アヘン(阿片)成分モルヒネの単離から構造決定まで |
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アヘンは人類史上最古といってよい生薬であるが、痛みを和らげ眠りを誘う唯一無比の薬として、歴史的に常に脚光を浴びてきた。ルネッサンス以降に勃興した近代科学が重要な生薬の薬効成分を解明しようとしたとき、真っ先にアヘンを選んだのも歴史的必然であったといえよう。モルヒネはそのアヘンの薬効成分であり、天然有機化合物として最初に純粋な形で単離された(Serturner, 1806年)が、その平面構造が明らかにされるのに120年、絶対構造の決定まで150年を要している。分子量が300に満たない小さな化合物にもかかわらずその構造決定にこれほどの時間を要したのは、今日的視点から見てもモルヒネの構造がきわめてユニークかつ複雑だったほかに、その構造決定の基盤となる有機化学の発展を必要としていたからである。そのため、構造決定には想像を絶する時間と膨大な数の人的資源の投入が必要であった。逆にいえば有機化学の発展はモルヒネによって牽引されたということができるのである。ここでモルヒネの構造決定の歴史を記述する理由として3つ挙げておこう。一つは構造決定に参画した化学者はいずれも当代第一線の学徒であり、そのたゆまぬ努力への感謝を評するためであり、このような機会を除けば滅多にその業績は引用されることはないからである。第2は、モルヒネの構造決定が全くゼロから出発しており、古典的な構造決定法の中でもっともすばらしいロジックを提供するからである。第3は、多様な化学反応が用いられており、その過程を追跡することにより有機化学の発展の歴史を体現できるからである。 1.モルヒネの分子量の確定とモルヒネとコデインの構造相関 今日では、大部分の有機化合物の分子量は高分解能質量分析法で決定されているだろう。19世紀の初期では、一つの有機化合物の元素分析を行うだけで立派な学術論文として認められた。無論、結果が正しいことが条件であるが、それも一定範囲内の再現性ある数値であること、また組成式が単純でありさえすればよかった。この時代で、最初にモルヒネ(1: Morphine)の分子式を提出したのはLiebigで、1831年、C34H36N2O6と発表した。1838年、RegnaultはC35H40N2O6とLiebig式よりやや大きめの分子式を発表している。一方、Laurentは、1847年、モルヒネの分子式と一致するC17H19NO3を提出している。Liebigの提出した元素分析値はC: 71.81%; H: 6.38%、RegnaultはC: 71.90%; H: 6.89%であり、正しいモルヒネの分子式から計算された値C: 71.56%; H: 6.71%と比べても、±0.4%以内に収まっている。しかし、元素分析値から正確な分子式を導くには不十分であり、正確な分子量が必要となる。1897年、von Klobukowは氷酢酸溶液の凝固点降下法によってモルヒネの分子量を285と決定し、これによってモルヒネの分子式としてLaurent式が正しいことがわかったのである。 2.モルヒネの構造決定―フェナンスレン骨格の存在についてモルヒネ(1)の構造決定を本格的に着手したのは、1881年、von Gerichtenであったが、今日の有機化学の基準からすれば実に大胆かつ過酷な条件を用いた。すなわち、モルヒネと10倍量の亜鉛末の混合物を300℃まで加熱し、反応分解物を蒸留し精製した。その結果、得られたのはフェナンスレン(Phenanthrene)であった。しかし、用いた反応条件があまりに過酷であり、モルヒネ分子中にフェナンスレン骨格が存在すると結論づけるほどvon Gerichtenは自信をもてなかったようだ。そこで彼は、1886年、より温和な条件でモルヒネの分解反応を試みた。
