海上自衛隊の主な配置
第1話 入隊
 1989年、春。世間はまだまだ景気の良かった頃、一人の少年が街中で肩を叩かれた。
「今何してんの?学生?自衛隊に入れへん?」
(まあ、どうせ学校を卒業してから就職のあてもないし、ちょっとくらい人生回り道してもいいか)
 少年は興味本位で自衛隊の入隊試験を受けることにした。自衛隊なんて誰でも入れるだろうと思っていた少年はちょっと驚いた。国語、社会、数学、理科、英語などひととおりの問題が揃っていたのだった。しかし、5教科揃っているとは言っても幸いなことに大半が4者択一だった。しかも、地連(地方連絡部)の担当者が時々サインをくれる。
「おっ、問題5はBか」
 これが野球の試合だったら一発で見破られるような簡単なサインだった。少年は、こんなことなら初めから担当者の人が試験をしてくれればいいのにとも思った。
 少年は、そののち面接や作文などの試験を受けて自衛隊の試験に合格したのだった。ちなみに最後には担当者が「あとは空欄でいいから」と言って最後に集めた解答用紙の空欄に適当に解答を記入してくれていた。少年は、こんなことなら初めから担当者が試験をしてくれたらいいのにとさえ思った。

 自衛隊の試験ではその点数と記述式問題の正解数で「陸」「海」「空」の選択ができる。ちなみに点数の良いほうから「空」「海」「陸」の順になっている。少年は迷っていた。「戦闘機がかっこいい航空自衛隊」「任期が短く、すぐに大型免許が取れる陸上自衛隊」「世界一周や南極などに行けて手当ても多い海上自衛隊」のどこに行くべきか。決め手となったのはやはり地連の担当者の囁きだった。
「海上自衛隊は税金で給料もらいながら海外に行けるから最高やぞ」
「俺がフィリピンに遠航(遠洋航海のこと。決して援助交際のことではない)に行ったときは良かったぞ。入港の際にはコンドームが支給されるしな。・・・・・・」
 その後、担当者の話は延々と続いた。
(とりあえず海上にしとこう。外国も行ってみたいし。戦艦大和も好きだったし)

 かくして少年は海上自衛官、海野守が誕生するのであった。彼の最初の赴任地は呉教育隊(広島県)であった。ここで約20週間海上自衛官としての基礎を学ぶのである。
 広島県呉市には海上自衛隊の呉地方総監部がある。また、潜水艦教育訓練隊などがあり、潜水艦のベースでもある。旧海軍時代は呉鎮守府があり、戦艦大和の母港でもあった。昔から海軍の町である。
 試験に合格してからおよそ2週間後の3月下旬、海野少年は海上自衛隊呉教育隊の門をくぐった。そこでは満開に咲いた桜が新入隊員を迎えた。