門脇泰作先生の偉業
朝 西 知 徳

 

  米子松蔭高校・陸上競技部監督の門脇泰作先生が、今年度をもって、退職されることとなった。前任校を含めると、およそ40年もの長きにわたり、陸上競技の指導に情熱を傾けてこられた。

 門脇先生自身は、高校時代に、専門の指導者がいない環境のなか、独力によって、800メートルでインターハイ優勝を成し遂げた。「山陰の無名選手でも、やればできる」ことを証明したのである。

 高校卒業後は、実業団の陸上部員として、名将・中村清監督の下で活躍をしたあと、指導者の道を志すために、大学進学を決め、「年下の先輩たち」からの厳しい指導に耐えながら、競技を続けたという。

 本校に赴任してからは、指導者として男女合わせると5回、都大路(全国高校駅伝)に導いた。とくに、平成10年には男子が9位に躍進。平成12年には女子が8位入賞を果たした。

「弟(生徒)の吐く息を、師が吸ってやるという気持ちで指導しなければ」。平成10年には、3,000メートル障害で、愛弟子の井中将貴選手が、インターハイ優勝を収め、師弟優勝を遂げた。 

 「石ころを磨いてダイヤモンドに変える」。門脇先生の手腕で卓越している点は、中学時代に実績のない生徒を、全国でも通用する選手に変えてしまう育成力である。個人と団体を合わせれば、全国入賞(8位以内)は、25回を数える。「汗で教え、涙で諭す」。心の教育で、生徒の力をぐいぐいと伸ばしていった。やがて卒業した生徒は、大学や実業団でも活躍を続けていく。

門脇先生は、雨の日も、風の日も、朝早くから学校にやって来て、生徒の吐く息を吸い込んできた。それを40年も続けてきた。きっと心の核には、師と仰ぐ故・中村清氏の存在があったのであろう。

一つのことを40年やり続けるということは、口で言うほど生やさしいことではない。それは、まぎれもない偉業である。平成20年、門脇先生は、陸上競技の発展に貢献した人に贈られる「秩父宮章」を受章した。退職したあとも、本校の陸上競技部に力を注ぎ続けられるという。それは生徒への無償の愛にほかならない。

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