まず、モルヒネのヨー化メチル4級塩(3)を無水酢酸中で還流して得たもの(今日流にいえばジアセチルモルヒネヨー化メチル塩)(4)を封菅中で160℃に過熱して分子式C18H14O4(結果的にはジアセチルフェナンスレンDiacetylphenanthrene)で表わされる物質(5)を結晶として得た。更に、アンモニアで処理するとアセチル基が2個失われたC14H10O2で表わされる物質が得られvon Gerichtenはこれをモルフォール(Morphol)と命名した。先ほどの過酷な反応で得られたフェナンスレンと同じ炭素数なのでvon Gerichtenはこの物質がジヒドロキシフェナンスレン(Dihydroxyphenanthrene)と認識していたのは間違いないが、水酸基の位置については知らなかった。いずれにせよ、モルヒネがフェナンスレン骨格をコアに含むのは確実であり、モルヒネの炭素数は17個だから残りの3つの所在を明らかにすればよいことになった。von Gerichtenは、1883年、Barth and Weidelがモルヒネのアルカリ分解物からプロトカテキン酸(Protocatechuic acid; 3,4-Dihydroxybenzoic acid)を得ていることに気づき、アセチル基がオルト位に位置すると結論づけた。2つのアセチル基がフェナンスレンのA環に存在するは、13年後の1899年になって明らかにされた。すなわち、von Gerichtenはジアセチルフェナンスレン(5:Diacetylphenanthrene)を酸化クロムで処理してC18H12O6の生成物(6)を得たが、この物質はアセチル基は失われておらず、2個の水素原子を失ったかわりに2個の酸素原子を得ていることがわかった。この物質はオルトジアミノベンゼンと反応して鮮やかな色素(結果的にはピラジン誘導体である)を生成するので、オルトキノンであることが証明された。これによって、アセチル基はフェナンスレンの9、10位以外の位置にあることがわかった。更に、オルトキノンを加水分解し、過マンガン酸カリウムで酸化分解したところ、フタル酸(8: Phthalic acid) を得た。以上の結果は2個のアセチル基がフェナンスレンのA環に存在することを示唆するものであった(以上は図2に示す)。1882年、von Gerichtenはコデインヨウ化メチル塩(9)を酸化銀で4級アンモニウムヒドロキシド(10)に変換した後、熱分解する反応を行っている。この反応の原型は、1881年、Hofmannによって開発され今日でもホフマン分解としてアルカロイドの分解反応の定法として知られる。この反応は進行したが、化合物11では窒素は失われていなかった。そこで再び4級塩として同じ反応を試み、化合物14 (C15H10O2)を得た。一方、化合物11を無水酢酸中で160℃から180℃に加熱したところ、化合物16 (C15H12O2)を得た。元素分析の結果は化合物14と化合物16がよく似た化合物であることを示し、亜鉛末還元でいずれもフェナンスレンを精製するので、両化合物ともフェナンスレン誘導体であることは確かであった。化合物16はMorpholにメチル基が一つ多いので、Methylmorpholと命名された。一方、化合物14はMethylmorphenolと命名されたが、フリーのフェノール性水酸基はなく、以上の命名は非常に紛らわしい。以上の実験は、1889年、Knorrによって更に詳細に検討されている。化合物14と化合物16の関係については、von Gerichtenは1898年に化合物14をエタノール中で金属ナトリウム処理すると化合物16に変換されることを発見している。
しかしながら、この時点ではまだいずれの化合物の構造も明らかではなかったが、その構造は、1900年、Pschorrが図3に示すスキームで3,4-ジメトキシフェナンスレン(17: 3,4-Dimethoxyphenanthrene)を合成(実際にはこの他に多くの誘導体を合成した)し、これとMethylmorphol (16)をメチル化したものが同定一致したことから確定した。この方法は今日でもPschorrフェナンスレン合成法としてよく知られる。von GerichtenおよびPschorrによる分解反応および化学合成によってモルヒネ(そしてコデイン)の14個の炭素がフェナンスレン骨格を形成し、A環の3位にフェノール性水酸基(メトキシ基)、4位にエーテル環を形成する酸素官能基、部分的に還元されたC環の存在が明らかにされ、モルヒネの構造決定は飛躍的に進展したといえる。
3.モルヒネ第3の酸素はどこに? モルヒネ、コデインの3つの酸素のうち2つの場所は特定できたが、3つ目の酸素はvon Gerichtenの分解反応で失われているので、C環にアルコールとして存在すると考えられる。1903年、Ach and Knorrはコデイン(2)を過マンガン酸カリウムまたは二クロム酸カリウムで酸化するケトン体が得られることを明らかにし、これをコデイノン(17: Codeinone)と命名した(右図)。
