ガラス工房の業務日報                                


ファイルが重くなったため2011年2月13日更新分よりブログに移行いたしました。


11・2・8
すりガラスみたいに表面を加工したビンを融かしたら、いつまでたっても泡が消えず往生。どうしてあんないらん加工をするのか。透明が一番きれいだろうに。

今日は「ことはじめ」。昔は手仕事を休み、技術の向上を願って、女性は針供養をしたりする日。うちは仕事を休めないのでせめて夜にウイスキーを飲もうと思う。



11・2・5
ゆがみが残ったのは炉の扉の隙間から外気が入っていたためと判明。
閂が毎日少しずつばかになっていき、最近は完全にパカパカになっていたようだ。まったく気が付かなかった。

毎日少しずつというのはおそろしいもので、たとえば忍者の子供は修行の年齢に達すると庭に一本の苗木を植え、毎日それを飛び越える。木が少しずつ生長するのに合わせて跳躍力も少しずつ増し、やがては木が3メートルくらいになっても軽々と飛び越えることができるそうだ。
さらに忍者は、気に入った女性がいると最初は軽く会釈するくらいから始め、やがて簡単な言葉を交わすようになり、その後、花束を贈る、馬でデートに誘うなど、毎日ごく僅かずつ親密度を増してゆき、やがては結婚してしまうという。


11・2・2
ガラスは作ってその辺に置いておくと必ず割れる。いったん500度以上をキープしてから少しずつ冷ます工程が必要だが、失敗すると左の画像のようなことになる。
二枚の偏光板(下敷きみたいだが正体不明)とライトを使うとガラス内部に残ってしまった力の不均衡が虹みたいにくっきり見える。割れやすい状態になっているということだ。

事情を知らない人にはもしかするときれいに見えるかもしれないが、私にとってはこの世のものとも思われない気持ち悪さ。



11・1・1
昨年12月半ばより少し思うところあり、今までにない勤勉さ(本人比)で仕事に邁進し、年末は31日まできっちり仕事をして、元日は夕方から、原料の投入、色素の調合、道具の手入れを済ませてから、お酒を少し(本人比)飲んで妻の作ったご馳走を食べ、明日からの吹きの作業に備えるのだった。



10・12・11



ルツボの埋め込みが終了し、昨日バーナーに着火。
2日かけて焼き締める。












炉の中のルツボの様子はめったに見られないがこのようになっている。
左下の方からバーナの炎が吹き出てくる。


10・12・9
今日は「耐火モルタル」を探して半日ずっと電話を掛けたりネットで調べたり。今までは姫路市にある炉の設計屋さんに頼めば簡単に手に入っていたのだが。

タウンページの「耐火材料」で調べて何件か問い合わせても個人相手だと途端にダルそうな対応をされるし、ホームセンターで売ってるのはパンとかピザ窯用の比較的低温の炉用。

そろそろ腹が立ってきて、そこらへんの土掘って来たろかという感じになるころ、陶芸やってる人もやっぱり炉の補修に使うんじゃないかと思いつき「陶芸材料」で調べたら、子供が通う高校の近くに在庫を持ってるところが見つかり無事解決。



10・12・7
融けたガラスに不純物が混入するようになったので、ルツボをちきんと据えなおすため先日火を止めて、しばらくの間雑用をだらだらこなす日が続いている。

こういう日々が一年も続けば確実に人間として駄目になるだろう。
私の場合、だから一生働いてないとしょうがない。


10・11・29
右の「鉄リン」でガラスの塊をクルクル回すとき潤滑剤として水と油を少し入れる。
このときにシャンプーなどのポンプ式容器でピュッとやると便利だが、なにしろ本体が薄いプラスチックなので、じきにガラスの熱でグニャッと変形してしまう。
そこでコンパネの端材を利用して「ウオーターボトルアーマー」製作。背中の細い窓みたいな切れ込みは何かというと、水の量を確認するためのゲージである。

労作である。



10・11・8
今日はフイゴ祭りといって、昔は鍛冶屋とか火を扱う業種でお祝いをした日。戦後もある時期までは鍛冶屋に限らず、旋盤工場や石工など刃物や先端工具に焼きを入れる業種ではお祝いの行事が行われていた。近所にミカンを配る習慣もあったようだ

うちは毎年仕事を早上がりして晩御飯のときお酒を飲んでだらだら過しているが、今年は妻が丹精したユズを先日ご近所に配ってちょっと喜ばれたので、ちょっと行事らしくなり小さく一歩前進。

カレンダーには今時フイゴ祭りなんて載っていないが、でかいカレンダーでは8日が「伏見稲荷火焚祭」となっているのでそれを目印にしている。やはり火が恋しくなる時期なのか。



10・11・2
株式会社奥村坩堝製造所ブログを開設。

坩堝〈ルツボ〉というのはガラスを入れて融かす陶製の容器のことで、1400度にもなる炉の中で数ヶ月の間じっと辛抱する信じられないくらい耐久性のあるものだ。
大規模なガラス工場が次々と廃業するのに合わせて坩堝の会社も日本でたったの二社とかになっているらしい。

うちが送ってもらう坩堝はいつも口元に"サトウ"の刻印があったが、今回から"サトウレ"になっている。
もう一人「佐藤さん」が新たに顧客になったのなら私も嬉しい。坩堝屋さんが儲からないとうちも困るのだ。



10・10・25
昨日もみじ市が無事終了。2日目、降りそうだった雨が結局もってくれて、後片付けが終わるくらいの時間にぽつぽつ降ってきたのにちょっと感動した。

やはりちょっと言い表しがたい催しで、私は自身が出店していながら全体のイメージをつかむことが出来ていない。
それで何かよくわからないけれど強い影響を受けたようで、これから家族に吹きガラスの技術を教え込むという困難な事業に挑戦しようとなぜか思った。



10・10・24
妻の姉の家の犬が死去。10年立派に勤めきり、おりこうな最後だったと聞く。
訪問したときには大歓迎してくれて有難う。おじいちゃんと伯父さんによろしく。

それではいってらっしゃい、気をつけて。私達の家族。



10・10・23
もみじ市初日から帰ってきた。
天気が良くて売上も上々だったが、やはり驚いたのは出店者・出演者のレベルの高さだった。
自分も出店しておきながらそんなことはなかなか言いにくくて、もっとさりげない言い方で、こいつ自慢してると感じさせない言い方を考えたが思いつかなかった。

とにかくそれは実際に行けばよくわかるので、二日目もっと出店者が増えるそうだからぜひ足を運んでほしい。大阪から来られたお客さんもおられた。



10・10・9
今日はガラスの色を変えたせいか、昨日までと勝手が違い勘が戻るまでかなり時間がかかった。
そのため制作の終了時間が大幅に遅れ、家族はその間夕食をずっと待つ羽目になった。

今日は土曜日。外に飲みに出掛けた人々がそろそろラーメンでも喰って帰るかという12時近く、我が家ではスキ焼きが始まるのだった。



10・10・7
家族がうるさく言うので、エッグスタンドというものを制作してみた。

朝からゆでたまごなんか食う人がそう沢山いるのか疑問は残るが結構夢中になって作った。

私はゆでたまご割と食う方だ。


10・10・5
小鉢を吹くつもりが、最初から最後までずーっと失敗続きで、それというのも我が工房の「御家流吹硝子ノ術大操典」に書いてあった内容が嘘ばっかりだったせいだ。
日付を見ると2008年に自分で書いているので誰にも文句が付けられないのが余計腹が立つ。嘘ばっかりのくせにやけに詳しくて、イラストとかも書いてある。

こんな調子で、割と小まめにその日の制作で気付いたことやうまく行かなかった点などを書いているが、考えてみるとあまり役に立ったと言う記憶が無い。

自分の確信とか自信が当てにならず、自分はそう大したもんじゃないというのが受け入れやすくなるという点では大いに役に立っている。



10・10・2
この鉄製の分厚いドンブリみたいなのの中で毎日ガラスの魂をくるくる回しているが、よく滑るようにと中に垂らす油を何にするかが問題だ。
適当にロウとかサラダ油とかを使うとそのうちフライパンにくっついてるようなベトベトができて、それがガラスについてしまい困ったことになる。
今まで試した中で一番いいのが食用オリーブオイル。ネトネトが出にくい。多分体の中でもきれいに燃えて有害なネトネトが出ないから健康に良いのではないか。

沖縄のガラス工場では車のエンジンオイルを使っていてあれもきれいに燃えていたが、臭いがきつくて。


10・9・26
昨日はもみじ市会場下見会&交流会というものに千葉の端から電車を乗り継いで行ってきた。
主催者も出店者もだいたい私よりも一周り若いくらいの人が多かったが、みんなやる気も能力もありそうで、自分があれくらいの時はもっと怠惰で馬鹿だったとしみじみ思った。

実は前々日も東中野 間・Kosumiの三笘修展(30日まで)に行き、私よりも年若の作家を交えて飲んだのだが、どうも工芸の作家というのは年が若い方がちゃんとした人が多いようにかんじる。

だいたい私くらいの年代は学校卒業時にまだバブルが続いていたせいか手仕事なんかやろうと思った人数自体少ないかもしれない。私は机に長時間座ると体がケイレンしだすので手仕事の道に入った。履歴書も炬燵に腹這いで書いた。



10・9・25
二年前の夏の展示会用に一回だけ作ったピッチャーを再制作しようとして大苦戦。
二年後の今はちょっとだけでも上手になっているはずなのになぜ今苦戦で以前は楽々(確かやっつけで作った)出来たのか解せない。

こういうものをうちではオーパーツと呼んで取り扱いに困っている。





10・9・14
数日前に火を入れて明日から作業開始の予定。
秋は少しがんばって在庫を作ろうかと思っていたが、急遽、調布市の多摩川河川敷の野外イベントもみじ市」に出展させてもらうことになった。今年作った新作を持って行く予定。

2006年の「工房からの風」が野外で展示した最後だったので、久しぶりの野外が少し不安。まずお金の計算が遅い。



10・9・1
そろそろ炉の補修をしようかと思い、今日火を止めた。

毎日まじめにガラスを吹いて、新しいものを作ろうと計画してがんばって、ずーっとそれが続いてそれなりに成果も出てようやく人心地つくと、私の場合何かガックリ来てしまい、別の新しいことがしたくてしょうがなくなる。他人のやっていることが非常に楽しそうに見える。

毎年のことだがこれは何とかならないかと思う。ぜいたく病みたいなものだろうが。



10・8・25
夏の間暑さにあえぎながら仕事をしているように思われている。実際その通りなのだが、実は暑いのにはかなり強い方で夏が好きだ。楽しみが色々あるのだ。

火にあぶられ喉がからからになった時の飲み物のうまさが只事ではない。今年はセブンイレブンの炭酸水とホッピー(もちろん焼酎は入れない)を楽しんだ。日に何度か水を張った浴槽に浸かって熱中症になりそうな体を「冷却」するが、世の中にこれほど気持ちいいことはそうない。
結局気持ちいいことはいつも「苦しい」とセットになってないと駄目なんだといつも思う。

ご近所の温情でリサイクルガラス(廃ビン)の使用に光が見えてくる。



10・8・19
ちょっと前、内田樹「日本辺境論」を読んだ。
私が生まれ育ったのは、その辺境日本の東京でも大阪でもない九州の、博多でもなく熊本でもなく、大分県の山の中の玖珠町というところだが、その玖珠町が今日日本一の暑さを記録して、話題になってちょっと嬉しい。

その大事な日に、前日の熱中症の後遺症で仕事を休んでしまった私は故郷の人々と暑さを共有できず、つくづく故郷との縁が薄いのかと思った。



10・8・17
腕に湿疹ができたので休めの合図と受け取り、車を掃除して千葉の南端の野島崎灯台に行ってきた。
渋滞を避けて迂回に迂回を重ねて三時間くらいかけて行き着いたら、本日工事の為灯台内部に入れませんと来た。これが他の営利施設なら激しく怒るところだが、灯台という楽隠居みたいな施設だ、怒ってもしょうがない、また来ればいい、となりの資料館にはタダで入れるし。

ついでに近くの海浜博物館にも入る。
昔の房総の漁業を偲んだ展示で、大漁の年に網元が漁師たちに配る万祝(まいわい)という晴れ着が中心。紺地に鮮やかな絵柄を染めたそれは見事なものだった。
じっと見ていると館長が色々説明してくれる。私の家のある九十九里の漁業についても詳しいようでとても興味深かったが、この館長がどうして関西弁なのか気になってしょうがなかった。


10・8・13
京都、芦屋、世田谷で在店し終えて 夏が終わったと思ったら そうではなかった 熱中症 回転寿司に行く。

上記、自由律俳句になっています。



10・8・8
kohoroに終日在店。
昼過ぎからはかき氷の空海-kuna-さんと、和の菓子のWanokashi 89(ハグ)さんが来られ、お店の周りは順番待ちの方で一杯になっていた。ああいう人混みというのは駅の群衆と違って見ていると気持ちがいいものだ。夕方からはお店の前で夜市が立ち、再び行列が出来ていた。

閉店後スタッフの皆さんに食事に誘っていただき、ベトナム料理店に行った。
昨日荒川先生の薫陶を受けたばかりの私は、ひとつガラス制作に関するイイ話のひとつも披露せねばと意気込んだが、出てきた海老料理にみんなが箸をつけようとするときに、ムカデを焼くと海老そっくりの匂いがする、という嫌な話を披露してしまいやはり全然駄目なのだった。



10・8・7
在店は翌日曜日だが、送り忘れを届けるためkohoroに行き、しばらくだらだら居続ける。

夕方、恵比寿で開店初日のファーマーズテーブルにちょっとご挨拶してそのまま帰るつもりだったが、丁度オープニングのパーティーをされていて、入口の参加者名ノートに、吹きガラス作家の荒川尚也先生御夫妻のお名前を見つけ、これはぜひ一言ご挨拶をせねばと大盛況の会場に入り込む。一応私も招待頂いていた。

実は15年程前、私は荒川先生の工房を見せてもらい、ものすごく貴重なお話をお聞きしている。当時、下玉も満足に取れない私に、いろんなことを丁寧に教えて下さった。
それで今回は日頃私が疑問に思っていることについて色々教えを乞ううちに時間がどんどん過ぎ、途中から居酒屋に誘っていただき、もう今日は千葉に帰っている場合じゃないと思った。新宿のサウナがあるし。

お聞きしたことを簡単にまとめる事など出来ないが、強く思ったのは、他人のためにガラスを吹けないようではこれから自分はどうしょうも無いということだ。どこをどう変えればいいのか今考え中。

良い土曜日だった。



10・8・5
本日ぎりぎりでkohoroの展示会のガラスを作り終えた。100%満足ではないがそれはいつものことだ。

出来たガラスを作業スペースにずらっと整列させ、
「気を付け、休め。君たちはこれから運ばれて行き、展示会場できれいに並べて貰うわけだが、決してそれだけで満足するのではなく、連れて帰ってもらった先でいちばん力を出せるよう高い志で頑張ってほしい、以上。」
と訓示。

解散後ただちに妻によって梱包され、明日私の車に積まれて世田谷へと運ばれるのだった。



10・7・31
一人っきりの職場なので他の人と研鑽して技術が向上するということがない。ご託宣みたいなものが「降りて来る」のを待つだけだ。

兆候としてはまず、いつもやっていることが何故か急に上手く行かなくなる。驚き、怒り、冷静になろうと努め、無心になろうとしたり、逆に理詰めで考えようとしたりして、あの手この手で一つ一つの工程を洗い直すうち、自分が驚くべき間違いを犯し続けていたことに気が付く。5年くらい間違い続けていたことに。

そして、少なくともその時作っていたものに関してはワンランク技量が上がってイベント終了。

だが、こういうことは、一段落してビールを飲んで風呂でさっぱりしてから言えることであって、イベント進行中は大変なものだ。今は近所の目があるのであれだが、集落から離れた山のふもとにあった前の仕事場では、よく怒り狂って壁を蹴破ったものだ(一回だけだが)。餌をあさりに近くに来ていた鹿に暴言を浴びせかけたこともある。

こんな見苦しい所業の中から数々のヒット商品が生まれたのだ。
ないか、そんなものは。




10・7・23
型吹きのコップを修行しなおそうと、あえて苦手な形をやってみた。

習作ではあるけど8月の展示で出させてもらおうと思う。






10・7・19
8月のKOHOROの展示会のDMにはコメントを載せるということなので、色々考えてみたが、結局、素直に正直に私の近況を書いてみた。

文は短くて正直なのが一番と思っている。

最近読んだ文で最も気に入っているのは、別府の水族館「うみたまご」の中に掲示してあった幼児からのお礼の手紙、
「なまこをさわらせてくれてありがとう。きもちわるかったよ」
というやつ。



10・7・15
先日失敗の地獄で苦しんだものはあくる日一応成功したので画像を載せたいとこだが8月の展示のDMに使用するかもしれないので下手な写真を撮るのは止めておきます。

うちは8ヵ月もの間全く生産活動を行わなかったので、操業開始してからずっと経済危機が続いていた。
今日、展示会をしたお店の格別のご配慮でちょっとだけ息がつけそうになったので、家の中がユルユルのしあわせの空気で満たされている。

精神科医の春日武彦は、人間にとって幸福とは何かという問いに対して、心配事が一段落することであると返している。身も蓋もない言い草だが、完璧な答えになっていると感心した。



10・7・12
「心頭」というところを「滅却」すると炎が涼しく感じられると以前小耳に挟んだことがある。
私は人体における心頭の場所も滅却の手順も知らないので駄目だ。

ただ制作中本当に腹を立てると暑さなどどうでもよくなることがある。
ガラスを吹いても吹いても失敗が続き、気が付くと炉にどんどん近づいていて、後はお馴染みの熱中症だ。晩御飯が食べられなくなる。

今日もそんなにむきになって何を作ろうとしていたかといえば、そう大したものではない。
明日の制作で雪辱の予定なので成功したらこの次アップしてさっさと忘れたい。



10・7・8
程度の差はあれ工房に居るときは熱中症に掛っている。家にいるときは夏バテみたいになっている。

商売だから別に苦にはならないが、対策は立てようとユンケルやらポカリスエットやら沖縄の天然塩やらローヤルゼリーやら早寝やら総動員で頑張って頑張って、通販用のモール小瓶とモールコップなどを作ったがそこで力尽き、なかなかアップできない。




10・7・1
町の広報誌「しらこ」によると、今まで半ば黙認されていたゴミステーションからの資源ゴミの持ち去りに罰則をつけるとのこと。
うちはゴミステーションからガラスびんを持って帰るときに親切で顔の広い隣人に付き添ってもらい、近隣に不審に思われないようにとか色々考えてきたが、やはりここに来て時代の移り変わりを感じ、再生ガラスをメインの原料にするのを終わろうと思う。

見習いで入った那覇のガラス工場で使っていたのはもっぱら泡盛の一升瓶。首里の酒蔵で一升瓶をもらって帰るときは本当に酔いそうになるくらい「瑞泉」の香りが車中に立ち込めて、沖縄を去る頃には私もいっぱしの「泡盛じょーぐー」になっていた。
沖縄には泡盛じょーぐーやはたらちむん(泡盛上戸や働ち者)という歌があるが実際のところどうだろう。どうでもいいが。

これからはなるべく質感の近いソーダガラスの購入原料を使い、再生ガラスは集まったとき適宜使用、という風になるだろう。




10・6・28
週末は京都・芦屋と展示会に在店してきた。
都市に暮らす人はどんなに混雑した場所にいても周りの群衆一人一人をいちいち人間として意識していないように見える。
私は普段一人っきりで仕事をしているのでそういう処世術が身についておらず、受信機が開きっぱなしで、人間の気を受けすぎて最後は駅とかで気分が悪くなってしまう。

あと、そういう場所で本来持たなくていいようなくだらない自意識も持て余してしまうのだ。例えば、久しぶりに京都市バスに乗ったら、運転席のすぐ後ろの座席がタイヤ収納の関係かやけに高い所にあり、そこに座って運転手を見下ろすと、位置関係から川越え人足の担ぐお御輿みたいなのに乗って大井川を渡っているような気分になってしまい、しみじみと格好悪い気分にさせられる。誰もそんなことを気にする人はいないのだから私の一人相撲なのだ。

訓練として月に二回くらいは渋谷のハンズにでも行こうと思う。昔下宿していた国立にも行きたい。



10・6・24
今日書店で立ち読みをしていると「からだを冷やさない、私のおやつ。」という本に故郷大分の「やせうま」という甘いおやつが載っていた。
これはものすごく幅の広いウドンみたいなのに砂糖ときな粉をまぶしつけたおやつで、私は子供の頃から好きだが、他郷の人に説明してもあまり良い反応が得られない。変な食い物だと思われてしまう。
それがこんな良い感じで紹介されるとは嬉しい。なにしろ体を冷やすのは万病の元だし、私は寒いのが嫌いだから。うちのガラスに「涼しそう」なのがあまり無い所以だ。

そういうわけで8月の展示会ではこれ用の器を作ってみようと思う。まあそんな表示はしないけれど、何でもいいから用途をはっきりさせた方が結果的に使えるものが出来るのだ。


10・6・22
出荷準備作業のため一昨日より吹きの作業が休止で、気が付くと肘の痛みと吹きザオで切れた唇が治っている。ちょっと休んだらいいわけだ。

だがビールを飲んでも全然おいしくない。


10・6・19
操業を再開するや大慌てで展示会用のものを吹き始め、本日何とかひと段落。

普段は、需要があるのか、とか、採算が合うのか、とか色々な事情で止めておいたものでも展示会だからということでとりあえず試作したり、失敗したり。

画像は止めておいた中のひとつ、カトラリー立て。



10・6・15
作業台を炉のすぐ近くに置かないと気が済まないほうなので、ガラスを吹いているときうちはものすごく暑い。それで恒例の熱中症になった。
作業衣の表面が白くなるくらい汗で塩分が出て行くので、やっぱり寝る前とかに塩からいものが欲しくなり、とりあえず梅干を二個食べたが、明日朝起きたら、ご飯に塩をたくさん振って水をぶっかけて食べようという考えが浮かぶ。

