安曇族ゆかりの地

山梨県富士吉田市大明見(アスミ)・小明見


 下の航空写真が 富士吉田市の明見地域である。 写真中央の右から左へ突き出している尾根によって 下(南)の大明見と上(北)の小明見に分けられている。 大明見から尾根にぶつかる道路が見えるが 現在はトンネルが通っており 小明見にも新しい道路が走っている。
 その道路などはを開けると確認できる。

 この明見地域の地形的な特徴は 富士山の噴火の影響が地形を変えるということだ。
 古代 旧富士四湖があり その一つに大きな明見湖があった。 ところが およそ4500年前の噴火で 明見湖は埋まって 明見盆地になり 大きかった明見湖は 現在 池(蓮池56×28m)としてその痕跡をとどめるだけになった。
 なお 1500年前の噴火で 現在の富士五湖は出来たのだそうだ。

 蓮池は Map Fan Web の地図では小明見と書いてある文字の左下に青色で示され 拡大すると 蓮池ではなく 明見湖と書いてある。 上中の写真では 蓮が茂っていて 池に見えないが蓮がないところでは釣りをしていた。 航空写真では 見にくいが 中央の尾根の上に回りと少し変わった薄い緑色をしている所がそれである。

富士吉田市小明見の交差点 道路の向こうが蓮池 徐福雨乞地蔵祠(蓮池側)
大・小明見地域の航空写真(1975年) 左側上下に走る黒い線は桂川
尾根の合間を駆け上るように棚田が見える
「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」を使用


 

 

 




































地名の由来 
 吉田東吾は「明見湖(蓮池)を浅海と称していたのが 訛ってアスミになった」 といっているし 角川地名大辞典には「阿曾谷と称し その湖を阿曾海(アソミ)といったことによる」 と書いてあるが 1600年前後の検地帖には 阿須見村とあるそうだ。 
 また 一説には 長野県の安曇野や滋賀県の安曇川と同じように 海人の安曇族とのかかわりからとされているし 海から離れている地域であるが 大明見の小室浅間神社には 安曇族の祖神の綿津見命と生い立ちが共通する住吉(航海の神)の祖神の筒之男命が祀れれている など海とのかかわりがうかがえる。  

 明見地域は 航空写真からわかるように 北 東 南の三方を山麓に囲まれ その尾根の合間に棚田がある。 湧き水が豊かな地で(明見湖の水源も湧き水である。 このそう広くない地域を 大沢川 小佐野川 古屋川 長泥川といった小河川が流れており これらの河川は 桂川に流れ込み 桂川は(航空写真参照) 相模川になり 相模湾へ流れ込むから 明見地域は水路で海とつながっている。 
 昭和のはじめごろまで 相模川の河口の平塚市から 海で獲れた魚を天秤棒で担いで 明見から30キロほど離れている猿橋というところまで売りに来ていた(「相模湾の魚と漁労」1981平塚市博物館) というから その昔 明見地域が水路で海とつながっていたと考えても不自然ではない。 明見地域は 豊かな湧き水 棚田 水路など地理的には 弥生時代のはじめに 安曇族が水田稲作適地として耕作民の入植を斡旋したとした条件を備えている。

 また 山梨県東部(郡内地域)は 1000年前から織物が織られているが 実は さらに昔の2,200年前に徐福が養蚕 機織の技術を阿祖谷(現在大明見)の里人に教えたのが 山梨織物の起源だという言い伝えがある。その徐福の祠が蓮池の近くにあるということなので 池の近くにいた人に教わって 新興住宅地の中にある 上右写真の「徐福雨乞地蔵祠」にたどり着いた。 近所の人の話だと5年ほど前(1997年)にできたそうだ。  

 参考として 富士吉田市歴史民俗博物館 のホームページ「博物館だより MARUBI」のTopics No.16 に 「明見の歴史と文化(後編)」がある。(15号以前はないから 残念ながら前編はない)

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