学級崩壊

1. はじめに―私と「学級崩壊」

「学級崩壊」。
 耳慣れないこんな学校用語が、今や“今年の流行語”になっても不思議ではないほど市民権を獲得している。活字メディアだけでなくテレビでも、局によっては「学級崩壊」のシリーズをくむ有様である。「援助交際」や「ナイフと少年」「キレる子現象」など、子ども現象の行き着いた先が、「学級崩壊」といってもよさそうである。ついに本丸の学校にせめ入り、明治以来の伝統を有する強固な城を陥落させた感さえある。
 ところで、この「学級崩壊」現象を私がはじめて知ったのは、一九九四年のことである。
 たまたま講演に招かれた大阪のH市で耳にしたのが最初だった。
 「先生、最近小学生が荒れていて、もう授業も成立しないクラスが続出しているんですわ。なんか、もう私立中学受験組が多なってきて、その子らが、勉強がわからん子とグループになって騒いで、子供らが集中せえへんのですわ。まるで、“学級崩壊”みたいなもんです。」
 講演直前の控室で、責任者の女性が空を仰ぐような視線で、肩を落としながらこう語った言葉が、今でも鮮明に私の耳の奥に響いている。
 96年に入るや、私の周辺の東京都内からも、同じようなぼやきがささやかれるようになった。こうして、私の問題意識もさらにシャープになり始めたのだ。どうも、東京のケースでは、高学年問題というよりも、中・低学年現象として語られることの方が多かった。“パニックボーイ”と称した、衝動的な行為に走る低学年児たちが話題を集めた。
 そこで、私は、97年98年の2年間、集中して全国二〇〇箇所ほどの聞きとりを実施してみた。その結果、どうも一九九七年ごろから、急速に全国に広がり、小学校教師を悩ませている実態が浮き彫りになった。
 ところが、社会に「学級崩壊」が認知されればされるほど、通俗的な見解がはびこり、何でも「学級崩壊」でくくってしまうマジック・ターム的な傾向も同時に発生してきた。
 もう一つの問題は、子どもの「荒れの低年齢化」としてとらえる見解が多く、入学時からの規律を求める声が大きくなったことだ。
 テレビ局によっては、荒れている高校の映像を“学級崩壊”のシリーズの中で流すほど。「学級崩壊」が正確に理解されていないことを痛感させられたものだ。実は、実際に見学してみると納得できるのだが、「学級崩壊」は、小学校問題なのだ。そして、それ以前の幼児期の家庭の教育力の空洞化現象として認識することができる。
 そこで、私は、一つには、多くのケースが小学校と同じ物理的空間で同一の子どもと接することが多い、学童保育の指導員達から見た、小学一年生から小学三年生の実態を意識調査として実施することにした。もう一つのアプローチは、小学校就学前の幼児たちの発達状況を把握することだった。これは、幼稚園に比べて、長時間早朝から夕方(延長の特例保育だと、朝の七時半から夕方六時半)まで、子どもの丸ごと生活領域にかかわっている保育所を調査対象とした。
 さらに、まだパイロット調査の段階なのだが、今親たちの生き様の把握にも入り始めたところである。
 以上のような問題意識や調査研究、全国二〇〇箇所の聞きとりを基に、「学級崩壊」の基本問題とその背景分析、克服への展望について論じたい。