展示会までほんとに間が無いので、土日も休めず体が重くてしょうがない。
関西へは夜行バスで行く予定なので車中で冷たいものを飲みながらハルキホラー文庫を読んでゆっくりするのをひたすら楽しみにしている。



10・6・6
挑戦→挫折→再起 というのがひとつのサイクルになってしまった難攻不落のモールコップ。
失敗を続けてかれこれ10年になるか。
さすがに最近ちょっとコツは分ってきたが、相変わらず、失敗が多い、肘が痛くなる、などで商品化はしんどい。
今回は六月末に二つある展示会用にずいぶん気張ってみた。

自分のサイトでも販売して、できれば細々とでも作り続けたい。



10・5・27
上手に作りたいという欲があるので最後にどうしても残る歪みも極力修正していた。
今回初めて歪みを残す方法を試してみたらわりかし上手く行って、ほどけた螺旋状(分りにくい)の歪みが残った。ただし薄くしないと駄目のようだ。

用途としてはまあおひたしとかの小鉢だろうが、私は、縁が薄いので冷や酒をぐいっと飲るといいと思う。娘はピアスとかを入れるといいと言う。

以前はお客さんから、この歪んでいるところが面白い、とか言われると、こっちは必死に歪まないようにしてるんだと反発を覚えたものだが、今は全然気にならない。
あなたの性格の歪んでいるところが面白い、と言われたい。



10・5・23
沖縄の友人より色々到来物あり。工房の操業開始を祝ってくれたものだ。

画像は沖縄で好んで食されている「塩せんべい」。千葉で最初に出来たリンカモール小鉢に無理やり入れてみた。
折も折、丁度昨日、家族に、あれが食いたいのに内地では売ってないとこぼしていたところだ。

那覇の硝子工場でいっしょに働いていた人が、この塩せんにさらに塩をまぶしつけて食べていて、まるでトマトにケチャップかけるようなもんじゃないかと思ったが、じきに私もやるようになった。大汗をかくのでとにかく塩気が欲しくなるのだ。

もちろん今日も塩をかけて食った。


10・5・21
8ヶ月振りに吹きガラスの作業をやってみると、やはり頭で覚えておく手順はかなり飛んでしまっていた。私はモノの制作手順やコツなどはかなり詳細に書き留めておくほうだが、自分で書いたそれを見ても一体何が言いたいのかさっぱり分らなかった。失敗しながら取り戻すしかなかった。

その他、
1 兵庫では西を向いて仕事をしていたが、今の工房みたいに東向きになったら突然作れなくなるんじゃないか。
2 今まで地べたの工房だったがコンクリートを打ったらへんなものが出来るんじゃないか。
の二大馬鹿強迫観念が杞憂だった(当たり前だ)ことが分りほっとした。



10・5・16
去年作ったばかりの木製の巨大な作業机があえなく壊れた。木がバリバリに割れたのだ。
ちょっと大きすぎるような気もしていたので今度は半分くらいのサイズのをコンパネと鉄脚で作った。
軽い割りにしっかりしていて具合がいいのでリビングに置くテーブルも同じようなのを作ろうと思う。

鉄の脚部分はヤフオクで見たアンティークの作業机の画像からパクッたのだが脚にくっついている2本の細い補強の棒はあまり効いていないような気がするがどうだろう。





10・5・14
昨日、いつも古代色原料でお世話になっている三徳工業東京支社の方が工房を訪問された。
画像はそのときにサンプルで頂いた古代色のキャスティングビレット(左側)。これは型製作などに使う原料で、ちゃんと熱処理がされていて強度は十分だし、きれいなので私はペーパーウェイトとして使おうと思っている。

右側の箸置きは千葉の工房で初めて作ったもの。
ちまちました仕事から始めてみた。





10・5・12
,ホームページも一応自分で作ったし、家電もちゃんと取説を読んで使いこなせていると思っていたが、今、ガラス溶解炉のプログラムコンピューターの度重なる操作ミスですっかり自信を失っている。
それでも何とか今日、砂型の小さな箸置きを作った。指の怪我も痛みがずいぶん軽くなった。

ファーマーズテーブルが恵比寿に移転するとのこと。


10・5・4
怪我(指)の功名で今年の連休は10年ぶりくらいに普通に休んでいる。

工房を始めたばかりの頃は、あまり注文も無かったのであちこちで開かれるクラフトフェアみたいなのによく出展したが、この時期の人出は全然販売に結びつかず、良い天気の下で物悲しい気分を味わったものだ。

先日から家族と車で適当に出掛けたりしているが、偶然道端で見つけたこの恐ろしいものは、第二次大戦末期に帝国陸軍が製造した対人対物無差別邪悪兵器「次郎丸」。行き交う車にピタリと照準を合わせている。

まあ給水タンクのようだった。




10・4・30
,指の切り傷を早く治そうと思い、湿潤療法というのをやっている。
10年くらい前までは傷治療といえば消毒とガーゼが必ず登場していが、最近は、そんなもの使うと逆に組織の再生を阻害するので、きれいな水で洗って湿潤状態を保った方がいいといわれているらしい。

10年前に手に大怪我した時は病院でもひたすら消毒とガーゼ交換で、これがまた痛かった。手術も抜糸も別にそんなに痛くなかったのにあのガーゼ交換は怖かった。
なのに必要なかったとは。

そういうことを考えながらネットのサイトで知識を仕入れ、最初はラップで傷口を密閉していたが、バンドエイドの湿潤治療用キズパワーパッドというのがあるのを知るやさっそく購入。
こういうのも私にとっては素敵な道具なのだ。6枚入りで880円。ちょっと高い。



10・4・28
工房の設備はすべて作り終わった。後は実際に作業しながら微調整するのがいいのだが、情けないことにカッターで指を怪我してしまい、チクチク痛くてまだ制作に入れない,。

それにしても指に白い絆創膏を多めに巻いているだけで外で結構目だってしまうのが意外。
以前沖縄にいた時、国際通り付近でよく、全身に包帯をミイラみたいに巻きまくり(これが服の上から)、松葉杖を突き、濃いサングラスを掛け、仕上げに工業用の作業マスクまでした男を目撃してげんなりしたものだが、本人は相当得意だったはずだ。確かに威圧感があった。コントに出てくる重傷者みたいなところが逆に不気味だった。

妻の優しい岡山の伯父が亡くなる。



10・4・25
今度の工房は軒の庇の出っ張りが浅いので風向きによっては雨が降り込む。窓は常に開けておかないといけないのでそういうときには反対側の窓を開けることになる。

それで風向きを正確に知るという口実で風向計を購入。風見とか風車が好きなのだ。
箱を見るとイギリス製のようだった。


10・4・22
ネット通販で作業用の下駄を購入。足が疲れない。

いつもの朴歯のごっついやつよりもちょっと細身で低めのにしてみた。
今度の工房は前のところみたいな地べたと違ってコンクリを打ってあるのでこっちの方がいいような気がして。

このように、ないと大変困るというわけでもないが実用性が過剰なくらいなのが大好きだ。
うちのガラスもかくあれかし。




10・4・20
先日グロ−リーホールが完成
これは制作中冷めかけたガラスを再加熱するための小型の炉で、ダルマとも呼ぶ。ホームセンターに行くと耐熱塗料は黒と銀の二種類あって、普通グローリーホールといえば銀の塗装が多いが今回うちは黒を選んでみた。

高校卒業まで暮らした生家のすぐ裏手が国鉄の駅で、夜は終列車や貨物、朝は始発列車の音を布団の中で聞いた。毎日決まった時間にそんな音を聞いて過ごすのは子供の心の安定にきっと良かった筈で、怖いものがたくさんの中で、あそこに駅があるというのが心強かった。それで鉄道は今でも好きなほうだ。

そんなわけで、ちょっと蒸気機関車とか旧国鉄風のイメージを出そうと思ったのだ。

ちなみにその駅は久大線の豊後森という駅で巨大な扇型機関庫跡が神殿の廃墟みたいでかっこいいのでよく廃墟の写真集に載っている。





10・4・13
,朝工房の前に立つと聞こえるはずのブロアのかすかな唸りが聞こえないので、すぐに心の準備をして工房に入ると火が消えていた。
それ程温度は下がっていなかったので再着火するとじきに設定温度に上がった。
電話であちこち聞いたが機器にも送電にも異常はないようだった。

心の準備はすぐするわりに物理的な準備はあまりしない方なのでしばらく様子を見ることにする。まさかとは思うが工房に施錠することにする。防犯機器の取り付けも準備中。ドーベルマンのユキは敷地内に放すことにした。

ますます、江戸の仇をアラスカで討つ、が読みたくなった。



10・4・12
今日の深夜、溶解炉の焼き締めが終了。全部で五日と半日の長い工程だった。現在1300℃まで炉温が上がっているが、まだ工房の設備全てが整ってはいないので、ガラスは入れずにしばらく1000度くらいまで下げておくことにする。

正直とても疲れた。1000℃を超える高温というのは日常に普通に現れるものではないし、全部初めてのやり方だったのでとんでもないミスを犯しそうで怖かった。

どうにかつつがなく終わりそうだなとパソコンの前に座りメールチェックをすると、アマゾンから春日武彦の本の広告メールが来ていた。
その、『しつこさの精神病理 江戸の仇をアラスカで討つ人 』というタイトルが、今の疲れた心身にあまりにも丁度よかったのですぐに注文した。



10・4・11
外から煙突を眺めるとうっすらと煙がたなびいていて、溶解炉の一部にも煤が付いているようだった。
サンエンジニアリング株式会社の担当の方に電話で教わりながら制御装置を微調整すると煙はすぐにおさまった。ガスと空気の比率の誤差ということ。

前に使っていた灯油バーナーはものすごく単純で頑丈、質実剛健な構造で、その分使う人間には調整の腕が求められた。私はこれを10年使ったが結局最後まで正しい使用者であるという自信が得られなかった。10年間だましだまし使っていた。

今は工房の奥にしまってあるが、誰か正当な使用者になりそうな人がいたら譲りたいと思う。20年くらい壊れないといわれたのであと10年残っている。



10・4・9
こっちに越してからずっと太平楽な暮らしをしてきたので、炉に火が入っているだけでとても落ち着かず、夜明け前の変な時間に変な夢で目が覚める。
それで工房に様子を見に行く。

三日月がきれいで新聞配達をしていた頃を思い出す。逆逢魔が時というやつか。いわないか。


10・4・8
工房の中は炉材が焼けるときに出る変な匂いでいっぱい。
炉からは水蒸気が沢山出ているようで外の煙突の真下はしずくでビショビショに濡れている。



10・4・7
本日昼過ぎ、ついにガラス溶解炉に火を入れる。
最初は、炉の材料の耐火セメントの水分を完全に抜くためにゆっくりゆっくり温度を上げていく。それは制御装置が勝手にやってくれる。

私は吹きガラス業界にそれほど詳しくないが、この業界では炉とか機材とかの専門知識があるほうが明らかに大きな顔が出来る。そういう知識も腕のうちで、炉が作れて一人前という雰囲気があるようだ。私は恥ずかしながらそっちのほうはさっぱりだが、最近陶芸教室に通い始めて、陶芸の先生が窯の話とかをされるときにも結構さらっとして変な執着がないのを見て、自分もそれで行くことにした。
つまり、

私は炉のことはよく分らないしあんまり興味もない。
ということだ。何とかガラスが吹ければ自分には上出来だ。



10・4・6
明日くらい炉に火を入れようかという時になって、原料の廃ビンをどうやって調達しようかと考え始めた。

資源ゴミとしてビンがいっぱい集まる地域のゴミセンターに問い合わせてみたが、業者と契約しているので有料でも分けられないとのこと。そう来ると思った。
それではとあまり期待せず、近所の酒屋さんを訪ねてみると結構いいビンがちょこちょこあって、何軒か回れば大丈夫かもしれない。何よりも胡散臭そうな目で見られないのが嬉しい。おお近所でやってんのかいという調子で。

あと資源ゴミの日に回収車が来る前に集積場から横取りする計画も考えている。



10・4・1
坩堝巻き口近くの鉄製カバー。
焼けたフタを置くので熱除けに、というのは口実でいっぺん作ってみたかったから作っただけ。こんなのなくても別に大丈夫。

ヨーロッパの古い木造家屋のドアとかを鉄の薄板で覆いまくっているのを雑誌で見たことがある。ちょっと真似したわけだが非常に満足。溶接の棒をたくさん使ってしまった。




10・3・18
人間何故だかどうしてもやる気が起きないことがある。たとえば私は今まで一度もカラオケというものをしたことがない。別に嫌っているわけでもないが、ただ、マイクが回ってきたとき、特に酩酊時など、これから一緒にラクロスというスポーツをみんなでやろうよ,と言われたような違和感と脱力感を感じてしまうのだ。
やるわけがない。

それとは別にやらなければならないのになかなか出来ないこともある。うちみたいな仕事では、時々ではあるが高い所に上って作業しないといけないことがある。今回は換気口の取り付けをどうしてもしないといけない。
私は道具が大好きで、それ程必要ないのに色々な道具を購入しているが、梯子(はしご)だけは持っていなかった。上るのが怖いから脚立(きゃたつ)で上れる範囲で何とか勘弁してもらっていた。
だが今回梯子を購入してみて、たとえば5メートルのところで作業する場合、5メートルよりちょっと高い梯子があるとだいぶ恐怖心が和らぐということがわかった。くだらない教訓で申し訳ないがお蔭で換気口は鼻歌交じりで付けれた。
「キチガイに刃物」ということわざは良く出来ているが、人権上これから口に出しにくくなって残念だ。それで、代わりに「バカに梯子」と言うのを考えついた.。春の夜、バカがいい心持ちで梯子を上って行って、空にはきれいな月が掛っているという光景を想像してほしい。大した意味はない。
こんなことを思いつくのも、今年は花粉症がまったく出ていなくて気分がいいからだ。




10・3・16
白子町ガス事業所のガス奉行が頻繁にやって来ては我が工房の安全対策について意見する。
今回は工房のすべての窓、扉を閉め切った状態でもCO
中毒にならないだけの換気口を確保しましょうとのこと。

窓全部閉めきってガラス吹く馬鹿がこん世の中におっちょるか、と大分弁で言いたくなるが、換気口自体は開けないと危ないので開けるとしても、ひとくちに換気口といっても、ホームセンターに行くと丸いのやら四角いのやら、高級感あふれるのやら生活感あふれるのやら、どれが普通一般の換気口なのか分らない。

それで、そげえ言うもんが勝手ん着くら良かろうが、とこれまた大分弁で言いたいところだが、どことなく方言が不自然な気がするのだった。



10・3・12
バーナを購入したサンエンジニアリング株式会社から先日技術者が来てくれて炉の試運転をおこなった。
新造船には船霊(ふなだま)というものを祀るそうだが、初めて炉内が炎で明るくなると、これでやっと何かがが宿れるところになったという気がする。
左のような感じの、まずまず美しい姿の炉になった。
これからどうかよろしく。




本日娘の中学の卒業式だった。
私は保護者席でかしこまっていたが、昨年秋に転入したので校歌を聞くのが始めてだったり、おー修学旅行は会津に行ったのかと一人頷いたりと、来賓のおっさんに近いスタンスだった。でも良い式だった。

式の終了後には最後のPTA総会があり、そこで学年主任の先生が述べた簡単なあいさつがとてもいいものだった。先生は式の予行演習を見て思わず泣き出してしまい、自分はこの仕事に就いて本当に良かったと思ったそうだ。それは他人の人生に積極的に関与して頑張った人だけが得られるご褒美だろう。

私の父は教員生活の最後を田舎の中学の校長で終えたが、式典のときだけに着る燕尾服を持っていた。いまどきの校長はそんなものは着ないようだが、きっと晴れがましい気持ちだったろう。
他人の為だけに何かするのは案外気持ちいいかもしれない。というようなことを思った。





10・3・4
炉から煙突を外に出さなければならない。煙突があると建物の魅力は三割り増すといわれている。確かいわれている。

大した高さではないように見えるが、ハシゴの上のほうに乗って下を見るとものすごく怖い。工具を使うときにちょっと力を入れすぎるとハシゴと一緒に後ろに倒れるような嫌な感じがして作業が進まない。
たまたまうちに来た大工さんは危ないから絶対止めておけと言った。足場を貸してくれるそうでありがたい。

娘が県立高校に合格した。
千葉県の公立高入試は最初に定員の半分を自己推薦入試で取るという変な方法(今年で廃止)でやっている。うちはちょっと偏差値のランクを落として受けたつもりが不合格になり、面白くないので学力検査のほうではランクを上げて半ば自棄のような受け方をした。滑り止めも受けなかった。落ちても家業を継げるからと。

今日はどんよりと曇って寒いが、とてもいい日になった。本当によかった。先日亡くなった父もほっとしているだろう。



10・2・28

これは犬吠埼灯台霧笛舎。

現在は霧笛は廃止されているが、灯台の売店には霧笛を録音したCDが販売されている。



これはうちの溶解炉。

ちょっと似た感じに仕上がったのでただ嬉しかった。





10・2・22
父が死去する。控えめであまり前には出ようとしない人だったが、深夜にひっそりと、あっという間に、多分苦しまずに逝った。
先月見舞った時に、何だかすっきりしたいい表情をしているなと思ったら、どうも魂が上に昇ろうとしていたようだ。
八十歳だった。中学の教員を勤め上げ、私にも教員になって欲しかったと思うが、この仕事を始めてからは応援してくれていた。
本が好きで、あきらめがいいところは受け継いだ。勤勉なところはこれから受け継ぎたい。



10・2・16
町営ガスの菅がとうとう敷地の際までやってきた。
このガス管はとても太い。
普通の家庭用のと比べるとうまい棒と麩菓子の太いやつくらいの違いがある。分らなければ調べて欲しい。
これぐらい太くしないとうちが使うだけで近所のガスの火が弱くなって迷惑を掛けてしまうのだ。

最近、一体お前のところはいつ始めるんだ、やる気があるのかというニュアンスを含んだ問い合わせが来るようになったので、かなり急いで作業している。寒いけど。



10・2・12
娘が県立高校の自己推薦入試に落ちた。
本人は面接も作文も上手くいったと思ったらしいが駄目だった。
これで定員の半分は決まったので次の一般入試は苦しい戦いになる。

試験に弱いのは明らかに私の血で、ざっと思い出すだけでも、

 武蔵野美術大学デザイン科不合格
 東京造形大学デザイン科不合格
 立命館大学産業社会学部不合格
 大分県県立高校教員採用試験不合格
 那覇市の某予備校採用面接不合格
 富山市立ガラス造形研究所不合格
 福知山高等技術専門校不合格

と、中々のもので、ほかに細かいのを入れるとこんな数ではない。だんだん腹が立ってきた。

だがわが娘よ。何も心配は要らない。お前の父はこれだけ落ちまくっても、今は立派なガラス作家になって、多くの人に可愛がられているのだ。

何が本当に幸いするかはずっとあとに分ることだ。



10・2・4
ガラス溶解炉は今こんな具合。
かなり完成に近づいてはいるが、これからやることを数え上げると結構沢山ある。

風邪で言うとひき始めの翌日。
夏目漱石で言うとロンドン留学時代。
チョコモナカで言うとブロックみたいなのが三列残っているくらい(これが一番分りやすい)。




10・1・30
今日は陶芸教室に行ってきた。電動ロクロが二台とも空いてなかったので、先生が模範でロクロを引くのをじっと眺めていた。

私は那覇のガラス工場に見習いで入るまでガラスには一切触ったことがなかったので、最初は本当に何も出来ず工場内を右往左往していた。
だが今、自分がガラスを吹けなかった頃の感覚は思い出せない。

子供の頃は世界の変な奴の話題でいちいち驚いていた。ちゃちな化学実験とかに興奮していた。映画館の看板「悪魔の生首」(香港映画。生首がそのまんま)が自分だけに向けられているようで恐れおののいてた。
それが今ではこの世界の成り立ちを大体理解できているような気がしてしょうがない。本当につまらないことだ。

それで今自分と同じ歳の先生に色々教わるのを楽しんでいるのだ。半分は、これを商売にしてやろうという邪まな心を抱えつつも。



10・1・26
昨年8月末から長い休業に入り、もちろんずっと何もしなかったわけではないが、無用者生活を充分味わった。
今は、だいたい日曜日の夜8時半位の気分といったところだろう。

ずーっと昔に読みかじった唐木順三の「無用者の系譜」に、無用者として生き始めるときにこれまで見えなかった世界が見える、みたいなことが書かれてあった。そうか見えるのかと思った。

それで今日、市原市の工業団地に頼んでいた金属加工物を受け取りに行ったら、帰りに「蟹工船」という名前のかに料理屋を見つけた。



10・1・15
ここ千葉県長生郡のスーパーにはヒガシマルのうどんつゆの素が置かれていないが、まあそれくらいは大した問題ではない。

新しい工房には200ボルトの電気を引いたので、今まで100ボルトで悪戦苦闘していたへたくそ溶接も気持ちよく火花がバチバチ飛ぶことだろうと楽しみにしていた。
そしたら溶接機の裏に「60ヘルツ」と書いてあった。電気の周波数は東日本50、西日本60と違っていて両方で使える気の利いた製品もあるが、駄目な場合も結構ある。諦めて買い換えることにした。
3万5千円也。

ちなみに50/60の境界は静岡県の富士川と新潟県の糸魚川辺りということだ。
その付近のスーパーにヒガシマルのうどんつゆの素が置かれているかどうかは分らない。




10・1・11
うちの家族が出て行き、中が空っぽになるとこの家の良さが改めてよく分る。
私達が入居した当時は歴代の住人が残した行ったガラクタがいっぱいで、このような片付いたところは実は初めて見るのだ。

