水切り石うひょひょ
きり遊びについて
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水切り遊びは、石切りとも、石投げとも言われています。また、跳ね石
遊びとか、水面石飛ばしなど、様々な呼び名があります
この遊びは、水と石のある所、世界中で行われているようです。
世界の呼び名を調べてみると、その国の文化的背景が見えるような気が
します。
ミャンマーでは「チャウッケーピエー」小石が走るという意味
フランスでは Ricochet 「リッコシェー」間接的影響、波及の意味
英語で水切りを「ducks and drakes」アヒルの雄雌です。
また「skipping stone」という表現もあるようです。
ルーマニア「モーグ」波紋の意味
タイ「レンパーヒン」石を投げるという意味
中国「打水漂」
これらは、各国の地方の呼び名だったりして、確かではありませんが、
何となく感じるものがありますね。日本でも、チチッコという地方も
あるようです。ちなみに、埼玉県の荒川水系では、ちょんぎり、ちょっ
ぴん、ちょうまなど10種類の名前で呼ばれています。
埼玉県だけでもこれだけたくさんの呼び名があるということは、水切り
遊びは、限られた地域の小さな集団の中で自然発生的に楽しまれてきた
ということを示しています。
人は空を飛べません、魚のように泳げません。馬のように走れません。
でも、投げることは得意です。この投てき能力は、自己の拡大を意味し、
人類の文明や精神に大きく影響したと思います。水切り遊びは、離れた
地点に変化を生じさせることに喜びを見いだした人類独特の遊びです。

世界水切り協会(International Stone Skipping Federation)という
組織があり、そこで承認された記録は、長いこと38回のジャンプでした。
2004年、Kurt Steinerという人が新記録40回を出し、さらに、2007
年7月、Russell Byarsという方が51回を出し、ギネス新記録となりま
した。2013には65回から88回へとKurt Steinerさんが更新しています。
私個人の実感では、プロ野球の下手投げ投手が本格的に練習すれば、
まだまだ奇跡は起こるはずです。
『水きり遊び虎の巻その二』の下にあるムービーをコマ送りで数えて
みてください。40回位跳ねていると思います。条件が整えばジャンプ
してしまうのです。世界中で50を超えるジャンプはときどき出ている
筈です。ただ、数え方については難しいところがあります。むしろ、
ジャンプ数より、ニ度と同じ波紋のない、その美しさを楽しむべきで
しょう。事実、意図的に少ない数を公式記録にしている団体もあります。
後で水切りをする人に楽しみを残す為です。素敵な配慮だと思います。
長い間世界記録保持者だった、jerry colman mcghee氏は、選手権
は水切り遊びを通俗化するただ一つの方法だが、私はその概念が好き
になれなかったと自ら立ち上げた選手権を終えてしまったようです。
私はただ水きり遊びで楽しみたかったと言っています。また、水きり
遊びは、単なる芸術形式、美だとも言っています。私もそう思います。
瞬間の自然現象に美を発見できることは、とても素敵なことだと思い
ます。また、日本には日本水切り協会という会があり、そこの副会長
さんにはいろいろ教えていただき、お世話になっています。

水面を跳ねる石は、そのスピードに関係なく、水平から20度の角度
で投げ込むと最も跳ねやすい。こんな研究成果を、仏リヨン大学の研
究者チームらが、英科学誌ネイチャーに発表したそうです。
しかし、東京工業大学ではそれより以前から発表していて、20度とは
言っていません。おそらくマスコミの勘違いで20度が最も多くジャン
プする角度だということになってしまったものと思われます。むしろ、
投げられた石は、跳ねているうちに自動的に最適な角度になろうとす
る力が働くと考える方が自然です。それは、その時の石とスピード、
水面、空気の状態が決定します。これなら、なぜ石があんなにも綺麗
なジャンプをするのかが納得できます。『水切り石の法則』です。
確かにその角度は20度位になります。しかし、薄くて比重の重い石の
場合、10度位で見事なジャンプをします。20度という石の角度は、
ある条件で最も安定して跳ねる角度ということで、沢山のジャンプを
するという事とは別の事ではないかと思います。また、薄い石の場合、
強く投げると20度では空気にあおられて浮き上がってしまいます。
20度では水の抵抗も大きく、沢山のジャンプは望めません。これはア
メリカの水きり名人も同じような事を言っています。石の入水角度は
単純ではありません。石の形や比重によっても違いますし、投げ出す
位置から水面までの石の軌跡やスピードでも変わります。いずれにし
ても、水きり現象は途方もなく奥が深く、謎の多い現象です。

