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●街並みギャラリー開催
妻入りの街並景観推進協議会では、毎年10月に「街並みギャラリー」として東京藝術大学大学院生による街並みスケッチ画を妻入りの町屋で展示しています。今年度は町屋だけでなく出雲崎町民体育館でも絵の展示を行います。皆さんも是非ご覧下さい。
※町屋での展示…10月8日(土)・9日(日)
※町民体育館での展示…10月8日(土)〜10日(月祝日)
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●まちなみシンポジウム開催
毎年、新潟県の街並保存団体が集まって行われる「まちなみシンポジウム」を今年は出雲崎で開催します。
松蔭大学観光文化学部、古賀学教授による基調講演や県内の街並保存団体による取り組みの発表などを予定しておりますので、皆様是非お出で下さい。
※日時…11月19日(土) シンポジウムは14時30分から開始です
※場所…越後出雲崎「天領の里」時代館にて
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●妻入りの街並みを見て思うこと
…出雲崎町役場町民課 池田ひろ子さん…
出雲崎で生活し始め、早いもので4ヶ月が経とうとしています。私が出雲崎に来て始めたことがあります。それは仕事の後に海岸沿いをランニングすることです。きっかけはダイエットの為でしたが、日没後の薄明るい時間帯、遠くに故郷佐渡ヶ島を望みながら、趣きある街並みを走ることが今では楽しみの一つになっています。
妻入りの街並みを走りながら改めて感じることは、街並み自体の保全だけではなく、地域に伝承された文化や技術を含めて維持保全活動の重要性です。
歴史的風致を保全し観光振興に繋げる取り組みは各地で活発です。その中でも評価されているものの多くが、単に歴史的建造物を保存・修復するだけでなく、その地に根ざしてきた文化や技術、生活様式を含めて総合的に維持保全している取り組みです。
出雲崎町では、情緒ある景観を整備していくハード面と共に祭礼行事などの歴史・文化も語り継ごうとソフト面の活動も充実していると感じます。
今年の1月、父と北国街道妻入り会館を訪ねました。その際開催されていたのが、天神様像の展示でした。不勉強の私は、このような風習が出雲崎にあることを知らなかったのですが、地域固有の歴史を地元の方々が大切に守り続ける活動は、大変意義深いことだと感じました。
人々の生活や生業の中で長い時間を懸けて守り育ててきたものの持つ価値を再認識し、固有の歴史文化資源を地域住民が主体となって、保存継承していくことに町造り意義があると思います。 |
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●今も変わらぬ出雲崎と変化する出雲崎
…出雲崎中学校 仁科宏明氏
この春に、14年振りに出雲崎中学校に赴任しました。
着任後、最初に確認した場所は、グラウンドです。平成6年、文部科学省指定の「道徳教育発表会」で作成した良寛生涯大壁画の様子です。当時、原案作成から始まり下書き、色付けと夏休み中も活動したことが記憶に残っています。その記憶が更に鮮明によみがえって来るほど綺麗な状態で嬉しくなりました。
グラウンド内で大きく成長していたのが桜です。スコップではなかなか作業が進まない硬い地盤に生徒と穴を掘りました。細く頼りない苗木が成長してくれるのだろうかと心配でした。しかし、どの苗木も力強く根を張り立派な花を咲かせ、私を迎えてくれました。
このような環境では、放任していては維持できません。伝統や文化を残し、成長させてくれる出雲崎中学の生徒や町民の皆様の心の豊かさを感じました。苗木のようだった当時の生徒も少し立派になり町のために働いている卒業生もいます。独身が多く桜のように早く花を咲かせてくれることを願っています。
さて、学校には当時と変わらぬ良さを感じました。町に出てみると街並みの変化に気付きます。海岸の教員住宅に住んでいましたので、妻入りの街並みには愛着があります。道路が綺麗にカラーコーデイネイトされ、車で通ることをためらいます。402号線の岸壁に糸を垂らせば夕食の豆アジが釣れたことも懐かしさの一つです。
この三ヶ月間で見えた出雲崎の変化は、ゆっくりと着実な変化です。少子高齢化の影響でしょうか。しかし良さを守りながら、少しずつ変化する出雲崎を一年かけて実感できる楽しみが出来ました。 |
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●妻入りの街並を歩き出雲崎の歴史を学ぶ (出雲崎高校 校外研修)
…出雲崎の街並を見学して… 出雲崎高校教諭 山崎剛志氏 (談)
2009年の春に出雲崎高校に赴任してから地歴・公民科の科目郷土学を担当させて頂いています。
其の科目は、新潟県及び地元の歴史などを取り上げる本校独自の科目です。
さて、二年間の中で、授業の校外研修の実施は合計3回でした。その中で、特に生徒が印象深く感じていたのは【妻入りの街並】でした。