以上、モルヒネの14個の炭素はフェナンスレン骨格を形成し、3位にフェノール性水酸基、4位と5位はエーテルブリッジで結合され、6位にアルコール性水酸基が存在することが明らかにされたのである。モルヒネが単離されてから約100年後、Wright、Grimaux、von Gerichten、Pschorrら当代一流の学徒の業績によりやっとここまで到達したのである。 4.モルヒネ分子内のエチルアミンブリッジの存在前述したように、1889年、Knorrはコデインの4級アンモニウムヒドロキシド(10)についてホフマン分解反応を行い、分解産物(12)を得ているが、窒素原子は残存していた。そこで、再び4級アンモニウムヒドロキシド(13)とし分解反応したところ、前述したように化合物14(結果的にはフェナンスレン誘導体)を得た。この時、Knorrは揮発性成分の捕捉を試み、トリエチルアミン(23)を金塩(C3H10NAuCl4)および白金塩(C6H2ON2PtCl6)として得ていた。この結果から、Knorrはトリエチルアミンの二つのメチル基はメチル化で導入されたものであるが、もう一つのメチル基はアルカロイドにもともと存在するものであり、コデイン(モルヒネ)にN-メチル基の存在を指摘した。この結論が正しかったことは、1914年、von Braunがジアセチルモルヒネ(25: Diacetyl morphine; Heroine) について、今日、von Braun反応として知られる一連の反応を行って、デメチルジアセチルモルヒネ(27: Demethyl-diacetyl morphine) を誘導したことで証明された。
1886年、von Gerichtenは以前に自ら行った第二段階のホフマン分解反応で、非塩基揮発物を臭素付加体1,2-ジブロモエチレンとして捕捉した。Knorrは1906年、化合物11を無水酢酸中還流する分解反応を精査し、1-アセトキシ-2-(ジメチルアミノ)エタン(24: 1-Acetoxy-2-(dimethylamino)ethane) を補足したが、おそらくvon Gerichtenの結果を知った上での結論であろう。これらの結果により、モルヒネの残りの3個の炭素、1個の窒素が分解反応で捕捉されたことになるが、Knorr自身はこのフラグメントが-O-CH2CH2N(CH3)-であると結論し、末端酸素が分解反応の過程で導入されたこと、モルヒネの3個の酸素の所在が既に明らかにされていることに気づかなかった。一方、von Gerichtenも残りの部分構造を提出するには至らなかった。コデインの第一段階のホフマン分解反応の産物の構造は当時不明であったが、第二段階の反応を行うとき、4級塩を形成しているので、窒素はフェナンスレン骨格のどこかに結合していたことは確実である。つまり、窒素原子はモルヒネ分子内で複素環を形成していると考えられる。 5.エチルアミン側鎖はどこに? 以上、モルヒネを構成する全ての原子が何らかの分解産物中に捕捉された。そして、-CH2CH2N(CH3)-以外は前節で述べたようにフェナンスレン骨格と3つの酸素官能基の位置が確定しているので、この残基の両端がフェナンスレン骨格のどこに結合しているかが最後のパズルとなった。まず、窒素の結合位置について考察してみたい。
N末が9位、10位のどちらに結合しているかを区別するのは難しいが、モルヒネ(1)、コデイン(2)の分解反応でフェナンスレンの生成過程でN末が除去されるとき、隣の炭素上の水素が脱離するが、ベンジル位(10位)の水素の方がはるかに脱離しやすいので、N末の結合位置として9位の可能性の方がずっと大きいであろう。N末の結合位置は、あるモルヒネ(1)の反応生成物の構造が明らかになったことで確定した。これについては図10を参照。
クロロコライド(35a-d)が塩化物であることは元素分析の結果から明らかであり、コデイン(2)の水酸基が塩素で置換されたものであることはクロロコライド(35a-d)がアセチル化されないことでわかった。また、クロロコライド(35a-d)は、コデイン(2)と5塩化リン(von Gerichten, 1881)、3塩化リン(Lees, 1907)、塩化チオニル(Wieland etc, 1911)で処理したとき、生成することも後に明らかにされた。無論、当時はクロロコライド(35a-d)の構造は不明であったが、分離、精製は可能であった。塩化物35a-dの混合物あるいはそれぞれの精製物を加水分解するとアルコール体を与え、その一つはコデイン(2)そのものであった。アルコール体をニクロム酸カリウムで酸化すると、2種(うち一種はコデイン)はコデイノン(17)、残りの2種(プソイドコデイン(Pseudocodeine)、アロプソイドコデイン(Allo-pseudocodeine)と命名された)はプソイドコデイノン(Pseudocodeinone; 38)と命名したコデイノンの類縁物質を与えた。これらの実験は、1907年、Knorr and Horleinが追試、確認しており、更にプソイドコデイノン(38)を無水酢酸中で加熱分解し、フェナンスレン誘導体39を得た。