東京工業大学では、CIP法にによる跳飛現象の数値シミュレーションと
いう研究を図解と超高速カメラの映像で紹介しています。
もちろん水きりの流体力学的研究ですから、計算式の山です。
最後に『概ね定性的な一致が見られるが、実験結果では、波に3次元
性がある点や、速度変化量にも違いが確認できている。これについて
は今後の3次元解析にて明らかにしたい』とあります。
紹介された図と写真は、今迄私が実感として感じたことを裏付けるも
のでした。水の粘着性や圧力分布に関する発見もありました。
実際に東工大を訪問する機会がありました。水切りの研究は、CIP法
により、水切り現象をシュミレーションするためのデーターをとるも
ののようでした。そのデーターから作られたコンピューター画像は、
見事に水切り現象を再現していて科学の力を実感しました。データー
は、船舶の構造設計などに大いに役立っているそうです。
教授は、私の無遠慮な質問にも、わかりやすく丁寧にこたえてくれま
した。石の入水角度など実験結果も私の実感と共通のものが少なくあ
りませんでしたが、科学の積み重ねの厚さを実感し、遊びとしての水
切りと、水切りの科学の違いもわかったような気がしました。
実験装置は、実際の水切りのように石を水に投げ入れることはできな
いものでした。完全に円に近くないと回転を付けて投げられない構造
です。さらに、実際の水切りを再現するには、石は水面に対し斜め上
から下に打ち付けられなくてはいけません。その際、回転も水面に対
して斜にする必要があります。この斜め回転の石を自由に投げる装置
を考えてみましたが、実に難しい装置になりそうです。石の重さや形、
回転、角度を変え、しかも投げる強さを自由にコントロールし、正確
に同じ事を再現できなければなりません。水面の環境をコントロール
できる広いプールも必要です。モデル石も数多くの種類が必要です。
人の体はまったく同じ事の再現はできませんが、水切り石を投げるの
には最高の装置なのかも知れません。

フランスの物理学者、リデリック・ボッケ、という人が、水切り38回
を繰り返す条件を連立方程式を立てて計算した結果、石の初速だけで
はなく、回転率が成功の鍵になり。いい回転を与えることで、水面に
ぶつかっても傾きにくくなり、縦になって沈まない。ボッケ氏は、こ
のとき石は時速50キロ以上で投げられ、毎秒14回転しつつ12メート
ル以上の距離を飛んだと推測しているそうです。

石の回転も、時速50キロも無理なことではありません。知り合いの
工学博士に話してみたところ、これを計算するには、複雑なことなの
で、なるべく単純にして変数を少なくして求めるのだそうです。例え
ば水面は平面で、風は無くて、石の形状は円で……。というふうに。
そうした中で変数を系統的に変えていって現実的な条件を徐々に当て
はめてゆくのだそうです。私は良くわかりません。博士はこう続けま
した。それより、あなたの感性で研究する方が早いのでは?…。
人の感性は、計算はできなくても的確だと言う訳です。その通りかも
知れません。沢山の筋肉と自然が複雑に関係する水きりの運動には、
科学の外にある意識とか感覚の係わる部分が大きいということです。
実際に、投げる石や水面の状態などは計算しきれないほど複雑です。
水面に接する石の形状にも、さらに複雑な作用があります。また、石
を水面に投げ入れる初めの位置や角度も、投げ出される石のスピード、
比重や形、投げ出す手の高さによって変わります。また、空気と水は
石のスピードが早いほど固く振る舞うことや、水の粘着性が水切り現
象をさらに複雑なものにしていると思われます。また、石が水から離
れる時の条件は重要なのですが、研究例は見つかりませんでした。
大切な事は、水きり遊びは単純に見えても固体、液体、気体が様々な
原理と相互に関係して起きる複雑な流体現象だということです。
水面と、石、天候、そして投げる人が調和した時、奇蹟のような波紋
を見る事ができるのです。水きり遊びは、自分と自然との調和を探し、
それを楽しむ遊びです。力だけはありません。発見の積み重ねによっ
て、小さな子どもでも、信じられないようなジャンプが可能です。

アメリカのミシガン湖では、決められた重さと形状の素焼きの陶器を
ジャンプさせる、完全にスポーツ化された大会があるそうです。また、
イギリスでは、水きりの距離を競う大会もあるようです。
日本では、全日本石投げ選手権大会、宮城県丸森町があります。未就
学児から75才以上の9部門で、出場者も多く、2010年が12回目です。
この大会で熊谷水きり倶楽部は、3年連続で優勝者を出しています。
四国の高知県では、仁淀川国際水切り大会が、2010年が7回目です。
当地では、ある一定の上手な人に、熊谷水きり名人認定証を発行する
不定期の大会を過去3回行っています。100人の名人が目標です。