2.「学級崩壊」がはらむ基本問題

(1)「学級崩壊」の定義とは

 「学級崩壊」の定義は、いまだ明確にされていない。なぜなら、一九九九年三月段階では、二月下旬にようやく文部省も重い腰を上げて、「学級経営研究会」を発足させたにすぎないからだ。様々な俗説が飛びかうのも無理からぬ時期ともいえる。今日の段階では、どんな「定義」が多いのか、まとめてみよう。
・ キレる子やムカツク子の出現によって学級が荒れること。
・ 表面的には、荒れていないのだが、無気力・無表情・無感動の子が多くて、学級としてのまとまりや動きができない状況。
・ 一部の非行の子と一緒になって、クラスが乱れること。
・ 中学校の荒れが、小学校にまで下りてきて、それが高学年からついには、低学年にまで広がっていること。
・ 小・中学校でクラスの荒れがひどく「授業崩壊」が起きていること。
 以上の五つの見解にまとめることができそうである。これらは、現場の教師にも、大学の研究者にも共通したとらえ方である。その証拠に、実態調査の対象が、ほとんどの場合、小学校だけでなく、中学校も対象にしていることから明らかである。
 これらの通説の特徴は、一つには、小・中問題として考えていること。二つめは、「荒れ」(新しい荒れ)とクロスさせて把握していることである。 しかし、これらはいずれも的確ではない。  私は、次のように定義している。
 《小学校において、授業中立ち歩きや私語、自己中心的な行動をとる児童によって、授業が成立しない現象》
 

(2)定義のポイント

 では、私の定義のポイントは何か、先の諸説の誤りを指摘しながら解説したい。

 小学校現象であること。中学校現象は“新しい荒れ”や“授業崩壊”として理解した方がよい。なぜなら、「学級崩壊」現象は、言葉をかえて表現すれば、“学級王国の崩壊”という側面を強く内包しているからである。つまり、中学校は、小学校のように全教科担任制ではなく、教科担任制であるために、九教科九人全員の授業が特定のクラスで崩壊するなどということは、構造上も経験的にも起きない。万一、発生するとしたら、それは、「学級崩壊」ならぬ「学年崩壊」と称した方が実態に合致しているのではないか。
 角度をかえていえば、九人もの教師が一つの学級に出ていれば、誰かがその“ほころび”に一早く気付く。気付けば、すぐに学年会議で話題にし、分析と対策の手を打つ。小学校のように、一人の担任が、学級運営から授業まで、すべてを閉鎖状況の中で責任を負わされるということがないからである。問題状況が発生すれば、一人の認識に閉じ込めようがなく、九人全員の認識に広がる構造を持っているのだ。風通しがよい分だけ、早期発見・早期対応が可能だ。たとえ、崩れた授業があっても、多くて三教科といったところではないだろうか。
  以上を図で示すと次のようになる。 
 
 

小学校
中学校
・ 全科担任制
・ 担任責任
・児童と教師の密室性高い
・ 管理職はの従属性高い (力量差がわかる)
・ 自立未完了
・話が通じにくい 
・ 教科担任制
・ 学年責任、教科責任体制
・ 担任との密室度弱い(e.g.保体)
・ 管理職との距離感あり (教科制の長所)
・ 自立の真っ只中 

 

  小中学校の違い―なぜ学級崩壊は小学校なのか
 

 この「密室性」が、小学校の「学級崩壊」クラスの、担任の心の有り方を著しくいびつにしている構造も見逃せない。中学校の教師なら、九人がお互いにグチりながら共通の認識の元に、ストレスを内にためこむことも少ない。(むろん、それでも胃が痛くなることも多いのだが)
 しかし、小学校のケースでは、一人担任しか実態をリアルに把握していないし、苦悩もただ一人のものだ。その分、母子カプセルの密室育児の母親のノイローゼ症状にも似た精神状態を教師に見て取ることができる。一九九二から三年の、例の「第三の非行」期の校内暴力の嵐が吹き荒れていた時期でさえ、中学校の教師たちは、今日の小学校の教師のような内に内にとこもって、キレる寸前のような抑圧的精神状態にはならなかったものだ。その意味では、指導困難学級やキレる子をかかえるクラスの担任たちへのケアを学校全体として、行政としてどのように実現していくのかは、今後の重要なポイントといえる。
 「学級崩壊」とは、担任教師の学級全体への指導性が溶解することだ。どんなに指導が困難でも、指導性が発揮できていれば、崩壊は起きない。また、キレる子が、5人、10人いたとしても、指導力が発揮できていれば、崩壊にはつながらない。
 