化合物39はアルカリ加水分解後、メチル化して得た化合物40は、1912年、Pschorrが合成した3,4,8-Trimethoxyphenanthrene (40)と一致した。これらの結果から、プソイドコデイノン(38)は8位に酸素官能基をもつコデイノン(17)の位置異性体であることが明らかとなり、またプソイドコデイン、アロプソイドコデインがコデインの位置異性体であることもわかった。更に、プソイドコデイン、アロプソイドコデイン(36a, b)を塩酸中で加熱すると、塩化物の混合物35a, bに戻るので、この反応の途上で転位反応は起きていないことは明らかである。結局、Matthiessen and Wrightの実験結果は、コデイン(2)のアルコール水酸基と塩素イオンとの間のSN1/SN1’反応による置換反応であることを示すが、当時はこのような概念は全くなかった。これらの実験結果は8位に置換基がないことを示唆し、エチルアミンのC末およびN末が8位に結合していないことを示唆する。
以上の実験結果は、化合物42はC環の8、14位に二重結合があり、化合物11のアルカリ処理によって14位の水素が引き抜かれ、8、14位、9、10位が共役化したことを示唆する。したがって、コデイン(2)の7、8位に二重結合が存在すること並びに14位には置換基(すなわちエチルアミンのN、C末)が存在しないことがわかる。しかし、ここで一つの疑問が起きる。すなわち、化合物41では二重結合の異性化が8、14位でストップしていることである。もし、13位に水素が結合していたなら、14位水素が引き抜かれれば、13、14位に異性化した方がB環が芳香化するので、より安定になるはずである。したがって、この実験結果は13位には水素がないこと、すなわち、C末の結合位置が13位であることを強く示唆するのである。
Pschorrの行った反応を逆に辿ればアポモルヒネの構造式として(45)に到達する。この構造式ではエチルアミンのC末は8位に結合し、前述の結果と矛盾するので、この反応で転位反応が起きていることは確実であるが、当時はどんな反応が起きているのか知る由もなかった。しかし、N末については、アポモルヒネ(45)が光学活性であることおよびフェナンスレン骨格のB環に結合しており、これまでの実験データと矛盾しないので転位はしていないと考えられた。したがって、N末の結合位置は、前述の推定通り、9位であることがわかった。因みに、アポモルヒネ(45)の生成メカニズムは今日では図11のスキームで進行すると考えられている。
6.Wieland and Kotake説とGulland and Robinson説 これまでの結果から、モルヒネ(1)の推定構造式としてエチルアミンのN末は9位、C末は13位に結合した構造、すなわち54bがもっとも
一方、アポモルヒネ(45)も、亜鉛末とともに高温処理したとき、フェナンスレンを生成しなかったのであるが、その場合は、エチルアミン側鎖のC末が8位に転位していることが明らかにされていた(もともと8位には置換基がないという実験データがあった!)。Gulland and Robinsonは、モルヒネ(1)からアポモルヒネ(45)が生成することから、モルヒネ(1)を酸処理すると未知の複雑な転位反応が起きることを知り、モルヒネの構造を推定するのに以上述べた一連の実験結果を考慮しなかったのである。テバイン(55)からテベニン(61)への転位反応のメカニズムは今日でも詳細は明らかではない。ここではその一説を挙げておくが、必ずしも有機化学的に納得できるものではないことに留意する必要がある(図13)。
7.モルヒネの構造の最終決着と天然物化学の潮流の変化 以上、モルヒネ(1)の構造に対して、Wieland and Kotake説とGulland and Robinson説の2大有力説が1925年までに提唱された。 参考文献
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