番外編@ 漢字だけならまだしも・・・
 だいたいどこの部隊でも上陸する隊員は必ず行動予定を記入していくことになっていた。例えば、「横浜市内方面」とか「大和市内方面」といった具合である。さらに電車を利用して4時間、「ひき」の時はは8時間以内に部隊に戻れないところへの外出にはさらに届出が必要といった具合に外出には多くの制限や届出が必要であった。特に若年隊員や学生期間中は結構細かく行動予定を連絡しておかなければならなかった。

 海野は後輩のK士長(岐阜県出身)の行動予定を見て愕然とした。ホワイトボードの行き先が全部片仮名で記されていた。しかも、行き先があまりにもピンポイントで記されているではないか。「デッキ」、「セブイレブ」「パチコ」などと記載されていた。
(漢字が苦手とは聞いてたけど、いくら何でも全部片仮名なんて・・・。んっ、なんかおかしいぞ)
 なんとKは、漢字が苦手なだけではなく、片仮名の「ン」と「ソ」が頭の中で混同するためはっきり書くことができないのであった。「セブイレブ」とは基地の正門前にある「セブンイレブン」のことで、「パチコ」とはこれまた基地近くのパチンコ店のことなのである。
「こらっ、行き先書くのに暗号を使うな」
 それを見つけた上官が叱りつけた。
「U1曹、あれは暗号ではありませんよ。途中に『ン』を入れると読めますから。だいじょうぶです。今日は私も一緒に外出しますから」
「うーん、そうか。頼むぞ」
(あれは暗号じゃなくて教養がないだけや。でも、敵も味方も理解できない言葉を書けるというのはある意味軍人向きかな。しかし、それで納得する上官も上官だな)
 海野はそんな彼のことを妙に関心していた。
 海野は当直明けの1日をそんなKと過ごした。
 K士長の趣味は、ビリヤードとナイフ集めだった。暇さえあれば基地内のビリヤード場に足を運んでいた。また、マクドナルド愛好家でもあった。よく当直勤務が終了すると基地の中にあるマクドナルドに向かっていた。その日も彼はマクドナルドへ行こうと誘ってきた。海野も嫌いではなく、付き合うことにした。

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか」
 基地の中でもマクドナルドのお姉さんのせりふは娑婆と変わらない。

 海野が航空学生にいた時、下関の外出先で1期上の先輩に『第○○期航空学生、第○班、海野学生、ビッグマックの受領に参りました』などとカウンターで不動の姿勢で叫ばされ、挙句の果てには遠くで見ている先輩に『声が小さい』ということで何回も買い直しさせられたことを思い出した。あとでそれを見ていた社会党(当時)の人間から苦情が来ていたらしいが、上官の命令には服従する義務をまっとうしただけの海野にはそんなこと関係なかった。

「ビッグマックのバリューセットを6つ。飲み物はコーラで」
 Kはいつもどおり注文した。
「お持ち帰りでよろしいでしょうか」
 そんな一人でビッグマックを6つも注文する彼ににアルバイトのお姉さんの口からは「こちらでお召し上がりでしょうか」の言葉は出なかった。しかし、大方の予想を覆すせりふが彼の口から発せられた。
「ここで食べる」
 何かに取り付かれたようにバリューセットを一人で6セットも食べる彼にはさすがに米軍の人間も目を丸くしていた。もちろんそんな彼の体系はそんな目よりも丸くなっていた。
「なんか毎日ビッグマックのセットだけやと体に悪いぞ」
「でも、他のメニューはもう一つ読めないし、定食屋とかじゃますます漢字のメニューが読めないし」
 海野はそんな彼のせりふを聞いていて「・・・のひとつ覚え」という言葉をしみじみ感じるのであった。
「しかし、毎月のエンゲル係数すごく高くないか?隊メシにした方がいいんじゃない。金持たないぞ」
「エンゼル係数って何?」
「・・・・・・・・・・」
 思わず海野は、『チョコボールについてくるやつや』とギャグを言おうかと思ったが、さすがに受けなかったあとのフォローが大変なのでやめた
「金なら大丈夫です。自衛隊金融で借りて何とかしてますから」
(それって全然大丈夫じゃないと思うけど)
「これから日勤の奴らとみんなで飲みに行くけど一緒に行くか?」
「・・・。うーん、やっぱビリヤード行きます」
(やっぱり・・・の一つ覚えだな)

 その後そんなK士長は、いつの間にか自衛隊を退職し、今は地元で焼き物職人の道を歩んでいる。
 海野の脳裏にはろくろを回しながらビッグマックを食べる彼の姿が時々浮かぶのだった。