<あぐら鍋>
アラカルト 好きなもの ダイアリー
ホーム 古代文明への旅 ピラミッドと惑星 邪馬台国と大和朝廷 日記『つれづれ草』 アトランティス幻想 あぐら鍋
あぐらミステリー館

〜やっぱり気になる不思議なこと〜
 ←BACK

ピラミッドの秘儀


(1)扉の謎の4文字 (2006年5月06日)


 ずいぶん前のことになるのだが、『ピラミッドの謎はとけた』(アンドレ・ポシャン著)という本に奇妙なことが書いてあるので、なんとなく気になっていた。
 著者のポシャンによると、大ピラミッド北側斜面の本来の入口の上部の岩には「精巧で神秘的な」四つの文字が認められるというのだ。
 本には下のような図がついていて、たしかに見慣れない文字のようなものがあるようだ。
 ピラミッドの秘密を知る手掛かりかもしれないし、ひょっとしたら、建造者が残した文字かもしれない、などと考えて大いに興味がわいた。

 大ピラミッドの入口として現在使われているのは、9世紀にアラブの太守アル・マムーンがこじ開けた大きな穴で、そこから少し登ったところに本来の入口がある。
 この本来の入口は、アル・マムーンの時代には、まだ外装石に覆われており、外見上はわからなかったようだ。彼は入口についての何かの情報をつかんでいたようだが、正確な場所は突き止められなかったらしい。そこで、石を火で熱し、酢をかけて壊すというような乱暴な方法で、穴をこじ開けてしまったのである。
 ところが、さらに古い古代ギリシア時代には、入口の存在は知られていたのである。紀元前1世紀のストラボンは、次のように書いている。
 「大きい方のピラミッドのある面の、ある高さのところには、持ち上げることができるひとつの石がある。それを持ち上げてみると、そこには通路の入口か、墓に続く陵の入口と見える部分がある」
 現にギリシア・ローマ時代には、この扉のような石を持ち上げて大ピラミッドのなかに入っていたらしく、大ピラミッドの地下室にはギリシア・ローマ時代の落書きが残されている。

 さて、そうなると、ギリシア人がピラミッドに入っていたのなら、当然、エジプト人も入っていたと考えるのが自然だろう。おそらく、神官階級というような特別な人たちは、もっともっと古い時代から継続的に大ピラミッドのなかに入っていた、と考えてよいのではないだろうか――。
 では、彼らは大ピラミッドのなかで何をしていたのだろうか。
 オカルトの研究家たちによると、大ピラミッドのなかでは秘儀のようなことが行われ、プラトンやイエスもその秘儀を受けたのではないか、という。そんなことが本当に行われていたのかどうか・・・・、それを探ってみたいのだが、気になるのは、例の謎の文字である。


謎の4文字

『ピラミッドの謎はとけた』より


 大ピラミッド入口の件(くだん)の4つの文字について、アンドレ・ポシャンは次のように書いている。
「われわれは、能力不足を認め、その翻訳は他に任せることにする。その文字は、遺跡の建設と同時代のものとは認めがたいので、あえて大ピラミッドの瞳の中にこの不思議な四字言葉を彫るため、みずから冗談で命を危機にさらす、といった大胆さに、讃辞を贈らざるをえない」
 謎の文字はピラミッド建造当時のものではなく、後世のイタズラ書きのようなものだとポシャンは考えたようだ。しかし、それがどういう文字なのかわからない、としている。
 私はこれまでに2回エジプトを訪ねているけれども、この文字は見ていない。大ピラミッドの入口付近は、なかに入る人々の入れ替えでいつも込み合っているし、近くで見ると、本来の入口までは意外に距離があるように見えるのだ。
 急な斜面を登っていくことや、エジプト人にバクシーシ(寸志)を払ってわざわざ人目につく行動をとるのも気が引けるので、興味はあるけれども、そこまでする勇気がわかなかった。
 ところが、何年か前、南山宏さんに会ったとき聞いたところでは、彼もやはりポシャンの本の文字のことが気になっていて、本来の入口まで登って調べてみたという。
 南山さんはUFOやアトランティスの研究家で、ピラミッドの研究家でもあるが、彼が見たときには、ポシャンの書いている文字は、もはやはっきりと識別することはできなかった、ということだ。
 ポシャンがピラミッドの調査を熱心に行っていた時期は、1930年代から60年代あたりなので、今ではもう、ほとんど消えかかっているのかもしれない。