この家の近所には愛想の悪いおばちゃんがレジを打つ地元資本のスーパーがあったが、目と鼻の先に出来た小奇麗なチェーン店のスーパーに駆逐されて閉店したようだった。
ずいぶん通い詰めたが。

やはり色々変化するものらしい。




10・1・10
前住んでいた家に残してきた荷物や植物を取りに行ってきた。

うどんのつゆが濃くても薄くてもどうでもいいし、私みたいに九州の山の中で育った人間にとっては関西も関東も似たようなものだが、十年以上近畿圏で暮らしたので色々と馴染みの顔はある。

この人にもちょっとご無沙汰だった。



10・1・2 本年の生産計画

我々個人の手工芸者はどんなモノ造りをすべきか。
模範の答えとしては自分が本当に作りたいものをつくる、というのに落ち着くだろう。
まず売れるものを作らなければ飯が食えないじゃないか、とはなかなか言えない。

今日、尊敬する高橋巌先生の著作を読んでいたら、「現代の我々が自己認識というときには、要するに形を変えた外界認識のことになっている」というルドルフ・シュタイナーの言葉が引かれてあった。
私達は皆たいてい似たような経験(外界認識)をしているから、結果、自分が本当に作りたいと思うものが互いに似てくるのは当然だが、それでは他人と被って営業的にまずいのだ。それではどうすればよいのか。

私の場合、他人がどんなガラスを欲しがっているのか、目を瞑って必死で考えて、資料を使って色々と探る。そういう下世話な試みを続け、そして作ってみると、不思議なことに、自分はこういうのが作りたかったんだなというものが出来て、まあそこそこ売れたりする。
つまりそれは、出来てみないと本当に自分が作りたいものが分らないということで、要するに事前には何も分らないということだ。

2010年も手探りでガンガン行きたい。



09・12・28
ちょっと複雑な形の工作のとき、普通は三角図法という設計図を描く。これは物体を正面、真上、側面から見た三つの姿を方眼紙に描くもので、これを見れば物体の形が脳内に三次元で立ち上がるという便利なものだ。

だが何事も例外はあるようでこっちはそんな便利な経験は一度もない。それで脳内に何も立ち上がらない状態で作り始めて、時間と資材を無駄にすることが必ずある。
だから今回はこの通りモデリングソフトのお出ましである。
ご覧の通り立ち上がっている。どこか分からない場所で。

久しぶりにサイバーパンクという言葉を思い出した。
そういえばウイリアム ギブスンの小説の舞台はチバシティーだったか。




09・12・21
昨日、犬吠埼灯台を見学。

灯台と聞いて我々が思い浮かべる姿は大体似たようなものだろう。だが日本各地の灯台の写真を見ると、そういった灯台らしい灯台は案外少数派だということに気付くはずだ。
犬吠埼灯台はいかにも灯台らしい姿かたちといい照度(カンデラ)といい、また歴史の古さといい、まさに灯台の中の灯台といっていいだろう。
ありがたいことに一般の参観が可能で、内部の螺旋階段を上ってレンズの下の円形のテラスに出られるが、風が強いときは恐ろしい。

ちなみに、規模とか資料的価値を考慮せず、外観の美しさと立地のみで選ぶと、私の灯台ナンバーワンは長崎県五島福江島の大瀬埼灯台。
実はまだ行ったことがない。





09・12・20
温泉やサウナに行くと、金属の箱に赤や緑の小さなランプと押しボタンが付いたよく分らないものが壁に掛っている。「ブザ」とか「ブロア」とか簡単だが意味の分らない表示があり、目立たない場所に設置されながら充分目立っている。
多分お湯の循環清浄装置か何かだろうが私はあれが大好きだ。

そして先日納入されたガラス炉の燃焼装置に左のような制御盤が付いて来た。
「ガラス溶解炉制御盤」。とわざわざ書かなくてもそれは百も承知だが、やはり文字にしないと伝わらないことがあると郵便局の人も言っている。

早く仕事を再開して制御しなくては。



09・12・16

型枠の中に耐火セメントを流し込んで乾燥させ、枠を外すとこの通り。画像は中の発泡スチロールの芯を掻き出しているところ。

今回は山形の御同業、樋口哲一氏にほとんど世話になり、彼の縁で隣町にお住まいで理系のお仕事をしている杉田氏に監督してもらった。私は資材の買い物をした。犬の散歩をした。そろそろコタツに入ろうかという号令を力強く掛けた。

もう少ししたら詳細な工程をアップしたい。





その樋口氏作の小皿。
皿をきちんと作るのは実に難しいのだが、築炉同様この通り。形も色も美しい。どうしても冷奴が喰いたくなるではないか。

興味のある方は左藤まで。




09・12・9
都市ガスの工事の申請を出し、電気のメーターが取り付けられ、このところ工房の稼動に向けてやっと動き出した感じだ。

今度の炉は耐火セメントを型枠に流し込んで作る工法を採ったので、左のように型の中心に入れる固まりを作らなければならない。
セメント硬化後に簡単に壊して掻き出せるよう発泡スチロール製。

山形から同業者に手伝いに来てもらっているので、難しい作業はすべて押し付けている。
お蔭でこういう難しい形状のものも作れた。



09・12・7
あらゆる建築の中で私にとって一番魅惑的なのは灯台だが、残念ながらあの犬吠崎灯台に行く機会をまだ作れないでいる。

画像は家からちょっとのいすみ市大東埼灯台。ここも大変きれいで眺めも良い。昔はここにも灯台守が住んでいたとのこと。

ちなみに現在日本の灯台はすべて自動化され、常駐の燈台守というのは存在しない。



09・11・29
昨日千葉市のショッピンモールにある無印良品に娘のベッドを見に行ってきた。
当然食器とか台所用品もじっくり見てしまうわけだが、やはり企業のデザイナーというのはなかなかの仕事をするようで、機械製品といえばそれまでだが、個人作家である私などはちょっと脅威を感じる。

実は私は機械製の食器も結構好きで、とくにガラスは素材的に機械での制作の方に向いているかもしれない。だから大金持ちだったら百年位前の半自動式の吹きガラス機を復刻して絶対いい物を作れるのに、などと妄想している。
大金持ちだったら吹きガラスの仕事なんかやってないだろうと突っ込むなかれ。ガラス工芸、特に吹きガラスの作家には金満家が少なくないのだ。

ガス問題は月々のガス代を試算した結果やはり町営の都市ガスを選んだ。



09・11・27
自宅は町営の天然ガスが供給されているので、工房の溶解炉もこの安いガスをばんばん使ってやろうと企んでいたが、やはりそこまで甘くないようで、工業用の太いガス管を引くのに100万くらい掛かるという。
また他の家庭とガス管を共有するので、うちが大量に使うと圧力が下がって近所の火力が弱くなることもままあるといわれた。これでは江戸時代の水争いみたいになってしまう。

諦めてプロパンガスを頼むことにする。



09・11・21
少し前から民藝が再人気みたいで、雑誌の特集などしばしば目にする。無論、カリスマ柳宗悦の人気なのだが。

私も柳はかっこいいと思い、民藝派作家を「天才」と称したこと以外は尊敬している。
民藝理論は正直よく分らないのだが、柳といえば忘れられない話がある(出典は忘れたが)。
宗教哲学者としても知られ、仏教思想に深く傾倒していた柳の次のようなエピソードだ。

ある日病に伏せった柳が痛苦に呻いていて、家族の誰かが恐るおそる、「念仏でも唱えてみたらどうでしょうか」と進言するのを聞くや、

「バカーッ! 念仏で病気が治るかーっ」 とか言って怒ったという。

いい話じゃないですか。



09・11・18
昔、神戸三宮のアーケード街を歩いているとショーウィンドウの中にピカーッと何か放射するような四角い皿があって、近づいて見ると魯山人のものだったことがあり、以来、魯山人関係の本とか雑誌をたまーに見ている。

昨日は随分前から途中になっていた山田 和「知られざる魯山人」を読了。憶測による断定は極力せず、取材は綿密にといった感じの、とにかく面白い本だった。
10年くらい前に読んだ白崎秀雄「北大路魯山人」もおどろおどろして面白かったが、この二冊から受ける魯山人の印象は随分違ったものになるだろう。
しかし、ずっと魯山人と絡み続ける、当時の取り巻きの一人で後に骨董の目利きとして知られる秦 秀雄という人は両方の本で悪く書かれているので本当に悪い人だったのではと期待が高まる。ちなみに「知られざる魯山人」の方では匿名になっている。



09・11・17
炉のバーナーを注文した。今度のは温度管理を自動でやってくれる便利な装置付き。
燃料は灯油からガスに変更した。この辺は天然ガスが出て町営の都市ガスが来ているので、やっぱりガスを使わないと。

聞けば自家用にガス井戸を掘って使っている家もあるらしく、まったく合法とのこと。これだと燃料代がタダになるので妻が強く勧めるが、メンテナンスが大変らしいのでやめておく。



09・11・13
融資が受けられそうなので一安心。

何か新しいことをはじめようと思い、近くの陶芸教室へ行ってみた。
ちょっと土を練っただけで筋肉痛になったが、それでもとても楽しかった。だんだんと新しいことに取り組まなくなるのが怖いのだ。
回転寿司に行けば、イカの皿を取り続け、子供がジャンプを買ってくれば銀魂しか読まないようでは駄目なのだ。
ちょっと無理するくらいが丁度いいのだ。


09・11・9
工房を建設した際の法手続きにミスがあり、公庫の融資が受けられるかどうか微妙なところだ。ちょっと困っている。

だが、しかし、思い起こせば10年前、私はガラスでプロになるのを8割くらい諦め、郵便配達人になろうと受験勉強をしていた。ガラスは趣味にしようと思ったのだ。よくある話だ。
そんな時、当時勤めていた製材所で自分自身のミスから右手に大怪我を負い、2ヶ月入院し2回の手術を受けた。
これは職人として大変大きなハンデを負ったことになり、そこでガラスをきっぱり諦めていてもおかしくはないのだが、傷の痛みが日一日と癒えるにつれ、どうしたわけか、まったく不可解なやる気と、根拠のない自信が湧いてきた。

今にして思えば、私がものを作って食べていくようになるには何か転機が必要だった。転機というのは体に受ける衝撃もすごいのだと思う。

だから今回また困ったことになっても、きっとそれが何かの動きにつながるに違いないので、いつも通りあまりものごと深く考えないよう気をつけてやって行きたい。




09・11・5
経済の仕組みがまるで理解できていないわりには「市場に敏感」だと自認している私は、ひとつ引越しを機に日本経済新聞というものを購読してやろうと思ったが、記事が沢山ありすぎてとても読みきれないと断念し、代わりに「週間読書人」を購読することにした。

本当は「図書新聞」のほうが頭が良さそうに見えていいのだが、自分には難しそうなので。



09・11・2

私は昔のホーロー看板が好きで、何となく気疲れした時など、ホーロー看板の画像を集めたサイトをずっと眺めたりしているが、あのオロナミンCとかキンチョウとかの看板が今でも腐らずに存在するのは鉄板の表面が薄いガラスの膜で保護されているからだ。それがホーローで、漢字だと「琺瑯」。
ただの鉄板の看板だとすぐに左の画像のようにサビサビになってしまう。

近所の家のブロック塀に張られたこの看板は以前千葉市役所の前にあった結婚式場のもので、上のほうに「愛の鐘の鳴る結婚式場」とある。
犬の散歩の途中この看板を見ると、ジミ ヘンドリクスの「焼け落ちた家」という曲を思い出す。



09・10・29






以前言及した魚網のおもり(想像)が引越し荷物から出てきた。高さ約9センチでずっしり重い。

ネットで鉄塔の碍子(がいし)の画像を検索してみたが、似たようなものは見つからず、形や穴の大きさで一番類似点があるのはやはりおもり。ただサイズが桁外れにでかい。




全体に飴色の釉薬が掛っていたのが砂か何かで研磨された感じだ。
穴の奥はまだ飴色。


上のほうに浅い溝が彫ってある。





全体にきれいで目立った傷もない

側面に2本のタテ線がうっすら見えるので割り型を用いて製作されたと思われる。

これは見たことあるぞという方がおられたらご一報いただきたく掲載してみた。




09・10・27
工房は後ちょっとで完成だが、中の機材の資金が大分不足しているので、今借金の算段をしているところ。
昨日は政府系金融機関の面接を受けてきた。
面接とか試験になると異常に張り切る私は、ネットで得た情報をもとにして返済計画について熱弁を振るおうとしたが、その辺のことはほとんど聞かれず、空回りして帰って来た。

工房を建ててくれている大工さんにそのことを話すと、俺も以前断られた、と、こともなげに言われるのだった。



09・10・15

他国のことは知らず、本邦では自分の棲家(すみか)をプロに建ててもらうなどということは一生に一度あればいいほうで、10年のうちに二度も工房を建ててもらう私などは本当に幸せ者といわなければならない。
ただし、費用は二回分で普通の住宅一軒の十分の一くらいだが。

本日工房の基礎のコンクリートを打ってもらった。何事も基礎を大事にする男なので感激も大きい。

左官屋さんのコテさばきを並んで見ていたコンクリートミキサー車のドライバーは、「こんなビショビショのコンクリートがカチンコチンに固まるんだから本当に不思議なもんだよね、俺はもうこのままで充分なんじゃないかって思うんだけど」などと口走って私達を笑わせてくれた。



09・10・11
引っ越してから一月以上が過ぎ、辺りの地理も少し分るようになり、昨日は自治会の総会で挨拶して、昼間からお酒を沢山頂いてきた。このようにして少しずつ土地に馴染んでいけることと思う。家の中は荷物でぐちゃぐちゃだが。

十年暮らした前の家、工房がどうなっているか気になってくる。グーグルマップの航空写真で見ると旧工房の屋根と以前乗っていた軽トラらしきものが見える。あのスズキの軽トラはいい車だった。



09・10・2


意味がわからない。




09・9・25


砂浜を散歩中たまたま目にする。




09・9・20

犬の散歩はやはり海岸に行くのが一番手軽なので、天気のいい日は浜をぶらぶら歩いて漂着物を眺めたりしている。

画像は妻が拾ってきた広口ビン。中国製らしく底に簡体字で社名みたいなものがはいっている。

私は海や山で時々変な物を拾うが、今までで一番不思議な拾い物は、前の工房の近くの沢の水底で拾った陶製のおもりみたいなものだ。
初めは山の上に送電設備を作る際に工事の人が落とした碍子(がいし)かと思ったが、見ているうちに魚網に使う陶製のおもりにそっくりだと思いはじめた。もしもおもりだとすればとても大きく立派なものだが、沢は小さくてしばしば枯れるような流れで、とても大きな魚網など使えない。

その沢のある山
はかつて木地師の集落があったといわれ、平地の人は上流から時々お碗とかが流れてくるので山中に人家のあるのを知ったという話もあるそうだ。柳田國男の本には、山奥に誰が住むのか分らぬ壮麗なお屋敷があり、里の人々が婚礼などで必要な時は立派な什器を上流からプカプカ流して貸してくれるという伝説(隠れ里伝説というのか)が記されている。そういうことを取り留めもなく思い出した。
まあ山というのは色々不思議なことがあるからなと一人納得したが、そもそもそれが魚網のおもりかどうかは実際わからない。

引越し荷物の整理が終わって現物が出てきたら画像をアップしたい。



09・9・10
床修繕中に昭和54年10月7日の新聞を畳の下で発見。
この年にはアナスタシア・グレベンキナというロシアのフィギアスケート選手が生まれ、六代目三遊亭圓生が亡くなっているが、この二人の間には何の関係もない。



この頃はみんな若くて元気そうだ。







「婦人公論」もやる気満々。



09・9・7

新居は傷みが激しいので色んな職人さんに補修してもらっている。

一昨日、床下のシロアリ防除のため大工さんが床に穴を開けてくれると、見ての通り、昔の便所そっくりになった。

古民家資料館などでこういうのに出くわすと嬉しくてしょうがないが、今回、別に頼んでこうなったわけではない。

工事が終われば塞がれる。残念。



09・9・6
今すでに千葉県に転入している。

以前の工房は建物だけ残してきた。炉を解体して中を片付けるとびっくりするほど広々していて、ここに色々なもの詰め込んで苦労していたかと思うと不思議な気がする。










周りのガラクタを片付けるとこじんまりした感じの良い小屋が出現。中でキャンプしたくなる。

しばらくしたらどうなっているか見に行くのが楽しみ。





09・8・30

解体直前の溶解炉。

隣の徐冷炉はすでに解体した。
鉄板の覆いと断熱材を取り去ると、築炉した当初の姿になった。
ただ、初めはこのような寂しげ且つ可憐な雰囲気はなかった。こちらも背水の陣だったので、ひたすら道具としての強い働きを期待してなかなか鋭い感じに出来上がっていた。

今はあーしんどかったという顔に見える。眉毛も出来ている。



09・8・29

工房の庭に産廃用のコンテナが到着。
今回の引越しで一番心配だったのは、数年間捨てるのを怠っていた大量のガラス屑の処理だったが、同じ町内の処理業者さんのおかげで思っていたよりも楽にいけそうだ。予想外の安い見積りだった。

ビン博士として知られる庄司太一先生の「平成ボトルブルース」には、うち捨てられた廃村をあちこち探訪して、「ハケ」と呼ばれる塵芥捨て場から珍しいビンを探し出すくだりが出てくるが、昔は大抵の不燃物は一緒くたに捨てていたようだ。

私は田舎で育ったが幼少の頃すでにそのような場所はなかった。何でもかんでもポンポン捨てるようなことが許されない時代になりつつあったようだ。
だから今回のようなことは考えてみればすごく贅沢なことだ。物をばんばん捨てると煩悩が消えていくような錯覚にとらわれる。



09・8・24

工房を必死で片づけ中。
中の物がだんだん少なくなってくると、9年前にここを造るときすごく頑張ったことが思い出されてくる。
土地を探すところからいきなり壁に当たってしまい、今の地主さんに快諾してもらった時は本当に嬉しかった。これですべてうまく行くと思った。
中華屋で家族で祝杯を挙げたが、その店はしばらくして潰れ、後にすし屋が出来たがそこもつぶれ、その後何ができたか忘れた。とにかく10年一昔ということだ。

収納棚などで持って行けない物を庭で燃やすが、何となく後ろめたい。邪悪な儀式のようで。
火の周りにあるのは人間の頭蓋骨ではなくて使用済みのルツボ。



09・8・17

kohoroの展示初日に在店して先日戻って来た。工房ではどうしても仕事のことを色々考えてしまうが、お店の片隅にボーっと座ってここしばらくの自分の仕事の成果を眺めると、何か他人がやっていることのような気がして、この人もじたばたしているなあと落着いて見ることが出来た。

これから沢山の苦楽をなした工房を自分の手で解体するわけだが、自宅の方も私達が退去してから数ヵ月後に取り壊すと大家さんに聞いた。
昭和のはじめ位に建った古家でかなり痛んではいるが住みやすい良い家だった。

河から近いので何度か洪水の危険を感じたが結局大丈夫だった。



09・8・11
当地での最後の制作を終了。
予定では粛々と予定数をこなしてつつがなく終わる筈だったが、途中からちょっとうまくいかないことが出てきて、やっぱりそう甘いものではなかった。
でもそのお陰で、長年疑問だった、モールとか型入れする前にちょっとだけ吹くことの理由が分った。そんなちょっとなら吹かなくても同じなんじゃないかと思いながら、教えられたとおり習慣でやっていた。

最後まで勉強になりましたとペコッとお辞儀をして炉の火を落とした。



09・8・6
2000年の築炉以来ぜいぜいと喘ぎながら何とかやって来た今の工房での制作もあと一週間となった。
今は何も考えずに8月の個展をつつがなく終えるための努力だけしなければならない、と頭では分っているのだが、忙しくなるとつい本を読みたくなってしまい、昨日は石井光太著「絶対貧困」を読了。

著者は、世界の貧困問題を考える際に国際政治や経済などのマクロな視点も大事だが、同時に、貧者の生活そのものに触れねばならないと説く。たとえば路上で寝起きしている人々は夫婦の性生活をどうしているのかなど日本ではあまり話題にされることもないが、そこには避けて通れない生活の真実もある、という具合に。

ところで私は大学の頃に柳宗悦の「民藝」思想にかぶれていた。
民藝思想とは乱暴に言うと、個人の思惑を超えた伝統や自然への帰依がなければ本当に美しいものは作れず、そうやって作られた真に美しい手仕事の品は宗教的ともいえる高い価値もつ、という考え方だが、ほとんど、民藝が主で生活は従、みたいな勢いがあって正直重苦しさも感じていた。

そして、それから二十数年の間に、いくら一生懸命に作られた優れた手仕事も、衣食が足りてなかったり、心配事がある人々にとって何の価値も持たないと分った。だから私の仕事などは人に堂々と言えるような立派な仕事でないのは間違いない。だがそういうちっちゃな仕事をいい加減にやるのが一番悪いということも何となく知っている。それは多分おもに書物から得た知識だと思う。本ばかり読んでいると確実にバカになるが、全く読まないのは人生でハンディを背負うことになりそうだ。

そういうわけなので、仕事中にちょっとだけ本を読むくらいいいのではないかと思う。マンガでもいいのではないかと思う。
だから、原爆の日の今日、私はアメリカ国民に、お前らはいっぺん「はだしのゲン」を読めと言いたい。



09・8・1
明け方からの強い雷雨で近くの川が一気に増水。

雨は今も降っているのでこれは洪水になるかもしれない。
対岸では消防団もスタンバイ。










犬も強い不安に苛まれている模様



09・7・29

2ヶ月くらいかけてやっと花入れを完成させた。

子供の頃は毎日少しずつというのが出来ず、大きなプラモデルは途中で投げ出し、夏休みの宿題は自分には無理と最初から諦め、観葉植物は枯らす生活だったが、今こんな職業に就いたお陰で毎日コツコツというのはこんなものかと新しい経験が出来た。

