雨ニモマケズ


雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ


南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如來
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩


(現代語訳……というか、平仮名と常用漢字に直しただけ……)

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち
欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に 玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに よく見聞きし 分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の小さな茅葺き小屋にいて
東に病気の子どもあれば 行って 看病してやり
西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や 訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りの時は 涙を流し
寒さの夏は おろおろ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい


宮沢賢治「雨ニモマケズ」手帳

宮沢賢治とは
明治二十九年(1896年)岩手県花巻市出身。盛岡高等農林学校に進む。日蓮宗に帰依し、熱心な信者となる。文芸によって布教活動をすることを考え、童話を書く。大正十年、妹の病気のため帰郷。稗貫(ひえぬき)農学校の教師となる。翌年より作品がが盛んに作られる。大正十五年退職し、農業啓発活動を始める。昭和八年、三十七歳で病死。

主な作品
「月夜のでんしんばしら」「どんぐりと山猫」「無声慟哭」「岩手山」「原体剣舞連」「春と修羅」「注文の多い料理店」「稲作挿話」「銀河鉄道の夜」など

「雨ニモマケズ手帳」とは
賢治は、1933年に亡くなりますが、死後、弟によって、手帳に書かれたこの詩が発見された。賢治研究者の間ではこの手帳 を「雨ニモマケズ手帳」と呼んでいる。

もっと雨ニモマケズしたいひと

☆本を紹介します
「雨ニモマケズ」は数多くの本が出版されています。その中で私の勝手なお勧めはこの1冊です。

「画本 宮澤賢治 雨ニモマケズ」 画:小林 敏也 パロル舎 ¥1,340
ISBN:4894190257;(1991/06)

「雨ニモマケズ」は、普通は作品集、詩集、などの中に盛り込まれてしまうのですが、この本は、「雨ニモマケズ」だけを取り上げ、しかも、ほとんど一行ずつ、ゆっくり読めるようになっています。何と言っても特筆すべきは小林敏也さんの版画。賢治シリーズをライフワークにしている小林氏ならではの、見ているだけでも心清まるすばらしい版画が、「雨ニモマケズ」ワールドを盛り上げている。もし、今も宮沢賢治が生きていたならば、そして、この本を世に出すならば、画は彼に任せたかも知れないと思わせるような素晴らしい一冊です。

にほんごであそぼふぁんさいと

Copyright 2003 V3 All rights reserved