 じつは、私はこの文字について、別にちょっと気になることがあった。カイロから800キロほど上流にあるアスワンの町をひとりで歩いていたとき、よく似た文字を見たのである。ナイル川沿いの大通りから少し路地に入ったところに、小さな宿屋かレストランのような古びた建物があり、その壁に同様の文字が書かれていた。
 「こんなところにも、あのピラミッドの謎の文字みたいなものがあるのなら、あの文字はわりと使われているのか・・・・。アスワンにもピラミッドの謎をとく鍵があるのか・・・・?」
 そんな空想までしたのだが、偶然のことだったので、それ以上に観察することもなく、カメラは持っていたのか、いなかったのか、写真も撮らなかった。
 今にして思えば、これが悔やまれてならない。旅のバタバタした気分や、スケジュールのせいで、もう一度現場に行ってみることもできなかった。何か心に引っ掛かったのだから、写真の一枚でも撮っておくべきだった。 (以下次回)


イシス神殿
アスワンのイシス神殿の登り口

  『ピラミッドの謎はとけた』 アンドレ・ポシャン著 青木伸美訳 
  1982年大陸書房 (原著は1971年刊)

アンドレ・ポシャンはフランス人で、第一次大戦後からエジプトの高校で数学教師を務め、かたわらピラミッドの研究をしていた。1950年代前半にギザの3大ピラミッドは彩色されていたという説を発表し、フランス国内で議論になったが、この議論は一般的にはあまり知られず、また継続的なものにはならなかったようだ。ピラミッドが彩色されていたかどうか、いまだ結論は出ていない。

(大ピラミッド入口の写真とA・ポシャンの説については、→こちらから


  

(2)どうやらギリシア語のようだ  (2006年5月17日)


 もう十数年来の知り合いにSさんという人がいて、この人がちょっと変わっているのである。
 学生時代に古典ギリシア語を学び、そのまま大学の付属の高校で先生をやっていた。なんでも、倫理社会か何かの先生であったらしい。当時の教え子には、のちにプロ野球の有名な投手になった人もいて、それなりに充実した先生ぶりであったようだ。
 ところが、何を思ったのか、Sさんは数年間で先生をやめ、東京に来て、ひとりでアパート暮らしを始めた。テレビも買わないマイペースの暮らしぶりだったらしい。
 身過ぎの方はというと、だいたい編集や校正のアルバイトで暮らしを立てていたようだ。ときには、もとの大学に関係する小さな会社で働いていた時期もあったようだが、だいたいがアルバイトのような生活である。先生を辞めてから二十数年が過ぎた現在でも、校正のバイトをしながら、独身のアパート暮らしを続けている。
 何年か前にテレビは買ったようだし、昨年あたりからパソコンも入れたらしいのだが(ところが、ネットには接続していないというのであるが)、五十代半ばまでそういう生活を続けてきたのだから、それはそれで立派なことである。

 このSさんを見て感心だなあ、と思うのは、今もギリシア語の勉強を続けていることなのだ。同好の士とともに、プラトンを原書で読む会をずっと続けていたし、古典ギリシア語の辞書の編纂に加わっていたこともあったようだ。職業的なプロではないかもしれないが、いわばギリシア語の専門家といってよいだろう。
 かといって、Sさんは学者タイプというのではなく、概して気さくだし、朗らかだ。酒と、サッカー観戦と、俳句が無類に好き。ときおり何を言っているのか、よくわからないことはあるが、人品卑しからざる人である。


 ところで、例のアンドレ・ポシャンが指摘した大ピラミッドの入口に書いてある謎の文字についてだが、アスワンでよく似た文字を目にしてから、私としては「どうやらあれは古典ギリシア語らしい」と目星をつけていた。ギリシア文字と比べてみると、ほぼ全部が当てはまりそうなのである。
 そこで図書館に行って、ギリシア語の辞書を引っ張り出して眺めてみたのだが、どうもうまく単語が当てはまらないようだし、探せない。素人ではなかなか難しい作業のように感じた。そこで思いついたのが、ギリシア語の専門家、Sさんだった。

 電話で簡単に説明したあと、例の文字のコピーを送ってみると、まもなく返答が得られた。
 Sさんが検討したところによると、謎の4つの文字はやはりギリシア語の文字として読めるそうだ。ただし、最初の文字だけが小文字で、あとの3つは大文字ということである。 下のようになる。

