ひとりごとN

2009.12.25 来年の目標
 
今年の夏は、2度目の甲子園出場まで、あと一歩のところであった。惜しかった。そのあとの5ヵ月は、いつもとは違う月日であったが、それなりに楽しかった。家族といる時間が多くとれて、本当によかった。息子も喜んでいた。
 さて、来年の目標は、まずはフルマラソン完走、次にスポーツメンタルトレーニング指導士補の資格申請、そして著書の出版。コツコツとやるべきことをやっていこうと思う。
 あさっての飛行機で、横浜に帰省する。
 今年も、みなさまには大変お世話になりました。来年もみなさまにとって、良い年でありますように。


2009.11.29 知らないということを知らない人

 ノムラ監督の著書に「感じないことは罪だ」という内容の記述があった。「鈍感は愚なり」ということである。
 無死一塁から、強攻して併殺をとられたあとの打者が、ヒットを放つとする。「きっちりと送っておけば1点入ったのに」と嘆く人が必ずいる。そういう人には、気をつけたほうがいい。野球を知らないない人である。走者がいないときと、二塁にいるときでは、配球も守備隊形も異なるために、同じようなヒットが生まれるはずもない。いくらそのことを指摘してあげても、野球を知らないということも知らないので、理解を得るのは難しい。手に負えなくなってくる。私は、そういった鈍感さをむき出しにする「知らないということを知らない人」に、今までに何度も出会ってきた。
 以前、無死一塁からの得点期待値を、「ヒッティング」「バント」「スチール」「ヒット・エンド・ラン」と攻撃別に分けて調べたことがあった。結果、統計学上の有意差は見られなかった。つまり、どの攻撃方法を用いても、得点期待値はあまり変わらなかったのである。「打ってだめなら、バントをしてもダメ」というのが、調査の結論であった。
 「バントをさせておけば点が入ったのに」。鈍感な人が、また歩み寄ってきた。「彼らはバントばかりをしたくて、米子松蔭の野球部に入ってきたのではありません」。キッパリと言った。野球を知らないということを知らない人は、目を白黒させていた。

2009.11.28 走ってきた道
 
本校に勤務してから、もうすぐ13年を迎えるので、その間に自宅から学校までの往復13kmの道のりを、愛車でおよそ4,500往復してきたことになる。今朝は、その道のりを走ってみることにした。雨が降っていたが、この日に家と学校を往復するというトレーニング計画を、前々から立てていたので、「鉄の意志」にしたがって実行した。毎日まいにち通ってきた道なのに、自らの足で走れば景色も違って見えるから不思議であった。私はこの道をあと何往復するのであろうか。

2009.11.26 勉強しています

 この前の3連休は東京にもどり、スポーツメンタルトレーニング指導士になるための研修会に参加してきた。山陰では一人も持っていない資格に、今チャレンジしているところである。著書、学会発表、研究報告、研修会への参加、実習など、クリアしなければならないハードルはいっぱいあるが、3年ががりでその資格を手にしたいと思っている。
 指導者は選手の鏡である。勉強をしていない指導者が、偉そうなことを言ったところで説得力があるはずもなく、そういった薄っぺらい言葉を選手は見透かしてしまうものなのである。だから私は勉強する。大変だけれど、大学での講義も5年間つづけてきた。高校野球の監督が、研究活動をすることに対して、批判的な見方をする人も確かにいたが、私は指導者がスキルアップを図るために、ときにはノックバットの代わりにペンを握ることは、とても大切なことだと考えている。

2009.11.25 フルマラソンに挑む意味
 いま走り続けている。己の生き方を自らで確認するために。そして、137名の卒業生(3年生をふくむ)に対して、心をこめて指導した朝西野球の正しさを証明するために、フルマラソンに挑む。