観光ガイドの渡辺様よりガイドをして頂き、良寛堂・芭蕉園・北国街道妻入り会館などを丁寧に説明していただきました。
私も生徒も聞き漏らすまいと思い、拝聴したことを覚えています。
妻入りの街並は、実際に住んでいる方が生活している空間です。その佇まいは、素朴で落ち着いていながら日常の生活感に溢れているように感じています。
いわゆる観光地と呼ばれるところは、地域によっても違いますが、しばしば喧噪があり、人の多さを煩わしく思う方もいるかも知れません。その点、妻入りの街並は、その素朴さと落ち着きが訪れる人の心に感銘を与えています。
私は、歴史と伝統に培われた出雲崎で働けることをとても光栄に思っています。授業の校外研修の機会があれば、生徒と共に街並を再訪したいと思います。今後も宜しくお願いします。 |
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●天神さま街道&天神さま講演会
…天神さまの講演会に参加して… 大門 磯部友記雄氏 (談)
平成23年2月13日「天神さま講演会」に参加。 妻入り会館や天領の里時代館で毎年行っている「天神さま」の像・軸展示を、今年は柏崎地区と協同して【天神さま街道】として全15会場で開催されました。 定刻ギリギリに会場である北国街道妻入り会館に入ったが、すでに講演会場は参加者多数で座る場所が無いほどの大盛況である。
講師の三井田忠明さんとは、20年来の付き合いをさせて頂いている。昨年に続いての講演会で今回はどんな話が聴けるのか楽しみであった。
出雲崎と柏崎での天神さまを飾る時期・飾る時の仕来たり、お供え物等地域によって異なることが語られた。柏崎では12月25日から大晦日までの間に家の主人または男性が飾り、その時に家を象徴するモノを一緒に飾るとのこと。
職人の家は聖徳太子、商家では御用札、農家では唐申様、医者は藩主の「書」など。供える物は干し柿、昆布、スルメ、鏡餅、と共に鮭の「ひれ」や「カマ」を供える家も有るとの事。
この風習は富山県氷見市や高岡市や福井県三国地方と共通する正月行事であり、是は江戸時代の北前船によって、運ばれたと思う。
出雲崎での天神さまの飾り方等について詳しく調査したことも無く、ただ1月25日か26日に片付けていることは共通している。
私が小学生の頃には、石井町「多聞寺」の天神さまが大人の曳く輦台に乗せられて来るのを心待ちに、学校から走って帰った。 親からお小遣い(5円か10円)を貰って天神さまが来るのを待って友達と一緒に天神さまに駆け寄り、お菓子を買って家に帰り天神さまの掛け軸の前に供えてから食べたものである。
現在は「天神さま」の練り歩きも途絶え寂しい限りであるが、今年から始まった「天神さま街道」で柏崎〜出雲崎で15ヶ所での展示と「綾子舞と天神講」が柏崎野田で開催されるとの事。年々展示ヶ所が増え、地域の宝として継続され次世代に伝えられることを願っています。
まだまだ各家で飾られていると思われる「天神さま」や「天神講」等を出雲崎全体で調査し、出雲崎の宝として大切に伝承してゆきたいものである。 |
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平成22年5月8日(土)北国街道妻入り会館にて、150人余りの入場者で超満員。
萱森さんは、最後のごぜ、小林ハルさんに師事し「本物のごぜ唄」として高い評価を受けている人です。 萱森さんは
「多くの”ごぜ”さんが生活を賭けて伝えてきた心の唄【越後ごぜ唄】を伝えて行きたい!」
とのことで「巡礼おつる」などを熱演!…感極まって涙を流す人たちも、あちこちに見られた。
萱森さんは、師匠ハルさんの思い出話や「お春ごぜの碑」をお参りした感想をしんみりと話しておられました。
越後ごぜ唄を聴く会代表の内藤「東京出雲崎会会長」氏は、萱森さんはごぜ唄を末永く継承するため一生懸命に活躍されています。今回も素晴らしい公演となりました。と感想を述べられています。
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●<お春ごぜの碑>
出雲崎から寺泊までは凡そ10里の道程である。井鼻(いのはな)村を過ぎれば何も見るものは無い、唯、潮騒と強風の中をただひたすら身を屈めて歩を進めるだけである。
途中、久田(くった)の部落あり、十軒程が、息を潜めて静かである。落水(おちみず)と云う所に至る。落水川の日本海に注ぐ所也。 今は長岡市寺泊山田地区との境界になっておる。
人里を遠く離れた処で心細さを感ずるのは私だけではなかろう。 この端に悲しい物語りを、今だに残す<お春瞽女の碑>がある。余り人の立ち寄る場所でもなく、現在は車の通行があるだけで、ひっそりと人知れず立ち竦むように建っている。
戦後の荒廃した世相の中、明るく朗らかに出雲崎で「鴨紅節」「串本節」「いずもざきおけさ」「お船唄」等を唄って町の人々に、心の安息と楽しみを与えてくれたとの事です。
それだけに昭和22年の冬に角付けし落水への帰途、風雪の中に倒れた……と云う悲しい生涯であった事に涙するものである。 |
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