νΟΞΦ

 これは、「ニュー、オミクロン、クスィ、フィー(ファイ)」という文字が並んでいるらしい。しかし、最初の文字だけが小文字で、あとが大文字というのは非常に不自然である。人名ならばふつうは最初の文字だけが大文字になるはずだ。
 そういうことを無視して、とりあえずギリシア文字として読んでみると、「ノエオ」というようなギリシア人の名前の一部、または、「私は見る」というような単語の一部と取れなくはない、ということであった。
 Sさんにわかるのは、そこまでだということである。やはり単なるイタズラ書きのようなものなのだろうか・・・・
 決着がついたような、逆に、謎が深まったような、どちらともいえない按配になった。→関連「謎の4文字再考」(ピラミッド・マニアのためにU)

   
イシス神殿
イシス神殿から見るナセル湖



(3)ケイシー・リーディングのイエス  (2006年6月1日)


 エドガー・ケイシーという人物については、どうも気になって、これまでいろいろ「ケイシー・リーディング」も読んできたのだが、とても興味を惹かれる一方で、今でも、どう判断してよいのかわからないところがある。
 エドガー・ケイシー(1877〜1945)は、眠れる予言者として知られるアメリカの霊能力者で、彼の死後半世紀以上が過ぎた今でも、世界中に多くの支持者があるといわれている。
 彼のリーディングというのは、催眠中のケイシーの口を通して語られた言葉を速記したもので、ケイシー自身は、自分が何をしゃべったのか目が覚めるまで知らなかったという。
 その評価についてはさまざまだが、私の場合は、どちらかというと信じたい気持ちの方が強いようだ。
 ただし、彼の予言にはすでに外れてしまったようなものもあるし、あまりにも突飛過ぎて、にわかには信じにくいものがあるのも事実だ。

 病気を治療する彼の能力が知られ始めた最初の頃、一攫千金を夢見る人々は、ケイシー・リーディングを利用しようとした。株や競馬などのギャンブル、宝探し、さらには油田の発掘の話まで持ちかけ、ケイシー自身も何度か試験的に応じたといわれる。
 だが、その的中率は必ずしもよくなかったということである。
 彼自身もこのようなリーディングにたいしては、非常に疲れやすく、エネルギーを消耗し、自分でも満足感を覚えなかったという。
 ケイシーはやがて、自分の能力は病人を治療する場合にだけ信頼できることを悟り、リーディングを金儲けのためには使わなかったといわれている。のちに、あまりにも多くの依頼が殺到し、写真屋の商売に影響が出始めたとき初めて、「家族を養うために料金を請求することは差支えなかろう」と、考えるようになったということである。

 彼の生活に関しては、ケイシーはお金にはほとんど縁がなく、むしろ困窮した時期の方が多かったようだ。息子のエドガー・エバンズ・ケイシーが語っているところでは、
「父はいつも文無しの様子でしたし、少しもお金を貯めるということができないように見えました」
 という。エバンズが子供の頃のある年の冬には、「シャツとズボンの下に新聞紙を詰めて、冷たい風を防いでくれた」ようなこともあったということである。
 エドガー・ケイシー自身の職業は、小学校を卒業後すぐに働きに出て、20代の初めごろには文房具の卸売りのセールスなどをしていたようだ。その後は、写真屋として生計を立て、職業としてはそれで一生を終えた。また早くから聖書に親しみ、教会の日曜学校の先生もしていたようだ。

 このような話からすると、彼がいい加減な人物とは思えないし、迷いやためらいのないリーディングの言葉には、ある種の説得力と、個人のエゴを超えた宗教的な高みが感じられる。
 しかし、彼のリーディングにたいしていうと、今では私は少し距離を置くようになった。


 このケイシー・リーディングのなかには、大ピラミッドの秘儀について述べた珍しいものがある。
 大変不思議なことだが、イエス・キリストは洗礼者のヨハネとともに、大ピラミッドのなかで秘儀を授けられた、とリーディングは述べているのである。
「あの同じピラミッドのなかで、偉大な秘伝者、主は、先駆者のヨハネとともにブラザーウッドの位階の最終秘伝をまさに得たのである、あの場所で」 (リーディング5748−5)
 これは、どういうことだろう・・・・。
 ここにはイエス・キリストの名前は出ていないが、「偉大な秘伝者、主は」といい、さらに、「先駆者のヨハネとともに」といっているので、イエス自身と、ヨルダン川でイエスを洗礼したヨハネの二人を指しているのは間違いない。「ブラザーウッド」とあるのは、「同胞結社」とでも訳せばいいのか。古代の一種の秘密結社のようなものを想像してよいのではないだろうか。