では、どのような要素が整ったときに崩壊をまねくのか。
 
 三つの要素を挙げることができる。
 
 一つは、「引き金」になる子の存在である。
 多動性の強い子、衝動的暴力性の強い子、パニック症状の子、あるいは逆に、手のかかりがちな寡黙傾向の子など、集団的・統制的活動を苦手とする子の存在である。
 
 二つめは、たとえ引き金になる子が存在しても、他の多くの子どもたちが確実に自立的な成長を遂げてくれれば、全体の統制がとれなくなることは起きない。問題は、その他の子どもたちの同調圧力度が高くなっていることである。引き金になる子に同調して、全体の統制がとれなくなるか、同一パターンの行動はとらなくても、無表情・無反応になって、活動を停止し、学級が死んでしまうのである。
 
 三つめは、これらの現象の継続時間の問題である。どんなに騒然としたり、無秩序状況が発生しても、短時間なら授業のアクセントにさえ転化できるものである。しかし、15分も20分も続いたのでは、授業崩壊しかねない。
 付け加えれば、これら三つの要因は、40人学級でも10人学級でも同じである。学級規模と崩壊の発生の相関はそれほど大きくはない。これは、構造的に説明できることである。
 
 「生活科」では、崩壊が起きにくい点にも注目しなければなるまい。多くの小学校教師たちは、生活科の導入以来「学級崩壊」が起きるようになったと指摘する。確かに、時期的に重なり合っているから、心情的にはわからぬわけではない。しかし、逆に、生活科のような子どもが主役になって、活動を主体とする授業こそ子どもたちの要求と見るべきではないだろうか。この問題は、今後とも丁寧に検証する必要がありそうだ。

 小学校の低学年と高学年との相違をはっきりさせる必要があるということ。
 これは、何よりも、小学1年生の崩壊現象まで、荒れの「低年齢化現象」として論じるのをストップさせる上でも、「学級崩壊」の正確な理解を広げる上でも欠くことができないポイントだろう。この違いを表としてまとめると次のようになる。
 
 
 

低学年と高学年の「学級 崩壊」の違い 
小・低学年
中 小・高学年
・ パニック現象        
・ 愛情不足 
・ セルフコントロール不全 
・ コミュニケーション不全・ 基本的生活習慣の欠如 
・ “崩壊”よりも集団性の未形成状態
・ よい子ストレス 両者の重なり  
・ 教師への不満・怒り 
・ 差別、不公平への怒り 
・学力不振 
・ 思春期ストレス(教師からの自立と不安) 
・ ピアプレッシャー 
・ 私立中学受験勉強による心情不安 
・ 担任教師へのいじめの構造として 
          ↑                     
◎ 下(幼児期)からの新しい「津波」現象  
↑  
◎ 上(中学)からの伝統的な荒れの「雪崩」現象 

 
  

 では、学級崩壊に直面させられる担任に共通した特徴が存在するのだろうか。教育委員会や教育センターなどへの私のききとり調査結果では、30代後半から40代に多いようだ。しかし、保護者の訴えでは、50代も目立つ。30代後半から50代までのベテラン教師の教室で学級崩壊が発生していることは間違いなさそうだ。
 その理由は何か。1つは、もともと20代から30代前半の教師の絶対数が極めて低いことにあるのではないか。
 それに加えて、一つの授業パターンや実践スタイルが無意識のうちに固定されてしまっているこれらのベテラン教師ほど経験主義に陥りやすい。プライドも大きいから、たかだか小学一年生の小さな子どもが、自分の思い通りに動かないことに、必要以上に落ち込む。それがまた他の子へ悪影響を与え、ますます教師を孤立させながら追いつめることになってしまう。
 