熊谷水きり倶楽部は、現在22名の会員で、子どもたちの体験学習など
で、ボランティアとしても活動しています。水切りのお手本を見せる
だけかも知れませんが、川で遊ぶことの中にある気付きにも目を向け、
体験学習の一助になることを願っています。お近くなら会員を派遣す
る用意もあります。

今後も、全国の水きりファンの方と情報交換をしながら、水きり遊び
の可能性を探り、僅かでも平和に貢献できたらと願っています。
水きり遊びについては、古い情報がほとんどありません。これほど知
られている遊びにもかかわらず、水きり遊びの歌も、昔話も見つかり
ません。不思議です。川の流れや夜空の星に物語があるように、水き
り遊びにも素敵な物語りがあるはずです。

遊びと自然体験について
子どもたちは本来、遊びを通して生きる力を身に付けます。
人類は、不便さと貧困に対しては知恵を蓄積してきました。しかし、
文明化と豊かさに対してはまだ経験が足りません。そのため、文明化
に対応する人の在り方については手探りではないでしょうか?。特に
少年教育の対応は充分とは言えない状態です。遊びも商業主義に取り
込まれ、子どもたちの自然な成長をゆがめる傾向も見られます。
時代が急変しています。文明社会の青少年教育は、どんな理論と方法
が必要なのか、その対応はまだ始まったばかりです。
そんな中で、昔からの遊びが見直されています。これは、ほとんど道
具を使わず、群れ遊びが中心で、自然の中で行われることが多いのが
特徴です。
遊びは、年齢の違う子どもが一緒に遊び、工夫され、独自の子ども文
化を形成していました。小さな子は先輩を見習い、大きな子は小さな
子を気づかい、いつしか一人前の子どもに成長してきたように思いま
す。私達は、その中で仲間意識を育て、自らを守る知恵や優しさを感
性として身に付けてきました。子どもの遊びをたわいのないものして
見過ごすことはできません。本気で遊ぶからこそ、ドラマが生まれ、
子どもたちが自主的に成長できる場となっていました。
今の子どもたちには親の影響が大きくなり過ぎているように思います。
教え過ぎは問題です。人は間違いも教えます。大切な事は、子ども達
が見覚えたり見習うことのできる機会と場をつくってやることだと思
います。一つ一つの体験が、知識や知恵を生み出す種子になります。
むりやり大人にせず、子ども時代を充分楽しく過ごし、無理なく大人
になれるようにしてあげたいものです。
間接的な情報や理屈で知識や技能を身につけさせることも必要ですが,
現場で仲間と行動し,考え,気付き、感じることを欠いては,社会人
としての十分な成長が望めません。少年が、より健康で、よりよい社
会人に成長するためには、何人かで共に遊ぶことによって、様々な心
の変化を経験することが大切ではないでしょうか。共に遊ぶ経験を通
じ、子どもたちは友情を知り、自信を持ち、共感しあうことの喜びを
知るのです。
机上の知識ばかりではなく、体験としての感性は、あらゆる判断の基
準になります。この感性を大切にしてこなかった反省が見られる今、
様々な試みが行われています。教育をお金で買う時代ですが、五感と
自然を頼りに、原始的とも思われる方法が見直されているのです。
水切り遊びは、自然環境が残された水辺で行われ、手軽に行える遊び
で、子どもたちはこの遊びが好きです。ここでは、環境に対する事柄、
生物、石、運動など様々な経験が可能です。身近なところにある不思
議を実感するきっかけになるかも知れません。自然の神秘を感じる事
のできる子は絶望に負けることはないでしょう。水きり遊びを広める
事は悪いことではなさそうです。自然を教師として身につける感性に
間違いは少ないと思うからです。子どもたちはそこから多くを発見し、
自ら学び、より良い未来を創造するでしょう。

水きり遊びの今後
あらゆるスポーツが競技になっているのは、闘争本能に考慮した結果
でしょう。ルールを定めることにより、社会的に許された差別化の制
度とも言えます。自らの優秀性を発揮した勝利の感覚は、つかの間の
幸福感をもたらします。ただそれだけでなく、日本古来のスポーツに
は道という哲学があります。自らを苦しめる心身をコントロールする
修行という考え方です。また健康のための運動という面もあります。

水きり遊びは、人類が二本足で歩行するようになって始まった太古か
らの遊びではないかと想像します。多くの遊びは体系化され、スポー
ツとして、また、文化として現代に続いています。なぜ、水きりはそ
うならなかったのでしょうか?。
石が水面を連続して跳ねるのを発見した原始人は「オーオ〜」と歓声
を上げたかも知れません。「うひょひょ」と笑ったかも知れません。
そのとき、水切り遊びは小さな文化になりました。それから少しも変
わる事なく、現代まで続いてきた稀な遊びです。いわば遊びのシーラ
カンス。素朴なままで残したいものです。

