。シャンベルタンに接するものの、地味な存在は否めない。通好み。サビニー・レ・ボーヌの造り手ドメーヌ・シモン・ビーズもなぜか造っている。彼の奥さんは日本人で、私の友人がドラマの撮影に訪れた時にいろいろお世話になったらしい。


<マジ・シャンベルタン>
 グランクリュ街道の北側の最初。ジョセフ・ロティの造りだす正統派辛口ワインの印象がいまだに心に留まっていて、うれしい。


<リュショット・シャンベルタン>
 唯一グランクリュ街道に接していないので、どこにあったか分からなかった。地図で確認するとマジの山側にある。アルマン・ルソーのクロ・デ・リュショットはこの畑の区画指定であり、モノポールなのでルソーのその年の出来不出来を判断されるのに使われるらしい。飲むごとに唾が溢れ出し、至福な時が過ごせるワインである。


<グリヨット・シャンベルタン>
 クロード・デュガのワインにロバート・パーカーが100点を連発して、彼を一躍スーパースターへと導いたワイン。私の周りの諸先輩方が1993年ものを熱く語るときのこぶしの握り締め具合から、その偉大さが伝わってくる。インターネット・オークションでも10万円近くまで高騰するから、日本での人気もすさまじい。ただ、個人的には好みでないのでそんなフィーバーも静観してしまう。グリヨットとは、野生のさくらんぼのこと。


<シャペル・シャンベルタン>
 飲んだことがない。クレール・ダユ系のルイ・ジャドがいいらしい。


<シャルム・シャンベルタン>
 この村の特級の中で明らかに生産量が多い。ピンからキリまでたくさんありそうだ。この村の特級の中では最も女性的と表現される。強いなかにも優しさがある。個人的にはドメーヌ・デュジャークの1993は優しくシルキーで今世紀を代表して欲しい大銘醸だと思う。
 ドメーヌ・モームなどは比較的安価に手に入るので、ちょっとうれしい。


<マゾワイエール・シャンベルタン>
 シャルム・シャンベルタンと名乗れるため、マゾワイエールの名のワインは飲んだことがない。知名度の高いシャルムを名乗らず、マゾワイエールを名乗るのはこの地にこだわりを持つ証拠だろう。たぶん。

つづく


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