| 闘争か逃走か 朝 西 知 徳 |
大学1年生のとき、19人いた同級生のうち、15人が合宿所から逃げ出すという事件があった。春季リーグ戦を終えて最下位が決定した夜のことであった。逃げ出した者の中には、甲子園組も多くふくまれていた。リーグ戦で試合に出ている者も数多くいた。私は逃げ出さなかった。逃げ出したとしても、実家へ帰るお金もなかったし、そして何よりも、あれだけ多くの人に激励を受けて来たのだから、尻尾を巻いて逃げるわけにはいかなったのである。後日、3人の同級生が部に復帰したものの、総勢31人いた野球部員は19人となり、ベンチ入り25人にも満たない人数で、その後の入れ替え戦に臨まなければならなかった。1勝2敗でU部落ちが決まった。せつなかった。そして卒業するまで二度と、T部リーグに返り咲くことはなかった。
大学2年生のとき、朝がやって来るのが恐かった時期がある。上級生の言いつけを守らなければならない。下級生を指導しなければならない。その板ばさみになって、動けなくなっていたのである。運動部の上下関係に理不尽さが付きまとうのは、よく聞くことだが、私はその渦中でもがき苦しんでいた。あるスポーツ心理学者によれば、理不尽さが人間を強くするものらしい。理不尽さの中に身を置くことが、貴重な体験なのだという。私はこのときも、逃げ出すことをしなかった。
最終学年になろうとしたとき、卒業する一学年上の先輩から、次の主将、副将、主務(選手会長)が発表された。3人とも、あのとき合宿所から逃げ出さなかった者たちだった。私は主務(選手会長)に指名された。先輩たちには、とても感謝している。
闘争を選ぶべきか、逃走を選ぶべきか。ふり返れば、「闘争」を選び、大学野球をやり遂げて(4年生の秋まで)よかったと思っている。神宮に出ることはなかったが、私には「根性」という名の財産が残った。