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 史実・推理・妄想
★「松川村 南北海渡地区」
  
安曇野の水田発祥地の候補地だが 湧水地と船の水路であることが未確認 
★「川窪沢川域
  安曇野の水田稲作発祥として地有力候補地
★「続 安曇野の水田稲作発祥地を探る」

現在も 博多湾と有明海は 川の水路で つながっていた」
★「博多湾と有明海を結ぶ志賀神社」
★「博多湾と有明海は川で結ばれていた
「博多湾と有明海を結ぶライン」
「徐福伝説と絹織物」
「吉野ヶ里遺跡出土の金属と徐福技術団」
★「志賀島と全国志賀地との関係」
 
安曇族の根拠地である志賀島と全国から拾い出した志賀地(シカ・シガなどの地名)関連性を探る 
★「水銀・その技術と産地」
 水銀採取や製錬の技術は 中国大陸から伝わった。日本列島での古代の技術発展と産地を紹介する 
★「徐福と志賀神社」
 
徐福の上陸地という伝説がある有明海に 安曇族の根拠地の志賀海神社から分霊された志賀神社があり 安曇族と徐福の関係を考える
★「徐福と日本列島の鉄」
 
 徐福が亶洲へ向かって出港した以降と 日本列島での鉄器の普及が年代的には重なる
★「海の中の河」
 
対馬海流を挟む日本列島と朝鮮半島に同系の文化が存在しても 両地域間に交流があったとはいえない
★「安曇族の盛衰」 
 安曇族の生い立ちから発展・繁栄まで 時代を追って成長曲線で表してみました

古代史への取組み方の基本姿勢 と 楽しみ方」
 古代人も現代人も その頭脳 および 考え方の基本は変わらない といった視点から古代をみる
★「弥生初期の水田(原初水田)」
「安曇族ゆかりの地」の項で 航空写真を提示しながら棚田の有無に触れているが なぜ棚田なのか 
★「カマド 船上での炊飯」

 
航海中 船の上で食事はどうやってとったのだろう おそらく煮炊きもしたであろうが
★「ワタ(海)の語源」 
 
朝鮮語と南方語からという説はあるが 海の流れから見ると いずれも南方から来たのでしょう
★「二つの奴国(ナ国とド国)
 
魏志倭人伝には なぜか奴国だけが重複して出ている その理由を推理してみました 
★「水田稲作伝播は 南インドと中国大陸から」 
 大野晋さんの「日本語の起源」説と安曇族の活動とをすり合わせてみました
「安曇野の発祥地を探る」
 
いったい 安曇野はどこから開けたのでしょうか その地を推理してみました
★ 「海人の陸上がり説への疑問」 
 少しその根拠を調べてみましたが 根拠らしい根拠はなく この説は 推論の域を出ていません
★ 「南下説の原点を探る」
 安曇族が 日本海の糸魚川から 姫川沿いに南下して安曇野へ入植したという説の根拠を探って その経路に疑問を投げかけました
★ 「イレズミ」
★ 「遺跡と遺物」 
落穂拾い その2 
★ 「魏志倭人伝の読み方」 落穂拾い その1
 落穂拾いとは 拙著「安曇族」の当初の原稿には書いていたが 出版原稿の段階で削除した文章を拾い上げたもののことです。 元原稿は縦書きですが コピーしてこのページに 縦書きのまま貼り付けることが出来ないので やむなく横書きになってしまいました。 


