猛毒物質リシン(ricin)とは何か?
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 2001年9月11日のニューヨークにおける同時多発テロ事件以降、インドネシアバリ島で大規模なテロ事件が起きるなど世界中がテロに対して神経質になっている。テロの形態としては、テロリストにとって効果の大きな爆弾テロが多いが、他にわが国の地下鉄サリン事件のように化学物質を用いたケースもある。最近、英国においてテロリストとされるグループが猛毒リシン(ricin)を所持していたとして摘発された(読売新聞、2003年1月19日朝刊)。結論からいえば、リシンとはトウダイグサ科(Euphorbiaceae)トウゴマ(Ricinus communis)の種子に含まれる天然毒成分であり、テロに限らず犯罪にも使用されうるものなので、ここで説明しておきたい。また、これと紛らわしいものにアミノ酸の1種リジン(lysine)があり、これもリシンとも呼ばれることがある。

1.トウゴマとはどんな植物か?

 トウゴマ(castor bean)はインドあるいは東アフリカ原産といわれる大型の木質性草本である。熱帯では多年草として成長を続けて時に小高木状となるが、温帯では夏〜秋に開花、結実し冬季に枯れる一年草状となる。熱帯に広く栽培あるいは野生化するが、後述するように有用植物であり、akahima主産地であるインド、ブラジルの他、中国、アメリカ、ジャワなどに多く栽培される。約6000年前の古代エジプトで既に利用され、わが国には9世紀ころに中国から伝来したといわれる。茎葉や果実が赤くなる品種をアカヒマ(右写真)と称して、園芸用に栽培し切花とすることがある。種子(蓖麻子と称する)を圧搾して得た脂肪油(油脂)をヒマシ油(castor oil)と称し、1回10〜20ml頓用して峻下剤(作用の強い下剤のこと)とする。ヒマシ油は現在ではほとんど薬用とすることはないが、ポマードなど化粧品原料のほか、印肉や印刷用インキ、ペイント原料、機械の減摩剤として有用である。ヒマシ油はアルコール、氷酢酸に可溶、石油ベンジンに不溶であって、疎水性の普通の脂肪油とはこの点が著しく相違する。