折角なのでKOHOROに出してみる。定価¥18000。



09・7・19

新しく作ったものには名前を付けなければならないが、これは結構面倒だ。形がすぐに頭に浮かんで識別に便利な名前というのは中々思いつかないものだ。たいていは苦し紛れの名前になる。
例えば「プレーンコップ」。何も装飾がないコップで名前の付けようがなかったので、プレーンソーダからのこじつけだ。

ところが、この名前を最近自作のコップに付けている人がいるのを知らされて驚いた。こういう名前が元々あると思ったのだろうか。英語圏の人から見たら多分変な名前だと思うのだが。

左画像は輪花で茶色なので「茶リンカ」。
チャリンカ、と何度も口にすると中々良い名前のような気がしてきた。


09・7・15
当地での最後のルツボ交換で今日はお休み。

温泉に行く途中、山中の集落でレベルの高い建築物を発見。公民館の建物の屋根に不思議な感じで「バス停」を載せている。







中はきれいで、椅子の他にも床で休めるスペースがあり、かなり居心地が良さそうだった。バスは確か町営バス。

こういうバス停や鉄道の無人駅の待合室とかがこじんまりときれいに整えられているのを見ると人間の善い部分だけが現れているようで嬉しくなる。





09・7・10
ここニ三日、梅雨らしいじめじめした天気で、外に出ればそれ程暑くはないものの、灯油バーナをガンガン炊いている工房の中はそれなりのことになっている。その中で集中してガラスを吹こう思えば吹けないこともない。
サウナで写経をするのが可能であるように。

何年か前、仕事関係の知人に、左藤さんの夢は何ですかと訊かれたことがある。その時に何と答えたかよく憶えていないが、夏場はガラスを吹かなくていいようになり、仕事が終わったあと毎日マンガ喫茶に行けるようになることです、とすぐに正直に答えられないところが私の駄目なところだろう。



09・7・6
都内某所で開催中の展示会の画像をネットで見て自分の展示と勘違いしていた。私もそこに納品しているので。
妻の指摘で間違いに気付く。

確かに最近ちょっと疲れ気味だとはいってもこれでは俺もヤキがまわったなと感じる。

若い頃からブルース スプリングスティーンとリックスプリングフィールドを間違う、ブラックウフルとステッペンウルフを間違う、レピッシュとスピッツを間違う、自分のトヨタカローラと間違ってトヨタスプリンターにキーを突っ込んで抜けなくなるなどしてきたが、とうとうここまで来たかと思う。



09・7・1

出来たものに小さな傷や混入物があるとき、融かすのが惜しいような良い出来のものは家で使うようにしている。
店に送るものと一緒にならないようにマジックで描く目印は最近はあの舶来の人気キャラクター。

あの団体は著作権に非常に敏感ですぐに訴訟を起こすそうなので心配。
何しろこんなにそっくりだから。本当によく描けている。
美術大学中退というのも伊達ではない。


09・6・28

子供が部活のグラウンドで梅の実を拾ってきて広口ビンで漬けている。
梅ジュースを作るということだが蓋を開けるとアルコールの匂いがするので梅酒になりつつあるようだ。

それで急いでショットグラスを作った。


09・6・16






休みの日は体を休めるのが職業人としての嗜みと思うが、ちょっと出掛けてみるのも面白いものが見れて仕事に役立つかもしれないと、家族を連れて昼食がてら車で市外に。


山沿いの町で昔懐かしい「鋸屋根」の工場を発見。若い頃修行した那覇のガラス工場よりちょっと新しいくらいの古さに感心。






そして、帰り道こんな素敵な看板を発見。
山のほうに登っていく道の端の草ボウボウの、とても飲食する気にはなれないところに立っている。設置場所といい、ワンカップに対する強い反感といい、「カメラ」の存在といい、色々分らない点は多いと思うが、私が一番知りたいのは、「ワンカップ」の「プ」の上に描かれた図形の意味だ。










葉っぱのように思える。



09・6・16





製作中の花器の金具のパーツが混ざってどれがどれか分らなくなるので識別用に数字の刻印を購入。
ところが何度見ても「9」が入ってないのでしばし腕組みして悩む。そして、ついに「6」を逆さまにして打てばいいことに思い至る。私にしては気付くのが早くて上出来。












その金具。




09・6・11

細工用にコールマンのカートリッジガスバーナを購入したら説明書にこんなことが書かれてあった。
西日本の人間としてはやはり「片付ける」と書いてほしかった。

ちなみに郷里の大分県ではこういうとき「なおす」と言う。




09・6・8
いつもより早めに仕事に掛かりその分早く帰ろうと思っていたら、工房のすぐ前の少年自然の家のグラウンドに突然ドクターヘリが着陸。パラグライダー場の負傷者を搬送しに神戸から来たということだが、昔からヘリコプターが大好きなので一部始終を仕事そっちのけで見物。

遅い時間に吹きの作業を開始。
さすがに後ろめたいので、仕事の終わりに、滅多に作らないモールのコップを練習がてら制作。



09・6・1

畳一枚大の鉄板を購入して壁掛け花入れの金具を制作中。

本体も金具も馬鹿馬鹿しいくらい手間が要る上、金具の表面が好い具合に錆びるまで一月くらいかかるので定番化は無理で、せいぜい展示会に出すくらいだろう。

完成したら画像をアップしたい。画像が載らない場合は失敗したと思ってほしい。




09・5・25

リサイクルセンターで犬の形のガラスの貯金箱を見つけた。多分銀行の記念品と思う。これはさすがに融かせないので子供にやる。

転居先は千葉県長生郡白子町に決定したが、今みたいにリサイクルセンターでいいビンを回収できるか心配。搬入即粉砕(使えない)の自治体も多いので。

うめだ阪急の売上げは予想に反して去年よりちょっとだけ多かった。大変得をした気分になる。



09・5・19
梅田阪急の三人展は今日が最終日だが今年は新型インフルエンザの影響でいつもどおりの売上げは見込めない。神戸大阪のデパートは閑散としているらしい。

娘は学校が一週間休みになり喜んでいる。




09・5・16

二十年来愛読して来た特殊漫画家根本敬先生のトークを拝聴しに神戸元町ちんき堂書店へ。
購入した新刊本にサインして頂いたが、実にかっこいい人だった。

私がこれまで何とかガラスで食べて来れたのも根本作品を読んで日々精進してきた賜物と思う。間近でお話を聞けて本当に良かった。

呉智英が「物語を作るというのはこういうことを言う」(単行本解説より)と絶賛し、故ナンシー関は「日本人必読の書」と言い切り、水木しげるが「よくあーんなキッタナイ絵を描きますな」と驚きつつ自腹で購入したという素晴らしい根本作品だが認知度がまだ低いと思う。ぜひNHKで紹介してほしい。



09・5・14

昨日は梅田阪急に在店。
といっても食器売り場をうろうろして手作りのおろし金をいじり回したりするのが主な活動だった。

三笘氏と稲垣氏の作品を一点ずつ購い、良い気分で帰りの電車に乗る。

19日(火)まで。


09・5・12

黒い色のガラスは吹いている最中に玉の厚みや肉まわりを目で確認できないので、前を見ずに車を運転するようなイヤーな感じでとても作りづらい。
きれいなのでもっと色々作りたいが、今のところ作れるものは多くない。

一昨日作った「黒リンカ」。時々展示会に出して、出来たら個人販売用にもと思っている。

明日は吹きの作業はお休みでうめだ阪急に在店。





09・5・9

時々展示会に出しているコレグレーンの広口コップを、たまたまタイミングが良かったので客注で制作。

2個余分に作ったので、私が泡盛を飲むグラスにしたいと思うが、妻は阪急のグループ展に出すことを主張。
たった2個出してもしょうがないと思うが。





09・5・8

ガラスを吹くときは、まずはじめに小さな玉を吹くが、この玉のかたちや大きさがその後作るものの良し悪しを決める。
私はこれまでずっと沖縄で教わったやり方で通してきたが、このたび思うところあって個人工房風のやり方に改めた。
そういう細かい点は変わっても、沖縄ガラスの「亜種」を自認する制作態度はこれまでと変わらない。

その沖縄に今うちの娘は修学旅行に行っている。
自分が生まれた産婦人科医院のすぐ近くのホテルに泊まるということだが本人は特に感慨がないようだ。それよりもシュノーケリングを楽しみにしていた。


画像は新作の「モール深皿」。




09・4・30

小さな炉なので大きめの物を吹くのはやり難いけれど、展示会も近いのでちょっと無理して8寸くらいの中皿を再生ガラスのクリアで吹く。

花粉症がおさまり過ごしやすい季節になった。一日中眠い。



09・4・27
吹きの作業が大幅に長引き明け方に帰る。
工房を出るのが2時とか3時だと何となくうらぶれた気分だが、4時を過ぎると逆に何か早起きでもしたように錯覚してすがすがしさが出てしまう。山鳩やカラスの声の効果も大きい。

ロートグラスの摺りガラス加工に使う薬剤がすぐ駄目になり往生することが続いたのでこの際制作終了にすることに決定。
せいせいした。




09・4・19

牛皮製作業グローブを買ったらこんなイラストが載っていた。

牛のこの得意げな様子を見よ。
その手袋は牛の皮ではないのか。レクター博士かお前は。

そういえば昔の筆写本には人間の皮で表装したものが結構あるそうだ。
それも、別に猟奇的な行いとしてそういうことをやっているわけではなくて、まあ言ってみれば広辞苑の革装版みたいな感覚で。




09・4・16
うちの工房は山の入口にあり桜の名所できれいなとこだが、そのきれいな所を最期の場所に選ばれるのか自殺しに来る人が結構いる。昨日も行方不明者の捜索で消防団の人たちが山のほうへ登っていった。そうなると夜中まで仕事をするのが気味悪くて仕方がない。特に仕事の後真っ暗な庭で顔を洗っている時が怖い。


HPから注文してくれる人が増え、メールの返信等が思ったより大変なのでカートというものを導入しようかと考え中。



09・4・12

妻がヤフオクで購入した駄菓子瓶の色がとてもよかったので自分でも調合してみる。右が自作。
ほぼ同じ色が出てきれいなのだが器に使う場合、かたちを余程考えないと難しいだろう。
モールには合うようだ。



09・4・8
たねやさんご注文のモール小皿を100枚作る。
盛られるのは春の和菓子か、バームクーヘンかアイスクリームか。
べつに冷奴でも全然かまわないが。


09・4・4

道具は自作することが多いので工具には凝る方だ。
薄鉄板を切る金切り鋏を購入。三菱マテリアル製で、ホームセンターで売っている同じようなものの数倍するがさすがに良く切れる。
それから切先の見た目の迫力も凄い。

示現流の南ノ郷叢威右ヱ門重光が京都の帷子ノ辻で彰義隊士六名を二秒で切り殺した際に用いた長刀のようだ。
そんな奴はいない。



09・4・2
二酸化マンガンに他の試薬を混ぜて発色の実験をしていたら、今まで見たことがないような汚い色のガラスができる。昔の工場の廃液みたいな色だ。
このように自分で発色の実験をしてみると、市販のガラス瓶の色がいかに研究し尽くしたすぐれた色であるか分る。
今一番感心しているのが一昔前の清酒のビンの青色で、ローマ期の吹きガラスの色に勝るとも劣らない色だ。



09・3・25
ある定番の作品の一部分の仕上げについて妻より改善の勧告があり、色々努力はしていたが手掛かりが掴めず悶々としていた。今日、ふとした思い付きでいきなり問題が解決し、嬉しくなりついつい日付が変わるまで制作を続けてしまった。

うちはいつもこんな具合に妻子の意見に重きが置かれる。やはり一人きりで良い物を作ろうとしても無理だから。
ところが、時々自宅に電話してきて、妻が出ると、話があるから作者に替われといきなり言う人がいて困る。今あなたが話している相手がここのCEOで、電話を替わっても私は目の前で妻がホワイトボードに書くセリフを一字一句違えずに話しているだけなのだから。



09・3・24
ちょっと前に恩田陸の「きのうの世界」を図書館で借りて、読み終えた(すごくよかった)ので返そうとしたら、娘が読み始めているようなので返すのは少し待つことにする。私の娘は私と音楽や小説のセンスがかなり似ていて、父としては嬉しい限りだが、妻によると、娘は、「嫌いなもんまで父親似で嫌やわぁ」と言っていたそうだ。本当だろうか。



09・3・23
久しぶりに徹夜をする。昨日は夜明けには工房に入っていたが、バーナーの部品交換に手間取り火を着けるのがすごく遅くなったせい。朝の五時に自宅に帰り着く。
朝五時から朝五時までガラス工房で働いております、みたいな事を言ってたのは誰だったか、明治の元勲だったかヨーロッパの社会改良家だったか車でずっと考えていたら、鳥肌実だったのでがっかりした。



09・3・17
ことりのペーパーウェイト制作。HPから沢山買ってくれた人にオマケに付けようと結構数を作ったつもりだったが、油断していたらなくなってしまった。
くちばしの位置が難しい。



09・3・13

坩堝を交換。
いつもより長めの三ヶ月間使用。にもかかわらす目立ったヒビがない。
ちょっと温度の調節が上手くなったかなとも思うが、案外坩堝が丈夫になっているのかもしれない。大阪の奥村坩堝製。



09・3・11
深夜、中央ハイウェイを小さな車でビュンビュンとばして早朝、フルーツと馬刺しの町ヤマナッシュ(山梨のこと)へ入る。
物件を見せて貰い午後再びハイウェイに乗る。
途中避けて通れない魔都の難所首都高速を前に緊張からガムを強く噛みすぎてこめかみが痛くなるが、路面に大きな字で行き先を書いたり夜光看板を掲げたりしているトンキン(東京のこと)のお役人のお陰で分岐点で一度も間違えないという快挙を達成してチャイヴァ(千葉のこと)到着。
宿から歩いて行ける居酒屋が見つからなかったので馴染みのよろず屋「法律上の息子」(ローソンのこと)で発泡酒でも買って部屋で飲もうとするがここら辺はセブセブ(今は24h営業なのでこの呼称が正しい)ばかりが沢山あるので驚いた。
翌午前中、アルピノタウン(長生郡白子町のこと)の物件を見る。いくつか問題点はあるが思ったよりいい家だった。前向きに考えていいかもしれない。



09・3・9
花粉の飛散がすごい。症状も今までになくきつい。何しろ熱がでているから。

ルツボ換えの時期を迎え昨日で火を止める。今日の深夜から家探しで山梨、千葉。



09・3・6
うちは今までエクセルで制作予定表を作ってその通りの納期を目指してやってきたが、最近どうしようもない心身の疲れを感じそれをやめることにした。

どこの工房もそうだと思うが、毎日決まった数のガラスが出来上がるというようなことはまずありえない。夜中まで頑張って数個しか出来ない日もあるし、だんだん腕が上がってくるにつれて色々手を掛けたいところも増えて一日に出来る数が逆に減ったりする。馬鹿なやり方だとは思うがこれを改める気はない。

そういうわけで、忙しいばっかりでべつに儲かっているというわけではないので、これからはせめて気持ち良く仕事をしていきたいと思う。

直販ももう少し比率を増やしていきたい。



09・2・28


作家兼職人としての私にとってお客様は神仏よりも尊い。
ただこの神様は作品の細かい部分について具体的に指示を与えてくれるわけではない。お前が心から良いと思うものを全力で作れ、というのが「天の声」だ。

今回ちょっとした「修行」をやってみたわけだが、修行中の姿というのは不様なものだ。特に妻に八つ当たりする場面とジョウロを蹴っ飛ばす場面。

罰が当たらぬよう浄化。



09・2・27
リンカモール小鉢の作り方をちょーっとだけ改良しようとした結果長いトンネルに入ってしまった。こういう場合うちの方針として決してやり方を元に戻さない。ただ前に行くだけ。
昨日も、うなだれる、図解してみる、道具に八つ当たりする、などしながら明け方まで頑張ったが目標数には及ばなかった。

だが終り間際に少し光が見える。

納品がまた遅れてしまいます(敬語)。



09・2・25
先日やっと炉の温度計が来てほっとしたと思ったら今度は風呂の釜が壊れ、やっと一昨日復旧。
それまでは片道40分くらい掛けて真っ暗な山道を通って家族三人で夜遅くに温泉に行っていた。

なんとなく世間からはじき出されたような気分になり妖怪人間ベムのようだった。



09・2・20
言うまでもないことだがうちは納品が遅い。納期を守れないのが常態化している。心苦しいばかりだ。それで少しでも心を軽くしようと考え、「理論納期」と言う言葉を思いついた。あくまで単純に日数を計算して割り出した納期のこと。これに対して実際に納品できた日のことを「現象納期」と呼ぶ。なんでも理屈通りに行かないぞという感じで気分が楽になるではないか。

同じように、一日に制作しなければならないガラスの個数と実際に出来た数の差、つまり作り足りなかった数を、「みつを数」と呼ぶことにする。これは無論、故あいだみつを氏の「にんげんだもの」から取っている。優しい言葉だ。

ちなみに本日はやっかいなアイスクリームカップを制作するもみつを数はゼロ。私も結構頑張っているということだ。



09・2・17
修理を頼んでいた相模原の制御機器の会社からやっと温度センサーが送られてくる。納期の倍近くかかった。結局修理は叶わず新品を作ってもらった。
ところがいざ取り付けようとしたら表示計に繋ぐためのコードがない。私が修理に出したものにはコードが付いたままだったが、それが同梱されていないので結局今日も使えない。
勤め人時代、弁当屋で買った豚汁に店の人が味噌を入れ忘れていて、それを職場にもって帰って一口飲んだ時の衝撃。あの薄味の衝撃を思い出した。



09・2・16

めったにないことだが引き出物を受注。
ことりのペーパーウェイトを沢山作る。

数を恃むとはよく言ったもので、一個や二個だと可愛い感じだが、これだけあると、なにかこうバスチーユ牢獄の政治犯の解放ならびにフランス国王の処刑を議決しようとしているように見えてくるから大したものだ。
妻がこのように包装。



09・2・8
沢山たまった枯れ枝を燃やし始めたら、つい夢中になり、きれいに燃え尽くすよう仕事そっちのけで火をいじり続ける。

火なら仕事で焚いている。確かに焚いている。焚きまくっている。だが、むき出しの、裸火の、メラメラの焚き火の魅力には勝てない。



09・2・2
熱が38度台からなかなか下がらない。
あまり食欲がないので果物、特に柑橘系が欲しくなる。あのひんやりした食感がなつかしい。
熱、柑橘、ひんやり、とくれば梶井基次郎の「檸檬」を思い出す人も多いだろう。思い出さない人はもっと多いだろうが。

折りしも作中で主人公が檸檬を買う店のモデルになった京都寺町の青物屋が先月末に閉店したニュースを目にする。



09・2・1
一昨日よりインフルエンザで床に就く。
39度台の熱が続いたので氷枕の気持ち良さは例えようがない。

ただ近所の小さな薬屋はどこも「氷のう」を扱っておらずがっかりした。今時あまり売れないのだろう。
仕方ないので額にぺたっと張るやつで我慢した。こっちもまあ気持ち良い。

仕事の道具は今は見たくもない。



09・1・28
千葉から帰ってくる。
帰りも小銭をケチってディズニーランドゲート前の駅から出る高速バスにした。
そうしたら集合場所に3時間も早く着いてしまい、普段ならば駅前の居酒屋か立ち飲み屋に寄るところだがランド周辺にそんなものがある道理はなく、仕方がないので構内をうろうろしていると、改札から入ってくる多数のランド民たちに端に追いやられ、やっとのことでベンチに座ると隣に座ってきたランド民カップルの女の方が、何か気に入らないことがあったのかメソメソしだしてそのうちグジュグジュになったので到底いたたまれなくなりまたうろうろしなければならなくなる。
そうしてやっとのことで乗ったバスはとても寒かった。

神戸駅のトイレで個室の扉を開けたまま和式便器の前に立って小便をしている、割ときちんとした身なりの若い男を目撃。
かなり難しいと思うのだが。



09・1・26
今日は昼間は火をつけず、夕方から移転先探しで夜行バスで東のほうへ。
車中で読む本もちゃんと用意。「知られざる魯山人」というのにした。



09・1・22
炉の不調のせいで毎日のんびり過ごして家族から評判の悪い私だが、景気の悪さは実感している。
昨日も知り合いのお店から今月末で閉めるという連絡を頂いた。
同業者の廃業・休業も多く、そのためルツボの需要が少なくなったのか、今日はルツボ屋さんから営業のDMを貰った。



09・1・17
送風機の修理も終わり、約一ヶ月ぶりに今日ガラスを吹いた。
もう忘れているのじゃないかと心配したが、最初の何個かを除きいつもよりうまく行ったような気がする。

ただ、仕事場に何となく馴染んでないような、人から借りた場所でやっているような居心地の悪さを感じた。たぶんもう次の炉の構想を始めて気持ちが先に行ってしまっているからではないかと思う。



09・1・9
年が明けてからすでに結構な数の注文が入っているので、何とか今の炉でもう一仕事しなければとはりきって工房に入り、今年初の火入れを行う。
人が見たら笑うような代物だろうけど、良い炉だったなとか思ってしみじみしたその瞬間、送風機がふぃーんとか情けない音を残して停まってしまった。