 小学校で「学級崩壊」していても、その状態が、必ずしも中学校にまで引き継がれないことも注目すべきである。
 「今度の小6は大変な子どもたち」、と警戒心を強めていても、4月の入学式を迎えたとたん、猫をかぶったように大人しかったり、逆に活発なエネルギーを発散する。全体としてあまり乱れないのだ。
 「もう中学生だ。バカやってられねぇ。」などという自覚が、どの子の胸の中にも湧いてきて、自己成長を遂げさせていくのだろう。それに、いやな話しなのだが、三年後の高校受験を意識した、プレッシャーがかかって、小6の時のようにはね回れないのだ。
 教師側も、80年代の校内暴力で訓練されているから「管理」が上手い。パワーも9人の力を一点に集中させられるから、たて直しも早いのだ。
 逆に言えば、このような中学校スタイルのポイントは、小学校にも取り入れる必要があるのかもしれない。



3.学童保育から見た「学級崩壊」

 学童保育の指導員達は、今の小学校一年生から三年生をどう見ているのか。1998年12月10日に川崎市の指導員一八八名から回答を得た。結果は次の通りである。
 
 

◆ この3〜5年の子どもの変化について 
 
 A+B(%)   A(%)     B(%)  C(%)  D(%) 
1
指導員にあまえるようになってきた
81.4 
33.5
47.9
12.2
6.4
2
片づけやあいさつなど、基本的なことができない。 
93.0
50.4
42.6
5.9
1.1
3
他の子どもとうまくコミュニケーションがとれない 
88.3
35.6
52.7
9.6
2.1
4 言動が粗暴になってきている。 
93.1
59.6
33.5
6.4
0.5
5
親の前では、「良い子」に変身する。
95.7
66.4
29.3
4.3
0.0
6 おけいこ事が多くなっている
88.3
47.9
40.4
9.0
2.7
7 早期教育を受けている子供が増えた。 
72.8
33.5
39.3
21.3
5.9
8 夜型の生活の子どもが増えた。
92.5 
49.4 
43.1 
 3.2
4.3 
9 「ジコチュー児」(自己中心児)が増えた。
 93.6 
61.7
31.9
2.7
 3.7 
10 何かあるとすぐに「パニック」状態 になる子どもが増えた。
85.1
38.4
46.7
10.1
4.8
11 子どもを見ていて、小学1年生で児童が先生の指示に従わず、授業が進まなかったり統制がとれないこと(「授業崩壊」「学級崩壊」) が起きるのは当然だと思う。
86.2
45.8
40.4
9.0
4.8

(A・・とてもそう思う/B・・そう思う/C・・そうは思わない/D・・わからない)
     
 一目瞭然にわかるように、この三年から五年の子どもの変化はすさまじい。「ジコチュー児が増え」(93.6%)、「何かあるとすぐに『パニック』状態になる」(85.1%)「言動が粗暴になってきている」(93.1%)「片づけやあいさつなど、基本的なことができない」(93.0%)では、「『学級崩壊』が起きるのは当然」が、86.2%にもなるのもうなずける。即ち、学童側から小学校の教室を眺めれば、「学級崩壊」しない方がラッキーといった状況なのだ。
 学校側は、「学級崩壊」するのは、教師の力のなさではないかなどと責めないで、もっと社会現象として気楽にとらえた方が良さそうである。その上で、個人の教師の力量アップをはかることである。
 そして、これらの姿をした小学生を受け入れ、生活をともにし、学習が成立する入門期のカリキュラムはどうあるべきか、つまり、大人の側のこれまでの経験に基づいたカリキュラム論ではなく、あくまでも目の前の子どもの姿から出発した、学びと生活のシステムを構築することである。それぐらいの大胆な発想の転換をはからなければ、今発生しているこの「学級崩壊」をのりこえることは困難だろう。


