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安曇族ゆかりの地


   安曇族の根拠地志賀島


    なぜ安曇族が志賀島を根拠地にしたのか
  志賀島は自然がつくった要塞に最適な地形

博多湾

 志賀島は 福岡市東区の一地区で 右図のとおり博多湾の入口にある 東西約km 南北約3.5km 周囲約10kmの小さな島だが ここには 日本の弥生時代を知る手がかりが隠されている
 まず その島の地形だが 下の写真で見てのとおり 遣唐使船が風待ちした島ということからも 島の中に船が停泊できる港があったはずであるが 現在ある人工防波堤で囲まれた漁港を除くと 地形としては 下写真に赤い線を入れた 勝馬地区以外に港の適地はない
 


 沖津宮遠景    沖津宮       中津宮

下のlinkをクリックすると 志賀島がよくわかる
★ 志賀島地図
  link

★link 志賀海神社航空写真
 400dpiに拡大して 渡船場から真っ直ぐな道を上へ向かい 集落が切れるところの左 木の茂みの中に海神社がある 少々見分けにくいから地図参照
★link 勝馬地区航空写真
 現在 田畑になっているが かっては船が入れる入江だった(右下説明文参照)
★link ホームページ志賀島
 海ノ中道 金印公園 金印などの写真が出ている 潮見台からは海ノ中道をはじめ遠くまで海岸線(浜)が見渡せる 交易が盛んになると 船は 勝馬の入江だけでは入りきれないので この長い浜辺に上げるようにしたのだろう 海神社が 勝馬から現在の場所に遷宮した理由も 船揚場が入江から浜辺へ移ったことによるのだろう

 志賀島は要塞  
 第17回遣唐使船(838年)に乗船した僧の円仁が書いた「入唐求法巡礼行記」によると 博多を出た船は 志賀島で5日風を待って 五島へ向けて出港している
 志賀島で停泊していたということは島陰にいたというのではなく 島の中の停泊地に待機していたということだろう その停泊地は 地形から見て勝馬地区以外に考えられない そのことは上の写真からも また左上の勝馬地区航空写真を400dpiに拡大して見るとわかる おそらく 現在 田畑になっているところが 当時はまだ入江になっていて 船が入れたのだろう
 船がこの入江に入ると 外からは見えない このことは 現在 福岡空港へ降りるとき確認できるときがある 
 一方 勝馬から 現在の展望台など小高いところへ登ると 沖は全方位見渡せるから日和見にも航行する船の監視にも最適だ
 見られることなく見ることができる地形 これは要塞に適した条件だ 安曇族が志賀島を根拠地にした理由がわかった


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