近年のスポーツは勝負にこだわり、参加することに意義があるといわ
れたオンピックさえ、経済活動の側面が目立ちます。今やお金になら
ないスポーツは価値が低いかのようです。スポーマンシップも語られ
ることが少なくなりました。ドーピングは、スポーツの良き伝統が経
済の力に破壊されたということかも知れません。
水きり遊びは、水辺の暇つぶしというイメージがあるように感じます。
練習すれば、だれでも上手になれます、特別の才能も体力も必要あり
ません。基本的にジャンプの数が数えられないということもスポーツ
化しにくい原因でしょう。この遊びは、競技性をできるだけ少なくし
た方が良いのかも知れません。せっかく、無邪気な遊びとして残って
きた水きりです。みんなが気軽に楽しんでほしいと思います。
熊谷水きり倶楽部はお手本を見せるだけで良いのです。子どもたちの
見習う能力は凄いです。ただ見せるだけで、真似し、すぐに上達しま
す。少しずつジャンプの回数が増える喜びもあります。上手にならな
くても、問題がないのも良いところです。遊んでいる中には様々な発
見や、出会いがあります。コツを教えたり教えられたりしながら綺麗
な波紋で自然の不思議を共感することもできます。単純な遊びだから
こそ、素朴な共感が生まれます。このまま遊びとしての意味を大切に
し、発展させる方法を考えてゆきたいと思います。私達には、奇跡的
な出来事を求める傾向があります。水切りには、遊びに欠かせない偶
然性があり、いつでも小さな奇跡が起こる希望があります。それが見
たくて私達は時代を超えて石を投げ続けるでしょう。

何の道具も使わず、だだそこにあるものだけを使った水きり遊び。自
然と人、すべてが調和したような美しい波紋も、やがて静かに消えて
ゆきます。流れはいつものように夕日を写してゆったりと流れます。
この小さな自然のドラマは、私達に何ができ、何ができないかを象徴
しています。そして、奇跡的に綺麗な波紋は、自身が世界に受け入れ
られているという証しだとは思えないでしょうか?。
人には石を投げるだけでも楽しむことのできる感性があるのです。

水きり遊びで気をつけること
水きり遊びにも危険はあります。川、海、池など、そのものが危険な
場合もあります。自然に慣れていない子が多いです、配慮が必要です。
また、石を投げるのですから、誰かに当てないようにするため、数人
で水きり遊びをする時は、2m以上離れて投げるなどの注意も必要で
す。投げた石が、前の石に当って跳ね返ることもあります。前に石や
人がいない事を確認して投げましょう。また、低い位置から投げよう
として下の石に手を打ち付けて怪我をすることもあります。私は2度
指を切りました。投げる時にバランスをくずし、水に落ちないように
足場を確認することも大切です。ときどき、前に投げるつもりでも、
とんでもない方向に石が飛んでしまう子や、危険に対する感性の不十
分な子も見られます。水辺には悲しい事故もあります。みんなで注意
しあって安全に楽しく遊びましょう。また、釣り人の近くで石を投げ
ないなど、他の人への配慮も忘れないようにしましょう。
思う存分石を投げても問題のない水辺は少なくなってしまいました。
水切り遊びをしても良い場所は限られます。注意しましょう。

水きり写真展へ
ピョンピョンはねる水きり石
遠いお山のかなたから
何百年も旅をして
平たい石になりました
誰か見つけて
チャッ チャッ チャッ

ピョンピョンはねる水きり石
元気の良い子に拾われて
今日こそ川を跳びましょう
早く投げてよ やわい手で
優しく投げて
チャッ チャッ チャッ

ピョンピョンはねる水きり石
ちょっと失礼お尻から
お水に投げてくださいな
そしたら100回跳びましょう
くすぐったいよ
チャッ チャッ チャッ

ピョンピョンはねる水きり石
悲しい心は石に込め
母なる流れにゆだねましょう
水がすべてを解かしたら
みんな元気に
チャッ チャッ チャッ

ピョンピョンはねる水きり石
同じ波紋は2度とない
きれいな波紋が見えますか
ふしぎな波紋が見えますか
奇蹟の波紋が
チャッ チャッ チャッ

ピョンピョンはねる水きり石
ほんの小さな波紋でも
そこにみんなが居たならば
楽しい気持ちが広がって
平和の波紋が
チャッ チャッ チャッ

ピョンピョンはねる水きり石
一度投げたらさようなら
二度と会えない水きり石
それでも元気に跳びましょう
石が笑うよ
チャッ チャッ チャッ