2009.11.19 本の読み方
 何かに役立てようとするためだけに、読書をするのは邪道だと思っている。研究をしなければならないからと、学術書を読んでも苦痛なだけである。試合で打つことができるようにと、難しい技術書を読もうとしても文字が頭に入ってこない。
 そもそも「読まなければ」という受け身の姿勢が芳(かんば)しくないのだと思う。純粋に「読みたい」という気持ちが大切なのである。小説でもよい、ときにはマンガでもよい、雑誌でもよい。いま読みたい本を、わくわくしながら読んでみる。すると、不思議なことに苦悩を解決するためのヒントに必ずぶつかっていく。本にかぎらず、観たい映画、聴きたい曲、それらのセンテンスから、私は野球指導に関する多くのヒントを得てきた。
 宮本輝の『青が散る』という長編小説がある。二十歳のとき、自動車学校に通いながら、学科や実技の講習の合い間に完読した本である。この小説は以前、石黒賢が主演してテレビドラマにもなった。主題歌は松田聖子の『蒼いフォトグラフ』であった。もう一度『青が散る』を読んでみたいと思っている。いま抱えている問題を解くためのヒントにきっと出会えるはずだ。 

2009.11.18 泥をかぶること
 早朝に産業道路沿いの歩道を走っていたときのことである。背後から走ってきたトラックが、水たまりの上を通り、はね上がった泥水が私の右半身をたっぷりと濡らした。「なめんな、こらっ!」。思わず下品な言葉を口にしてしまったが、そんな言葉は届くはずもなく、それどころか運転手は、泥水をはねたことさえも気づいていなかったであろう。
 身のまわりでも、そういったことは、頻繁に起こっているのかもしれない。自分が前に進みたいがために、知らないうちに他人に泥水をかけてしまっていることが…。両親や恩人や友人に泥水を…。
 私はリーダーの仕事で最も大切なことは「決断すること」だと考えている。そして次に「泥をかぶること」。泥水をかけられた私は、どうしたかって? もちろん立ち止まることをせずに、そのまま前を向いて、しっかりと走り続けた。

2009.11.15 小さな同窓会
 朝西野球を耐え抜いた選手は、卒業後も継続して野球をするものが多い。「野球を生涯スポーツに」という姿勢が、おのおのからうかがえて、とても頼もしい。
 きょう「新撰組」の試合に出場した。前の試合では、宇田川くん(2004年度卒)、高野くん(07卒)のチームと、植田くん・杉森輝巳くん・中口くん・米原くん・渡部くん(05卒)のチームがしのぎを削っていた。スタンドには、相原くん(02卒)、関くん(03卒)、濱田智くん(05卒)の姿もあった。曽根健太朗くん(02卒)が監督を務め、弟の大二朗(05卒)くんが主将を務める「新撰組」には、他にも榧野くん(02卒)、廣川晃一くん(06卒)がおり、そして対戦相手には、濱くん・山本くん(00卒)がいた。さらに、スタンドには卒業生の保護者も数多く(20〜30人?)見られた。
 卒業生と保護者が西伯カントリーパークで、小さな同窓会をひらいているようだった。

2009.11.8 フルマラソンに挑戦!
 走りはじめてから、4ヵ月目に入った。レースも順調にこなし、3`のウォーキングがやっとのことだった体力も、今では10`を楽に走れるまでに回復している。ハーフマラソンなら、完走できるレベルまでに到達しているだろう。
 人生の節目に、いつもフルマラソンに挑戦してきた。大学を卒業するとき、前任校を退職するとき、大学院に進学したとき…。フルマラソンを走りながら、ずっと心の声を聞いてきたのだ。
 3月21日に「鳥取マラソン」が行われる。フルマラソンは人生のよき思い出となる。心の中にいつまでもその記憶をとどめられる。今度は鳥取の地で、7回目の完走を目指し、15年ぶりにフルマラソンに挑もうと思う。