 ケイシー・リーディングには、これ以外にも「パレスティナ・リーディング」といわれるイエス・キリストにまつわるものがあり、そこにはイエスの幼年期などが述べられている。
 それによると、幼年期のイエスは、両親(マリアとヨセフ)とともにエジプトに移住し、5年間を過ごしたという。その後ユダヤに戻り、カーメル山のエッセネ派の神殿で過ごした。天文学や数秘術、魂の輪廻転生や予言について学び、16歳でペルシアやインドにも渡った。最後に教師として完成するために、またエジプトに渡り、寺院の神官たちから教えを受けた。エジプトで修行していた時期、かれは預言者のヨハネと一緒であった・・・・
 さらにリーディングによると、エッセネ派の人々は、イエスが生まれる何年も前から、救世主を迎えるにふさわしい共同体を準備していた、ということだ。カーメル山の神殿には、神のチャンネルになろうとした信仰の深い神官たちや、選ばれた乙女がおり、このなかにイエスの母マリアもいた。彼女はヨセフに嫁ぎ、神の霊を宿す役目の器として選ばれ、イエスを産んだという。

 このような話は、無論、聖書には書かれていない。
 エッセネ派の人々についても、例の死海文書の発見までは、あまり多くは知られていなかった。ところが、ケイシーのこのリーディングが取られたのは、死海文書発見より10年ほど前の1936年である。
 なんとも、ミステリーを超えた話、とでもいうべきか・・・・。


イシス神殿のキオスク
イシス神殿のキオスク



(4)いささか旧聞ですが・・・  (2006年6月26日)


 知人から『ダヴィンチ・コード』について訊ねられたが、あいにく読んでいないのだ。
 話の内容は聞いてほぼ知っていたし、あの本に書かれているキリスト教関係の異端の話については、何年か前から、別のいくつかの本で知っていたので、とくに目新しい印象がなかった。それに、小説というものを近頃ほとんど読まなくなってしまった。

 西欧社会のキリスト教の影響については、我々アジア人から見ると、なかなか理解しにくいところがあって、別にキリストに子供がいようが、マグダラのマリアがキリストの子を宿し、ヨーロッパに逃れていようが、「いーんじゃないの」と思うのだが、正統キリスト教会はそれを認めないらしい。

 キリスト教というのは、奇跡を前提にして、そこに神の御技を見ているところがあると思うのだが、実際は、キリスト教よりもローマ帝国よりも以前から、奇跡も神秘も存在していた。ヨーロッパの秘密結社などは、古代からの秘儀を受け継いでいるというのだが、それがキリスト教内部の秘密だけになってしまうと、かなり限定的で、広がりや奥行きを感じない。
 もっと古い時代からの神秘に届いていかないと、人間の歴史の真の秘密には達しないのではないだろうか。
 古代からの秘儀密伝には、いったいどんな神秘が守り伝えられ、どんな知識が隠されてきたのか――。それは科学で理解できることだったのか、それとも、古代の祈りのようなものだったのか。

 神秘思想の祖はヘルメスに行き着くし、秘儀参入の儀式はエジプトに行き着くようだ。ピラミッドがやはり鍵を握っているように思えてくる。
 神秘思想ではよく「目に見えないものは、隠すことによってのみ見えるようになる」などという。
 先日、おかしな夢をみて、小柄で透明な人が出てきたのだが、わかっていても見えなかった。でも、布を掛けて触ってみたら、姿がわかるようになった。カバーで覆うと、形も大きさもわかるようになる。そういうことかな、とも思ったが、どうなのだろう。




copyright (c) HIDEO KURAHASHI

ホーム 古代文明への旅 ピラミッドと惑星 邪馬台国と大和朝廷 日記『つれづれ草』 アトランティス幻想 あぐら鍋
<あぐら鍋>
アラカルト 好きなもの ダイアリー

ホームへ ミステリー館・扉へ