2.猛毒リシンはトウゴマに含まれる毒性蛋白である

 前述したように、種子には前述の脂肪油のほかリシン(ricin)なる有毒成分を含む。これは分子量約65,000の糖蛋白質である。普通、多くのアミノ酸が重合した蛋白質に毒があるとは想像しにくいことだが、マウスにおける致死量は2.7μg/Kg.weightと報告され、人に対してもricin_structure推定30μg/Kg.weight以下という猛毒成分である。この蛋白質は糖蛋白質であることから植物に比較的広く分布するレクチンの一種と考えられ、その毒性は血液凝集作用によると考えられていたが、後に別の機構に基づくことがわかった。この蛋白質の構造は左図(文献2より引用)に示すように267個のアミノ酸残基からなる中性のA鎖部分(左図では左下半分の黒いリボンの部分で分子量32,000)と、262個のアミノ酸残基からなる塩基性のB鎖部分(右上半分の灰色リボンで分子量34,000)からなる。A鎖の259位システインとB鎖4位システインとの間でジスルフィド結合(S-S結合)で結ばれ、それぞれ全く異なる機能をもつ。A鎖は、N-グリコシダーゼ作用があり蛋白質合成に必須の28S rRNAのAサブユニット4324番目のアデニン塩基をリボースから切断(左図でadenine延期を記した部分が活性部位でここに当該アデニン塩基が収納される)し、その結果蛋白質合成を阻害する。一方、B鎖は、2本の2糖残基(lactose;左図ではA鎖の両端に位置する)からなる糖鎖と2本の5糖残基(Man-Man(-Man)-GlcNHCOCH3-GlcNHCOCH3-)からなる糖鎖をもつガラクトース結合性レクチンであり、細胞表面への結合を容易にしてエンドサイトーシスを誘導してA鎖を細胞内に引き入れ、そのN-グリコシダーゼ作用の結果、細胞質における蛋白質合成を阻害することにより細胞死を起こすと説明されている。戦時中、リシンをエアロゾル化し毒ガスとして用いたことでわかるように、非経口的にも吸収され、むしろ経口より毒性は強いという。おそらくテロリストの目的はこのような化学兵器を作るためリシンを所持していたと思われる。ボツリヌス毒素やフグ毒素を始め、多くの猛毒物質はいずれも神経末に作用し速効性であるのに対し、リシンは服用してから毒作用が発現するのに10時間ほどかかる。蛋白質の合成阻害が作用機序とされる毒素としてはリシンの他に腸管出血性大腸菌O157:H7(通称O157)の産出するベロ毒素がある。リシンは水中で煮沸あるいは次亜塩素酸塩処理で失活するが、ジスルフィド結合の切断などで蛋白構造が破壊されるからである。因みに、リシンは種子の圧搾によって得られる脂肪油であるヒマシ油にはほとんど移行しない。リシンと似た作用機序をもつ毒性蛋白としてはマメ科トウアズキAbrus precatoriusの種子に含まれるアブリン(abrin)があり、その毒性はリシンの75倍の強さがあるとされる。今日、リシンが化学兵器としてテロ攻撃での使用が危惧されるのは、それが容易にricinine入手可能とされるからである。今日、トウゴマ種子の生産高が毎年100万トンに達し、ヒマシ油を搾り取った粕に重量比で約5%のリシンが含まれており、猛毒物質でこれほど大量に入手できるものは他にない。リシンは通常の状態では非常に安定であり、エアロゾルとして散布も可能なので、化学兵器として使用するのに適している。但し、大規模なテロに使用する場合、それだけサイズが大きくなることもあってこれまでに使用されたことはない。
 トウゴマ種子にはリシンのほか、もう一つの有毒成分が存在する。それはリシニン(ricinine)というピリドン系アルカロイド(右構造式)である。含窒素化合物であるが、アミドとして塩基性がクェンチされており中性である。人に対する致死量は0.16gとされ、リシンほど毒性は強くない。薬理作用としてこの系統の化合物(ニコチンなど)に共通する中枢神経興奮作用や認識力を増大するなど向精神作用が報告されている。

3.リシンによる中毒症状と治療

 リシンは猛毒物質であり、致死量以上であれば当然死に至る。エアロゾルの状態でリシンに被爆した時、呼吸困難、発熱、咳、吐き気及び身体硬直化が起き、発汗、肺水腫、チアノーゼ、血圧降下がそれに続く。死に至る時間は被爆量にも依存するが、36時間から72時間とされている。リシンを経口で被爆した時は胃腸系に異常が現われ、胃腸管出血とともに肝臓、脾臓、腎臓の壊死が起きる。筋肉内注射による投与では当該部位における激しい疼痛及び筋肉の壊死、リンパ節の壊死を伴う。また、いずれの摂取でも一時的に通常の2倍から5倍の白血球の増加が見られる。エアロゾルで被爆した時、肺水腫の治療及び呼吸補助が必要であり、経口摂取の時は活性炭による胃洗浄をした後、酸化マグネシウムなどの塩類下剤を用いるのが有効である。リシンはタンパク質なので、リシン抗体の予防的投与でリシン中毒を防ぐことは可能である。リシン被爆は常に起きることはないのでこのような免疫予防法はまだ用いられたことはないが、リシンがテロで大量に用いられ広範囲に汚染された場合、この方法は有効な選択肢の一つとなるに違いない。

(文献)    

  1. Olsnes, S., Refsnes, K. and Pihl, A.(1974) "Mechanism of action of the toxic lectins abrin and ricin " Nature, 249: 627-631.
  2.     
  3. Lord, J. M., Robarts, L. M., Robertus, J. D. (1994) "Ricin: structure, mode of action, and some current applications" FASEB J. 8: 201-208.