2009.11.7 人間総体を鍛える
 本校の野球部は、野球留学生はとらないという学校の方針もあり、一学年10名前後のチーム構成となっていた。つまり、部員が2倍も3倍もいるチームと、少人数で立ち向かわなければならなかったのである。
 そういったチーム事情を考えれば、大人数のチームと同じように、グラウンドでの野球の練習だけでは、追いつかない。他のチームがやっていないような取り組み、たとえば「心のトレーニング」が必要になってくるのである。
 たとえば、6年連続で実施した「北海道遠征」、10年連続で野球部単独チームによって完走を果たした「米子-鳥取間駅伝」、10年連続で取り組んた郵便配達の「アルバイト」、都大路での陸上競技部・代々木体育館での女子バレー部の「応援」、出雲くにびきマラソン・なかうみマラソンなどの「マラソン大会」への出場、またはオフシーズンに30〜50時間かけて行う「ミーティング」、さらには引退後のユニバーサルスタジオへの「遠足」がそれである。
 朝西松蔭がグラウンドで、野球バカをつくるためだけの練習をしていたら、はたして、【甲子園1回、中国大会6回、山陰大会3回、西部リーグ優勝9回】という「成果」を上げられたのであろうか? 答えはみなさんの判断に委ねたいと思う。

2009.11.6 三村敏之さんの笑顔
 前にも書いたが、1975年(昭和50年)に広島カープがセ・リーグ初優勝を決めた瞬間、小学4年生だった「ぼく」は、3人のクラスメイトと後楽園球場で古葉竹識監督の胴上げを見ていた。そのときに、二番を打ち、ショートを守っていたのが、三村敏之選手であった。三村選手は、ぼくら子供たちにとっては、手の届かない遥か彼方の人であった。
 私は今、毎週月曜日に福山大学で「スポーツ心理学」を教えている。三村さんも福山大学の客員教授として「コーチ学概論」という講義をもたれていた。そんな縁もあり、2年前の秋に本校が県優勝を果たし、中国大会へ出場したときには、広島・呉二河球場へ応援に駆けつけていただいた。少年時代の憧れのスターが、私たちの試合を観にきてくれたのである。光栄であった。プロアマ規定という壁があり、ユニフォームを着たまま、直接お話することはできなかったが、その試合で広島県のチームに勝利を収めた後、人を介して三村さんの感想を伝えてもらった。「リードをしているときは、攻撃の時間を長くとるようにしたほうがいい。じっくり、じっくり攻めて、相手投手の球数を増やすべきである」。
 どちらかと言えば、私はリードをすると、ガンガン攻めまくるという采配を振るう。3球つづけてヒットエンドランのサインを出したりもする。一気に相手の息の根を止めようという考え方である。その采配は吉と出ることもあるが、ともすれば逆に流れを変えてしまうという危険性を伴っている。なるほどと思った。広島カープの監督を経験された三村さんの考えは的確であった。
 本校では今夏まで、私が考案した「仕事率」という指標を用いて、選手評価を行っていた。三村さんには、その「仕事率」をすごく評価していただいた。三村さんは現役時代、二番打者として数多くの進塁打を放った。しかし、打率は下がってしまうということに疑問を感じていたという。「仕事率で、評価をしてもらえていたら、もっと年俸が上がっていたかもしれないなぁ(笑)」。
 音楽の効用についても、熱く語っていた。「カープの監督のとき、キャンプでは練習前に水前寺清子の『三百六十五歩のマーチ』を流していたよ。その曲を聴きながら球場に向かって歩いていくんだ。するとやる気がわいてくるんだよ。しかし、その曲はなぜか選手には不評だったけどなぁ(笑)」。
 三村さんの著書に『超二流のススメ』がある。もういちど本を出したいと言っていた。私は調子に乗ってこんな提案をした。「私がユニフォームを脱いだら(プロアマ規定に触れなくなったら)、いっしょに本を出しましょう。三村さんの野球理論を私がまとめるという形で…」「いいねぇ、たのむよ」。三村さんが笑顔で答えた。
 朝のランニングを終えた後、汗をだらだらと流したまま、マンションの廊下で新聞を開いた。信じられない三村さんの訃報があった。
 あの三村敏之選手と出会えたことを、「ぼく」は絶対に忘れない。

