米商野球部・最後の試合
朝 西 知 徳

 氷点の街から二十四の瞳がやってきた。3月下旬、北海道・旭川商業高校野球部の選手12人が、5泊6日の日程で米子遠征にきた。
 「この遠征をずっと前から楽しみにしていました」と主将がきらきらと輝く瞳で話した。彼らは昨年の10月からアルバイトをして、遠征にかかる交通費、宿泊費を自らの力で稼いだという。つまりそれは、この遠征のもつ重さを意味していた。
 5km離れた宿舎からランニングで通い、3日間にわたり本校野球部と合同練習をした。半年ぶりのグラウンド練習ということもあり、はじめは満足なキャッチボールも行えず、また遠慮がちに声を出していた彼らではあったが、遠征4日目の開幕ゲームとなった米子東高校とのオープン戦では、堅実なプレーと元気のよい声でナイスゲームを披露した。
 翌日は米子遠征の総括ともなる本校とのオープン戦となり、奇しくもそれは35年にもおよんだ米子商業高校野球部のラストゲームとなった。私は学生時代を旭川で過ごした。旭川は青春の思い出がいっばいつまった街である。
 その歴史的なゲームを第二の故郷から来たチームと戦えることに監督として大きな喜びを感じた。米子市民球場に降る冷たい雨の中、それが相手に対する礼儀だとばかりに闘志をぶつけ合った。
 その夜、彼らは私たちを焼き肉パーティーへと招待してくれた。その費用もアルバイト代から捻出したという。私たちは感謝の意を込めて、遠征の記念となるペナントとボールをプレゼントした。ほおを寄せて写真を撮り、肩を叩きながら甲子園での再会を誓い合った。
 遠征最終日、鳥取砂丘の砂を甲子園の土であるかのごとく瓶へと詰め、彼らは笑顔で飛び立った。
 「彼らが遠征を終えたとき、米子へ来てよかったなと思えば君たちの勝ちだし、そうでなければ君たちの負けである」
 私は本校の選手にこう言っていた。はたして、まだ雪の積もる旭川へ着いた彼らの心には、瓶に詰めた砂のように米子での思い出はいっばいつまっていたのであろうか。
 旭川商業高校野球部の皆さん、米子へ来てくれて本当にありがとう。そのダイヤモンドダストのような清らかな汗は、確かに米子の地に染み込んだ。


とじる