4,すでに幼児期に芽が

 ところで、これらの変化の兆しは、当然ながら幼児期に準備されているはずである。というのは、4月に入学したての小学1年生が最初から落ちつかず、動き回っているのは、その1.2ヶ月前も同じ状況であったことが予想できるからだ。入学後、急変するわけではないからだ。
 これまでは、一斉にきちんと席に座れていた1年生が、今日ではなぜできないのか。さかのぼって、幼児期の変化を丁寧に調査する必要が生じてきたというわけである。
 学童保育の指導員へのアンケートとほぼ同じ内容と形式で、4都道府県456人の保母から回答を得た。子どもの変化と親の変化の各項目のうち、「とてもそう思う」と「そう思う」の合計した数字だけ列挙してみると次の通りである。
 特徴的な傾向は、夜型の生活の子どもが増えた、「ジコチュー児」が増えた、言動が粗暴になってきている、保母に甘えるようになってきた、何かあるとすぐに「パニック」状態になる子どもが増えた等である。
 
 
 

保母から見たこの3〜5年間の子どもの変化
A+B
A
B
C
D
1 保母にあまえるようになってきた  76.4 29.2 47.2 17.2 6.4
2 片づけやあいさつなど、基本的なこ とができない。  73.8 24.6 49.2 23.6 2.6
3 他の子どもとうまくコミュニケーションがとれない  71.6 17.4 54.2 25.6 2.8
4 言動が粗暴になってきている。  79.5 32.3 47.2 17.9 2.6
5 親の前では、「良い子」に変身する。 61.5 19.0 42.5 30.0 8.5
6 おけいこ事が多くなっている  73.4 24.9 48.5 21.0 5.6
7 早期教育を受けている子供が増えた。 72.0 21.0 51.0 19.0 8.7
8 夜型の生活の子どもが増えた。 96.9 67.2 29.7 2.3 0.8
9 「ジコチュー児」(自己中心児)が増えた。 85.1 34.6 50.5 10.0 4.9
10 何かあるとすぐに「パニック」状態になる子どもが増えた。  73.9 21.0 52.9 17.9 8.2
11 子どもを見ていて、小学1年生で児童が先生の指示に従わず、授業が進まなかったり統制がとれないこと(「授業崩壊」「学級崩壊」) が起きるのは当然だと思う。 54.4 18.2 36.2 30.5 15.1 
 

 

  他の項目もかなり深刻といえる。「他の子とうまくコミュニケーションがとれない」(71.6%)ようでは、トラブルが絶えず「小学校で『学級崩壊』が起きるのは当然」とする保母さんが過半数の54.4%にも達している。
 就学前の時期から、すでに子どもの姿が激変していることが分かる。しかも、注目すべき点は、なぜこのような子どもの変化が起きているのかである。その原因を解明してくれる一つのヒントとして、「親の変化」の数字も意味深い(数字は、先の子どもの変化と同様に処理)。
 
 

 保母から見た親の変化
1 子どもに過保護になった 75.4 24.6 50.8 19.2 5.4
2 園でのケガ(小さなすり傷・切り傷や服が汚れることに過敏 63.6 22.1 41.5 28.5 7.9
3 受容とわがままの区別がつかない 92.0 45.6 46.4 3.1 4.9
4 必要以上に「良い子」でいることを子どもに要求している 66.9 23.8 43.1 24.9 8.2
5 園に常識はずれの要求をしてくる(例.昼寝をさせないで。野菜やくだものを給食から抜いて) 57.7 16.4 41.3 34.1 8.2
6 保母との関係がうまくとれない(アドバイスを批判されたとした受け取れないなど)  51.8 12.1 39.7 38.5 9.7
7 親の「モラル」が低下したと思う 72.8 22.3 50.5 16.2 11.0
8 親同士の横のつながりが弱まった 60.0 14.9 45.1 31.3 8.7
9 育児雑誌や情報の知識がある 72.3 17.2 55.1 18.5 9.2
10 育児・教育情報に振り回され、とんでもないことで悩んでいる 49.7 10.8 38.9 36.2 14.1
11 すぐに他人のこと比べる  69.7 15.4 54.3 22.1 8.2
12 授乳や食生活に無頓着である 76.1 28.5 47.6 14.9 9.0
13 しっかり遊ばせていない  81.0 30.3 50.7 11.8 7.2
14 基本的生活習慣を身につけさせることへの配慮が弱い 85.9 34.4 51.5 9.2 4.9
15 あいさつや躾教育に熱心だ 22.1 2.6 19.5 68.2 9.7
16 (母親)働くことへの意欲がある 63.4 13.6 49.8 25.1 11.5
17 父親が育児にかかわるようになった 69.5 13.3 56.2 21.0 9.5
18 政治・経済など、国際化や情報化に敏感である 19.2 1.5 17.7 60.0 20.8
19 離婚による「片親家庭」が増えた 75.4 26.4 49.0 18.2 6.4

