永訣の朝

けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ

銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……

…ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる

わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごの たべものを もらっていかう

わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ

ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ

この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ

(うまれで くるたて
  こんどは こたに わりやの ごとばかりで
   くるしまなあよに うまれてくる)

おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ

※ 読みにくい箇所は、言葉と言葉の間に、私の判断で、空欄を入れました

忙しい月曜の朝、いつものように番組が始まったのですが
私の手は動きが止まってしまいました。

「あめゆじゅとてちてけんじゃ」

そして、それに続く5分近い、朗読。
私の周りの空気が時空を越え、
初めてこの詩に出会った、中学生時代に一気に戻された感じがしました。

番組でも、こんなに長い時間、朗読に割いた詩は、今までありませんでしたね。
私の解説は要りません。野暮になりますから。
どうぞ、声に出してゆっくりよんでみてください。

キーワード
あめゆじゅとてちてけんじゃ

まもなく消える妹の命。外は、霙(みぞれ)が降っているので変に明るい。妹が、熱で渇いた喉を潤そうとして、兄の賢治に「霙を取ってきて」と頼みます。

兄、賢治は「曲がった鉄砲玉のように」庭へ飛び出します。長年、妹と使ってきた、おそろいの茶碗を持って。
(Ora Orade Shitori egumo)

わたしは、わたしで、ひとりで 逝きます。
(うまれで くるたて
  こんどは こたに わりやの ごとばかりで
   くるしまなあよに うまれてくる)

今度は、こんなに私のことばかりで、お兄さんが苦しまないように 生まれてくるね。



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『永訣の朝』―宮沢賢治挽歌画集
宮沢賢治  遠山繁年・画
偕成社
永訣の朝
 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 死にゆく日、最愛の兄に、雪を頼んだ妹とし子。
 その妹への想いを詠んだ詩です。

他、収録作品は、心象スケッチ『春と修羅』の中から
「無声慟哭」詩群の五篇…「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」「風林」「白い鳥」、
「オホーツク挽歌」詩群の五篇…「青森挽歌」「オホーツク挽歌」「樺太鉄道」「鈴谷平原」「噴火湾(ノクターン)」
作者が『春と修羅』で第二集刊行のために準備していた詩稿から一篇…「薤露青」
あわせて、計十一篇です。
画家・遠山繁年の石版石による本格的なリトグラフ作品十九点を装・挿画としています。
2004.12.13

にほんごであそぼふぁんさいと

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