| 青春のかけら 朝 西 知 徳 |

ひとり息子が、まもなく幼稚園を終える。共働きのため、息子は、朝の8時から夕方6時までの10時間を、幼稚園で過ごした。つまり、幼稚園での出来事が、息子の「生きること」のすべてとなった。幼稚園の先生方には、心からお礼を言いたい。
別の息子たちは、高校の卒業式を迎える。彼らは、朝早くから登校し、夜遅くに校門を出るという生活を送ってきた。彼らにとっては、教室やグラウンドでの出来事が、「生きること」のすべてであった。
合宿に出かけたとき、宿舎のルールを守らない部員がいた。ロードワークに出ると、一番にもどってきた彼が叫んだ。「自分がいけないんです」。彼は、ルールを守らなかった部員がいた部屋の責任者だった。個人練習になると、まっ先にバットを握ろうとしていたのが彼だった。「結果は出るはずだよ」。春以降に放った本塁打は、県内上位の数となった。にもかかわらず、「最後の夏は、チームバッティングに徹するぞ」と宣言した。大会では、チャンスをメイクする2本のヒットを放った。それは、彼の今後を明るく照らす光の矢となった。
ゲームになかなか出ることのできない部員がいた。それでも彼は、グラウンドで暗い目を見せることをしなかった。いつでも、ほんのりと光を放っていた。それは裸電球のような、温かくて優しい光だった。負けた日の夜、彼がやってきた。「三塁コーチャーとして信頼されていたかどうかわかりませんが、自分なりに精一杯がんばりました」。やさしい声だった。「三塁コーチャーとしてというよりも、人間として、人として信頼していた」。私は涙をこぼすまいと、大きな声でそう伝えた。
一枚の写真がある。赤ちゃんだった息子や、私の弟たちと、みんなで笑っている写真だ。その背後に、中学1年生の少年がまぎれこんでいた。私たちは逆光でグレーな顔をしているのに、後ろの少年の笑顔だけが鮮やかに写っている。3年後、その少年が本校の野球部に入部してきた。今度は、自らの手で甲子園を勝ちとるために…。なかなかポジションを取れない彼に、私はやさしい言葉をかけようとはしなかった。それどころか「実力で奪い取れ」と突き放した。最上級生となった春の県大会、一ケタの背番号を初めてつけた彼が、フィールドにいた。写真にまぎれこんでいた日、彼はスタンドから試合を観ていた。「あのときのように、監督を胴上げしよう」。一緒に甲子園へ行くことはできなかったが、彼があの日から、あのときから、ずっとその気持ちを変えずにいてくれたことを、生涯忘れずにいたいと思う。