2009.10.30 幸せな日々
 鳥取県出身の漫画家・谷口ジローの描いた『犬を飼う』『父の暦』『散歩もの』『遥かな町へ』を再読した。ちなみに『犬を飼う』『父の暦』は、国語の教材としても使用している。『散歩もの』は、「流しの野球人」である私にとっては、共感できる部分が多く、おもしろかった。倉吉の白壁土蔵群を舞台とした『遥かな町へ』は、白壁土蔵群を訪ねてから再読しているので、ストーリーだけではなく、描かれている風景にも楽しませてもらった。
 『遥かな町へ』は、ふとしたことから故郷に帰った主人公が、いつのまにか少年の姿にもどり、もう一度あの頃の生活にもどるという物語である。家も学校も、そして家族もあの頃のままである。主人公もノスタルジックな思いに浸るが、読んでいる私も、自らの経験に照らし合わせて、とても懐かしい気持ちになった。
 私が高校3年生のとき、妹は中学2年生で、弟は小学5年生であった。祖母もまだ健在で、両親は今の私と同じくらいに若く、6人の家族の周りには一匹の犬が走りまわっていた。あれから26年の月日が流れ、祖母も愛犬も、もうこの世にはいない。妹は嫁いで二児の母となり、弟も旭川で結婚して最近こどもが生まれた。いま実家にいるのは両親だけである。
 ふり返ると、6人と一匹でワイワイ、ガヤガヤしていたときが最も幸せな日々だった。『遥かな町へ』の主人公のように、幸せな日々へともどってみたい。高校3年生のときの自分にもどってみたい。「おかえりなさい」という祖母の声を聞いて、「おやつはどこ?」といつものように祖母に尋ねてみたい。妹の見ているテレビのチャンネルを奪いとり、弟に「コーラをダッシュで買って来い」と命じ、夜になれば昔のように、兄弟3人で川の字となって床についてみたい。朝になれば弟とキャッチボールをして、江森といっしょに自転車で登校してみたいと思うのだ。
 部活動を引退してから卒業までの半年間は、野球部員にとっては貴重な時間だと思う。3年生にとっては、今が幸せな日々なのである。
 高校の卒業式を終え、北海道へ出発する日に、6人と一匹で撮った写真がある。幸せな日々のかけらである。

2009.10.26 心の支え
 きのうは「日本一の石段マラソン」というサブタイトルのついた『一畑薬師マラソン大会』に出走してきた。前半の2.6kmが標高300mからの急な下り、次の1.4kmがゆるやかな上り、そして残り1kmからはじまる1,138段の階段上り。この階段は走るというよりも、早歩きしかできないほどの急斜面である。そのため5kmの優勝タイムが20分前後になってしまうという、過酷なコース設定となっている。
 前半の下りを持ち前の大きなストライドで一気に駆け下りた。そこまではイメージどおり。問題は後半の上りである。体重があるので、上りは苦手種目となってしまう。階段では苦しさに負けそうになった。高校野球の監督も苦しい。そんなときは、大学時代の恩師の姿を思い浮かべ、「監督はもっと苦しかった」。そう自分に言い聞かせてきた。走っているときも、同じである。「監督はもっと苦しい」。病床の恩師の姿を思い出して、最後までがんばりぬいた。207人中ちょうど40位。自分なりに根性の入ったレースができたと思う。