明日は加古川の修理所行き。確か年末に修理したばかりだったような気がするが。
下手をすると明日も温泉に浸かることになるかもしれない。



09・1・6

やっと自宅に帰ってくる。

炉は満身創痍の状態で温度計もまだ付いていないが手探りみたいに燃やしてみるのも面白いかもとそろそろ火を入れる予定。

今年はかなり意気込んでいるので、年末からがんがん高速道路を走って、すごい勢いで温泉に行っている。



08・12・30
ずっと休みが続いて体は楽だが、そろそろちょっと仕事がしたくなった。といってもすでに年末なので帰省などでまたしばらく休みが続くことになる。

来年は色々と新しいことを始める予定。さる運命鑑定の先生に「人生で三本の指に入るほど運気の強い時期に入る」と言われ、良い予言はすべて信じる私は非常にやる気を出している。
ところで三本の指の他の二本はもう終わったのか。幼稚園くらいの時に商店街の福引とかが次々と当たった快進撃の時期があり、そのときは、カルピスが欲しかったのに清酒が、ミニカーが欲しかったのに折りたたみテーブルが、ウルトラセブンのレコードが欲しかったのに尾崎紀世彦のレコードが、と不本意なものばかり当たったのであれがそうでないことを祈る。



08・12・24
温度計の故障以来休みが続く。
呼吸法の本を読んだり、娘のクラシックギターをいじったりして毎日楽しい。
今日は健康診断に行ってきた。

明後日から用事で千葉県へ。



08・12・15
炉内の温度を測るセンサーが「ポキッ」と折れて計測不可能になる。人によっては大体の温度が分ればいいので温度計なんか要らないということもあるだろうが、私はそういうことがとても気になるほうなので到底それでは作業が出来ない。
メーカーに聞いたら特殊な製品で受注生産なので最低3週間はかかるとのこと。火を落としたまま年を越してしまうようだ。
思い切って炉を築き替えようか、それとも通販ページを一気に作ってしまおうか、今考え中。

毎日飲酒する習慣を改めた。



08・12・9
玄関を出て思わず身をすくめるような寒い日が続くと、気持ちはすっかり内向的になり、物思いにふけったり、身近な小さな世界にじっと見入ったりするものだ。
その内向的な気分は、たとえばカップケーキを食っているときにケーキ表面についた型の跡が顔のように見えることを発見し、そこにツメでちょちょっと細工してこのような憤怒のアンパンマンを作る、というような行為に人間を駆り立てる。

今日はテーパードグラスを制作。まあうまくいった。


08・12・5

あまり時間は取れないが、新作の試作は大好き。
ただうちの場合ほとんどがボツになりごくごく一部が定番になる。

左のは過去何度も挑戦して失敗していたもの。
今は家に持って帰って実際に使って臨床試験中。



08・12・2

風邪で三日間休んで、今日はちょっとしんどかったけど簡単なものを作る。
整体の本を読んだら、風邪は体の不調を整える効果があるので適度に引いたほうが良いとあった。風邪がきちんとした経過をたどったあとは体がすっきりするということだが、どうもまだちゃんと引き終わっていないよう。

娘がリンゴを剥いてくれるが、ついでに制作も行う。知久寿焼という題らしい。




08・11・30

当工房が初めて粗品用に開発した、サンドキャスト製「ことりのペーパーウェイト」、通称ピーちゃん。身長四センチくらい。古代色。



気持だけ受け取ってください、とか言っている。




08・11・28
今住んでいる兵庫県丹波市は、ネットで図書館の蔵書の検索・予約ができて便利だが、、先日、あなたが予約した「おばさん未満(酒井順子 著)」という本が近所の図書館に到着したので取りに来るようにとのメールを貰った。
実はそんな本予約した記憶がない。多分飲酒中に予約したのだろうが、なんで「おばさん未満」なのか。

人間は自分に必要な情報を無意識に選ぶものだと確かコリン・ウィルソンか誰かが言っていた。本をパラパラーッとめくって偶然開いたページに重要な示唆を見出すという占い方法もあるくらいだ。
そうなるとこの「おばさん未満」にはどんな重要な符号があるというのか。

いつものようにへらへらしながら読んではいられない。



08・11・26
そんなこんなで移転問題はまったくの白紙になった。もう全国どこへでも行く気になっているが、ただ冬場の天気が悪いところと豪雪地帯はよしておきたい。

情報をお持ちの方は是非教えてください。粗品(後日掲載)を差し上げます。出来れば賃貸で、リフォーム可で、庭に工房を建てれて家族三人と犬が暮らせるところ。貧乏なので売り家なら格安で。



08・11・25
じつは先々月来、中部地方のある県の山の上の古い一軒家を買って、手を入れて住もうとして色々準備をしていた。
この家は任意売却物件(要するに抵当に入っているということ)になっていて、裁判所に提出する購入申込書に署名捺印して、近所に住む管理をしている人に託していたが、今日その人から連絡があり、集落内で協議の結果お断りすることにしたとのこと。
集落で協議ということをまったく聞いていなかったうえ、本来は管財人(弁護士)がするはずの決定をなぜ集落でやるのか釈然としないのだが、正直なところ少しホッとしている。
なぜかというと、とてもこわい家だったから。格安だったし。

そういうわけで、もう少しだけ今の炉に働いてもらわないといけなくなった。



08・11・16
今度は自宅のFAX電話が壊れた。



08・11・12


 8年間一回もメンテナンスしてない。
朝バーナのスイッチを入れるとブロア(送風機のこと)がこの世のものとも思えない音を立てるので急いで停める。
自分でちょっとばらしてみたが手に負えないので、加古川の修理所まで片道2時間かけて持ち込むと、週末に出来上がるとのこと。

色々な機材が次々と壊れ始めて、やっぱり工房も寿命か。




08・11・10
ちょっと前まで炉の前に立つだけで一仕事だったが、急に寒くなったここニ三日は手をかざして暖を取っているのだから季節の移り変わりはあっという間だ。

この炉で吹くのもあと少しと思うと寂しいものだ。8年もまたあっという間だった。



08・11・8
ネットで調べ物をしていてたまたまヒットしたページに「吹きガラス」というキーワードがあったので何気なく開いたが、出て来た画像を見て驚いた。自分と完全に作風が重なっている。しかもこいつの方がちょっと上手い。これは大変なことになったぞと思ってよく見ると自分が作ったものだった。

非常に短い時間内で恐慌と深い安堵を味わった。



08・11・3
英語のスパムメールがよく来るが、最近は翻訳ソフトで無理やり日本語にしたのが時々ある。
昨日来たのを開いてみると、
「ユーロダイスーカジはあなたに彼等の5回の歓迎されたボーナスを使用してこの機会に与えなさい。」と来た。
旧約聖書かと思った。



08・10・25


明日からまた山梨へ。
こんなに頻繁に行くんだったらいっそのこと山梨県民になってしまおうかと思っている。

画像は娘の作品「母」。





08・10・17
しばらく火を落としていたら炉が湿気てしまい。なかなか温度が上がらないので読書の日にする。

今読んでいるのは「ちくま日本文学全集53 宮本常一」で、昔の日本人の生活が実に具体的に書かれていて楽しい。
例えば、ひと昔前までは、おかずとご飯という食べ方だけでなく、一種類の食べ物だけで一回の食事を済ませることも多かったというような話。お昼は芋だけとか、晩は蕎麦だけとか。だからどうだと言われれば困るが中々素敵な食べ方だ。
その他「土佐源氏」とかのエロ話の類もいっぱいでほんとに良い本だ。



08・10・10
季節の変わり目で昨日から鼻炎に。
薬を飲んで仕事をするが副作用で頭はぼんやり。昨日は神経を使う型吹きのコップだったので何度も失敗するがそれでも頭はぼんやり。灯油がもったいないので早めに終える。

明日から数日間、所用で山梨県に出かけるので仕事はお休み。犬も一緒。



08・10・9


古いシャンデリアのパーツを装身具に流用するのが人気のようで、妻もヤフオクで購入。申し訳ないくらい安かった。
こういうパーツというのはデッドストックかなにかを使うのか。

私も以前吹きガラスが売れない時、ガラスでアクセサリ類でも作ろうかと高価な酸素バーナを購入。今はデッドストックになっている。



08・9・29


ヨーグルトカップ制作。

これを作るといつも、そろそろヨーグルトを食べ始めないとと思う。そろそろというのは来年の花粉症に備えてということ。それで自分用にも一個作った。

指と耳朶のツボ指圧はすでに始めている。



08・9・17
炉の傷みがやはり激しいようで、以前と比べて温度が上がり難くなっている。そのせいで制作が思うようにいかずイライラすることが多くなった。
あと二日でルツボの入れ替えなので、その時に内部を応急に補修してみて、それで駄目なら即火を落として、引越し家探しモードに切り替えよう。それはそれでうきうきする。こういう変化というのはやはり楽しいから。



08・9・12
右手親指付け根あたりが腱鞘炎になる前ぶれみたいなイヤーな感じに。
これでいつものようにこのまま悪化するようではあまりにも芸がないので、サロメチール温感タイプ+綿サポータで早めにケアしてみることにする。



08・9・8
クリア瓶の着色に失敗。
清酒の青い瓶の色を出す予定だったが、薄緑みたいな変な色になる。ガラスを掻き混ぜる際にいつもと違うやり方をしたのが原因。勿体無いが全部融かして今日作り直し。

こういうときに、いつもの色とそんなに変らないとか言われるのが一番腹が立つので誰にも見せない。



08・9・1
吹きガラス以外は大体妻に任せているので経理のことも全然分らない。先日、今使っている炉の制作費用を教えて貰い、あまりのチープさに驚く。外見は確かにチープだが。
ちょっとしたガラス工房の炉なら一基の値段でうちの炉が三つくらい作れるかもしれない。よくあれで何年も作ってこれたものだと感慨深い。

まあ、この次作る炉もたぶん似たようなものになると思うので、それならガラスの炉以外にも、ピザを焼く炉とか陶芸の炉とかを一緒に作るのも資金的に可能かもしれない。趣味が広がりさぞ楽しかろう。
そうなるとオートバイの改造とか、模型の制作とかもしたくなってきて、色んなこだわりとかも出てきて、気が付くと、サライに登場する嫌な親爺みたいになっているかもしれない。



08・8・26


kohoroの展示に出品した豆皿の売れ残り。

かわいそうなので個人販売で沢山買ってくれた人にオマケに一個つけようかとか考えている。




08・8・17
KOHOROでの個展のため上京し、昨日丹波に戻る。
あんな暑い中来て下さったお客さんに感謝。あまり感謝しているふうには見えなかったかもしれないけれど。

それにしても、決して安いとはいえないうちのガラスをわざわざ買い求めてくださる人というのはやはり、生活と自分を大事にしているというのが何となく分る。その一方で私は移動の途中の駅とかで、明らかに自分を呪っているような人をたくさん見た。悪い気をたくさん受けたような気がした。普段はないことなのでこれがとってもキツくてホテルの部屋でぐったりだった。



08・8・12
本日やっとKOHOROの展示会に持って行くガラスの制作が終わった。
4月のギャラリーIS'SUE(京都)から始まった今年の展示会もやっと最後となる。本当に大変だった。
とうに耐用年数を過ぎているのにどうにか持った炉、偉い。妻子も偉い。犬のユキも偉かった。
3ヵ月後に予定されている転居に向けて、仕事のペースをスローダウンして万全の体制で臨みたい。
ただ、転居先が未定というところが笑える。



08・8・8
このところ午後になると雷がゴロゴロ鳴り出して心配。また何年か前のように近くに落雷して工房の電気製品が全部駄目になるとか、炉の火が消えるとか悪い想像ばかりが浮かぶ。確率的にみて近くに落雷することはないような気もするが、昔、三回も雷の直撃を受けて三度目に死んだ人がいたということなのでやはり安心できない。まあそれは不思議現象博物館というインチキ臭い本に書いてあったので、話自体の信憑性に問題はあるが。



08・8・2


広口コップを制作。コップというのはやはりガラスの面目躍如なところがあるので力が入るところ。

このコップは独立時からデザインは変更していない筈なのに以前のと随分形が違うのに驚く。やはりその時その時の好みが出てしまうようだ。
今は底が前よりも厚めでエッジがくっきりした形が好み。




08・7・30
夜中に家に帰る途中、危うくイノシシの子供を轢きかける。子供らはそのあとも道から逸れずに車の前ばかりをずっと逃げて行くので、かわいそうにピカピカ光る目玉の恐ろしいもの(ダイハツ ハイゼット)に追いかけられるかたちとなり、生きた心地がしなかったろう。引率してきた親イノシシは影も形もなかった。駄目な奴らだ。
同じ動物でも犬や猫は身を挺して子供を守る例が多いというのに。あと牛も。

私の小学校の時の同級生に、乳牛の子供に石をぶつけて遊んでいて、お母さん牛に見つかり、てめえぶっ殺すという感じでさんざんに追い掛け回された奴がいる。
そいつは今行方不明になっている。



08・7・29
徐冷炉の方も老朽化で温度の上がりすぎがコントロールできなくなっている。昨日作ったフリーカップが歪んで全滅。
一日の労働の成果が水泡に帰した。



08・7・27


沖縄の友人がパイナップルを送ってくれた。
子供の頃はパイナップルはただ舌がピリピリして真ん中に穴が開いてる果物としか思っていなかったが、沖縄ではしょっちゅうスーパーで買って食べた。すごくおいしかった。

昔はパインの缶詰というのがものすごく高価で、病床にこれが運ばれてくると、病人は、自分がもはや助からぬ身であることを悟ったとよく両親が話していた。ちょっと嘘くさいなと思いながら聞いていた。




08・7・26


KOHOROでの展示が今夏最後の展示になるのでそれまでは休みなしで働く予定。

仕事中は強い紫外線、可視光線下で眼を酷使するので裏の菜園に勝手に生っているブルーベリーを食べようと収穫してみた。結構美味。




08・7・24
午前中、どうにも体に力が入らず、道具を持つ手が震えたりするようになった。大学の時読んだ民俗学の本によると、昔の人は山中で急に強い倦怠感や空腹に襲われて歩けなくなることを「ひだるがみ」に憑かれるといったらしい。米粒を口に入れると治るとのこと。これは自分も憑かれたなと思い、米粒が無いので椅子を2脚並べてずっと寝ていた。昼に長崎ちゃんぽんを食べたら治った。

私はとても疑り深い性格の割には妖怪とか幽霊の話が大好きで、最近読んだその手の本では「てのひら怪談1・2」というのが面白かった(怖かった)。



08・7・21
鉄リンという道具の中でガラスの玉をクルクル回しながら、この道具はどうして「リン」というんだったかな、と気になりだすが結局制作中はずっと思い出せなかった。

正解は仏具のお鈴(りん)に似ているから。あの仏壇に置いてある真鍮のお椀みたいな、チーンと鳴らすやつ。ついさっき思い出した。
以前ある人に教えて貰ってから、何度忘れたり思い出したりしたか分らない。ある人と言うのが誰なのかも実は思い出せない。

やっぱり少しばかなのかなと思う。



08・7・20
昨日、一昨日とすごく手間の掛かるものを暑い中フラフラで制作。

注文を入れすぎたと反省。次から一月に作る数をあらかじめ決めておき、それ以上の注文は取らないようにしたい。
手間が掛かる上に全然儲からず、作れば作るほど貧乏になる魔法のガラスだ。あの黒い縁で中に冷たいものを入れるガラス。



08・7・17
近畿地方が梅雨明け。やはり夏が好きなので、体のしんどさは別として何となく嬉しくなる。

壊れたリューターはメーカーに修理に出していたが、見積もりの報告が来て、修理代が大体2万円くらいとのこと。やっぱり慣れた機種の方がいいのでまた使うことにした。エコ思想とはまったく関係ない。



08・7・14
腕時計の留め具をはずしたまま手首につけ、坩堝に竿を突っ込んでいたら、時計がスルスルッと竿を伝って坩堝の中に落ちる。
あわててすくい上げるもこの通り。

ひとしきり燃えたあと爆発(たぶん中の電池)。中身は吹き飛ぶ。

スイス製で、そんなに高いものではないけれど結構気に入っていた。
これから暑さが本格化すると、頭がぼんやりして、坩堝に腕時計を落とすというような事例が各家庭でも頻繁に起こることと思うが、大変危険なので気をつけて欲しい。



08・7・12


台所の古い流しのタイルが剥がれたり水漏れしたりと大変だったので妻が張り替える。
きちんと段取りして作業すれば素人でも出来るらしいが、貼るよりもむしろ古いタイルをきれいに剥がすのが大変。

出荷前のガラスを洗うのも具合が良くなった。




08・7・9


今日は茶色の日。
あと二日で休みなので疲れた体に鞭打って養命酒のビンを融かす。使用ビンは養命酒でもこっちは命を削っている。


山形の知人よりサクランボの到来物あり。

子供の頃はサクランボはすべて缶詰だと思っていた。
その後アメリカンチェリーというものを食べ、サクランボはアメリカでしか採れないと思っていた。
国産のものを口に出来たのはごく最近のことだ。




08・7・7


数日後使う予定のオリーブのビン。

こういう濃い色のガラスは、坩堝を換える直前に使うことが多い。なぜなら坩堝に色が残ってしまい、この後薄い色は入れられないから。

個人販売のページをどーんと充実させるのだと家族の前で息巻いている。




08・7・5
まだ体が夏仕様になっていない感じなので、ここ一週間くらいの暑さと湿度でバテバテだ。なるべく体力を使わないよう、何をするにも小股でヨチヨチ歩いているが、その割には制作の調子は悪くない。この辺の理屈がいまだに分からない。

ハンドリュータがとうとう動かなくなり、天寿(8年)を全う。今日新しいのを注文。



08・7・3
本日初日の
PARTY
「カレーのお皿、お水のコップ」展にコップを出展。

一年を前・後半期に分けると365は2で割れないので昨日7月2日が真ん中の日で今日3日が後半期の初日ということになる。そして、実は私の誕生日。フランツ・カフカと同じ誕生日。池乃めだかとも同じ誕生日。



08・7・1
本日よりうつわや季器楽座にて能登島ガラス工房とうちとで「夏のガラス展」。
この時期はスケジュールに余裕がなく、遠方の展示会へは出向けず残念。
お近くの方はぜひお立ち寄り下さい。

底の仕上げに使うハンドリューター(歯医者さんが歯を削る機械みたいなやつ)が
壊れかけていて、先日壊れた井戸ポンプの断末魔そっくりの音がする。



08・6・30


うつわクウ個展に一日在店。
天気の良くない中お越し下さった皆様、誠にありがとうございました。

在店中は自分の部屋同様にくつろいでいたが、帰りの高速道で、連日の疲れが出たのか、自分の運転する車で乗り物酔い。




08・6・26


昨日、うつわクウ展示会初日。普通は初日に在店するパターンが多いが今回は日曜日(29日)に行くことになっている。

色見のためにピンポン球くらいの小玉を吹いて家族に見せることがあるが、ある日娘がそれを小さな花器と思い込んで花を生けてくれた。
なかなかいい感じだったので、ちゃんと作ってみることにする。
底を少しつぶして平らにし、口元は切り離しのギザギザを残しつつ手に引っかからないように研磨。
娘は、まあまあやな、と言っていたらしい。




08・6・23


湿気が強いとどうしてこうも体感温度が高いのか。
暑くて暑くてしょうがないので、
真夏に登場予定だった工場扇を稼動させる。出入り口に据えて外気をどんどん入れると随分バテ方が違う。

それにしても年を追うごとに着実に体力が落ちている。あまりに身体に無理が掛かるようになったらガラスに執着せずに商売変えをしてもいいかなと思っているので、その時に悔いが残らないように頑張ろうと思う。


08・6・18
今年初めて炉の熱あたりになり、途中で気分の悪さに耐えられず帰宅。
夕食後持ち直し、娘とパソコンの前に座り、くだらない動画をたくさん見る。


08・6・17
毎年今頃になるとなぜか右手の親指の付け根辺りに腱鞘炎みたいな症状が現れる。
去年はそれで仕事を休む日があったので、今年は暖めて治してみようかと綿のサポーターをネットで注文。



08・6・11
うちのガラスの底には切り離し跡が残っているが、普通これをポンテ跡と呼ぶ。ポンテとはポンティ(橋)のことで、吹きザオから別のサオに移した跡なのでなんとなくそう呼ばれるようになったのだろう。何語かは忘れた。メルロ ポンティさんはフランス人だったがフランス語ではなかったと思う。

とにかく業界ではそう呼ぶのだが、使い手さんのサイトやブログでは、これが「テンポ跡」とか「ポンチ跡」とかに変わっている例が結構ある。あと百年位したらそうなっているかもしれない。

ちなみに沖縄ガラスの古い工場では「ボンテン」と呼ばれていた。梵天=ブラフマンみたいでかっこいい。




08・6・9


今回勇退したポンプ
築80年の借家に住んでいるが、水道を引いてなくて、水はすべて骨董品みたいな井戸ポンプで汲み上げたものを使っていた。
そのポンプが昨日とうとう壊れて水がまったく使えなくなった。風呂にも入れないので家族で温泉に行く。
今朝水道屋さんに来てもらって新しいポンプに変えたら、音があまり静かなのでびっくりした。








08・6・6

高校生のころから好きでしょうがない作家岡本綺堂の新刊が出ているのに気づく。その名も「飛騨の怪談」。これがなんと単行本未収録の作品が入っているということなので慌ててネットの書店に注文。まあ売り切れることはないと思うが。



08・6・5

阪急百貨店の三人展から帰ってきた。
金工の稲垣氏も陶芸の三笘氏も物凄く優れた仕事をされていて、やっぱり山奥から出てきてよかった。
わざわざお越しいただいた皆さん、有難うございました。

夜は酒席に参加。三笘氏と私は同じ大分県人であるのみならず、私が昔高校の講師をしていた時に担当クラスの生徒だったという浅からぬ縁があるので、久々の再会がとても嬉しかった。氏は、私の国語の授業を評し、先生は授業中ビデオの話ばかりしていた、と語られた。

