番外編B 歩行者通行止めです
 U(東京都出身)は今日もウエィトトレーニングに海野を誘った。彼は、身長181p、体重110sの巨漢であだ名が「クマ」(←そのまんまやんけ)だった。しかし、彼は普通の大男ではなかった。

 学生時代に新日本プロレスのスカウトを受け、真剣に悩んだ結果、今の仕事に就いた彼のパワーは人並み外れていた。ベンチプレスでは195kgを持ち上げ、50m走では6秒前半で駆け抜け、水泳も50mを30秒そこそこで泳ぐ。そして、何よりもけんかが強かった。
 ある日のこと、極真空手道場の見学に行った時のことである。成り行き上、とりあえず組み手をやってみることになった。黒帯の人は少し遠慮しながらもどんどんと技を繰り出していた。正確な突きや蹴りをUは必死にその肉体で受け止めていたUが一発だけ反撃の蹴りを見舞った瞬間、それを受けた黒帯の人がガードごと崩れ落ち、立てなくなった。それを見ていた周囲は、開いた口が塞がらず、鳥肌さえ立つものもいた。
 Uは水泳にしろ、空手にしろ基本はなくても十分人並みを越える能力を備えていたのである。そんな彼でもプロレスの世界に行けば、ただの新人かと思うとやはりプロレスの世界はすごいとも感じさせられた。
 そんな彼は普段はとってもおとなしく、まさに「クマのプ〜さん」といった感じである。何を言われてもいつもニコニコしていた。しかし、時々彼が実はクマだということを忘れ、無謀にもちょっかいを出したり、理不尽なことを押し付けたりする上官がいた。そんなとき彼は、冬眠明けのヒグマのごとくそれらすべてをなぎ倒していった。そうなるといつも5人や6人では彼を抑えきれるものではなかった。睡眠銃くらいは必要である。ただ、やはり彼は素人でいつもパンチやキックが急所を外れるため、相手のけがは骨折程度で済んでいた。
(これで本格的に空手とかやってたら絶対に殺人犯になるな)
 海野は、Uが切れるたびに彼が本格的に格闘技をしていなくて良かったと思うのであった。

 海野は、今の隊に着任して以来、そんなUと大の仲良しである。着任前からUの噂は聞いていた。とんでもない暴れん坊だとかクマみたいな奴だとかいろんな噂を聞いていた。
 海野は、初めてUを見たときに噂どおりの風貌のUにこう言った。
「U先輩ってうわさどおりクマみたいですね。やっぱ春先は機嫌悪いんですか」
「がははは。お前結構根性すわっとるな」
 いつも怖がってなかなか近づかない人間が多い中で、Uは初対面でこんなことを言ってくる海野がとても気に入ったのである。それからというもの二人はいつも、ウエィトトレーニングや水泳などで一緒に過ごす時間が多くなっていった。

「今日は俺疲れてるからベンチプレス150kgにしとくわ」
「珍しいですね。どうして疲れてるんですか」
「昨日、ちょっと夜中大変なことになってしまって」
 そういうとUは昨日の出来事を話し始めた。

 昨晩、Uが外出先から車で東京の実家へ帰ろうとしていたところ、高速道路上で急に車が止まった。もう4qほどで最寄のインターチェンジというところでガス欠になったのである。時間は既に夜中の12時を過ぎていた。運転席から降りたUは、車の往来が少なくなった高速道路上で仕方なしに車を押し出した。それから、小一時間ほど車を押し続けた彼はようやく目的のインターチェンジに到着し、出口の方へ車を向けた。
 インターチェンジでは、そんな彼をを見つけた料金所のおじさんが目を丸くしていた。それもそのはず、丑三つ時にライトもつけない一台の車が近づいてくる。その横には今にも倒れそうな息遣いの大男がいる。突然、3つあった料金所の青いランプが1つになった。なんと二人のおじさんは事務所へ逃げたのであった。まさにジェイソンに追われるエキストラのようである。
 不本意ながらも一人残されたおじさんは、料金所にたどり着いた大男に向かって勇気を振り絞りこう言った。
「こ、こ、・・・、ここは、ほ、ほ・・・歩行者通行止めやぞ」
「そんなこと分かってる。それよりどっかガソリンスタンドないか」
「し、し、信号、右」
 料金所のおじさんは、あまりの恐怖に日本語を覚えたての外人のように助詞のない日本語で説明した。
「ありがとう」
 高速代を払ったUは、そういい残すとその場をあとにした。料金所のおじさんは暗闇に消えていく彼の後姿をいつまでも見ていた。
 それからまた1.5qほど車を押すとおじさんの説明どおり道路わきにぽつんとガソリンスタンドがあった。時刻は既に午前2時を回っていた。ガソリンスタンドでは2名のアルバイト店員がいたが、どちらも客がいないので掃除をしたり、休憩をしたりしていた。
「おい。ガソリン1,500円分入れてくれ」
「・・・・」
 掃除に夢中になっていた一人の店員は、その声に飛び上がった。声を掛けられるまでまったく車の存在に気付かなかったことと死にそうな大男の顔に店員は度肝を抜かれたのである。店員はガソリンを入れながら、ときどき彼を見た。そして、恐る恐る尋ねた。
「ボ、ボ・・・ボンネットの点検は?」
 まさにマニュアルどおりのせりふである。
「いるかそんなもん。金1,500円しかないんだよ」
「わ、わ、分かりました。ボンネット点検OKでーす」
 夜中のガソリンスタンドに少し震えた声がこだました。
 格闘すること2時間あまり、無事給油を終えたUは帰宅の途についたのである。

「もう、寝不足だしと肩もこってるから今日は軽めにしとくわ」
「でも先輩、そういうときってJAFとか呼んだ方が楽だったんじゃないですか」
「あっ、そうかそうかそういう手があったな。そういえば途中いくつか緑の電話の看板があったな。さすが、頭のいい奴はいいこと考えるなあ。がははは」
(普通の人間なら誰でも考えつくことやけどなあ)
「やっぱ、クマにはそこまでは無理かな。がははは」
「がははは。でも歩行者通行止めの標識の意味分かるクマはそうそういてないやろ」
「木下サーカスにもいないと思いますよ」
「そんなに褒めるなよ」
「いやいや、事実ですって」

 一致団結、今日も有事に備えて心身の鍛錬に励む二人であった。