2009.10.25 パジェロ(J−TOP)15周年
 15年前の誕生日に買った愛車が、車検を終えてもどってきた。あと5年は確実に乗れると言われた。オールシーズンのタイヤも新調し、雪道に備えて万全の態勢である。愛車の良さが確認できるのは、代車から乗り換えたときである。眺めのよさはもちろんのこと、重厚なエンジン音から伝わる心地よい振動。「最高だな」と思う。雪が積もったときも、愛車のありがたみがよく分かる。そのときは「最強だな」である。
 土曜日に、息子をスイミングクラブに連れて行っている。見ないで欲しいと言われているので、息子が泳いでいる間、愛車は書斎に変わる。毎週1時間ずつとなる「すきま時間」の積み重ねで、文庫本を2冊読破し、いま3冊目に突入した。運転席と助手席を前に倒し、サンルーフを全開にして、後部座席で足を伸ばして読書にふける。こころ安らぐ時間である。

2009.10.24 人生脚本
 
きょう44歳の誕生日を迎えた。仮に22年間を、人生における一つのステージとして括(くく)ると、第1ステージ(大学生までの22年間)は、まさに「鍛練期」であった。自分の無力さ、弱さをとことん思い知らされた。しかしその分、謙虚さを身につけることができたように思う。
 第2ステージ(大学を卒業してからの22年間)は、「飛躍期」であった。第1ステージの鍛練が活き、教育と研究の両立が図れたと思う。結果として、「甲子園」「出版」という三つのうちの二つの目標を達成することができた。
 いよいよ人生の第3ステージ。飛躍期の経験をもとに、一つ上の舞台で勝負してみようと思う。およそ66歳までを「精練期」ととらえ、もう一つの目標(今は秘密)に向かって努力していきたいと思う。
 第4ステージの「熟達期」でも、食生活と睡眠に注意をはらい、身体を適切に鍛えて、自分の足で歩いていこうと思う。健康を維持して、88歳(米寿)まで、がんばって生きようと思う。

2009.10.22 河原VS金刃
 きのうのクライマックスシリーズで、個人的に応援している両投手が投げ合うという場面があり、とてもよかった。東京ドームのスコアボードに「河原」「金刃」という文字が、同時に点されるという瞬間があったのだ。
 中日の河原投手は、言うまでもなく弟の高校時代のチームメイトである。大学でアマチュア日本一となり、ドラフト1位で巨人に入団。初登板のときには、東京ドームで彼のさっそうとしたデビューを目の当たりにした。やがては、ストッパーとしてチームの優勝に貢献。その後は、故障もあり、西武へ移籍し2年前に退団。1年間の蛍雪時代を経て、今シーズン中日の選手としてよみがえった。デビューしたときのあのマウンドで、古巣の巨人を相手に立ち向かう河原投手に、「がんばれ!」とブラウン管の前で叫ばずにはいられなかった。落合監督のすごいところは、そういった演出がさりげなくできるところであろう。
 そのあとすぐにマウンドに登ったのが、金刃投手であった。1年目に開幕から勝ち星を重ね、がっちりとローテーションの一角を守り、巨人の中心選手として活躍していた。同じように故障のため、昨年と今年は、とても苦労していたが、今シーズンの終わりに復活の勝利をあげ、大事なクライマックスシリーズのマウンドを任されることとなった。3人を凡打にしとめ、これからの飛躍を感じさせる投球内容であった。
 両者に共通している点。それは、高校のときに県大会の準決勝で惜敗し、悔し涙をのんだこと。そして、それを力に変えて、大学野球で才能を開花させたこと。プロで鮮烈なデビューを果たし、そのあとに苦労をいっぱい重ねてきたこと。それだけに、「がんばれ!」と叫ばずにはいられないのである。プロ野球を見る楽しみが、また大きくふえた。

2009.10.20 復帰レース
 
おとといの日曜日、マラソン大会に出場した。大きな大会、小さな大会を合わせれば通算30回目のレースとなった。強かった時期があっただけに、年齢とともにタイムが落ちていくことによって、次第にモチベーションは下がり、40歳でいったんは身を引いていた。しかし、今回は練習をたっぷりと積んで、3年半ぶりのレースに挑戦。
 5kmの中間地点である2.5kmのラップタイムは、なんと10分5秒。後半に粘れば、とりあえずの目標である20分未満が達成できそうだった。こんな簡単にクリアしちゃっていいのか。ところが、後半はコースの起伏に負けて失速。復帰レースは、21分44秒でゴール。また目標に向かって、コツコツと走っていこうと思う。「ローマは一日にして成らず」。
 「タカラジェンヌ」のみなさん、ご声援ありがとうございました。高校のときの体育祭(長距離走)を少し思い出しました。