帰りに神戸駅の近くで日本刀を持ったおばさんを見た。



08・6・3

いつも炉の燃料を給油して貰っているスタンドが最近ずっと閉まっていて、廃業するのではと心配。

もっと心配なのは原油価格がどこまで上がるか。今年いっぱいくらいでアメリカの住宅関連株に投資資金が戻って原油価格がかなり下がると言うシナリオを信じるしかない。


知り合いの道具屋さんが廃業。


08・5・30


ガラスを長時間強い直射日光の下に置いておくと、ガラス中の金属色素が反応して紫色に染まることがある。

いつも同じように発色するわけではないが、このコップは結構きれいに染まった。確か工房の前に一週間ほども出していたか。






08・5・26


ツボ換えをしたら、珍しく割れずに出てきたので傘立てにすることにした。
少し底が狭くて安定がもう一つなので、溶接で固定用の鉄枠でも作ろうと思うが、今は展示会の準備で忙しいので無理のようだ。




08・5・25


家の犬は最近、食べられる物のレパートリーを、意欲的にどんどん増やしているが、今日はサクランボを食べられるようになった。





08・5・17


子供の頃から小さなオマケが大好きで、最近はビンのキーホルダー欲しさにコカコーラをつい買ってしまう。

沖縄ガラスの工場でも昔はコーラのビンを融かしていたということだが、私がいた頃は専ら泡盛の一升瓶。よく首里の工場に取りに行かされた。
それを融かしてライバル会社の泡盛2合ビンを吹いたりしていたのだから大らかなものだった。




08・5・14


そのリサイクルセンターにはごくたまに変なビンが捨ててあるので、出来るだけ持って帰るようにしている。

画像は明治の「パイゲンC」。ヤクルトみたいな飲料か。もちろんとっくに製造終了。
今までどこに保存されていて、何で今頃捨てられることになったのか。




08・5・10


リサイクルセンターにビンを回収に行ったら、折り悪く回収業者がごっそり持っていった後でめぼしいものがなかった。

ちょっとだけ拾って帰ろうとしたら、職員のおじさんが肉厚の洋酒ビンばかり選んで取り置きしてくれているという「贈り物」があった。




08・5・6


原油価格の上昇が止まらないので、そろそろ溶解炉の燃料をガスにすることを検討。
今使っているバーナーは灯油以外に重油(安い)とかてんぷら油の廃油もいけるらしいので本当はそれらが使えれば一番いいが、なんだか物凄い臭いがしそうで。

油といえば、左画像はイノシシの脂肪。イノシシ肉の専門店でオマケで貰った。ラードみたいな感じだが,火傷の特効薬であるらしい。幸いなことに試す機会はまだ無い。




08・5・1

火を、着けたまま工房を空けることがあるので監視カメラを置くことにした。

娘の要らなくなった携帯を再利用。自分の携帯から電話をかければ燃焼状態を確認できるので安心。

でも、もし画面上に煙モクモクとか火が消えているところが映っていたらどうするのか。
そのときは泣きながら工房へ走るだけだ。




08・4・28

明日は休み。
怠け者の私は休みという言葉が大好きだが、明日一日で、朝のうち一件発送→散髪→携帯をもう一台契約→東急ハンズに仕事のこまごまを買いに、と休日にしては結構忙しい。
一つ一つがレジャーだと思って全力で取り組むことにする。




08・4・23

右手中指の刺し傷の痛みがやっと気にならなくなる。約一月かかった。そろそろイレギュラー品の販売ページに着手。



08・4・17

京都は寺町今出川、二筋下ル東入ル(これが住所) ギャラリー イシュに一日在廊。
雨の中わざわざ来て下さったお客さんに感謝。

画像はイシュ外観。右隣は大久保利通公旧宅跡。すぐ西に京都御所。向うには「平尾昌晃ミュージックスクール」という看板を掲げた、どう見ても普通の民家。京都には謎が多い。




08・4・16

明日は京都の個展会場に一日いる予定。別にどこに行く予定も無いけれど雨になるそうなので残念。



08・4・13

大ぶりのカップをリサイクルガラスで試作。
家族はもう少し細くて背が高い方が持ちやすいというが、そうすると小鉢代わりには使えず、飲み物だけの用途になってしまう。

迷った末、両方のタイプを作ってみることにする。





08・4・9

作品掲載商法のDMがまた届く。
今回のはまた随分高くて左のとおり。十万払って本に作品の写真載せて貰おうとする奴がいるのかと不思議。

本や雑誌にどの作品を載せるかは、出版人が資料を調べたり、自分の見識で一生懸命選んだりするのが普通だと思うが、お金をもらったから載せるというのが、限りなくインチキ臭い。

これをやっている出版社は自費出版の請負もやっていて、なんとなく、ああ成る程という感じだ。




08・4・5

そろそろ桜が開花しそうなので、工房付近のちょっとした桜の名所は人が増えだした。
この時期から始まる嫌なことは近くの少年自然の家のグラウンドで少年野球やらサッカーやらの試合が催されること。実に口汚く子供に罵声を浴びせかける馬鹿コーチの阿呆声がとてもうるさく不快だ。ああいうアホが仕切るチームに入れることで子供にどれだけ害があるか親は知らないのだろうか。
モンスターペアレントはああいうのを標的にしてエナジーを発散するといい。



08・3・31

ガラスの塊を扱っていると、薄片状のナイフみたいなかけらが豚革のグローブを貫通して右手中指に突き刺さる。
傷口はとても小さく、出血もあまり無かったが結構痛かった。
制作中は吹き竿やヤットコをを扱うとき傷口を握り込んでしまい、その度ビクンと感電したようになる。結果、ミスが続き、予定よりも少ない数しか作れなかった。たぶんどこかの店の納品がまた遅れるが、勘弁して貰おう。あんなに痛かったんだから。
人間だもの。



08・3・27

オリーブフリット小鉢がヒビで全滅。
原因を調査中。たぶん色ガラス(ビン)がいつもと違っていたのではないかと思う。

それにしても残念。



08・3・23

花粉症は小康を保っている。
今年は、マスク、鼻腔に塗るクリーム、ヴェレダ社の花粉製剤、漢方薬の錠剤、ヨーグルト、生姜入りのスープと色々やっているのでどれかがちょっとだけ効いているはず。

で、どれも止められない。



08・3・21

モールの小鉢を大きくしたのをリサイクルガラスで作ってみた。
なかなかいい感じになることは分かったが、思っていたよりずっと作り難かったのでしばらく練習することにした。

風邪で調子が悪い。





08・3・15

非定番のものをこのサイトで販売する予定なので、少しずつ作り貯めておくように心掛けているが、思ったほど数が増えない。
今のところ、ボウルSの小さいサイズと再生びんのクリアで吹いたモール皿(径17cmくらい)など。



08・3・13

ハシ置きばかりを二日間作る。

ショウガに砂糖をまぶし付けたお菓子、何という名前か知らないが、あれに似ている。




08・3・6

モール(放射状の筋模様)について、これはどうやってつけるのかと尋ねられることがよくあるが、いつも、自分でも難解な説明を繰り広げ、努力のわりに理解が進まない。

それで左のような画像を携帯に入れておき、パカッと開いて、まあこんな具合ですかねと涼しい顔で言う計画を立てたが、入れ方が分からず、マニュアルのページを繰るうちにとうとう面倒臭くなってしまったので、代わりにここに貼り付ける。

ここでは意味がない。





08・2・24

何日か暖かな日が続き、その間、夏用の注文が集中して入ったので、やはり気候が人の行動を左右するということかなあとのんびり考えていたら、こんなことになった。

昨日は風邪で寝込んだ。



08・2・15

先日、私が知らない女性誌の編集の人が、メールで、お前の作品をうちの雑誌の夏号に載せてやるから2万数千円払えと言って来た。そこで思い出したが、ちょっと前にも、全国の図書館に収蔵予定の美術工芸全集に作品を載せるから、2万数千円払えという電話が掛かってきた。

この2万数千円というのはこういう御商売の相場だろうか。


08・2・12

去年の11月に頼んでいた道具が完成してやって来た。

これは鉄リンといって、ルツボから巻き取ったガラスをお碗の内側に押し付けてくるくる回転させてきれいに形を整える道具。
おもに昔の職人が使っていた道具で、最近は市販されてないので、東大阪の製作所に頼んで新たに作ってもらった。
鉄の塊から削り出して作るのですごい量感を持っている。



08・2・9

吹き竿の先端をカット。
熱で先端が徐々に開いてくるので定期的に切らないとガラスが、巻き取りにくくなる。

これを繰り返すと竿がだんだん短くなるのでまた新しいのを作らないといけない。



08・2・4

寒さで午前中体が動かないので読書が進む。
昨日はフジモトマサルの「二週間の休暇」というマンガを読んだ。ここ二十年位の間に読んだマンガの中で一番じゃないかという程のとても良い内容だった。
それにしても、ネットの某ページで内容紹介をみた時は、こんなバカなもん読んでられるかという感じだったので、やっぱり自分でみてみるまで分からないものだと思った。



08・1・31

厳しい寒さで、仕事で酷使する肘の痛みが慢性化。
患部を冷やすタイプの薬は塗った直後は気持ち良いが、痛みがいつまでも続くことが多いので、サロメチールの温感タイプを使用。

実は容器が灯台に似ているところが一番気に入っている。




08・1・25

暖冬と高をくくっていたらどっさり降る。
初めてタイヤチェーンというものを巻いてみると全然滑らず便利だが、ちょっとスピードを上げるとトロイカみたいな音がうるさい。

午後には外す。



08・1・22

一安心したと思ったら、ルツボにヒビを発見。予定よりずっと早かった。

今ルツボ交換になると既に狂っている制作予定がもっとひどいことになるので、なんとかもう少しもって欲しいがどうなるか。


08・1・21

妻がとうとうデータ救出に成功。

仕事でエクセルは使っていたが、今まで「拡張子」という言葉を知らなかったような人だ。そんな人物でも,教えてもらいながら、長い道のりを経て、データの救出をやりおおせた。

なんでも最初から諦めたらいけないということだ。



08・1・20

妻が遠方の知己の指導を受けて、別のOSを起動させたりしてデータ救出に奮闘中。HDDが物理的に損傷している可能性は低くなったようだ。少し希望が見えてくる。



08・1・15

「データを失わない十箇条」という本を読んでいる最中に、実にタイミングよく、ノートパソコンのほうのハードディスクがクラッシュする。

左のような珍しい画面を目にすることができ、もちろんデータは失った。



08・1・11
いつもこの時期は午前中やる気が出ず、底の仕上げをさぼって読書する日が多い。
昨日は石井光太の「神の棄てた裸体」を読んで嫌悪と感動、その前は内田樹・平尾剛の「合気道とラグビーを貫くもの」が面白かった。
今日はパソコン関連の「データを失わない十箇条」を読み始めたが理解できないとこは飛ばし読み。

夜は夜でご飯の後ずっとニコニコ動画を見ていたりする。



08・1・7

燃料タンクに水抜き剤投入。
冬場にこれを怠ると結露の水がホースの中で凍り付いて大変な目に遭う。



08・1・5

本当はもっと小さく、分厚くしたかった。



08・1・4

予定通り本日仕事始め。吹き納めと同じ銘々ボウルを制作。色はワインボトルの緑。これもかなり使いにくい。あぶって広げる時に、なぜか道具が調子良く滑らず引っかかる。

最後に小さな皿を試作。



07・12・27

本日が仕事納め。
今年の吹き納めはオリーブグリーンのビン、通称黒ビンの銘々ボウル。扱いにくい材料だが何とかつつがなく吹き終えることが出来た。

今年お世話になった皆さん、有り難うございます。私は今年、使い難く、意地悪だったガラスと少し和解出来たような心持でいます。
来年もよろしくお願い致します。



07・12・25

うちの娘はサンタにPOLYSICSのNOW IS THE TIME ! というCDを貰っていた。
これは2005年に発売されたこのバンドの最高傑作ですよとサンタが言っていた。



07・12・19

思わぬことで時間が空いたので、何か視るかとyahoo動画でアニメ「妄想代理人」を視聴。大変面白かった。
平沢進のサウンドトラックも気に入ったので、平沢サイトで『妄想代理人アウトテイクコレクション』(無料配信)をダウンロードして一日中聴いている。家族は少し嫌かもしれない。



07・12・18

今朝は張り切っていつもより早くバーナーに点火するが、炎が炉の中にきれいに入ってくれない。
中で何かが遮っているような気がしたので火を消して覗いてみると坩堝を支えていたレンガが倒れているのがチラッと見えてしまった。見間違えかと思ったが、何回見ても倒れているので、今日は駄目だなとしょんぼり帰宅。写真も撮り忘れる。

明日くらいに開けて修理できるかも。今日は姫路市まで耐火モルタルを買いに行く。


07・12・7

うちは工房と自宅が離れているので夜は火を消して帰らないといけない。
一旦火を落とすと作業可能温度まで上げるのに結構時間がかかるので制作開始が遅くなり、結果帰宅が夜遅くになる。また、子供の頃から忘れ物が多い私はしょっちゅう自宅に物をとりに帰る。今日も手袋を忘れた。不便だ。

そういうわけで長年懸案となっている工房の移転を少し急ごうと思う。
とり合えずどの県にするかの絞り込みと。資金の調達から。



07・11・28
坩堝を交換する。

奥村坩堝に特注で作ってもらっている坩堝の縁に名前が刻印してあるのに気付いた。



07・11・14
最近作っている小鉢。

KOHOROファーマーズテーブルスロウツキシマに納品。どちらもリサイクルガラス使用。



07・11・11
昨日はプレーンコップを作ったが、朝窯出ししてみたらどれもサイズが小さく、パスの測り違いをしていたことに気付く。
いつも作っているものなのでつい油断してしまいサンプルをよく見ていなかった。怒りと情けなさで全部割ってしまった。
俺は左藤流型吹き術の家元だから、と家族にヨタ話をしていた自分の馬鹿さが恨めしい。


07・11・10
大学時代の友人がこの時期毎年ラ・フランスを送ってくれる。
初めて食べたときすごく美味しいので驚いて、ピノキオが芯まで食ってた梨は変な形だったけどこれだったのかと合点がいった。


箱から出して「自分暮らし」で購入した棚に並べてみた。



07・11・8










今日はフイゴ祭りだったので仕事を早上がりして炉にお神酒を供えて家族とささやかなお祝いをした。











昔は近所の子供衆にみかんを配ったりしていたそうだがうちの近所に小さな子供はいないので代わりに飼い犬に振舞った。
07・11・6

近くの県道沿いに催眠商法の会社が短期出店。高齢者が多く住む地域を狙ってやってくるとのこと。ちょっと前にはインチキマッサージ器の店が来ていた。

町内の市役所支社に高齢者向けに少しは注意を促して欲しいと連絡したが、全くやる気なさそうなダルそうな対応だった。


07・11・5
最近仕事中に親不知がちょっと痛んで気が散るときがあったので、今日歯医者さんで抜いてもらった。今はまだ麻酔が効いているので口の中がすっきりしたようで気分がいい。

もちろん仕事は今日はお休み。



07・11・2
先日K's Tableに納品したらせん縁の鉢。

ものすごく久しぶりに作ったが、やっぱりリサイクルガラスはいいなあと思った。



07・10・15
しばらく入手困難になっていたワインボトルが手に入ったので、皿を制作。

黄色い鳥の器店に納品した残り。




07・9・12
コンプレッサーが長い間壊れていたので、ホームセンターで新しいのを購入。

今度のはノズルの部分がステンレスでかっこいい。

子供の頃、塗装屋で使っているピストルそっくりの吹付け用ノズルがとても欲しかったのを思い出した。



07・8・20
一年ぶりくらいに上京。KOHORO個展の初日に在店してきた。
帰りに日本民藝館に寄って初期の沖縄ガラスのコンポートを拝観。その出来栄えの物凄い見事さに少々へこまされる。

館内の売店でかっこいいうちわを見つけたので妻に買って帰った。



07・8・9
厳しい暑さの中疲れが溜まっているのか、腕に湿疹が出来てなかなか治らない。毎日大量に飲む薄めたポカリスエットをアトピーなどに効くというシソ茶に変えてみることにした。
味の方も重視して水出しにしてみた。




07・7・26
リサイクルセンターでビンを回収するとき、いつも茶色の瓶が大量に積んであるので、貧乏性の私は何とかこれを使えないかと日々思案していた。
茶色は使いにくい色と思っていたが、思い切って素直にチョクを吹いてみると意外に良かったので家でヨーグルト用に使っている。



07・7・21



ツボ換えのため、久しぶりに全休を取る。
篠山市の商店街に行き、デッドストックばかりの金物屋でミラーマン(1971年放送)のハンカチを購入。残念ながら体の色が違う。


07・6・21
モールがゆがんでしまったので新たに制作。

旧型は空き缶を再利用して、針金の間隔とかも目分量だったが、今回は鋼管を使い、きちんと測って作ったので、かなり使い勝手が良くなって嬉しい。


07・6・14
リサイクルセンターにビンの回収に行ったらトタン製の箱が捨ててあったので拾ってきた。

側面に貼ってあった紙には衣装ケースと書いてあった。
古びてはいるがあまり使われていない模様。


07・6・7







右手の軽い腱鞘炎が慢性化しそうな様子なので、ここは生薬を、と、根強い人気の家伝薬「下呂膏」を導入。
一度使ってみるとなかなか良さそうな感じ。






よく見ると縁取りの模様は 下呂下呂下呂下呂下・・・ になっている。
07・5・28







家庭用カセットコンロ用ガスの空き缶をリサイクルして灯油ランプを制作。

明かり用ランプにすると煤が多くて閉口だが、溶解炉のバーナー種火としては結構有能。






使用しているところ
07・5・15
仕事中、炎のまぶしさで目が疲れるのでサングラスを使いたかったが、手元が暗くなるので、UVカットレンズの近視用眼鏡で我慢していた。

ところがちょっと前に黄色いレンズの工業用ゴーグルをネットで購入してみて、使い勝手の良さに驚いた。手元がとてもはっきり見える。以来愛用している。

トンネルの黄色い照明も、視界をはっきりさせ距離感をつかみ易くする工夫とのこと。


07・5・9
融けたガラスはもちろん素手では触れないので,色んな道具を使って望みの形にする。
それはもちろん面白いけれど、反動で素手でじかに何か触りたくなる時がある。
そういう時はうちの飼い犬の出番になる。非常に迷惑そうな表情をするところも良い。


07・4・23
右手親指が腱鞘炎になり動かせなくなる。

とりあえず湿布薬を貼って今日一日休む。
明日からの作業予定のことが心配。


07・4・19
先日の、坩堝ずり落ち事故の原因。

上から二番目のレンガに坩堝の底がのっていたが、高温でレンガにひびが入り、そこが坩堝の重みで裂けたようだ。前に落ちているのが片割れ。断面は高温で黒パンみたいな色になっている。

こんなになるまで使うのがそもそもダメだ。


だが、これを草の上に置いて眺めてみるとなかなか良い感じになってしまった。


07・4・15
妻がネットで購入した古道具のブリキ箱が、工房の道具入れになっている。

古い物があると周りの雰囲気が変わってくる。
生まれた町でずっと目にしてきたおじいさんの鍛冶屋のかっこいい作業場にちょっとだけ近づいたかも知れない。

ここで買った↓
 http://www17.plala.or.jp/jibungurashi/

07・3・28
前回のツボ換えのとき炉の中に入れておいて一月あまり焼いた「猫」。

娘が耐火モルタルをこねて作った。
かなり堅く焼き締まっている。



07・3・24
制作中、坩堝の中でガラスの水位が急に下がった気がしたと思ったら、実は底を固定した部分が外れてズリ落ち、辛うじて口の部分だけでブラ下がったような状態になってしまっていた。
急いで中のガラスを掻き出したが、もしもそのままひっくり返っていたら大変なことになっていた。火を止めるまでは生きた心地がしなかった。

というわけで予定よりも5日早く坩堝交換になった。



07・3・18
底の仕上げで工具を使うときの保護眼鏡のツルが折れたので、ゴム紐をつけて使用していた。
しばらくこれで我慢していたが、格好悪いだけでなくものすごく不便なのでとうとう安いのを買った。

制作のときに掛けている眼鏡を共用できれば一番いいが、それはできない。
なぜなら老眼鏡だから。




07・2・28
ピッチャーの小さいタイプ。ずいぶん前に受けた注文。
多分今作っているものの中で一番小さい。

ファーマーズテーブル階下のカフェで使用してくれているとのこと。




07・2・14
株式会社 奥村坩堝製造所より新しい坩堝が届く。

尊敬する作家がここのを使っているので私もまねをしてずっとここに頼んでいる。
こうして坩堝が届くたびに、ガラスの仕事を何とか続けていられる幸福にちょっと浸る。


07・2・9
夜、仕事を終えて帰宅途中、発泡酒を買いにコンビニに寄ったら、いつものレジのおじさんに、「何で今日はこんなに早いん」と驚かれた。

もうすぐ坩堝の交換時期で、二三日火を止めるので、子供と神戸に買い物にでも行きたい。


07・2・5
台広げ(ワイングラスの足の丸い部分を作る道具)の蝶番が壊れたので取り替える。
真ちゅう製の薄いのからステンレスの頑丈なやつに交換。ちょっと重くなった。


07・1・27

ごくたまにプレゼント用に制作しているペーパーウェイト。扉頁に載せたところ問い合わせがいくつかあったのでリストに入れるかどうか考え中。
作り方を忘れてないかためしにやってみたらやっぱり忘れていた。何度か練習で作ったのがこれ。

この形は仏教美術で描かれている如意宝珠という神通力のある玉。作るのにけっこう骨が折れる。
扉頁ではセピアに写っているが実際は再生ビンのクリア。


07・1・21

冬場つらい水仕事、ビンのラベルはがし。手袋をしていても指先がかじかむ。
画像ではちょっと分かりにくいが、ほとんどがお酒のビン。ビンの軽量化が進む昨今、お酒のビンだけは相変わらず分厚くて嵩があるので集めるときの効率が良い。
やっぱり厚いほうが中身がおいしそうに見えるからか。





07・1・15

ガラスに息を吹き込むとき、ステンレスパイプの吹き口で唇を擦ることになるので、冬場は特に唇が荒れたり切れたりする。
普段はメンソレータムのリップクリームを使っているが、薬屋でこういうのをみつけてジャケ買い。
医薬品。