史実・推理・妄想

「魏志倭人伝の読み方」 

・・・
「ところで、あなたの説に異論は出るでしょうね」

 と亮子は研介に聞いてみた。
「そりゃ大いにあるだろうね、もっとも世に知れてからの話だがね」
 と研介が言って、本の束の中から、一冊の文庫本を取り出した。
 研介が、付箋をつけたページをめくると、そこには、次のように書いてあった。
「歴史の専門家の本に、素人のぼくが言うのもおかしいが、中国史『魏略』で、専門家の解釈に納得いかないんだ。今読んだところの前の二三行を読んでごらん」
 と言って研介が指差すところを読むと、そこにはこう書いてあった。
『狗奴国の祖先、あるいは倭人の祖先が太伯であるというのも、中国人側での伝説であって、そのまま事実とみとめるわけにはまいりませんが、これはやはり注目すべきことかと思います』
「これは回りくどい表現ですね、否定しておいて注目するのですか」
「そこのところも、はっきりしないが『狗奴国の祖先』というところはおかしいと思うんだ」
 と言って研介は次のように説明した。
魏志倭人伝(文中のは研介が入れた)
『・・・其南有狗奴国男子為王其官有狗古智卑狗不属女王自郡至女王国萬二千餘里男子無大小皆黥面文身自古以来其使詣中国皆自称大夫夏后少康之子・・・』
魏略逸文(文中の」は研介が入れた)
『女王南叉有狗奴国以男子為王其官日拘古智卑狗不属女王他自帯方至女王国萬二千餘里其俗男子点而文聞旧語自謂太伯之後昔夏后小康之子・・・』
 ただこの文章は、句読点も改行もなく漢字だけで書かれた文である。現在わたしたちが書くとしたら、研介が『』を入れた箇所に段落が入って行を変える文章である。もし見出しをつけるとしたら前段が『倭諸国の位置』で後段が『倭人の生活状況』とでもするくらい文章の前段と後段では内容の流れが異なる。前段は、女王国の境界の南に狗奴国という国がありますが女王国には属していないから、コメントできる情報は入手できません、で文章が終わる。
 だから素人の研介が魏志倭人伝を読んでいくと、後段は女王国の生活状況を書いたものと受けとめるのが当然である。
 この専門家も『魏志倭人伝によると、狗奴国については、ほとんど知識がなかった』としているし、松本清張も『深読みはやめて、ここでは狗奴国のことは何一つ、中国側には知られていなかったとしたほうが素直であろう(古代史疑)』としている。
 だから魏志倭人伝の解釈は問題ないが、魏志倭人伝の手本である魏略になると、この歴史の専門家は後段を狗奴国の生活状況を書いたものと解釈している。そこがおかしい。魏志倭人伝と同じでいいではないか、そこのところが研介には納得できない。
 この歴史の専門家が、狗奴国の人が太伯の末裔といった可能性を含めているのは、その後に、
『江南地方と琉球列島、種子島、九州南部とは、不定期的にせよ、交通、交易がおこなわれていたとかんがえるわけです』
『呉の工人が江南方面から日本に渡来したとしますと、そのルートははじめにのべたように、琉球、種子島などをへて、九州南部に至ったと思われますが、もし邪馬台国が九州北部の筑前、豊前、または中部の筑後、肥後、こういうところに存したら、工人たちは当然その権力下に入り、畿内にこれらの工人が移動することは困難であったと思われます』
 と言うように、この専門家は中国江南と九州南部との結びつきを考えているから、同じ人でも魏略の解釈が魏志倭人伝の解釈と違ってくるのだろう。
 研介の話を聞き終えた亮子は、
「なんだかよくわかんないけど、研介説と完全に相反するわけでもなさそうね」
 亮子は研介を励ますかのように言った。
「ぼくの考えは、外野席からの野次のようなもんだからね。でも、この歴史を専門にしている人とぼくの考えで大きな違いは、海に対する認識の違いだね」
「と言いますと」
「この人は、海を危険な壁としてとらえているが、ぼくは便利な通路と理解している。それに、これは一般的にいえることは、歴史を研究している人は、地図上の距離で遠近をとらえる傾向が強いね。黒潮や対馬海流の輸送力、そこを横断するのに必要なエネルギー、海の流れの上流下流などはほとんど考えていないようだね」
「海から見ると、江南と琉球は結びつきにくいのね」
「うん、その間を黒潮が流れているからね、日本は海に囲まれているから海洋国だという人もいるが、その半面、古代の刳舟では黒潮の外に出れなかったから海洋国ではないという人もいるように、黒潮という巨大な流れは、日本人にとって、永い間障壁になっていたんだ」
「なるほどね、歴史の専門家になると一度九州南部と結びつけて考えをまとめると、その呪縛から出れないんでしょうね」
「その点、素人のぼくは楽だな」
・・・
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