贈り物は情熱
朝 西 知 徳

 卒業の季節がやってきた。20人もの卒業部員を送り出すのは、高校野球を指導するようになってから、はじめてのことである。
 昨年の春、3年生部員であるYの父親が他界した。次の日、悲しみに沈むYのために戦おうとみんなで決めた。選手会長が逆転打を放ち、副将が力投し、主将の本塁打で締めくくった。全員で参列した午後の告別式、主将が「全員野球」と記したウイニングボールをYに手渡した。ハンカチを手にする母親の横で、Yは私たち一人ひとりに笑顔を送っていた。「泣いちゃだめだぞ。お母さんをしっかり助けてやれよ」。私はそんな言葉しか、かけてあげることができなかった。
 春の大会で負けたあと、主将とともに学校から駅までのゴミ拾いをしたことがあった。悔しさに堪えながら、二人とも黙ったままゴミを拾い続けた。「夏まで一緒に苦労するぞ」。主将は元気よく「はい」と答えた。
 「自分はエースとして夏のマウンドを任されたけれど、いまだに自分でいいのか不安である」。部員の投票によってエースの座を勝ちとった副将が、日誌にこんなコメントを記してきた。「満票でエースに選ばれたのだから自信をもつべき。誇りある本校のエースとしてがんばるのみ」。私はそう返した。彼は堂々たるピッチングを披露した。
 しかし、敗戦のときはやってきた。最後の試合は、ベンチ入りメンバーである18人をすべて起用した。負けた瞬間、グラウンドで胴上げがはじまった。主将、副将、そして記録員であるYの体が宙に舞った。選手も応援団も保護者も、みんなみんな涙にくれていた。その涙がライトに照らされてきらきらと輝いていた。
 「しっかりとベンチを掃除してから帰ろう」。すると、Kが泣きながらベンチを掃きはじめた。Kは3年生部員のなかで唯一の下宿生であった。親元からひとり離れ、3年間の下宿生活を貫徹した。ひとりぼっちの部屋の中で、涙をこらえた日もあったにちがいない。彼を甲子園に連れて行ってあげられなかったことを私は悔やんだ。
 球場を出ると、夕闇のなか、今度はベンチに入ることのできなかった3年生部員の胴上げがはじまっていた。1、2年生が、わんわん泣きながら輪に加わっていた。みんな最後まで全員野球を貫こうと必死だった。
 冬の夜だった。3年生部員が全員で我が家を訪れ、子供にケーキをもってきてくれたことがあった。そんな純粋で心やさしい彼らに、私は何を贈ることができたというのか。半年間そのことをずっと考えていた。
 そういえば、私は息子が生まれた瞬間でも、選手とともにグラウンドにいたのだ。勝てない日が続いても、歯をくいしばりながらグラウンドに立ちつづけたのだ。そして、社会の向かい風に遭おうとも、グラウンドに立つ獅子であろうとしていたのだ。
 卒業おめでとう。私からの贈り物は、グラウンドで4,000時間以上かけて注いだ、情熱という名のエネルギーである。


とじる