07・1・9

色々事情があって、実は今日やっと仕事始め。お神酒を炉に。







07・1・7

特注のグラス。普段まず使わないコバルトブルーのビンを使用。ヴェレダの化粧品のビンを再生。


06・12・16

バーナー焚き口からバックドラフトが起きるようになった。多分穴の径が大きすぎるせいだろうと考えて、アングル型の炉材を積み木みたいに組んで少し塞いでみたら収まった。

このままだとあまりに不細工なので穴径の小さいタイルをそのうち自作しようと思う。




6・12・10
          工房で使うカレンダーを購入。去年売り切れで買えなかった新潮社の谷内六郎カレンダーを、今年は9月に予約した。

こちらはファーマーズテーブルの2007カレンダー。
7,8月のページにうちのガラスの写真を使ってくれていた。





06・11・16




 ロートグラスの摺りガラス加工中。
べとべとに塗ってるのはエッチングクリーム。
昔はエッチングには硫酸とかの劇物を使っていたが、今はこんな便利で安全なものがある。
寿司飯あるいはヤクルトそっくりの匂いがする。東急ハンズ等で購入可。印鑑と身分証明が必要。




06・10・27

 ニッケコルトンプラザ(千葉県市川市)の「工房からの風」に出展して無事帰ってきた。
 想像していたこじんまりとした開催とは全然違い、首都圏では最大のクラフトイベント(お客さんがそう言っていた)ということで、接客に不慣れな私は二日間みっちりと修行させてもらった。
 何より驚いたのは若くて優れた作家がこんな集まったということで、私はただポカンと見ていただけだが非常に勉強になった。
 
 

 東京滞在中に月島で見付けた感じの良い廃屋。どこへ行ってもこういうのを見付けてしまう。                      




06・9・28

 坩堝の交換時期が来たので、送られてきた新品を入れようとして驚いた。前のと同じ15斤なのにこんなにサイズが違う。
斤(きん)という重さの単位は統一の規格があるわけではないので容量もあまり厳密でないということか。
 とにかく大きすぎて炉に入らないので交換してもらうことにする。





06・9・11

 夜遅くの作業中、炉の温度が急に下がって行くなあと温度計をぼんやり眺めていて、突然、給油し忘れていたことに気付いた。今、炉の温度が下がると大変なことになるので,夜中だけど灯油を買いに行くことにした。といっても近隣のスタンドは全部閉まっているので、隣の福知山市の終夜営業のとこに行くことにした。途中の真っ暗な峠道がとても怖かった。今エンジンが切れて車が止まったらさぞ怖ろしかろうとか、ここはさっきも通ったはずだか狐に化かされてはいまいか、などつまらぬ妄想が浮かぶ。そうこうするうちに野生の鹿が現れたので撮影しておいた。





06・8・31

 今年の夏は炉の熱に当たって気分が悪くなることがほとんどなかった。背後から扇風機で強い風を送ったのが良かったと思う。それと窯を鉄板で囲ったのが効いたようだ。あまり期待もせずいい加減にやってみたが、以外にも効果があり嬉しい。

    家族にはしょぼいロボットみたいと不評。



06・8・17

 15日からKOHOROで個展。今回は新作を数点出してみた。私は仕事をちゃんとこなせていないのでずっと工房に居なければならず一日も在廊出来ない。


06・6・25

 夜遅く帰る日が続く。家族が寝ているのでテレビはやめて、ネットのニュースとかを見る。
 愛読している稲垣足穂は「物事の終わり」が大好きだったそうだが、私もそのクチで、グーグルニュースの訃報とかをついつい熱心に見て、リンクとかもバンバン開いてしまう。今日は水戸黄門のレギュラー悪代官役の人とジョンベネのお母さんの訃報が載っていた。



06・6・11

 新しい色を調合しようと試行錯誤を重ねて一年以上経つが、まだ成功しない。もう色名も決まっているのだが。(ステインと名付けている。勝手に古色という意味にしている)


06・5・19

 昨日はとても蒸し暑くて今年初めて炉の熱にあたり、疲れが残っている。
 制作前にちょっと一休みしようかと、図書館で借りた、西村賢太著「どうで死ぬ身の一踊り」を取り出し、つい読み耽ってしまう。新聞の書評欄に、女性の読者は引いてしまうかもしれないが、男は結構はまる奴がいるかもと書かれていたとおり、主人公の男の腐れぶりに私はすっかりはまった。

06・5・7

 ホームページビルダーをバージョンアップしてみた。よくわからないが、ちょっと使いやすくなったかなという程度で正直良く分からない。
 暖かくなったせいか、慢性化していた肘の痛みがほとんど無くなって仕事中楽になった。花粉も無くなった。

 
06・3・8

 ルツボの入れ替えで火を点けていないのでちょっとゆっくりする。今年は花粉の飛散量が少ないせいかまだ症状が出ていない。快適な春の一日。


 ニッケコルトンプラザ(千葉県市川市)での野外展示に参加することになった。10月開催。 
                   http://www.nikke-cp.gr.jp/cia/


06・2・22

 京都知恩寺手作り市に出店の際、車で来て境内に駐車する場合、前日の午後に手続きが必要になるとのこと。私のように遠方からの参加が難しくなるようだ。

 最近は、市の本来の趣旨に近い、自信作を世に問う、といったクラフト系の人たちが増え、喜ばしいことだと思う反面、ちょっと俺は場違いかなと感じてもいたので、これを機会にそろそろ卒業しようかなと検討中。もう一回くらい出してからにしようかなとか迷いつつ。


06・2・8

 このところ毎日のように仕事の始めに蓋付き容器の試作をしている。なんでも試作中が一番楽しくて夢中になる。昨日からは皿の試作もはじめた。

 京都知恩寺の手作り市は今月もお休み。


06・1・29

 昨夜コタツで寝てしまい、目が覚めたら朝の7時だった。日曜でもあることだし、ええいままよと休日にする。

 以前ホウロウ看板の画像サイトを見つけて喜んだが、今日別のすごいのを見つけた。興味のある方は
http://home.att.ne.jp/red/sronin/_dejikame/kinyu.htm右下の、「亀MENUでほかの画像に行ける。また、「HOME」に行くと江戸怪談の現代語訳があり、リンクがまたいい。


06・1・25

 昨日は外に置いてある灯油タンクのホースが凍り付いてしまい仕事ができなかった。いくら極寒でも灯油が凍るはずはないので、多分結露とかで混入した水が凍っているに違いないと思い、今日ホームセンターで車用の水抜き剤を買ってきてタンクに流し込む。

 私は寒いのと曇り空が嫌いなので冬の間はこの地方の気候にどうしても馴染めない。
 もう少し冬暖かい場所に移転することを考えている。

 
06・1・21

 ひたすらコップを作る。 

 昨日コットン入れの蓋と本体の試作に成功。蓋を閉じたり開けたりしてにんまりする。

 そんなことよりも試作してそのままになっている「ボウル小(仮称)」はどうした、もう注文も貰ってるのに、と心の声が叫ぶ。



06・1・18

 妻が作れ作れというので蓋付きのコットン入れ(シュガーボックスみたいなやつ)の蓋の部分を試作。失敗に次ぐ失敗。で本気になる。需要があるのかどうか分からないが、そんなことはもう知らない。

 絲山秋子が芥川賞を取っていた。図書館にあるのを全部読んだので詰まらんなと思っていたが、もうすぐ単行本が出るだろう。



06・1・16

 昨日は娘とふたりで神戸ランプミュージアムに行ってきた。私は博物館とか資料館が大好きだ。江戸時代の行灯とか明治時代のランプとかを楽しく見せてもらった。
 途中で、「頭に浮かんだことを必ず一々口に出すおばさん」の集団が喧騒とともに現れたがすぐに帰ってくれた。

 帰りに売店で復刻マッチを買う。娘はいい匂いのする小さな花の形のロウを買っていた。


  



06・1・10

 ここ数ヶ月結構無理して出店していた京都知恩寺の手作り市だが、今月はお休みにする。
 寒風のなか一日外にいるのは先月でかなり懲りた。満を持して持参した石油ストーブも大して役には立たなかった。夜中の2時くらいに車で峠を越えてローソンでトイレ休憩したりするのも夏は結構面白いけどこの時期はちょっと。



06・1・6

 苦手な正月が終わってほっとする。
 何事においても団体行動が出来ない私は、日本中が一斉に正月の態勢に入るというのがとても居心地悪い。一応人並みに年末年始はゴロゴロするが、心からは楽しめない。
 学生のころは大晦日から明けて三日までわざと宿直のバイトを入れたりしたが、普段よりテキパキと仕事をして、見廻りとかにもガンガン行って実にすがすがしい気持ちだった。

 何年か前、ガラス工房を立ち上げる前は朝新聞配達のバイトをしていて、元日は新聞の厚さが物凄くて配達が大変なのでいつもより早めの午前3時くらいに配り始める。たいてい雪が降っていて風が強くて、それはもう大変な作業だったが、にもかかわらず実にいい気分だった。
 一度強風で飛ばされたスーパーの袋が暗闇の中、顔のすぐ前を横切り、一反木綿かと思って腰を抜かしそうになったこともあったがそれでも終わった後はとてもいい気持ちだった。

 今年はホームセンターのペットコーナーの施設(一回500円)を利用して半年振りに犬を風呂に入れたので20%くらいすがすがしかった。



05・12・27

 朝から雪が降っている。
 ビンを洗わないといけないのだがとても水に触る気にはなれず、炉の前に椅子を持っていって図書館で借りた絲山秋子の小説を読んでいたら、カレーに胃薬を入れる話が出てきた。そういえば私は愛用の太田胃酸の匂いを嗅いだ瞬間、ああ今晩はカレーが食いたいなあと思うときがあるのでカレーに胃薬を入れる奴もいるかもしれない。ただ小説なので真偽は不明。
 正露丸の匂いも大好きで、ガラスの型吹きのとき、型の内側に貼り付ける新聞紙が焦げると正露丸そっくりの匂いがするときがあって嬉しくなる。正露丸(糖衣錠ではなく昔ながらのむきだしのやつ)を肴にビールを飲む人もいるらしいが私はそれはしない。




05・12・24

 今日はいつもと同じものを制作したのに調子が悪く思うように行かなかった。
 別に疲れているわけでも体調が悪いわけでもないけれど時々こういう日がある。
 それで焦ってしまってどんどんん調子が悪くなるような時、「浪曲子守唄」を歌うと調子を取り戻すときがある。理由は良く分からない。
 私はこんな歌歌いたくはないし、そもそもいつ覚えたのかも分からないが、今日も大声で歌うことになった。



05・12・17
 久しぶりにコップの新作をUP。うちでは今そればっかり使っている。大体焼酎のお湯割りか麦酒に使用。




05・12・11

 先週の土曜日に同じ丹波市内の陶芸家芥川さん御夫妻の工房で、展示と古楽器の演奏会があって私も展示に参加させてもらう。

   
 リュートを持つうちの子。すごくいい音がする。平山照秋氏制作



 先月に引き続き、京都百万遍知恩寺の手作り市に出店予定。今回は古代色のものをいつもより多めに持って行こうと思う。



05・11・29
 納期(=注文品を納める期日)というのは普通余裕を持って、しかも分散させて設定するのが当たり前だが、私は自分にその当たり前の能力がないことに薄々気が付いている。
 実は今まさにそのせいでえらいことになっていて、ここ四、五日くらい、夜中の三時頃まで仕事をしてから家に帰って食事、風呂を済ませ、三時間くらい寝てまた工房に行くパターンになっている。どういうわけか複数の納期が同じ時期に集中しているせいだ。

 本当だったら午前中は体を慣らす程度にぼちぼち仕事をして、空いた時間は読書とかに充てて楽しくやっている筈だった。
 自分のミスだから仕方ないのに、夜明けに軽トラで自宅に帰りながら段々と腹が立ってきて、ローソンに寄って、いつもの発泡酒ではなく、わざと一番高い「エビス」を買ってやった。
 


 
05・11・15
 予定通り、京都知恩寺の手作り市に出店。
 14日の夜8時まで仕事をして夜中の2時出発で夜の8時に帰って来て疲労困憊。
 知恩寺は平日にもかかわらず大賑わいで、私の店も好成績を上げることが出来た。今日はひとつ旨いものでも喰うかと帰りにスーパーに立ち寄るが、「旨いもの」で思いついたのは湯豆腐だけだった。



 18時間、一人工房で留守番させられたユキちゃんは私の帰還に大喜び。




05・11・13
 天気予報では晴れそうなので15日の京都知恩寺の手作り市に行く予定。
 最近は出店者が急増して抽選になったので、出展許可のハガキ(月初めに往復ハガキを送っておく)を忘れないようにしないといけない。7月か8月にはハガキを持たない人たちが消沈して帰る姿が見られたということだ(知人談)。
 ・・・・・はずなのだが、9月に出店したとき私のすぐ近くにテントを張って出店していたおばさん(推定46歳)が、ハガキを確認しに来た主催者に、カバンを忘れてきたのでハガキも見せられない、と堂々と主張して、そのまま通ってしまったのを目撃。
 おばさんは本当に出店許可ハガキがあるのかもしれないし、そうでないかもしれないが、私は、そんなことよりも、ハガキ無しで出店作業を済ませ平然としているおばさんの威風堂々たる態度をすごいと思った。

 





05・11・3
 ヴェレダより依頼されていた廃ビン使用のキャンドルホルダーの試作品が完成。火影を放射状にするためモールを入れてはとのことだったが、試しに火を入れてみると、確かにきれい。






05・10・26
 この前本を読んでいたら、ご飯の上に刻んだ葱をのせて醤油をかけただけのものをうまそうに食べる話が載っていて食べたくなったので早速真似する。
 ちょっと苦かったがおいしかった。
 たぶん風邪やインフルエンザの予防になると思う。

 


 
05・10・18
 
予定よりずいぶん早く坩堝にヒビがはいり、交換となる。
 交換の際に隙間を埋める耐火粘土は少量なので今までバケツの中で棒でかき回して練っていたが、結構力が要り筋肉痛になるので、今回から左官屋さんが使う「トロ舟」と「手鍬」を導入。

 灯油の価格が上がる。







05・10・15
 
気候の変化のせいかちょっと体がだるく風邪のひき初めのような感じになったので制作以外の業務はちょっと休む。ガラスが融けるまで本でも読むかと図書館で借りた長島有の「泣かない女はいない」というのを読んだらとてもおもしろかったのでほかのも借りようと車で図書館へ。予約していた村上龍の「半島を出よ」もついでに借りて帰る。

 体はあまり休まらなかったがその後なぜかガラスはうまく吹けた。

 これから寝るまで布団でちょっと続きを読むことにする。



05・10・12
 
先日オリーブグリーンのチョクを吹こうとして洋酒やワインのボトルを溶かしたところ、種類の異なるビンが紛れ込んでいたようで右のようなエメラルドグリーンに変色してしまった。左が本来の色。
 ガラスの発色はなかなかデリケートで何かの拍子に色合いが変わることがあるが、これは初めてのパターン。
 なかなかきれいなグリーンだが再現できないので、勿体無いが全部捨ててやり直す。夜中まで仕事をするはめになってしまった。





05・10・4
 
朝こんなものが工房入口に貼ってあった。こんな時間にバーナの火が止まったらえらいことになるので明日はガラスを吹くのはお休み。
 降って湧いたような休日。




05・9・24
 
ルツボの交換時期が来たので堂々と仕事を休む。
 今月は15日の「手作り市」を口実に工房を出るが、睡眠不足で出掛けた為かえって疲労してひどい目にあったので週末はゆっくり休むことにする。



        ↑先月に交換したときに手伝ってくれたうちの子。



05・9・23
今年は中秋の名月が天気が良くてよく見えた。



  ↑こんな本を読んだ。松岡正剛の月に関するエッセイ集。
因みに私の名前には姓と名にそれぞれ一字ずつ「月」の字がある。


05・9・3
 昔懐かしいホーロー看板の写真満載の労作「壁からのメッセージ」というサイトを偶々発見。
寝る前にぼんやり眺めてはしばし時間を忘れる。


05・9・2
 9月に入って涼しくなるかと思ったら昨日今日と炉の前で暑気あたりになる暑さだった。
 汗で塩分が失われるせいかとにかく塩辛いものが食べたくてしょうがない。
 宮本常一の「塩の道」(講談社学術文庫)という本によると昔は山中では塩が手に入りにくく、塩分の欠乏で眼病や皮膚病にかかる人が多かったらしい。たまに塩魚なんかが手にはいると決して煮ない。煮ると塩分が抜けてしまうので必ず焼き魚にする。焼いて一日目は表面の塩を舐める、2日目は頭を食べて次の日胴体、最後に尻尾という具合に4日かけて食べる、という話しを思い出して子供の頃よく売っていた、塩で表面が白くなった塩ジャケが食べたくなった。


05・8・4
 朝、工房で新聞を見ていたら、スペースシャトルに日本人が乗ってどうこうという記事がでかでかと載っていて苦々しい思いがする。莫大な税金を使って益体もない実験とかやって、それで、「何百キロの機材を軽々と操作する○○さん」とか書いてある。無重力だから重さは何百キロじゃなくてゼロなのに。人間がそんな重いもん操作できるか。
 まずは途上国で人がいっぱい死んでいる伝染病の一つでも根絶してから宇宙道楽をやれと言いたい。
 あとラーメンは地面の上に戻ってから喰え(好きなだけ)と言いたい。


05・8・3
 旋盤で「型」を削ってもらう。道具を新調するというのはやはり嬉しい。
 削りたてなのでぴかぴかでずっしりと重くてとても美しい。
 
 右は3年くらい使ったもの。何度か使用すると内側にカーボンが着き使いやすくなる。それまでは結構ツルツルする感じであまり使い勝手は良くない。

 広口コップなどに使う予定。今までのより径が何ミリか大きいので出来るものも当然少し大きくなる。




05・7・25
 落雷で壊れた炉の温度計の修理が完了。結局いろんなところが滅茶苦茶に壊れていたらしく内部をごっそり入れ換えて修理費\22000
 同じく落雷で壊れ、東急ハンズに修理に出していたリュ-ター(研磨機)も帰ってきた。こちらは\7000


05・7・20
 プレーンコップをリニューアルしようと新しい鉄型を試作して見た。
 今回は鋼材屋さんで買った鋼管を使い、張り切って試し吹きしてみたが、肉が薄い分、型が急激に熱くなるのと、テーパーの無いただの筒型だと吹き終わった後ガラスを抜きにくくなるという欠点が発覚 結局いつものように旋盤で作って貰うことにする。
 鋼管に使ったお金(4000円くらい)は諦めるとして、問題は5・5メートル単位でしか売っていない鋼管の、あと5メートル37センチが残っている事だ。他の用途が全く思い浮かばない。

  


05・7・7
 ガラスを吹きながらサイズを測る「キャリーパス」のサイズ自体を間違っていて、作ったもの(らせん縁浅鉢)の大半が規定よりも小さい事が窯出し後にわかった。情けない。明日もう一回やり直し。

 うちの犬が雷のショックの後遺症で大雨が降るだけでおびえて震えるようになってしまった。


05・6・29
 近くに落雷。溶解炉の温度計が壊れ非常に困った事になる。
 そのほか、落雷の衝撃でガラスが数個壊れ、しばらく耳が聞こえなくなる。
 

05・6・27
 皮膚に塩の粒が浮いてくるほど毎日大汗をかいていたら首や腕の内側があせもになってしまった。それで風呂から上がるときに洗面器の水に「六一〇ハップ」を溶かして浴びる事にした。
効き目のほうはまだ分からないが、「別府温泉の匂い」がしてなかなか頼もしい。


05・6・21
 昨日、一昨日と大変暑かったので、今年に入って初めての本格的な暑気あたりで仕事のあとは頭痛がして食欲が無い。
 うちに帰ったら炭酸系の飲料(できれば発泡酒 駄目ならコーラあたり)を大量に飲んでから蕎麦でもすすりその後風呂に入って寝てしまいたいが、それだと体を壊すので、ちゃんとゴーヤーチャンプルーを食わしてもらう。風呂から上がったらすっかり気分が良くなっている。

 アクセスログを見ていたら、手作り市(京都百万遍)の出店方法で検索してやってくる人が結構いる。
 出店希望者は、075-771-1631(ウスイさん)まで連絡しましょう。なお、お寺(知恩寺)に問い合わせの電話をかけるのは迷惑なのでやめましょう。


05・6・15
 今日は京都の「手作り市」の日だが私は終日梱包と発送を行なう。なぜなら抽選に洩れたから。

 小学三年生のときの遠足、うちの小学校はたいてい近くの「岩扇山」という山頂が平らになった特異な地形の山に登るのだが、同じ学年のT君は当日風邪か何かで行けなくなり、自宅(登山道の途中にある)の庭に寝巻き姿でしゃがんで私たちが列を作って遠足に出かけるのをうらやましそうな笑顔で見送っていた。私はそのことが、30年経った今もなぜか忘れられないのだが、今日ふと、T君は今の自分みたいな気分だったかもなどと考えた。
 T君はその後心の病にかかったと友人から聞かされたが、実家が引っ越して生地との縁が切れた今、彼がどうしているかは知らない。


05・6・9
 夜中に「梅干し」が食べたくなって目が覚めた。
 たくさん汗をかいた日は塩分が不足するせいか時々こういうことがある。


05・6・8
 先月は行けなかった京都百万遍知恩寺の「手作り市」だが、今月6月もちょっと忙しいし、雨も降りそうだしどうしようかと散々悩んだ。
 結局そういう困難な中出て行くのが男だろうと出店申し込みのハガキを今月3日に出したが、今日「抽選洩れ」のハンコが押されたハガキが帰って来た。


