| 米商野球部・最後の戦い 朝 西 知 徳 |
米子商業高校の野球部監督として初めて迎え入れた選手が卒業することになった。喜びの旅立ちは寂しい瞬間でもある。
前任校の監督としてのラストゲームは、炎天下のなか1点差で敗れた。すると青空に突然の豪雨。私は木陰で歯をくいしばりながら、雨が止むのをひとり待った。
4季連続初戦敗退。本校の監督へ就任した直後の戦績である。つまり米子へ来てからも悲しみの雨は降り続いた。
以後は県大会において春4強、夏8強、秋準優勝(中国大会出場)、春優勝(中国大会4強、山陰大会出場)と戦績は一気に好転するが、平均理論としての野球を強いられることに変わりはなく、悲しみの雨はやがて苦しみの雨へと変わった。私は唇をかみしめながら、雨が止むのをひとり待った。
鳥取を野球先進県とするには、大山ではなく富士山の頂上を目指す気概をもち、スケールの大きな野球に取り組む必要があること。さらに平均理論ではトップアスリートは生まれないこと。これらを選手に向かって真剣に説いた。
むかい風の吹く中、ジャングルに道を創ることにより、我われは甲子園へとたどり着いた。決勝の校歌をうたっているとき、生まれて初めて喜びの涙を知った。歓喜する輪の中で「優勝したぞー!」と私は叫んだ。選手の手によって宙に舞い、優勝インタビューを受け、ロッキーのテーマ曲に乗りながら皆で手を叩いて凱旋した。これら一つひとつの熱いシーンは、野球人生のハイライトとして永遠に私の心に生き続けるであろう。
残念ながら甲子園で勝ち上がることはなかったが、全国上位という高い目標に向かって努力したことは、選手の今後を明るく照らすにちがいない。全国でもやはり通用した主戦の投球術。わがチームの野球を象徴する主砲の本塁打。そのスピリットを示す主将のコメント。敗戦に沈む私を救ったのは、そんな彼らをはじめとする選手一人ひとりの残映であった。
来年度は「BEISHO」から「SHOIN」へとチーム名が変わる。しかし、胸に入るアルファベットの文字が変わってもユニフォームのスタイルは変わらない。つまり卒業する選手の魂は、チームカラーであるバープルの中に宿り続ける。
さようなら、米商野球部最後の戦士たちよ。革命は血を流すという。どうか勇気ある人生を。