お裁縫とは関係がありませんが
我々家族の一員だった黒猫「黒」の最期について
少しお話ししてもいいでしょうか。




      平成10年4月12日

  「黒」は 庭の八重桜が満開のこの日

      天国に旅立ちました。



それより3年前

事故にあって彼女はお腹におむつを巻く姿となりました。
腎臓から膀胱につながる尿管が切れてしまい
いったんは膀胱につなぎ直すことが出来たのですが
結局うまくいかず再手術を受け 尿管を腹部に出すことで
九死に一生を得ました。

それから3年間
私と彼女の密度の濃い日々が過ぎました。
「くろちゃん、おむつをかえるよー」と呼ぶと
家の中のどこにいても トコトコとやって来て 定位置に座り
私がおむつを替えるのをおとなしく待っているような
おしっこで不潔にならないように バリカンでお腹の毛を刈る時も
私に抱きかかえられながら 腕で顔を隠すようにして終わるまで我慢するような
本当に聞き分けのよい猫でした。

素晴らしい獣医さんにめぐりあい 命を助けていただいてから
病院通いは欠かせない日課となりました。
検査を受けたり
入院したり
点滴を受けに通ったり
病院は彼女にとっては「大嫌いな所」の一つでしたのに‥‥。

生まれつき腎臓の働きが悪かったらしいうえに この事故ですから
腎臓の機能が落ちて来るのは時間の問題でした。
おでき 便秘 口内炎と
腎臓の機能障害から来るいろいろな症状で
食欲をなくした彼女の体力は 見る間に落ちてしまい
点滴でしか生命の維持が出来なくなって行きました。

それでも一回点滴を受ければ一週間持つくらいの時はよかったのです。
点滴の頻度が5日に一回 4日に一回 3日に一回となって来ると
私は 嫌がる彼女を病院に連れて行くことに 耐えられなくなってしまいました。

彼女との永遠の別れは目前に迫っていましたが
病院の若い担当の先生は
最後の最後まで手を尽くしてやってほしい と言いました。
私も 自分の勝手で彼女の最期を早めていいものかと 自問自答しました。
しかし 点滴を受けても2日と持たなくなった時
もう病院に連れて行くのは止そうと 私は決心しました。
それより少し前
数日間の入院の後 退院して来た彼女が ふらふらする足取りで庭の芝生の上を歩き
陽の当たる場所で そっと身を横たえた時の
気持ち良さそうな穏やかな顔を思い出していました。

それから2日後
歩くこともままならなくなって 段ボールのベッドに寝かせていた筈の彼女は
朝になると 大好きなこたつ布団の上で横になっていました。
そのままの格好で半日
私は 一瞬でも目を離すと
彼女が誰にも見送られずに行ってしまうような気がして
片時も傍を離れられませんでした。

死の直前 苦しい息の下で彼女は
何かを言い忘れたかのように突然半身を起こしました。
そして次の瞬間
ずるずると崩れ折れるように横たわって そのまま息を引き取りました。
苦しむ彼女を見ることが出来ずに 隣の部屋で祈っていた夫に
彼女が息をしなくなったことを伝え 夫が彼女の傍に駆け寄った時
彼女は ためいきのような かすかな痙攣を一つしました。
「痙攣した‥‥」
夫は呆然としてつぶやきました。
いつもわがままを聞いてくれた 一番やさしかった夫に
お別れの言葉を言ったのだと思いました。

おむつと首輪をはずしてもらい
真っ赤な紅絹のリボンを付け
義母が墨書してくれた「南無阿弥陀仏」のお札を胸に
八重桜の花に埋もれて
彼女は 私の実家の墓地の庭に眠っています。
代々の猫や犬たちが眠っているその場所なら 彼女も寂しくないでしょう。
先祖のお墓に詣でるおりおり
必ず「黒」のお墓にもお参りすることが出来ます。


  
         彼女はふらりと我が家に遊びに来るようになって

            いつの間にか家族になった

                自由猫です。

       人は 彼女が我が家に飼われて幸せだったと言います。

       しかし それは逆だったことが今になって分かります。

         彼女がいてくれて幸せだったのは私たちでした。

            本当に本当に幸せな9年間でした。

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