2009.10.18 がんばれ!ノムラ監督
 ノムラ監督の退任が決まったらしい。弱小チームを精神面から鍛え上げ、リーグ2位へと躍進させたのに、残念でならない。
 一般論になるが、一般社会では不可解な人事がよく行われる。そういった場合、組織のリーダーが現場をまったく見ていなかった、または見る力がなかったというケースがほとんどである。『踊る大捜査線』のセリフではないけれど、「事件は会議室で起こっているんじゃない。現場で起こっているんだ」。そんなふうに叫びたい人は、世の中に大勢いるのではないか。
 部下のもつ正義の剣を受け止める盾を持たないリーダーや、部下の才能に嫉妬してしまうリーダーは、現場の状況を正確に把握できていない。そういった誤審によって、衰退の一途をたどっている組織は少なくないであろう。また、酒の注ぎ方の上手さや、ゴマすり度によって、イエスマンを募っている組織などは、崩壊を待つのみである。
 小学校3年生のとき、クラスの野球チームで、私は監督で四番でキャッチャーだった。みんなで揃えた帽子の横に、おのおのが好きな番号をつけていた。私はそのとき、南海ホークスの監督で四番でキャッチャーの、ノムラ監督のつけていた背番号と同じ「19」を帽子につけた。野村克也は、子供たちが憧れるプレイヤーの一人だったのである。ノムラ監督には、ぜひ日本一で締めくくってほしい。


2009.10.17 あの頃の生き方を

 先週の土曜日に、家族で『大山ミュージックリゾートin花回廊』というコンサートに行って来た。コンサートに行くのは、6年前に代々木体育館で行われた『ユーミンスペクタル・シャングリラU』以来のことである。野外コンサートとなれば、高校3年生の夏休みに日比谷野外音楽堂で行われた『激夏100%!伊代DokiDokiコンサート』以来となる。今回は『22才の別れ』の伊勢正三、『なごり雪』のイルカ、『翼の折れたエンジェル』の中村あゆみ、そして元Hi-Fi SETの山本潤子が出演するコンサートであった。
 このチケットを買ったわけは、山本潤子が出演すると知ったからである。彼女の歌声は美しい。心が癒される。オープニングで歌っていた『中央フリーウェイ』や、最後に歌った『卒業写真』をはじめ、多くの曲の詞をユーミンが書いている。ユーミンの『あの日にかえりたい』のイントロで、「♪バーバババ、バービアーバーバー、ババビアー♪」と華麗な歌声を披露しているのも彼女である。私が大学時代にユーミンの曲を覚え、その流れでHi-Fi SETの曲を覚えたことは、自然な流れであった。つまり、私にとって山本潤子の歌声は、ユーミンと並んで青春の調べとなっているのである。
 『卒業写真』は、卒業のシーズンとなるたびに、国語の授業の中で生徒に聞かせる曲の一つである。ユーミンと山本潤子がそれぞれに歌う『卒業写真』を流して、比べてみたりもする。色に例えると、ユーミンの歌声は透明で、山本潤子の歌声は純白である。どちらの歌声も寒い冬がよく似合う。そして、大学時代に過ごした北海道の風景が、とてもよく似合う。
 『卒業写真』の歌詞のなかに「♪あの頃の生き方を〜あなたは忘れないで〜♪」というフレーズがある。山本潤子が、そう歌ったときに、はたして今の自分は、大学時代の自分に恥じない生き方をしているのだろうかと、ふたたび自分に問うてみた。

とじる