story.2 『シブヤの喰いモン
1』
「玉子入り?玉子無し?」
初手から必ずこのように聞かれる。それもテーブルに座った途端いつの間にかすり寄って来て、開口一番。それもこれしか言わない。これだけで分かったらシブヤに相当詳しい。それも若い人じゃあ無いかも知れない。
道玄坂の中程、百軒店を入り最初の坂を上った突き当たりに有るレンガ壁の古い建物の一階にこの店は有る。入り口の前に置かれた古びたコカ・コーラのロゴ入り看板には片仮名で「ムルギー」とある。
ここは昭和28年創業のカレー専門店なのだが、旨くて有名なのだか、他の要素が名物で有名になっちゃったのかちょと分からないところが有る。私は後者だと思ってます。
読んでる方でこの店を知らない人は今何の事話しているのか分からないと思いますが、気長に付き合って下さい。辛抱して下さいだんだん分かります。
私が以前良くこの店に行っていたころと今でも外観は全く変らず。当時、店に入るとおばちゃんが二人位と爺さんが一人いた。入って行ってテーブルにつくと冒頭の通りの経験が出来る。頭の白い爺さんがすっと寄ってきて開口一番こう言ってくる。
爺 「玉子入り?玉子無し?」
私 「玉子入り」
連れ 「俺は玉子無し」
爺 「玉子入り二つね」
私 「いやひとつずつ」
爺 「えっ?玉子入り?」
と、こうなる。ちょっとやり取りして爺が「玉子入りと無しひとつずつ」と言うのをやっと理解した後。
爺 「はい、玉子入りと玉子無しひとつずつ。それとサラダね」
私 「いや、サラダは言ってない。カレーだけ」
連れ 「そう、カレー二つだけ」
爺 「あ〜はい、サラダ無し。玉子入り二つね」
と言って取りつく島もなく立ち去ってしまい、奥に玉子入り二つの注文が通ることになる。
これが毎回の如く繰り返される。私は今まで玉子無しを注文できたことが無い。玉子無しを食べた事が有るという知り合いも周りに居ない。
因にこの店のメニューは「ムルギーカレー」と「ムルギーカレー玉子入り」「ガドガドサラダ」位しかなかった気がする。いまもそうかなぁ?
そしてこのカレーは、爺さんが戦時中ビルマで習ったと言うカレーなのだが、玉子入りと無しの違いと言っても文字通り茹卵が切って並べてあるかどうかだけ、他の店のカレーと何が違うというと、具が無い(いや殆ど無い、とけてるのかなぁ)。さらさら系、結構辛い。でも、味は旨いよ。うん。(コメントのしようが無いといえば無い。カレー通に聞いてみてくれ)
さらに、さっきのサラダはメニューに「ガドガドサラダ」と書いてあるが爺さんはいつも「サラダ」としか言わない。一度「ガドガドサラダって何ですか」と聞いたら「サラダ。インドの」と一言で片づけられたことが有る。
取りあえずこのじいさん一筋縄ではいかない。人の話(注文)を聞かない。何処までも天然。有る友人は玉子無しを注文しようとして孤軍奮闘したが奮戦虚しく、届いたカレーにはしっかり玉子が乗っていたそうだ。しかもその「玉子入り」には殿様の道中には頼まれなくともついてくる供回りのような当然さで「サラダ」が付いてきたそうだ。
今この店に行っても爺さんには会えない。何処に行ってしまったのだろうか。
story.1『渋谷の街』
周子さんのコーナーにもシブヤの街が結構変ったと言う話しが出ていたので、私も渋谷について書いてみたくなりました。
実は私も小学校の時はシブヤで育ちました。シブヤと言っても広いもんで特に小学生の時分は自分の近所から出て行かないもので、皆さんがシブヤと言っている宇田川町、神南、道玄坂と言ったところには滅多なことじゃあ行きませんでした。しかし、神南は役所も公会堂もあるし、天下の国営放送もあるので比較的行ったものです。
今回はその神南界隈のお話し。公園通りを坂上から下って行こうと思います。そういえば公園通りの由来を御存知ですか。昭和48年(ユ73)にパルコパート1が出来た時に遡るそうですが、「パルコがイタリア語で公園の意味」、昭和46年完成の「代々木公園が近い」、「皆が集まる公園の様になって欲しい」という3点から決まったそうです。
と言うところで、まず私がシブヤに行くときは渋谷駅行きの京王バスに乗って「神南一丁目」で降ります。何故渋谷駅の手前で降りてしまうかというと役所と公会堂が有るからです。当時の私(小学生!)には渋谷駅の方(宇田川町、道玄坂方面)に行く用事は無かったものですから。
バス停の前には「とんかつのナカタニ」というトンカツ屋が有りました。(ここの話は別に書きます)数年前まで有ったのですが確か今は小洒落た珈琲屋か何かになってるはずです。その右の並び、露地の角が酒屋さんでしたね、名前は覚えてないけど。
次に私の一番最初のシブヤ訪問の記憶ですが、小学生になる前、NHKへ見学に来た様な気がするのですがNHKが移って来たのが昭和47年(ユ72)ですからもっと後かも知れません。そして、公会堂に初めて行ったのが渋谷区の小学生の映画会で「はだしのゲン」を観に行ったときだと思います。それにしても今昔、ものの移ろいは激しいもので、当時は公園通りと言っても今とは比べ物にならない位静かな通りで、単なるバス通りといった感でした。要するに何もない。(もしかすると地元の方以外は公園通りと言う名前をまだ余り使ってなかった様な気もしますね)
そこで、意外と知らない主要な建物の完成時期を坂上の方から挙げてみると、東武ホテル(昭50 ユ75完成)、たばこと塩の博物館(昭53 ユ78完成)、パルコパート2(昭50 ユ75完成)てな具合になります(意外とたばこと塩の博物館は古くから建っていたんですねえ)。と言うことは勿論RICAビル(以前吉本の劇場が入ってたパルコパート2の隣)も無いしホント静か。
因に確か、東武ホテルか、渋谷ホームズ(今流行の讃岐うどん屋とフォルクスが入っている奴)が建つ前は大きな病院が有ったような気がします。それにたばこと塩の博物館の並びは、神南のバス停前を除けばお店なんかが有った記憶が余り無い。また、現在の東武ホテルの裏に神南小学校というのが有りますが私の頃は大向小学校と言ってました。私の知り合いの大向小出身の男性は名前が変ったのを聞いて大層びっくりし、残念がっておりました。所でパルコパート2の向いに勤労福祉会館てのが有りますがあれは何時から有るのでしたっけね。あそこの一階に食堂が有って、金の無いときにシブヤで飯を喰う時には便利です。シブヤの真ん中に有るチープな学食って風情で妙に気に入ってます。
そんなこんなで坂の途中、公園通りのキーポイント、パルコ前の交差点までやって来ました。
しかしちょと長くなりましたのでしばし休憩。この先はまた今度、と言うことで。
つづく