 
 

   一見して明らかなように、「学級崩壊」を引き起こしかねない「受容とわがままの区別がつかない」親がいる、と92%もの保母が指摘しているのである。また、「基本的生活習慣を身につけさせることへの配慮が弱い」親も85.9%と多い。これら二つの項目からだけでも、とても集団的な一斉授業を45分も続けて受けられる力量が育っていないことが予想できる。
 幼児期の子どもの問題は、ほとんど100%親の問題である。そして、そのような親を生んできた社会全体の責任といわなければなるまい。そう考えると、「学級崩壊」問題は、単なる学校問題にとどまらず、社会問題であり、20代30代の親の危機=社会的危機といえる。一刻も早く、国民的な規模でこれらの問題の克服に挑まなければなるまい。


5.克服への視座と課題

 では、目前に発生している「学級崩壊」をどう克服すればよいのか。その視点と課題について考えてみよう。

(1) 克服への視座

 これには、7つ考えられる。

 1.父母との協力・共同・信頼づくり ――これは、かろうじて「学級崩壊」を脱出できた貴重な教訓に共通したポイントである。
   
 2.子ども父母の学級参画 ――担任のお手伝いではなく、親も子も行事などに直接参加してもらうのである。そうする中で、お互いの信頼が芽生え、協力もスムーズになる。責任も分担しあえる。
   
 3.教科担任制やT・Tの導入 ――とにかく一人で抱え込まないこと。いくつかの県で小1に限定した、T・Tの導入を予定しているようだ。  
  
 4.人的側面のみならず、カリキュラムも小1向きに改変する必要がある。ゆとりを生みだし、生活体験や生活づくりに大いに力を発揮させることである。このように、小学校の入り口をこれまでのように堅いコンクリートの岩壁ではなく、遠浅の白い砂浜につくり変えることだ。そうすれば、幼児期での発達の遅れやひずみがかなりあったとしても、大波をかぶることなく、衝撃を吸収できるからだ。
  
 5.25人学級の実現

 6.教師の自己相対化と人間そのものに対する認識を、もっと立体的でリアリティに富んだ内容にすべきではないか。一方的な思いこみや熱意だけで子どもと教育に向き合うのでは、自分から泥沼に身体ごと沈むようなものだ。

 7.幼児教育の見直しも必要だろう。
 

(2) 今後の課題
 

 要約すれば、子育ての社会化を図ることと、「幼児子育て世代」の生きづらさへの社会全体の共感が必要だろう。むろん、教育の基本は家庭であり、親であることに疑念の余地はない。しかし、その大前提が、かくも無惨に崩壊している以上、個々人を責めても何の展望も生まれまい。
 各自の経験を交流しあいながら、地域や社会全体でどのように今日の悩み迷える両親を勇気づけ、子育ての喜びを味わえるようにすることができるのか。この点も、社会全体に今しっかり問われているように思えてならない。このままでは「日本崩壊」の危機といってもよいということをしっかりと認識すべきだろう。