新著:和漢古典植物名精解
ホーム

定価 ¥18,000+税

 わが国の古典文学には多くの植物が登場します。ただし、植物種の総数は大したことはありません。比較的多いとされる『萬葉集』でも高々160種ほど、平安以降の古典を含めても200種から300種くらいにすぎませんが、それでも植物を含む情景はすこぶる多く、日本文学の際立った特徴となっているのは周知の事実です。昔は生活に無関係な植物は名前すらつけられず無視されましたから、たとえ身の回りに植物が溢れていても、大半の植物は存在すら認識されていなかったのです。今日、日本列島に分布する植物の総種数は6000〜7000種といわれ、植物分類学によってそのほとんどに名前(和名および学名)がつけられています。普通の人の日常の生活空間に見られる植物は、自然状態のよい地域でも700〜1000種ほどで(東京都八王子市南部〜神奈川県相模原市緑区)、そのうちわずかが認識されているにすぎないでしょう。身近な植物を100種挙げよといわれて答えられる人は相当の植物好きのはずといえます。むしろ昔の人の方が植物を多く知っていたといって過言ではないかもしれません。
 わが国でもっとも古い歌集『萬葉集』には植物名として和名と漢名の二系統があります。和名は、原文では漢字で表記されていますが、音と訓を借りて表した純然たる日本語の名前です。一方、漢名は中国より借用した名前で、純然たる漢語由来です。漢語とはいえ、中国語音で読まれたと思われる植物は『萬葉集』にはほとんど見当たりません。というのは、古代の日本は中国より漢字を導入すると同時に本草学という植物の伝統的分類体系を受容し、漢名と和名とを対照させる作業が行われていたからです。ですから、万葉歌で漢語由来の植物名が詠まれていたとしても和名で読まれていたと考えられます。漢名と和名を対照させる作業は、万葉時代ではまだ完結せず、それ故に和名と漢名が混在していましたが、ひとまず平安時代に終息し、『新撰字鏡』・『本草和名』・『和名抄』などに集大成されています。国文学ではこれら平安の典籍の結果をふまえて漢語由来の万葉植物名に和訓をつけていますが、その中には問題のあるものが少なくないのです。本書では、和名であれ漢名であれ、広く資料を博引旁証し、民族植物学的ならびに民俗学的背景を明らかにした上で、その和訓が妥当であるか慎重に考証しています。万葉歌や植物を含めた古典の情景の描写の中にはしばしば植物の形態特徴や自然界における生育環境を示唆する記述が含まれることがあります。植物そのものは古代でも現代でも変わりはありませんから、植物形態学や植物生態学の知見を活用して植物種を絞り込めることができます。このような客観的エビデンスをまじえて文理の両面から植物種の解明を行うのが類書にはない本書の最大の特徴であり、その考証のプロセスも明確化され、主観に頼ることなく中立的でかつ論理的な整合性を図っています。こうした精緻な考証によって多くの新知見が発掘され、本書では詳細に記述されています。全体として理系臭の漂う記述であるのは、著者が純然たる理系出身で、必然的に客観性を重視する立場にあるからです。地味ながら本書の特徴として古典文献の引用で必ず巻数や項目名を明示していることが挙げられます。たとえば、わが国民間でのお屠蘇の習慣は『本草綱目』に由来しますが、52巻もある大冊のどこに記載されているのか、記載する文献は意外と少ないのです。また、日本の植物文化の形成過程にも言及していますが、これまでの先人の研究は自分の考えに恣意的に押し込める論考が顕著であり、随所で厳しい口調で批判させていただいています。かくして類書にはない特徴を備えた書籍に仕上がったと自負しています。本書刊行の基本的コンセプトおよび目次については別ページをご覧ください。