 灯油の値段がちょっとだけ下がった。


05・5.31
 図書館でデヴィッド・マドセン著(大久保譲・訳)「グノーシスの薔薇」という本を借りたが、これが滅茶苦茶面白い。ルネサンス期のローマが舞台で、メディチ家出身の男色家破戒教皇に仕える小人の侍従の回想録という形で書かれたものだがこの侍従は実は異端のグノーシスを信奉している。私の大好きなバッドテイストな場面も沢山出てくるが、一方で非常に清らかな感じもする不思議な内容だ。

 私自身は全然信仰は無いが、宗教者が出て来る小説がなぜか大好きで、ウンベルトエーコの「薔薇の名前」なんかは映画も見た。多分一般人と隔絶した生活とかに興味があるのだと思う。

 昔、京都で天竜寺の近くに住んでいた事があるが、冷たいみぞれがびしゃびしゃと降る中、墨染めの衣で托鉢に歩く修行僧を見て、この寒い中足袋も履かずにご苦労な事だとチラッと顔を覗いたら、暗い笠の内でアングロサクソンの青い目がぎらっと光ってギョッとした事がある。


05・5.22
 工房脇の桑の実が熟れはじめたので気が向いたとき喰っている。

 


05・5.17
 工房で使っている乳鉢が変な割れ方をした。
  

底の分厚い部分を削いだように割れ、小さな穴があいている。これでは乳鉢としての使用はもう無理なので、何かに再利用できないかと考えている。


05・5.11
 またまた灯油の値段が上がる。とうとう100リットルで5900円になってしまった。
熱源をガスに変えてやろうかとも思うが、それでもガス(田舎なのでプロパン)よりは灯油のほうが安いのが悔しい。
05・5.3
 今朝工房で新聞を読んでいたら、不規則な勤務時間で前立腺がんなどの発症率が三倍以上になると書いてあった。三交代勤務などに就いている人はかなりの数おられるはずで、恐ろしい事だ。
私の仕事のペースは幸いとても規則正しく、朝早く工房に入り、日付が変わる頃に帰ってくる生活が続いている。おかげで倒れそうだ。
05・4.29
 私はおばあちゃん子だったのでばあさんは好きだ。ばあさんといえば、よく「おばさん」の運転マナーの悪さが話題に上る。確かに頓狂な運転をするおばさんはいるが、本当に危険で迷惑な運転をするのは比率的におっさんのほうが絶対に多い。
 今日はあるイベントに出展したが、朝会場へ向かう途中で、路肩に違法駐車していたおっさんの車がウインカーも出さずにいきなり発進し危うく追突しかけて肝を冷やした。またイベント会場では知らないじいさんに、到底実現不可能な上に実につまらぬ「ガラスのアイデア」なるものを聞かされた挙句に横柄な口をきかれ怒りのツボを刺激されたのでそんな事を考えた。やっぱり男社会なのでおっさんとじいさんには甘いのか。
 ちなみに岩波国語辞典の「くそ」の項の用例にも「くそばばあ」が採用され「くそじじい」は載っていない。
05・4.23
 いつも工房に連れてきているうちの犬が、大声で吠えるのでカラスでも追いかけるのかと思って鎖を外してやると、近くの藪の中に駆け込み、すぐに「キューッ」という断末魔の悲鳴が聞こえた。覗いてみると野ネズミか野ウサギみたいな動物が死んでいた。うちの犬が噛み殺したのは明白だが、人間だって殺人をしたくてしょうがない奴がたくさんいるのに犬に殺生戒を説いてもしょうがない。今回は不問に付すことにしてこの後どうするつもりか見ていたら、死骸の近くをしばらくウロウロして、私のほうを見てクーンと鳴いた。どうしたらいいのか分からなくて困っているようだった。
 翌朝来て見たら死骸がなくなっていた。多分イノシシの仕業と思う。
05・4.20
 ルツボを入れ換えたので今日は焼き締めをする。高温でルツボをしばらく焼いてそれで今日の仕事はおしまい。夕方まではたっぷり掛かるので、その間道具を作ることにする。これが巧く行くと皿の縁の仕上げに威力を発揮してくれるはず。

05・4.17
 日曜日、ものすごく久しぶりに子供と一緒にサザエさんを見ていたら、ワカメが全然違う声になっていて驚く。

05・4.16
 京都知恩寺手作り市に出店。
 とても良い天気で桜の時期という事もあり、お客さんも出店者もすごく多かった。
 私は前日と前前日仕事の段取りに失敗して夜中まで働いて、2日間で4時間位しか寝ていなかったので、温かい天気の中当然眠くなり、午前の早い時間にはお客さんに起こされてペコペコしながらガラスを新聞紙で包むことが再三だった。
 午後になると、私が本日の「主力商品」にしようとしていっぱい持ってきた小鉢(しかも新作)が売れ出してとうとう完売してしまったので大変いい気分になる。いつもはこれをやると大抵失敗する。
 帰りに、犬には高いドッグフード、自分には発泡酒を買う。子供と妻のお土産は、フェルトの女性作家のお店で買った髪留めと隣の出店者の女性に頂いたきのこセット。
 
05・4.12
 久しぶりにワイングラスを吹く。ガラスを始めたばっかりのときは、ワイングラスというと最高に難しい、吹きガラスの技術の最高峰、とか思っていたが、実際は、確かに神経は使うけれど、他のものに較べて特に難しいわけでもない。むしろ型吹きのコップとかが難しい。だからガラスをやっている人と話していてワイングラスは技術が要る、みたいなことを言い出すと、心の中で、こいつ大した腕じゃないなとかついつい思ってしまい、下手をすると顔に出てしまう事がある。
05・4.6
 灯油がまた値上げ。ちょっと前まで100リットルで4900円くらいだったのが5700円になってしまった。サル顔の大統領が要らん戦争をしたせいじゃないかとにらんでいる。
05・4.5
 灯油タンクからバーナーに伸びているゴムホースの接合部から灯油がジワーッと漏れ出してからもう随分になる。気にはなっていたもののヒマがないので放っておいたが、このたびやっと修理(シールテープを巻き直しただけ)出来た。実にすっきりした。自作の炉は自分の分身みたいに感じるときがあるが、自分が年をとって尿モレとかになったらこうは簡単にいかんだろうなと思った。
05・3.14
 明日は百万遍の市に行こうと思っているが、天気予報では京都は昼から雨。でもこのところずっと工房に籠りきりで外に行きたくてしょうがないので無理やり行くことにする。
 テントと傘を用意して、向こうで読む舞城王太郎の本とお茶とおやつを忘れずに。それで今からガラスを洗うところ。
05・3.8
 ビンを回収させてもらおうと酒屋さんの裏に行くと全部砕かれてドラム缶の中に突っ込んであるのを見てがく然となる。最近になってこういう方法で回収業者に持っていってもらうことになったという。前に行ったときには勝手にいくらでも持って帰っていいからいつでも来いみたいなことを云っていた筈だが・・・。
 気の毒そうにするバイト(多分)のお姉ちゃんには別にいいですよおとか笑顔で云ったが、ガラス職人に古来から伝わる呪いの儀式をこっそり行なって帰った。
 明日は貴重な制作時間をつぶしてビンを探しに軽トラで出撃する事にする。荷台がいっぱいになるまでは帰ってこない。

05・2.28
 結膜炎だと思っていたらその後どんどん痛みが増して、目を開けておくのもしんどいくらいになってこれは只事じゃないと思っていると、ふと、前の日に一日中溶接をしていた事を思い出した。そういえば友人が同じように溶接で目が真っ赤に充血していた事があった。本で調べてみるとちゃんと載っていて、病名は「電気性眼炎」。溶接作業による紫外線が原因の眼炎で、スキー場でかかる「雪目」と同じとのこと。理由が分かって少しほっとするが、とにかく痛くて外にも出れないしテレビもパソコンも駄目。もちろん仕事は無理(火を見るので)。ところが本を読むのは平気なので、神様がくれた休日と思って図書館に行き、春日武彦「幸福論」、車谷長吉「飆風(ひょうふう)を借りる。二冊ともすごく面白かった。目のほうは一週間くらい痛みがあり、今は快癒。

05・2.15
 京都知恩寺の手作り市に出店。心配だった天気も何とかもち、売上も上々だった。良かった事が他にもあって、一つは普段はほとんど女性客のお買い上げばかりだった(下手すると全員)のが今日は男性が多く買って下さったこと。俺のガラスもとうとうトランスジェンダーかと深い感慨に浸る。
 それと、前日に大急ぎで制作した貧しげな陳列台(コンパネと溶接した細い鉄筋を使用)を何人かの人に褒められた事。下手な溶接跡と、補強の筋交いをいれるのを怠ったためユラユラする骨組みを恥じてコソコソ組み立てた朝とは別人のごとく、撤収時には堂々たる態度で分解した。さらにH氏に雑誌を頂き、K氏に娘の好物の干しイモを頂いた。
 悪かった事は帰りの車中でなぜか結膜炎になっていたこと。

05・2.7
 久しぶりに古代色に入れ替える。今日からしばらくの間モールの小皿をひたすら作ることになる。
そろそろルツボにひびがはいりそうなので、明日あたり奥村坩堝(大阪)に2本注文することにする。


05・2.3
 朝起きると雪が積もっていた。
 喜ぶ犬に急かされつつ工房に行ってバーナーに点火しようとしたら火がつかない。灯油が出ていないようなので外のタンクを調べたら、タンクの上にいっぱい雪が積もっている。どうもその雪が融けて水になったのが、空気抜きの穴からタンクやホース内に進入し、今朝のこの寒さで凍りついたのでは(仮説)と思い、ドライヤーでホースを温めつつ、連結部を取り外して調べたりしている内に、やはりどこか凍っていたようでちょろちょろ灯油が出だした。一安心してバーナーに火をつけると調子よく燃え出したが、なぜか油量調節バルブの指示針の位置がまるで変わってしまった。

 昨日作った型吹きの小鉢は注文で色を酒青に変えたが、思ったよりいい仕上がりなので嬉しい。
 
05・1.27
  考えた末、今日耳鼻科にレーザー治療を受けに行ってきた。受付で保険証を出して待合室で楳図かずお恐怖漫画集を読んでいると程なくして診察室に呼ばれ、まず麻酔薬に浸した脱脂綿を両方の鼻の奥のほうまで突っ込まれる。私は鼻の奥とか耳の奥をいじられる事に人並み以上に強い恐怖を感じる性質なので、すごく痛いというわけではなかったがちょっと怖気づく。そのまま二、三十分待つように言われ、楳図かずおに戻る。
 再び呼ばれ、すぐにレーザーの照射が始まる。以前に見た雑誌の記事では痛みはほとんどないということだったが、全くの無痛ということはなく、わさびを食べてツーンとした感じを一極に集中させたような、ピリピリする感じで涙が出た。肉の焦げるいやーな匂いも気味が悪い。両方で数分で終わったが緊張で首がこわばり背中に汗を掻いていた。施術後数日間は鼻炎の症状みたいなのが出るらしいが、まあこれでワンシーズン症状がおさまれば毎年受けてもいいという程度の痛みだった。
 薬代を入れて7千円弱。その後床屋に行っていい気分になる。

 
 
05・1.20
  昨日、一昨日と春先のような穏やかな温かい天気だった。春といえば思い出すのは花粉症。工房の周りは杉林ばかりで、春の晴天の日など、山火事かと思うくらい花粉が煙のように舞い上がリ、背筋が寒くなることがある。
 今年は花粉の量がものすごく多いと聞いた。鼻の粘膜をレーザーで焼灼するという恐ろしげな施術(保険適用)を受けようかと真剣に考えている。

05・1.19
 バーナーからオイルが漏れ出したので、パッキンを交換。ホームセンターで購入した水道用のゴムパッキンには、灯油用に用いないでと書いてあるが構わず使用。何も問題ない。
 バーナーを分解して20分ほどで作業終了。ハンドルがすいすい滑らかに回るようになり気持がいい。


05・1.10
 一月に入り寒さが厳しくなったのに窯の前は相変わらず暑い。それはいいが問題はガラスを吹き終えて家に帰ってからのやりきれない体の冷え方。多分急激な温度の変化に体がついていけないのだと思い、風呂上りに冷水を浴びて調節機能を鍛える事にした。昔NHKの番組で真冬に井戸端で冷水を浴びる真言宗の若い坊さんを見て大笑いしたものだが、今では私がものすごく厳しい顔ででたらめな真言を唱えながら水を浴びている。へらへらしながら浴びると一段と水が冷たく感じられるからだ。

04・12.21
 リサイクルセンターにビンを回収しに行くと、町村合併に伴い当施設は4月で閉鎖との事。寝耳に水で驚く。ここは本当に色んなビンが集まるところで、三月の桃の節句のあたりは甘酒のビン、夏は炭酸系のジュース、今の季節は子供用のシャンペンでおなじみの「シャンメリー」と、なかなか季節感もあり、ビン集めはちょっと楽しみだったのに。
 これからは大きな酒屋さんを廻る事にする。今度は変わった色のビンにも挑戦してみるか。


04・12.15
 半年振りに京都百万遍手づくり市に行く。いいお天気で朝は寒かったが日中は暖かかった。知人よりガラス関係の記事の載った昭和38年刊行の月刊誌「太陽」などを頂戴する。Hさん有難うございました。
 朝6時に搬入し、5時には撤収。その間、食品の露店より、コーヒー、おはぎ、大福、ミネストローネ、ハーブ入りのパン、チヂミなどを買って妻と食す。どれも大変おいしかった。せっかくきたので「鮒ずし」も買って帰る。
  
 左より、鮒ずし、太陽の表紙、表紙裏に掲載の広告に見る若き日の三船敏郎。

04・12.11
 今日から古代色からリサイクルガラスに入れ換え。使用感は古代色も悪くないが、やはりリサイクルのほうが体になじんでいるような感じがする。
 ストックが底をついたので明日かあさってにはビンの回収に行かなくてはならない。

04・12.9
 台広げ(ワイングラスの一番下の円盤を作る道具)が古くなったので新調。そこら辺にあった木材とか鉄板を寄せ集めて材料にしたので費用は木ねじを買った300円くらい。前のより使い勝手が良い。

04・12.4
 妻の父が逝去。

04・11.30
 午前中、久しぶりにアーク溶接機を引っ張り出して道具の補修などをおこなう。その後一休みして津原泰水著「綺譚集」をちょっと読む。
 うちの近所では今度の日曜が市議選投票日で、
選挙カーがひたすら名前を連呼するのでとてもうるさい。選挙カーに乗ってる蛍光色のウインドブレーカーを着た人たちは自分の仕事のほうはどうなってるのか不思議に思う。

04・11.24
 原料を注文するのを忘れていて、突然やる事がなくなる。
 仕方ないので色瓶を溶かしてビーズでも作ろうとするが、ガスと混合する酸素が切れてしまい、いよいよやる事がなくなる。気を取り直して空瓶を回収しに行こうとリサイクルセンターに行ったら閉まっていた。

04・11.22
 私の出身地である九州は昔から焼酎を飲むオヤジが多い事で知られ、私が小学生のころは焼酎の一升瓶を抱えて道路で寝ているオヤジが度々目撃されたものだが、最近は焼酎も紙パックやペットボトルで売られることが増え、ガラスの瓶は押される一方だった。
 ところが最近の焼酎ブームのせいか、ガラス瓶がちょっと盛り返してきているという。やはりディティールというのは重要で、路上で眠る親父が抱くのは瓶でなければいけない。そういうことなので私としてはうれしい限り。

04・11.14
 明日は京都は百万遍の知恩寺で毎月開かれる露店市の日だが、雨になりそうなので行かないことにする。やっと予定が空いたのに残念。これで半年くらい行ってないことになる。来月天気が良ければ行くつもりだがきっと寒いと思う。

04・11.8
 今日は、火を使う業種の人が、商売繁盛と火除けを願う伝統行事「フイゴ祭り」の日。フイゴというのは手押し式の送風機で、製鉄や鍛冶などに必要な高温の炎を得るために欠かせない大事な道具。
 昔の鍛冶屋さんは、この日は仕事を休み、宴席を設け、近所の子供たちにミカンを配ったりしていたらしい。どうしてミカンを配るかというと、神様がフイゴという「宝物」を地上に降ろしたとき、たまたまミカンの木に引っ掛かっていたという伝説があるため。また、みかんの色が高温の火色を連想させるためという説もあり、これは非常に納得できる。
 最近は鍛冶屋が減ったこともあり、金属関係の会社でやっている程度で、カレンダーにも載っていないマイナー行事になってしまった。
 かくいう私も、該当業種なのに数年前まで知らなかった。何で知ったかというと、実は向田邦子脚本の正月ドラマからなのでした。
 そういうわけなので今日は、月曜なのに仕事を休んで、うちのフイゴに当たる「リングブロワ」と「低圧バーナ」に感謝しつつコタツでミカンでも食べる事にする。
 
04・10.31
 ガラスに細かい気泡を沢山入れたいとき、重曹(いわゆるタンサン)の粉末を用いるが、昔は、ものすごく酸っぱい夏みかんなどに、砂糖と一緒に重曹を振りかけてシュワーッとさせて食べる人も多かったらしい。
 今日、甘くないミカンを食べていてその話を思い出した。

04・10.19
 そろそろルツボが割れそうなのでしばらく火を落とす事にする。
 夜、久しぶりにツタヤにビデオを借りにいくと半分以上がDVDになってしまっていた。なんとなく心細い気分になりそうだったので景気をつけようと「キル ビル」を借りる。


0410.16
 
今年の夏は暑かったというが、私はそれが全く分からない。外が暑かろうが寒かろうが、工房の中はサウナみたいなもので、中にいる奴は少しぐらい温度が上がっても気が付かない。
 しかし、さすがにここへきて季節の変化を強く感じる。製作が終わった後、夏場のように、暑気当たりみたいによれよれで気分が悪いということがなくなった。それはいいのだが急激な環境の変化に体がついていかないのか、アレルギー性の鼻炎が頻発。製作中は絶対にくしゃみなど出来ないので、薬を飲むが、副作用で体が少しだるくなり、結局元気一杯という事にはならない。因果な事だ。

0410.8
 
ここ数日、全く他人のデザインでガラスを吹くという、普段やらない事を二件立て続けに行なっている。一件は結婚式の引き出物、もう一件は京都のお店のオリジナルの景品。
 どちらも苦労しているが、昔のガラス職人になったみたいでちょっと気分が良い。


04・10.4

  
 
 リサイクルセンターに空き瓶の回収に行って真っ赤なめずらしいビンを発見。お酒のビンで時々赤いのを見かけるが、あれはほとんどが透明ビンに赤いフィルムを張ったニセモノ。
 これは資生堂の男性化粧品で6000円もするので、容器にも凝って本物の真っ赤ビンにしたもよう。フランスから輸入しているようだ。
口の部分に鼻を近づけると夏みかんの香りがする。


04・9.29

 
台風が来るというので緊張。
 この前の台風で入口のサッシが外れて工房の中がめちゃくちゃになったのを教訓にして、今回は製作は休んで戸を補強したり物が飛ばないよう色々工夫したら、雨ばっかりで全然たいした事がなかった。忙しいのに一日損した。


04・9.23

 
友人のお墓参りに山口へ。丁度お彼岸の中日。 
 遺品の、phew、山崎ハコ、アルゲリッチ、ボアダムズ、ジェーン・ポール・ブレリー等々のCDを頂いて帰る。


9.19
 
16日から4日間、大阪府交野市の交野クラフトクラブの展示に参加。普段一人っきりで仕事をしているので、知り合いに会えて楽しかったが、片道3時間くらい掛かるので、終わって家に帰ってくると、リフレッシュされたのか疲れたのかよくわからないような状態。

9.6
 
昨日作ったビアグラス、形は良いがモールの出かたが弱い。しばらく悩んだが、もう一回融かして今日やり直す事にする。

8.29
 昨日に引き続き型吹きのモール小鉢を吹く。
 工房の裏の市民農園に人がいっぱい来て、帰った後凄い数の案山子が立っていた。日が落ちてから見るととても怖い。

8.27
 モール小皿、今日は大変上手く行く。ただ、同じ事をしているのに昨日はどうして上手くいかなかったのか得心が行かない。

8.26
 モール小皿製作。の予定だがなぜか上手くいかない。いつもと同じ条件なのに、理由がわからない。時々あることなので早々に切り上げる。情けない気分で帰宅して発泡酒を飲む。

04.8.23
 娘の誕生日。早く仕事を終えたいので、火をつけず、吹きガラスは休業。包装、発送などを一日やる。

04・8・18
 先の展示会で、「サビール」という製品があると聞いた。これは、金属にあっという間に錆を発生させる薬剤。これまで花器の金具などを鉄で自作するとき、表面錆びさせるのにしばらく表で雨ざらしだったが、これで製作日数が縮まるかも。大阪の会社に電話で注文。あさってくらい届くとのこと。待ち遠しい。

04・8.13
 しばらく窯の火を落としているので、昼間に書店に行く暇が出来た。
 店内をぶらぶらしていると「蹴りたい田中」という本を発見。
 また眼を他方に転ずると「世界の中心で蹴りたい負け犬」という本を発見。中身は見なかった。

04.8.9
 夜、大坂空港の中のお店に納品に行ってきた。涼しい時刻に遠出(高速で2時間くらい)するということで妻子も一緒にきた。
 コンテナボックスを抱えて空港内を歩いていると、もう何年も旅行などしていない事に思い至った。

 帰りにサービスエリアで遅い夕食を摂った。

04・8・6
 神戸三宮である合同展示会に出品。ファッション関係の人が多かったのでなんとなく疎外感を感じていたが、半日位いたら段々馴染んできた。皆苦労しているのがわかった。

04.8.3
 暑い中火であぶられるので、毎日大量の水(3リットルくらい)を飲んでいたら胃の調子を悪くしてしまった。夏になると毎年こんな感じ。
 胃腸薬「陀羅尼助」を服用する。生薬ベースなのでなんとなく安心できる。うちのはフジイ陀羅尼助丸だがネットで検索してみるとたくさんのメーカーがあった。